青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

幸せ談義

2008年02月01日 | 人生設計
生あるものの思い、それは願いであり望みであり志であり求めるものであり、まとめていえば「幸せになりたい」ということになるだろう。
殊に人は、この「幸せ」を求めて止まない。
目で見る物によって幸せにつなげ、耳に聞く音によって幸せにつなげ、匂いに、味に、皮膚の感触の肌触りに感じることによっても幸せにつなげ、幸せを求めようとする。
そしてそれらの思いからも幸せにつながらないか、四六時中といってよいほど思いをはせている。
この「幸せになりたい」という思いは、一種の緊張である。気持ちが張り詰め、身構えている状態にあることになる。
こうした状態は、人が「幸せ」の受け手であるからだろう。
幸せは、一人で与えられるものではない。我々が求めなければならず、探していかなければならないものである。そして一つ得て手に入れても、更なる「幸せ」を求めようとする欲が出てきてしまう。そうすると、限りなく緊張も続いてゆく。
しかしこのように限りなく「幸せ」を求めたとて、それを自分の中の何処にしまっておくことができるのだろうか。
ものには限度というものがある。この器にはこれだけの分量しか入れられないのと同じように、「幸せ」にも限度というものがある。
だけでなく器自体の善し悪しにもより、自分が「幸せ」になるにふさわしい人間かどうか見直さなければならない。
そうした上で、本当に「幸せ」になれると言えるだろう。
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