★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「ガラスの脳」と樺美智子

2019-08-13 23:04:02 | 漫画など


手塚治虫に「ガラスの脳」(1971)という短篇があり、たしか映画にもなった。交通事故にあった母親の影響なのか、昏睡しながら成長する少女の話で、雷鳴の轟く夜に突然彼女は目覚める。赤ん坊から思春期までをたった5日の速さで生長した彼女は失恋やなにやらをすべて経験して再び眠りにつく。

これは恋愛を描いた作品であり、我々の恋愛が、小児から死までを一気に経験するということを教えてくれるという意味で、啓蒙的な作品である。恋愛の前後には虚無がある。

書棚の中から樺美智子の『人しれず微笑まん』という遺稿集が出てきたのでめくってみた。教育実習での生徒の感想まででてきて、用意もなく死ぬのは本当に危険だなと思わざるをえない。お母さんが編者になっており、父親が序文を書いているので、樺美智子の小学生の時の日記や作文なども、両親が選んだのかもしれない。父親の序文に、「最善の方法で育て上げた」娘がこんなことになってしまったのは「時代の宿命」だとあった。確かに、彼女の中学生の時の読書の記録を見ると、「アクロイド殺し」や「女の一生」、シェイクスピアの諸作にまじって、「山本有三全集」とあって、「これは三回目」とか書いている。確かに「最善」なのだ。

大江健三郎の「セヴンティーン」の落ちこぼれ主人公の周りには、こういう優等生がいたのであった。知らんけど……。この落ちこぼれ主人公は、赤ん坊からやり直そうとしているところに大きな特徴がある。もう一人の美智子さんへの幻の恋愛として?、それを執念のように繰り返す。虚無が前後にあるから繰り返さないと自分が無になってしまうからである。

樺美智子の遺稿集を読んでいて感じるのは、彼女は優等生であるせいか、こういう「やり直す」という感情がなく、最初から人格の完成への意志を前提として行動しようとしているということである。しかし、本当はそんなはずはない。それが表に出てこないのが優等生なのだ。彼女の時間意識は、マルクス主義の「歴史的必然」みたいなものとかなり相性がいい。

だからといって、わたくしは、樺美智子みたいな優等生はダメだと言いたいのではなく、その逆である。山本有三はよまなくてもいいかもしれないが、なんか読んどけよと言わざるをえない。子どもは上記のような恋愛しかしない。

女と並べてロミオどのゝ黄金の像をも建て申そう、互ひの不和の憫然な犧牲!
物悲しげなる靜けさをば此朝景色が齎する。日も悲しみてか、面を見せぬわ。いざ、共に彼方へ往て、盡きぬ愁歎を語り合はん。赦すべき者もあれば、罰すべき者もある。哀れなる物語は多けれども、此ロミオとヂュリエットの戀物語に優るはないわい。


――「ロミオとヂュリエット」(坪内訳) 


恋物語で解決するのは、せいぜい良家の諍いぐらいである。


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