★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

河童

2024-05-15 23:33:05 | 文学


ある家の祖先の代に、河童が来て仕へた話は、大抵簡単になつてゐる。毎夜忍んで来て、きまつた魚を残して戻る。なぜ、今では来なくなつたとの問ひを予期した様に、皆結局がついてゐる。河童の大嫌ひなものを、故意に何時もの処に置いた。其を見て、恐れて魚を搬ばなくなつたと言ふのだ。河童が離れて、ある家の富みが失はれた形を、一部分失うた事に止めてゐるのが、魚の贄の来なくなつた話である。家の中に懸けられる物は、魚も一つの宝である。異郷の者が来て、贄なり裹物なりを献げて還る古代生活の印象が結びついて、水界から献つた富みの喪失を、単に魚の贄を失うた最低限度に止めさせたのである。農村の富みは、水の精霊の助力によるものと信じて居た為である。家の栄えの原因は、どうしても、河童から出たものとせねばならぬ。だから、河童を盛んに使うた時代のあることを説いてゐる。河童駆使の結果は、常に悲劇に終るべきを、軽く解決したのである。昔から伝へた富み人の物語が、今ある村の大家の古事にひき直して考へられたのである。

――折口信夫「河童の話」


このまえ、山奥で迷子になって廃墟になった寺で源氏物語の明らかに紫式部の筆と分かる巻物を発見し、喜んだが帰り道に盗賊にとられて失意のうちに1時間目の授業をこなした夢を見た。盗賊は木曽川出身と言っていた。