青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

自然と地球の反乱

2008年08月31日 | 人生設計

昨今、列島は記録的な異常気象に襲われている。
地震なども多発しているし、今日この頃も、記録的な豪雨、ゲリラ豪雨に見舞われた。
これらを単に「異常気象」と片付けるには、余りにも規模が酷すぎる。被害が、甚大でありすぎる。こうした様を見る時、「自然と地球の反乱」を思ってしまう。「怒り」とも・・・

私達人間は、余りにも勝手をし過ぎている。
「豊か」で「楽しく」、そして「栄光」に包まれるよう華々しくあろうとして身勝手になっている。それは一言で言えば、「幸せ」になろうとするためである。
そのため勝手に、身勝手な事をしてきた。資源を浪費し、食物資源を乱獲し、それらを取り合いして、兵器を使い自然と地球を痛めてきた。
こうした私達人間への、自然と地球との反乱が、異常気象のような形で現れたといえるだろう。それは又私達人間の、異常な犯罪多発を生むような精神状態を発生させる元ともなっているともいえる。

しかし自然と地球は、望んで反乱を起こしているわけではない。自然の「摂理」に従っているに過ぎない。
釈尊が明らかにされた、「縁起」の法に従っているばかりなのである。「縁起」とは「因果」で、「行われた事には結果」を現しただけなのである。
「善い行いには善い結果」を、「悪い行いには悪い結果」が、自然の摂理のままに現される。それを今、私達人間は受ける事となっている。

私達人間に、生命の中でも随一のすぐれた「知恵」を持つならば、この「善い行いには善い結果」を、「悪い行いには悪い結果」がという、自然の摂理のままに生きる事を目指すべきだろう。

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この奇妙さ (下)

2008年08月30日 | 社会
来年度予算の「換算要求」が締め切られた。それに伴い、私が住む所の県関係者などは、この内容に悲喜こもごもになっている。それというのも「北陸新幹線」関連予算が、延伸を認めるような断念させるような、曖昧で玉虫色の内容な表現になっているからである。この換算予算要求内容はさておいて、北陸新幹線誘致というのが、なんとも奇妙に思える。 ご存知の通り、今日原油高騰や穀物高騰のため、物価値上がりで生活環境が厳しい状態にある。殊にこうした生活の支えともなる漁業関係や農業畜産関連では悲鳴を上げている。そうした中に「何故高速交通が」という思いがする。交通には、鉄道では既に既存のJRがあり、国道も高速道もある。なのに更に新幹線ともなると「二兎を追うものは一兎をも・・・・」ということになりかねない。第一、新幹線建設といっても「自治体負担金」というのがある。こういうことに税金を使うなら、差し迫っている生活安定のために使って欲しいと思う。こういう発想をしてくれない、奇妙さがある。 又こんな奇妙さもある。偉いさんがいうのには、北陸新幹線が必要なのは、東海地震などが起きて表日本の交通網が切断された時に、その代替として日本海側の交通網、北陸新幹線が必要なのだという。それならそれで、太平洋側の都府県が建設促進に動けばよい。だが、そうはしていない。知らん顔をしている。それどころか、東京都などはこんな有様という、こういうニュースの記事が出ている。

東京都(石原慎太郎知事)が、東京都新宿区の超高層ビル街にある本庁舎ビルを今後10年程度を掛けて大規模に改修する計画であることが26日、明らかになった。内装や設備のリニューアルが中心で、改修費は総額1300億円規模に上る見込み。都は「設備の老朽化」などを理由に挙げているが、1991年の庁舎完成前後には、その巨大さや豪華さを批判された経緯があり、再び巨費を投じる大規模改修に都民から反発の声も上がりそうだ。 (時事通信)


この記事を見ると、災害に見舞われたらどうするかは、人事みたいで、一生懸命になっている地元は一人相撲をしているという奇妙さがある。
更に又、電力供給不安があるというのに、その事を解決しないでエネルギーを食う新幹線を建設しようという、それは経済産業発展を目指そうという事らしいが、基本体制が整わずに行うという奇妙さもあり、この奇妙な社会や世の中はどうなっているのだろう。

それは、家計を切り盛りするような主婦の感じで、政策設計に取り組んでいないからだといえるだろう。
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この奇妙さ (上)

2008年08月29日 | 社会
アフガニスタンで拉致された末に、銃撃され殺害された 伊藤和也 さんは、無念な事だろう。まだこれからという時に、異郷の辺地に倒れて、家族と共に心残りも多い事だろう。ここに心から哀悼の意を、捧げたい。 しかし 伊藤和也 さんのこうした胸のうちを思いながら、次のようなニュースを見ると、その対比に世の中の奇妙さを感じないではいられない。

 伊藤和也 さんガ誘拐されたと報じられたという日と同じ日のニュース。

文部科学省は26日、北京五輪でメダルを獲得した選手をオリンピック競技大会優秀者として顕彰した。

オリンピック選手は、多額の、何億円もの選手強化費で援助されている。メダルが取れて当たり前で、それでメダルを取れないなら、何のために選手強化費を税金から使ったという事になる。そしてメダルを取ったから「顕彰」、更には「国民栄誉賞」を与えるなどという事になっている。一方の  伊藤和也 さんのようなNGOや海外青年協力隊という人達には、こういう強化費なんぞという援助もなしに海外へ出かけている。そして異国の、辺地で逝かれてしまった。

この 「オリンピック競技大会優秀者として顕彰した。」 というニュースと共にこういうニュースも出ている。

愛媛県今治市の笠松山(標高357メートル)の山林で24日午後5時ごろ出火し、一夜明けた25日午前も延焼し、集落に迫っている

オリンピックでメダルを取れるほどの体力と技能がある人たちなら、こういう災害現場に駆けつけて救助なり消火に当たってほしいものだ。だが彼らは、そうしない。メダルを取った事を、誇らしげにしている。観衆に、手を振って応えている。多額の選手強化費を使いながら、ただメダルを取ってくるだけで、そのほかには何の役にも立たない「でくの坊」でしかないのだろうか。
それを人々もマスメディアも、こぞって取り上げている。
今日この日の、豪雨やゲリラ豪雨災害に対しても、役立ててもらいたいのに・・・・

この奇妙な社会と、世の中という現実に、伊藤和也 さんの人生の意味を思う。
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議員は日雇い労働者に

2008年08月27日 | 政治
「一政治家として説明を」 首相、慎重な対応姿勢(共同通信) - goo ニュース

27日午後7時30分からのNHK総合テレビで「日雇い派遣労働者」に関する番組を、夕食のため半分ほどだが見た。
「日雇い派遣禁止法案」が可決したという事は知っていたが、その詳しい内容については知らなかった。それはさて置いて、そういう法案を審議した議員が閣僚にもなっていて、こういう事務所問題を起こしているのを見る時、このような人達には正社員のように「給料、歳費、共済」など諸手当が与えられていると思うと、こういう人達が「日雇い労働者」であるべきだ、と思ってしまう.
だが「法にのっとって」こういう人達には、そういう特権が与えられている。
そういう、不可思議なまやかしいものがある。
こちらこそ、「法にのっとって」、即ち憲法の「平等」の精神にのっとって、そういう待遇を受ける事が違法と言いたい。
最も今の世の中、「日雇い労働者」のように手弁当で政治に関わろうとする政治家なんて、いないだろうが///。

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人は何故生きる(下)

2008年08月27日 | 人生設計
人が「人らしく」生きようとする時、それが「人が何故生きるか」の答えとなるだろう。
人は「ただ単に人」としてあるのではなく、生命あるものとして生きているならば、「人らしく」あらねばなるまい。人であるまじき思いや、行いに生きる事はあってはなるまい。
ここに載せた「ユリの花」のように、「ユリの花」は「ユリの花」として懸命に生きている。


他に頼らず、他に寄りかからず、それでいて自然の営みを素直に受け入れている。
「こうされたから、ああされたから」といって恨みもせず、報復や復讐する事もなく、他をからかい、中傷し、いじめる事もなく、「金銭、名誉、地位」に捉われもしていない。
それはまさしく「神が更に神らしく、仏が更に仏らしく」勤め励むような姿である。
しかし人は、さもしい。何やかやと、欲に駆り立てられる。そして泣き、苦しみ、怒り、恨み、呪う。
こういう私たちのために、教育というものがあり、道徳というものがあり、哲学というものがあり、宗教というものがある。それらは「人が人らしく」なるためのものであったはずなのに、人は欲望を募らせる事にと取り違えている。
厳密に言えば、人の生命は自然の摂理に従っている。然れども、その生命に付随している「精神、心」は、身勝手で我侭に振舞っている。この身勝手で我侭な「精神と心」をどのように導き正していくかが、それが「人は何故生きるか」ということへの答えともなる。
それに又、この身勝手で我侭な「精神と心」をどのように導き正していくかは、一秒一刻の瞬間瞬間の行いによって決定される。即ち「一期一会」である。
だから「これだけしたから、あれだけしたから」と安穏としてよいものではない。それだけでなく、この事は「過去と未来」ともかかわりを持っている。
「過去と未来とのかかわり」といっても、「これだけした、あれだけした」ということではなく、過去の経験をどう「正しく生かす」ということにある。「未来に生かす」ということにある。
ただ「目先」の目標だけを目指せばよいというものではない。「目先の目標」だけを目指していたから、今日私達は、地球温暖化や食糧危機、物価高騰と言ったものにさいなまれているばかりでなく、原爆やミサイル、クライスター爆弾など兵器が開発されて使用されて、世界は騒がしい。
「人が人らしく生きる」ということを自覚するとき、「人が何故生きる」ということを知ると同時に、今私たちがだかえている色んな問題も氷解していくかもしれない。

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人は何故生きる(上)

2008年08月25日 | 人生設計

「人は何故生きる」・・・・・・。
それは重い命題である。簡単に、答えを出せそうに無い。
しかし私達は、この命題に対して、何らかの答えを出して生きていかなければならない。「何となく」ダラダラと生きているのでもなく、また藪から棒に極端に生きるでもなく、与えられた「生命」と向き合って生きていくべき必要がある。それは意識しようとするまいとに関わらずに、私達の上に圧し掛かっている。
ではこの「人は何故生きる」ということについて、どのような答えを出せばよいのだろうか。それはまた「人は何のために生きるのか」という問いかけへの返答でもある。
ここで私達は、私達の存在感に目を当ててみたい。
私達は「人」として、「人間」として存在する。それは「花」が「花」として存在するがごとくに、「石」が「石」の存在するごとくに存在している。
しかし人は、「花」や「石」とは異なり、「人らしく」存在しえない。それは何故かというと、人は「精神、心」というものを持っている事による。この「精神、心」というものを持っているがために、人は「人らしく」存在する事がなかなか出来ないでいる。
よく人の事を「神の子、仏の子」という。しかし、もし確かに人が「神の子、仏の子」であるならば、その思い「精神や心」は、そしてその思いによる行い「行為」は、「神の子、仏の子」の思いや行為であるはずなのである。
だが現実には、そうではない思想や行為が横行している。
このように人が「神の子、仏の子」と言われながら「神の子、仏の子」らしくなれないのは、人が自分自身を「神の子、仏の子」らしく躾ようとしない事にある。この人が、自分で自分を「神の子、仏の子」らしく躾ようとする行為を、「信仰」といい「宗教」と言えるだろう。
普通「信仰、宗教」というと、自分の都合の良いようにしてくれるものと思いがちだが、そうではなく、正しい「信仰、宗教」とは「神であっても仏であっても、その神や仏を正しく神として仏として教える」もの、そういうものでなければならない。
「人は何故生きる」という事も、人が自分自身で、自分を人として導き教えるのが、人の生き方なのだと言える。

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熱くなり熱くなって

2008年08月24日 | 人生設計

「鉄は熱いうちに打て」という、ことわざがある。熱い内に打つと、いろんな形に加工できる。しかしこれを冷まし、冷やさないことには、製品に見合った強度を持つ事が出来ない。
これらはその他の、加工製品についてもいえる。そしてこう言う事は、私達の人間生活の上でも言える事である。
この夏世間はオリンピックで熱くなった。高校野球でも、熱くなった。夏祭りでも、花火大会でも、各種のイベントでも、スポーツにコンサートにと絶え間なく熱くなっている。一つが終わっても、次の熱くなる事を求めてさ迷う。
政治や経済においても、拡大とか成長路線ばかりに熱くなっている。成長拡大といっても、所詮は覇権行為であって、一方が拡大すれば他方が縮小するという格差を生み出し、一極集中させている。それは領土拡張思想をも生み、戦争にさえなる。
こうして世間は、冷めることがない。
私達が住む地球でさえも、元は火の玉のようなものだったものが、冷める事によって森羅万象描く美しい星となった。それが「自然の摂理」であるだろう。
「熱くなったものを冷ます」という「自然の摂理」というものを、我々は教育として教養として学ばなければならないのに、その体制が整っていない。
何せ「熱く」なっているから・・・・。
政財界から教育界も、マスコミメディアも、熱くなり熱くなっている。
国際化、グローバル化などと成長拡大や豊かさと楽しさを追い求めて熱くなるばかりではなく、教育教養を自然の摂理を理解し生かすことに心がけて欲しい。

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論理がおかしい

2008年08月16日 | 人生設計

「戦没者追悼式」が行われた。テレビではその模様が映し出され、高校野球も一時中断して、黙祷を捧げていた。
ところがチャンネルを変えると、相変わらずギャグ笑いの番組が表われ、終戦記念日など何処吹く風という有様である。放送局も出演者も、先の戦争で亡くなられた方々のことなどはどうでもよく、番組受けしてくれる方が大事という事か。
それに閣僚や国会議員などが靖国神社に参拝するという事で、何故こうも大騒ぎするのだろう。靖国神社の存在自体にも、疑問を持つ。
靖国神社は、お国のために戦い戦地や戦闘で倒れた方々の霊を祭る、いわゆる「英霊」の御霊所を言う。
では満州や朝鮮、広島や長崎の被爆者に各地の空襲被害者などの一般市民は、単なる「死に損、巻き込まれ損」なのだろうか?。



難しい考え方になるかもしれないが、靖国神社にこだわり立てようとするとこうなる。
ここのところをよく考えてみると、兵士が兵士としての働きをするためには、その支えが無い事にはならない事が判ってくるはずである。即ち「食糧支援」などの後方支援である。この後方支援を荷っていたのは、他ならない一般市民の方々である。
この方々が戦火に倒れ戦没者となられている訳だが、しかし同じようにお国のために倒れながら明確に差別されている。一方は「英霊」として靖国神社に祭られ、他方は一般戦没者と扱われている。



これが論理的におかしい。
更にややこしい話になるが、靖国神社に祭られる事になった英霊のために、一般戦没者が発生したという事もできる。それは元々為政者の「平和政策」の失敗に起因している。そのために兵士として出征する事になり、戦火が拡大し、その結果一般市民も巻き添えを食ってしまう事になっている。



そうした事もあり靖国神社とか英霊とか聞くと、戦争が終わったのを喜んでいなくて、もっと続いて欲しかったみたいな印象を受けてしまう。
もっともこんなややこしい考えをしないで、「誰もがみんな戦没者なのだ」と差別なく受け止めたいものだし、そしておかしな論理を言っていないで、この地球に生きる生命の中で、最も智慧ある生命として、この地上の真の平和を目指し努めていかなければならない。

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さもしい根性

2008年08月15日 | 社会
また終戦記念日を迎えた。そして色々と、平和について語られる。
ネットの掲示板にこんな文が出ていた。
これは広島原爆記念日のときに書き込まれた投稿文と、それに対するコメント文である。
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|‥勅鸛蠅麓暗気暴仞覆靴董嵌鶻忙宛饗Г侶廚魏瓩読縮世靴討い襦br> |靴㎠祁,罵悗辰討い襦崟鑪呂諒廚蓮⊆ℓ丗發箸い鑪呂鮖辰討い襪♢燭瓩法K罎發海砲覆辰討い襦/FONT>
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リアルな話をすると、武力放棄した時点で、外国人投資家が一斉に引き上げる。
確実に日本は経済崩壊します。
まあ、妄想です。投資のような、利益が絡んだ行動は「嘘」も「思想」はつきません
珍妙な平和主義なんて考慮もされません。

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上記の投稿に対して、下記のはコメントである。
この下記の方のコメントを見ると、世相状況というものが良くわかる。いや、世相状況といっても現今だけに限らず、我々人間社会が持つ特性かもしれない。

このコメントを見ると、平和よりも経済効果を優先させたい気持ちがありありと伺える。このコメントを寄せた方だけでなく、政財界においても同様な気持ちでいることだろう。
それはまた一般市民の間にも漂っている。
現に「金が儲かれば」と法を犯すものが絶えない。「ほんのちょっとした出来心」のつもりが、身の破滅を招くまでになる。
一方「道路特定財源」とか「暫定税率」とか言うけれども、要は地域発展とか経済発展のためであって、格差是正にも物価安定にも国家などの財政安定や医療制度、教育関連、高齢者などの介護などのためになるものでもない。むしろ不安材料にしかならない。
これらは「富の中に生きよう」とするがための、「さもしい根性」から来ている。そこにあるだけのものを頂いて有り難く生きようとしないで、無理な無いものねだりをして無理を重ねようとしている。「無い」なら「無い」で、それで「丁度よい」という、わきまえが無く、欲張りな「さもしい根性」ばかりを持っている。
貧しい中でも、赤貧に耐えて生きる、その心の中にこそ、真実の平和への心があるだろう。
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密室的人事からの脱却

2008年08月14日 | 人生設計
教員採用・人事に「目安箱」 改革会議、現場の声反映へ(朝日新聞) - goo ニュース

教員採用に限らず、教育委員会人事に際しても、第三者からの参考意見が盛り込まれる事が望ましい。
こうした事は教育関係に止まらず、幅広い。
政治的にも、県市議会などの議長選任に関しては、密室的な話し合いが行われていてゴタゴタしている。そして大事な議会審議が、いつまでたっても始まらないという事がよくある。公僕という事をわきまえず、自分たちの事は自分たちで決めようとする事に有る。
国家の首長たる総理大臣も、市民参加、国民参加で幅広い中から良材を求めて欲しい。
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