★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

50/50

2024-09-20 22:52:38 | 文学


○ベースボールの球 ベースボールにはただ一個の球あるのみ。しかして球は常に防者の手にあり。この球こそこの遊戯の中心となる者にして球の行く処すなわち遊戯の中心なり。球は常に動く故に遊戯の中心も常に動く。されば防者九人の目は瞬時も球を離るるを許さず。打者走者も球を見ざるべからず。傍観者もまた球に注目せざればついにその要領を得ざるべし。今尋常の場合を言わば球は投者の手にありてただ本基に向って投ず。本基の側には必らず打者一人(攻者の一人)棒を持ちて立つ。投者の球正当の位置に来れりと思惟する時は(すなわち球は本基の上を通過しかつ高さ肩より高からず膝より低くからざる時は)打者必ずこれを撃たざるべからず。棒球に触れて球は直角内に落ちたる時(これを正球という)打者は棒を捨てて第一基に向い一直線に走る。この時打者は走者となる。打者が走者となれば他の打者は直ちに本基の側に立つ。しかれども打者の打撃球に触れざる時は打者は依然として立ち、攫者は後(一)にありてその球を止めこれを投者に投げ返す。投者は幾度となく本基に向って投ずべし。かくのごとくして一人の打者は三打撃を試むべし。第三打撃の直球(投者の手を離れていまだ土に触れざる球をいう)棒と触れざる者攫者よくこれを攫し得ば打者は除外となるべし。攫者これを攫し能わざれば打者は走者となるの権利あり。打者の打撃したる球空に飛ぶ時(遠近に関せず)その球の地に触れざる前これを攫する時は(何人にても可なり)その打者は除外となる。

――正岡子規「ベースボール」


歳くってきて昔は良かったねという人はまだ現在に対してもある程度良かったと思っている可能性が高い。中年の危機においては、現在、それにもまして自分の過去の価値が怖ろしく下がる場合がある。現実逃避が出来なくなるのだ。若い頃の現実逃避はある種の現実肯定の上に成り立っているのである。

現状肯定は、動くボールに対して動く棒が衝突するにもかかわらず、跳ね返ったボールが拍手に迎えられた空間に着弾するという軌跡のようなものだ。それが追えなくなってくると肯定はむずかしくなる。

今日は、大谷翔平選手が、50ホームラン、50盗塁をきめ、観客がそれに浸ろうとしているところにもうひとつずつ加えて51-51の記録を作った。もはや「ドカベン」や「巨人の星」みたいな現実に着弾してしまったものはもちろん、「アストロ球団」みたいなものも現実が越えてゆく事態を示しており、――つまり、日本人による日本文化の否定が行われ、遂に「近代の超克」はフィクションに因ってではなく、現実によって為されたのである。思うに、米国と日本はしらないうちに思ったよりも一蓮托生であり、民主主義は理念の残余を引き摺った上でサブカルチャーの英雄であったトランプという現実によって超克され、ベースボールは日本でサブカル化した野球を吸収して自らを超克しつつある。

民主主義やベースボールは宗主国の佇まいを我々に感じさせるから大谷が化け物に見えない。しかし、日本文化的にいうならば、大谷のやってることは、あれだ、「好色一代男」が女護島でも順調にモテてウルフの「オーランドー」に勝ったみたいなかんじなのである。

中国籍の王選手が世界記録を作り、大リーグで大きい日本人が活躍する、こういう越境的な情況でしかおれたちはアイデンティファイできない。

もっと大谷の行為を日本に取り戻したいと思いたい御仁のためにも、暑いので、大谷さんがホームランを撃った数だけ夏休みを長くすることを激しく提案する。

感情に決せずして之を条理に決せよ

2024-09-19 19:08:42 | 文学


あわれ、渠の胸には、清水がそのまま、血になって湧いて、涙を絞って流落ちた。
 ばらばらばら!
 火の粉かと見ると、こはいかに、大粒な雨が、一粒ずつ、粗く、疎に、巨石の面にかかって、ぱッと鼓草の花の散るように濡れたと思うと、松の梢を虚空から、ひらひらと降って、胸を掠めて、ひらりと金色に飜って落ちたのは鮒である。
「火事じゃあねえ、竜巻だ。」
「やあ、竜巻だ。」


――泉鏡花「爪の涙」


ネット上のスラング「炎上」なんか、言葉上、自然鎮火するのが当然であるようにおもわれるから、――せめて驚擾とか言った方がいいのではないか。島田三郎の足尾鉱毒事件のときの「民衆の驚擾を鎮めんことは吾人の佇立して期待する處なり」というかんじが大事だ。同じ文章で島田三郎は「感情に決せずして之を条理に決せよ」みたいな素朴な言い方をしているが、これが原則的に政治には必要で、いまは逆に、条理はあれだが思いがある、みたいなことを政治家が言う、庶民にうけるためだとはいえ。島田の言いたいのは条理に決する感情の欠如であるのだが、――現代は、ギデンズではないが「感情の政治」の季節なのである。左派が思うよりもそうなのだ。

感情に決する――そのなかでも、たしかに、なんだか涙が出ちゃうみたいな人は思ったよりも多い、とインテリははやめに気付いておいたほうがよい。インテリには怒りと快活さを組み合わせることに成功した人間が多いのだが、悲しみと怒りの紐帯をなめてはいけない。教師なんかをやってると忘れがちなことだ。

ネットがない時代の新聞というのは、子供なんかにに与える影響は甚大である場合があって、わたくしの場合、中日新聞と中日スポーツとときどきくる赤旗の日曜版の影響が大きいに違いない。そこに抜けているのは、うえの「悲しみと怒りの紐帯」である。そのかわりに心に繁茂するのが、アイロニーと真面目さと批判である。

むかし柄谷行人が、負け続ける阪神を応援し続けているファンを、地域共同体とは違った交換D的なよい?共同性の何かとして説明していたと思うが、なぜかそういうかんじが負け続ける中日のファンから感じられない。やはり山本五十六が生きていたら(落合監督だったら)勝ってた的なかんじになっているからであろうか。もう30年近く読んでないからわからないけど、中日スポーツの文章のありかたも関係しているじゃないかと思う。なにか駄洒落に走ったりして、阪神の新聞(なんだっけ)の突き抜けた素朴さがない。もう記憶だけで言っているんでまったくの戯れ言なんだが、こういう細かいところは案外重要だと思う。

宮台真司は、柄谷とちがい、共同体の条件を悲惨の共有とか言ってしまうから、読者達がやたら躁鬱的に陰険になってゆく傾向がある気がする。たしか、宮台は野球が嫌いだそうである。柄谷の読者が快活に批判的でありわりと社交的であるのと対照的である。――いや、そうでもない。思い返してみると、柄谷の読者もかなりルサンチマンに満ちたやつが多かった。彼らが忘れるのは、悲しくてしょうがないみたいな心である。

墓碑である

2024-09-18 23:46:09 | 音楽


 音楽の構想は意識的に生まれるのだろうか、それとも無意識のうちに生まれるのだろうか。これを説明するのはむずかしい。 新しい作品を書いてゆく過程は長く、複雑に入り組んでいる。いったん書きはじめてから、あとで考え直すようなこともよくある。いつでも、あらかじめ考えていたのと同じような結果になるとは限らない。もしもうまくゆかないような場合には、その作品をそのままにしておいて、つぎの作品で、前に犯した誤りを避けようと努力する。これはわたしの個人的な見方であり、わたしの仕事の仕方である。もしかしたら、これはできるだけたくさんの作品をつくりたいという願望から出たものなのだろうか。ある作曲家のひとつの交響曲に十一の改訂版があるのを知ったとき、わたしは思わず、それだけの時間があれば、どれほど多くの新しい作品を書けるだろうか、と考えずにはいられなかった。
 いや、わたしの場合でも、もちろん、古い作品に立ち戻ることもあり、たとえば、自作のオペラ《カテリーナ・イズマイロワ》の総譜にはたくさんの訂正を加えている。


――ヴォルコフ編「私の交響曲は墓碑である」(『ショスタコービチの証言』水野忠夫訳)


小学校六年生頃からの愛読書がこの本で、偽書の疑いもなんのその、わたくしはこの日本語訳のあちこちを諳んじている。上のような部分については昔はあまり気にならなかったが、いまは深刻な問題だ。思うに、上の「ある作曲家」というのはおそらくブルックナーのことであろうが、彼の曲が供物であるに対して、ショスタコービチの場合は墓碑であることが大きいんじゃないかと思う。わたくしはこの二つを使い分けようとしているが、一人の人間がそういうことをするのはかなりしんどい。

それにしても、「わいの交響曲は墓標である」というの、むかしはふーんと思っていたが、E・トラヴェルソの本を読んでたら、彼こそ左翼の伝統の本質をやっていたということになるかもしれんと思った。彼の交響曲こそソ連邦ということになる。

名月にルサンチマンを

2024-09-17 23:37:12 | 文学


 今は百日紅が美しい。私の庭には、たつた一本あるばかり、それもさう大して大きいのではないが、亡兄の遺愛の樹であるので、私は大事にした。今年はそれでもかなりに花が着いて、深く緑葉の中から微かにチラチラと見え透いてゐる形は私を慰めるに十分であつた。これからは木犀だ。玄関の傍の金木犀、銀木犀の匂ふころには、村の鎮守の祭礼が近く、村の若者達の練習してゐる馬鹿囃の太鼓の音が夜毎にきこえて、月は水のやうに美しくあたりを照した。

――田山花袋「中秋の頃」


自然主義の時代は違ったのかも知れないが、まだ中秋の名月だかの頃は36度あるんだけども、みなさんいかがお過ごしですか。

ラインをやってていいことといえば、――今日なんか頼んでもいないのにこちらの月だとかいうて月の写真がたくさん送られてくるのは面白い。みんな同じ月です、そして全然別物に見える。環世界だかパースペクティズムだかがテクノロジーをかいして判明する昨今、離れた二人が月を眺めて愛を感じるとかは難しいが、フィクションではまだよくある。

昨日も大河ドラマで紫式部が道長と一緒に月を眺めていた。話はずれるが、――この源氏物語の作者が美人女優(吉高由里子様)なのがなっとくいかんという人もいるであろうが、普通に考えて、文学少女や文学者の色っぽさはすごいだろ、頭んなかすごいぞ。源氏物語かくやつだぞ。(むかし宮台真司もそんなこといってた)あまりにひどい目に遭った天才を除けば。

こんなよい月を一人で見て寝る

――尾崎放哉『尾崎放哉選句集』


そういえば、大学生の頃、将来像を示せみたいなアンケートに「インコと私で二人暮らし」と書いたことがあるが、ひょっとすると、今の細はインコかも知れない。あと、メダカは幻影であろう。

まことに他人というモノは生成変化するものであるし、自分とは明らかにちがう作用を持つものである、カウンセリングや集団治療なんかでも、人に話して楽になる効果が言われる。が、自分が言うとルサンチマンになるが、おなじことを人が言うと課題になるということもあるのである。研究でもそういうことある。研究史の研究なんかが必要なのはそのためである。より正確に言えば、人が言うのではなく「人が書く」ことが重要なのである。

で、最近はイブ・コゾフスキー・セジウィックの引用をみて、ちゃんとフェミニズムの勉強を再開しようと思った次第である。フェミニズムもマルクス主義と同じで、多くの怨恨を巻き起こした結果、それを相対主義みたいなところに着地せざるを得なくなっている。これじゃいかんと思うからだ。すくなくとも、セジウィックの本をさっき少し読んでみたら、はやりこのひとのニューチェ批判なんかはまだ有効だと思った。

そういえば、大学でも我々が大学生だった頃、どことなく女性の教員を馬鹿にする輩がいたことを思い出した。最近、古本で神山妙子先生の『イギリス文学史』買ったんだが、最初の頁に「先生が言った作者名や作品名は暗記しましょう」「出席はとーぜん。」と漫画文字でメモ書きがあった、昔の学生は勉強してたのう(棒読み)

いまさらわたくしの大学時代を思い出して如何するんだと思うが、定期的に勉強不足だった自分のおつむを思い出す必要があるのだ。

もっとも、わたくしは、「ル・サンチマン」の心情の回帰性ではないが、――いろいろなものを遅れて経験する才能がある。研究者によくあることでもあるが、わたくしは症状がひどい。例えば、さっきNHKで中年の危機を如何するかみたいな番組やってたが、わたくしはじめてスターバックスの飲み物をこの前飲んだから気分は小学生なのだ。

こういう才能は、教師向きでもあるのだ。高等学校の非常勤講師時代、――ある高校生が算数の初期段階でとどまっていたので、割り算とかを一緒にやってやり本人に喜ばれたことが、いままでで一番の教育者としての経験である。こういう作業はある程度まで苦痛じゃないのだ。

また、アスリートなどを学校の先生にできるみたいな話がもちあがっているが、教員養成における教科の専門性がそれなりに100年近く研究されてきているのを無視する馬鹿の所業といってもなかなかなっとくせん人もイルであろう。そもそも教師の才能とはわたくしの例を見てもあきらかのように、かなり特殊なのである。そしてそういう真実に対して向いていることが、本当に向いているとは限らないのである。例えば、人は、ヴィトゲンシュタインの小学校教師時代のエピドードや、「ジャン・クリストフ」の学校教師時代のエピソードを想起するであろう。

粗野と視覚

2024-09-16 19:32:32 | 音楽
ライヴ★ブルックナー:交響曲第8番〔1887年第1稿〕(ルイージ指揮:トーンキュンストラー管)


ブルックナーの第八番って、老年の憂鬱を奏でていたら音楽が自走して勝手に元気になって行くみたいなもののくり返しだと思う。

だれだったかブルックナーの音楽は素人芸を出ておらぬと言っていたが、確かにそんな匂いはあるのだ。しかし習作交響曲や0番あたりを聞いてみると、シューマンやなにやらみたいな交響曲に憧れてた青春がみえるようだし、そのみちで成熟してゆくみちもあったんだとおもうが、彼はどこか農民がじゃかじゃかステップを踏んで踊るみたいな音楽が性に合っていたのであろう。素人と言うよりそれは粗野な音楽なのである。

このまえ学会でも研究者と話したんだが、中原中也とか坂口安吾のことばの下卑たダサさというのは非常に重要であると思う。町田康氏なんかはどことなく洗練を目指しているとこがあるから本性はかっこよさを追究する博学な音楽家で、それに対して上の人たちは単に粗野なのである。

それはどこか、言語を食い破った視覚的なものを思わせる。例えば、五十嵐大介『ディザインズ』、――絵がひたすらすごくてせりふが全くはいってこないが、その昔の肉体だ肉体だと繰り返す某「東京大学物語」とかがおそろしく言語的密林な作品なのと対照的である。さすがに時代は変わったとも言うべきであろうか?わたくしはもともと、肉体だ肉体だみたいなことを主張する芸術家や学者たちの、自意識過剰な観念論がいやなのである。それにたいしてひたすら視覚的であろうとするうごきの方が信用に足る。

「スパイの妻」のなかで「河内山宗俊」が流れる場面、最初は「秀子の車掌さん」を使う予定だったと監督が蓮實重彦と濱口竜介との鼎談で言っていた。たしかに秀子様でよかったと思う。わたくしが好きだから――というのもあるが、アイドル映画である「秀子の車掌さん」のほうが、視覚的であろうとする動きがすごくて、「スパイの妻」の後半のテーマが、観念的な決断を行ったらあとはひたすらものごとを無視出来るのか、というものであるのに即していると思うからである。

現実は粗野でリズミカルでもない。ブルックナーの三拍子なんか、足踏みであって、ダンスですらないような気がする。

Воскресение

2024-09-15 18:22:04 | 文学
Janáček: Taras Bulba ∙ hr-Sinfonieorchester ∙ Andrés Orozco-Estrada


片方には海がひろがり、片方には伊太利が見える。あれ、向ふの方に露西亞の百姓家が見えてゐる。あの青ずんで見えるのはおれの生家ではないか? 窓に坐つてゐるのはお袋ではないか? お母さん、この哀れな伜を助けて下さい! 惱める頭にせめて涙でも一滴くそそいで下さい! これ、このやうに酷い目にあはされてゐるのです! その胸に可哀さうなこの孤兒を抱きしめて下さい! 廣い世の中に身の置きどころもなく、みんなから虐めつけられてゐるのです!……お母さん、この病氣の息子を憐れんで下さい!……ええとアルジェリアの總督の鼻の下に瘤のあるのを御存じかね?

――ゴーゴリ「死せる魂」(平井肇訳)


ゴーゴリの「タラス・ブーリバ」からああいう澄み切った音楽をつくってしまうヤナーチェクはタラス・ブーリバよりすごいとしかいいようがない。「鼻」からああいうオペラを作ってしまう若きショスタコービチはむしろリアリズムみたいなものに過剰にこだわっている。だからこそ、おなじリアリズムを標榜する政府と衝突するのである。反抗するものと反抗されるものの同一性はいつも話題になるのだが、長い時間をかけても目を覚ますとは限らないのが人間で、ロシアにおいてだって、ロシア帝政がむしろ真に始まったのはソ連になってからであった。革命は革命されるものの復活である。

学校の先生が妙に大学をバカにしたがる現象にはいろいろな原因があるのだが、例えば、いまの八〇代ぐらいのひとにとって、例えば教育学部なんかに、むかしの師範学校の先生みたいなのが残っており、戦争責任みたいなものへの複雑感情もあってか馬鹿にするというのがあったと思う。それが複雑感情なのは、実際それは彼らにとってみれば大石先生的なものと表裏一体であることを知っていたからである。その感情は、学園闘争の原因にもなっていたはずだ。右翼教師殲滅みたいなスローガンの対象となっていた大学教師の実態は一応調べてみないと分からないという感じがする。むろん「でもしか先生」みたいなレッテルへの反発もあって、わたくしの親の世代の教師達は思った以上に自意識のありかたが複雑感情的なのだ。確信を持ってかかげるモラルはない、それは戦争で崩れちゃったし、と母も言っていた。彼らは、批評家の英雄=柄谷行人なんかとおなじ世代である。柄谷が、自分たちは全ては迷信だみたいなセンスがトレンドだった世代なんだみたいなことをどこかで言っていたけど、背後にはただただ「迷」っていた人もかなり多かったわけであった。その「迷」いは、戦前にあったものの戦争抜きの復活なのである。

罪方に汝にあり

2024-09-14 23:28:12 | 文学


時に空中に人有て、「孫行者我が寶貝を還せ」といふ。行者聞て、空中へをどり上って是を見るに、是李老君なり。行其故をとふ。老君が曰く、「那葫盧は我が仙丹を盛の寶貝、浄瓶は我が水を裝の寶貝、賢劍は廣を煉寶貝、扇は火を煽ぐの寶貝、コウ金縄は我靭袍帯なり。 那両怪は、一個の金廬童子、一個の銀爐童子なり。他我が貝を偸み、下界へ逃走し、所在を知ざりしに、不期も今汝に拿られたり」行者𠮟つて曰く、「汝這老官兒、縦に家童を放て吾が師父に害をなさせ、経をとるの邪をなす。罪方に汝にあり」老君が曰く、「是事我が預る處にあらず。汝が師徒魔ありて難に逢ふなり。此難に逢すんば正果にいたる事難し」行者聞きて初て了然、五件の寶貝を老君に返しければ、老君葫盧、浄瓶の口を開きて、両股の仙氣を出し、指を入れ化して二童子となし、行者に別れて天宮へぞかへりける。

この老君はもっともらしいこというて、猴をだまくらかして天宮へと帰って行ったが、金角銀角の狼藉があったからこそ、この爺もちょっとは賢くなったかも知れないのだ。いまだに「罪方に汝にあり」といったせりふは教育的である。ただ、爺婆ぐらいになると、上の人みたいにむしろお前のためだったみたいなことを言いかねない。いや、老人にかぎらず、二〇ぐらいになると手遅れだというのが実感である。

そういえば、所謂アンガーマネジメントみたいなものは完全に奴隷の魂を殺すものであって、そうでなければむしろ怒りを買っている。まだ孫悟空の魂を持っている大人はましである。

「亜人」なんて作品は、死んでもそのつど生き返る人間の話であったが、もはや上のような魂の死と再生のメタファーなのであろう。

わたくしは、若いフェミニストたちがやたら平等志向なので、つい「マッキノンも読んでないのかよ」とか上から言っているのがいかんとは思うが、――絓秀実でなくても、さすがに彼らの議論をなかったことにしてはならぬくらいの怒りはある。

人間は目標に向かって生きるみたいに都合良くは出来ていない。自然にやってしまう以外の、――その、目標を口に出してみたいなやり方は、実際にその目標を実現できる能力がないことを糊塗する目的に常にすりかわる。わたくしは、多くの人間の現実を言っているのだ、やる気のあるように見える人間に限って努力しないし嘘ばかりつくようになるのはそのせいで、そういう自覚のある人間が、だからこそちょうど先生みたいなものをやりたがって問題を看過し続けることを生きる目標にしてしまう。先生とは、自分と他人の目標を引き延ばしに出来る性格をもつからだ。

中島敦の「悟浄嘆異」なんか、その生悟り病の深刻さへの入り口として正直な作であった

その先生には所謂政治家なんかも含まれている。「先生」になって偉ぶりたい現象というのは昔からあるけれども、意味あいがちょっと変化しているようだ。現在のそれは虚栄心ではなく、もっと自意識的で必死な「自己肯定感」に近いものである。一度とった態度や目標を降ろすことが出来ない、それをすることは自分のその肯定にかかわるからである。たぶん、小学生の低学年の頃やもっと前の時代に、口先だけで何にも出来てないことを叱責されておらず、むしろ目標を持つこと自体を褒められているからである。この地点では大人や教師は必死にかような子供の堕落に抵抗するべきなのだ。ウソを積み重ねて育ちあがってしまうともう引き返せない。

こういう情況が一般化すると、ある種のインテリの、他人の人生を哀れんだり社会構築主義みたいなことを言ったりすることすらも、口先であることを合理化してくれるみたいな行為として便利になってしまう。ネットという手段が与えられたこともあるが、それ以前よりもみな進んでインテリになりたがるのはそのせいである。それをある程度自覚しているから、職業としてのインテリは、ずるさの象徴として自覚的に攻撃されることにもなるわけで、――攻撃された方もますますアカデミアとか言うて自分の存在を自明の理化するのであった。

愚痴とカブトムシ

2024-09-13 23:32:14 | 文学


国会図書館の本に限らず、古本というのは、旧持ち主の落書き=愚痴とかを楽しむものである。わたくしの勘違いでなければ、自然主義系の本にはあまりに稚拙で深刻な愚痴が書かれていて、もうさんざ言われていることのような気がするが、私小説とは読者の反応というものであった可能性を示唆する。

「床が板でないので、少し憂欝ですね。」
「さうしようかと思つたんですけれど……。」
「どんな人が踊りに来ますか。」
「いろいろです。あすこにゐるのはお医者さまと、弁護士です。」
 汗がひいたところで、私はまたざらざらするフラワへ踊り出したが、足の触感が不愉快なので、踊つたやうな気持にはなれなかつた。
 私は椅子にかけて、煙草をふかした。


――徳田秋声「町の踊り場」


徳田秋声の古本によく書いてるあるのが「この本に書かれてゐるのは愚痴に他ならない」という愚痴である。以前わらったのは、西田幾多郎大先生の善の研究のあちこちに、カブトムシの絵を描いていた一高生。カブトムシ好きすぎである。

9月としての真夏――36度を中心に

2024-09-12 23:41:20 | 日記


管見ではとても暑い


歴史をつくる

2024-09-11 23:22:04 | 文学


「待てよ、いずれこの事件には平田門人の中で関係した人がある。やった事が間違っているか、どうか、それはわからないが、生命をかけても勤王のお味方に立とうとして、ああして滅びて行ったことを思うと、あわれは深い。」
 そこまで考え続けて行くと、彼はこのことをだれにも隠そうとした。彼の周囲にいて本居平田の古学に理解ある人々にすら、この大和五条の乱は福島の旦那様のいわゆる「浪人の乱暴」としか見なされなかったからで。
 木曾谷支配の山村氏が宿村に与えた注意は、単に時勢を弁別せよというにとどまらなかった。何方に一戦が始まるとしても近ごろは穀留めになる憂いがある。中には一か年食い継ぐほどの貯えのある村もあろうが、上松から上の宿々では飢餓しなければならない。それには各宿各村とも囲い米の用意をして非常の時に備えよと触れ回った。十六歳から六十歳までの人別名前を認め、病人不具者はその旨を記入し、大工、杣、木挽等の職業までも記入して至急福島へ差し出せと触れ回した。村々の鉄砲の数から、猟師筒の玉の目方まで届け出よと言われるほど、取り締まりは実に細かく、やかましくなって来た。


――「夜明け前」


わたくしの木曽時代の同級生に何人か、酒や蕎麦の有名店を支える主人がいるが、「夜明け前」を読んだ後だと、こういう老舗の運命というものが気になってくる。藤村の狙いは、歴史の反復性みたいなエセ観念を使ってでも何でも、木曽の産業にとどまらず木曽の歴史そのものを蘇生させることであったと分かる。木曽がどんな地政学的意味を持っていようと、そして日本がどんな地政学的意味を持っていようと、人間のしでかす出来事はそこに構造の反復をゆるさないなんてことはざらにあるのだ。しかし、フィクションでは反復があり得る。しかも優しさをもってやりぬくことができるかもれない。

このまえ、西田幾多郎とベルグソンの偉さの違いが、その人類愛に於ける実行の違いにあったみたいな論文を読んだが、それはまだ歴史のおそろしさを知らない人の書くもののように思った。

虫と呪法

2024-09-10 23:26:48 | 文学


 彼はおのれら一族の運命をもそこへ持って行って見た。空の奥の空、天の奥の天、そこにはあらわれたり隠れたりする星の姿があだかも人間歴史の運行を語るかのように高くかかっている。あそこに梅田雲浜があり、橋本左内があり、頼鴨崖があり、藤田東湖があり、真木和泉があり、ここに岩瀬肥後があり、吉田松陰があり、高橋作左衛門があり、土生玄磧があり、渡辺崋山があり、高野長英があると指して数えることができた。攘夷と言い開港と言って時代の悩みを悩んで行ったそれらの諸天にかかる星も、いずれもこの国に高い運命の潜むことを信じないものはなく、一方には西洋を受けいれながら一方には西洋と戦わなかったものもない。この国維新の途上に倒れて行った幾多の惜しい犠牲者のことに想いくらべたら、彼半蔵なぞの前に横たわる困難は物の数でもなかった。彼はよく若い時分に、お民の兄の寿平次から、夢の多い人だと言ってからかわれたものだが、どうしてこんなことで夢が多いどころか、まだまだそれが足りないのだ、と彼には思われて来た。
 月も上った。虫の声は暗い谷に満ちていた。かく万ずの物がしみとおるような力で彼の内部までもはいって来るのに、彼は五十余年の生涯をかけても、何一つ本当につかむこともできないそのおのれの愚かさ拙なさを思って、明るい月の前にしばらくしょんぼりと立ち尽くした。


――「夜明け前」


高松のわたくしの家の庭が昆虫や鳥たちの楽園と化しているのは、わたくしが虫たちをすきなのを知っているからだと母がまじめに言っていた。わたくしもなんとなくそう思うのである。小林秀雄に、母親が蛍として見えた(「感想」)のを読んだりすると、その虫――どことなく蛍が、美的なよそ者である気がしてくる。彼は江戸っ子の近代人で、結局虫そのものを好きではないんじゃないか。そういえば、夜中になると泣き出す幼児の私を虫封じの呪法に連れて行ってなんとかしようとしたらしい70年代初頭の両親であったが、わたくしの世代はギリギリ、そういうものを医学以外で処方しようとした世代にあたっている。――その際、神主とかがおこなう呪法とともに、頼んだ親も呪法もどきの祈りを行っているわけであろうが、前近代の習慣とも言い切れない。これはいまの「子供の目線に立つ」とか「寄り添う」よりもよほど強烈な情であろうが、やはりその現代の寄り添い教も、医学とは別種の呪法の伝統に連なる(科学のふりをしたバージョンではあるが――)ものであることは確かであろう。もっとも、より添いよりも虫封のほうが効く気がするのはなぜであろうか。おそらく、効くか効かないかといった疑問を消すぐらいの試行錯誤が行われてきた結果だからであろう。――すくなくとも、そう信じられるかぎりでそれは伝統であり信であった。そしてそえは虫の存在感を体が感じているかという問題そのものだ。

よく実家の軒をみたら、昔からの蜂の巣の残骸が釣り下がっているし、いまでもたくさんの一族が生活している。残骸の一部が、座敷の一部に飾ってある。かんがえてみると高校を出るまではそういう虫と一緒の生活だったし、いまも木曽の家はそういう感覚のなかにある。最近は鈴虫の飼育が盛んなので、家自体が鈴虫の鳴き声を立てているような雰囲気だ。たぶん、こういうかんじでないと落ち着かないのである。うちの姉妹たちも常に動物と暮らしていて、、ずっとまえから「ポストヒューマン」状態だ。実家の玄関を入ると、目の前に、なぜか妹が飼っている犬(つまりここにはいないのである――)の写真がでかでかと飾ってあり、孫とか子供の写真よりも優先されている。

うちの母は、庭に来ている鳩に餌をやりつづけて、何年か掛けて手から食べさせることに成功した。こういう粘り強さは教育者には必要だ。目標は設定してもいいけど時間を無視出来る勇気がないと、というのは教師の身につけるべき精神状態であろう。

すると、教育者として最も偉大な先人は、ファーブルということになるのであろうか。しかし、ファーブルは虫の好き嫌いが多い。

木曽のひまわりの方が巨大化している件

2024-09-09 23:36:08 | 日記



温泉の駅の狐は大きく

2024-09-08 23:30:31 | 文学


 こんな調子で、半蔵は『童蒙入学門』や『論語』なぞを読ませに村の子供らを誘い誘いした。その時になっても彼は無知な百姓の子供を相手にして、教えて倦むことを知らなかった。普通教育の義務年限も定められずにあるころで、村には読み書きすることのきらいな少年も多く、彼の周囲はまだまだ多くの迷信にみたされていた。どうかするとにわかに顔色も青ざめ、口から泡を出す子供なぞがあると、それが幼いものの病気とは見られずに、狐のついた証拠だと村の人から騒がれるくらいの時だ。

――「夜明け前」

ひでり狐

2024-09-07 23:59:54 | 文学


そのようすがまったく狐に化かされた者のようでした。何しろ四日の間、着のみ着のままで、湯にもはいらないでいたものですから、顔も着物もまっ黒に汚れてしまっていましたし、社殿の床下からはい出してきたばかりで、頭には蜘蛛の巣までひっかかっていました。
「おや、酒の匂いがしてるよ」と誰かが言いました。
「なるほど、徳兵衛さんは酔っぱらってる。……化かしといて酒を飲ませるたあ、狐も開けてるな」
 一同の者は喜び勇んで、徳兵衛を捕まえて胴上げをして、わいしょわいしょと村の方へ運んでいきました。


――豊島與志雄「ひでり狐」




ほの暗い池の底に

2024-09-06 23:03:51 | 文学


カンダタでもいるのであろうか。

前回のパラリンピックはすごく一生懸命観たんだが、今回はなんか気分的にもテレビ自体をみられない。いろいろ理由はあるのだが、わたくし、小学生のコロも、運動が苦手だというのもあるが、それ以上に運動会そのものに、だいたい低学年あたりで飽きていたような気がする。なんかわたしはそういうところがあるわな。いろいろとシツコイ癖に。これが、勉強おいても、そのもの自体に飽きている人もいるんだろうと思うのである。