青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

さすがーーーーー

2010年07月31日 | 短歌に政治や社会
はやぶさ「やっと会えた」 人生重ね、公開に3万人(共同通信) - goo ニュース

さすが「はやぶさ」。
七年の歳月に、何百億円もの費用をかけながら、子供の貧困や社会問題化している幼児児童虐待に虐待死、非正規社員やパート社員などの差別化、年に三万人を超す自殺者。この自殺者は交通事故死者を上回り、かつこの交通事故死者は、自分の意思で亡くなってはいないのに、自殺者は自分の意思で命を絶っているが、これらを救わざるして「はやぶさ」は、たった数個の埃みたいなものを宇宙空間から持ち帰ってくるだけのものなのに、「素晴らしさ」があるというのだから、科学技術というものは「あっぱれ」なものじゃ。

そこへ持ってきて、二大政党なんかやマスコミメディアまでもが、こうしたことのために「消費税増税」の必要性を訴えているのだから、ますます子供の貧困や自殺者などが増え続ける。

さすがは「はやぶさ」。
貧しきものや困っているもの、溺れる者は見捨て、見放し、打ち捨てていくものよ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

力を合わせ、助け合い

2010年07月31日 | 短歌に政治や社会
臨時国会召集 首相試練の「ねじれ」 参院 議運委員長は自民(産経新聞) - goo ニュース

公僕として、「国民のために力を合わせて」。
公僕として、「国民のために助け合って」
党派を超えて、一致団結して、国政に取り組むように・・・・・。

迷走したりぶれたり、政権を投げ出したり、検察や検察審査会に追われているようなものは、すっ込んでいなさい。

マスコミメディアも政官界や企業におもねるのではなく、公僕議員や官僚に対して、「力を合わせ、助け合い」するよう、メッセージを発しなさい。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公僕観

2010年07月30日 | 短歌に政治や社会
「ねじれ」に決意と緊張=表情引き締め、新人議員初登院―臨時国会召集(時事通信) - goo ニュース

なんや、これ・・・・・。
子猫が、変な飼い主に「ジャレ」つきたがるように登院している。
第一、変な飼い主自体が、自分が「国民の公僕」ということを自覚していないものだから、こういう先の参院選で当選した議員なんかも、「公僕観なんかクソくらえ」みたいになって、変な飼い主にジャレつこうとしている。
これをまた、変なマスコミメディアが一生懸命に追いかけている。

それで「地デジしろ」といっても、資金がないぞよ・・・・・。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短歌136,

2010年07月30日 | 人生設計
★ ディサービス 献立メニューは おたのしみ
      どんぶりお膳に 大きなカツが      2010/7/30


コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主主義の謎

2010年07月29日 | 短歌に政治や社会
「法相自ら執行すべき」 尾形死刑囚、アンケートで注文(朝日新聞) - goo ニュース

母親からお小遣い貰って政治家を支えているものやら、秘書に誤魔化しやらせて資金管理団体を支えてもらって「自分に何らやましいところはない」と言っているものやら、参院選惨敗ながら自責も自戒もないものやら、国民に対しての約束事ともいうべき「政権公約」、すなわち「マニフェスト」をしながら、それをコロッと反故にしてしまうなどしても「自責も自戒」もないものには、どうして「自責と自戒」という刑の執行を行わないのか。
第一「する気が無い」し、「する勇気」も無い。「する根性」も無い。

これがいわゆる「民主主義」の、稀有ともいうべき謎である。
「へんっーーー。」
どんなもんだ、って言うこと。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世はすべて

2010年07月27日 | 人生設計
災害は「起承転結」
人生もまた「起承転結」
「善因善果、悪因悪果」もまた、「起承転結」

総じて言うなら、「一期一会」

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青い鳥の「民主主義」理論 (続編)

2010年07月27日 | 人生設計

子曰わく、吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、六十にして耳順がう、
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。

上記の文、ご存知のように孔子が述べられた「論語」である。
この文には、我々人間の生き方、人生観、処世訓というものが述べられてるわけだが、しかしこの孔子の「論語」の教えというものによって、我々の生き方そのものの屋台がグラつき、崩れていくこととなった。

この論語からみると、「何を指針、目的」として「学に志し」となり、それによって「何が立つ」という事になるのかが述べられていない。
そしてまた「天命とは何か」という事も、「何に耳従う」かという事も述べられていない。
もっともこの「耳従う」という事は、「
若い者に」という事かも知れず、悪戯に年寄りががしゃしゃり出るべきではないという事なのかもしれないが、「では年寄りの役目は」という事になると、何の指摘も示されてはいない。

そもそもが「人はなぜ産まれて生きるのか」という問いに答えず、その問いに答えた上で「人生の意義」にも、「生活する意義」にも、「働く意義」などにも答えていないことから、人の世の世界が狂ってしまってくる。
示されない針路に、示されない指針に、自分自身を導きようがないまま、ただ「優勢、勝利、拡大、豊かさ」などというようなものだけを目印にして進もうとしている。
そしてこの「優勢、勝利、拡大、豊かさ」などというようなものというものは、総じて「誤魔化し事」でしかない。誤魔化しておいて、誤魔化したまま、更に誤魔化してそれを針路にしようとしている。

孔子の「論語」は、目当ても無く、針路も無く、目指す指針も目的も持たないままに「何かを志す」道に踏み出すしている。それは、何の経験も持たない以上、やむを得ないことであるかもしれない。
もともとそうした事は、身の回りにいる者によって与えられるものなのだが、その与える者自身がメクラ滅法な状態の中では、受ける者も迷っていかざるを得なくなる。
それに孔子の「論語」には、年老いていった後の在り方が頼りない。それ故に、一般人も、年をとったら、リタイアしたら、「楽をして趣味や旅行などで楽しもう」という風になっている。

この事は宗教的になるだろうが、我々が「生きる」という事、そしてその「生きる」という事を、己の身の「生きる」に留めずに「他の者の生きる」に託していくと言う事、それは「他のものに携え、ゆだねる、授ける」という、言わば「相続」という行為も忘れてはなるまい。
だが今日の老人の多くは、後世の人々の成育を放棄して、自分の老後を楽しむことばかりしている。一時は「今の若い者は…」などといった者も影を潜め、老人登山とか海外旅行とかしていて、それで災害に巻き込まれるとか事故を起こして迷惑をかけている。

「民主主義」というものも、自分自身が受ける者だけのものではなく、全てのものが受ける者としての思いに立ち、且つ、自分自身が自分自身を「民主主義」を受けるにふさわしい人間に育て上げた上で受け止めようとすべき主権主義としなければならない。
そうした上で、後世のものに設けてもらえるものに、後世のものを育み育て上げようとすることによって、正しき「民主主義」となる。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短歌 135,

2010年07月26日 | 短歌に政治や社会
米英が初出席で最終調整 広島平和式典、仏も参加(共同通信) - goo ニュース

★ セミ鳴きて 繰り返すまじ 原爆忌
                  平和祈るに 銃器の基地が   2010/7/26


★ 如何せん 平和教えた キノコ雲
                  今だ懲りずに 人は争う              2010/7/26
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無茶苦茶

2010年07月24日 | 短歌に政治や社会
昨日の新聞記事には、段ボールで作った模型の城に「おかき」を使って屋根瓦や壁に貼り付けて飾り立てる。そあいう記事が出ていた同じ新聞に、今日はこんなコラム記事が載っている。
一方では食べ物をおもちゃのように扱う事が素晴らしいというような記事であったのに引き換え、今日はまた反対に「礼儀作法」の大切さを取り上げている。
マスコミメディアともあるものが、なんとも矛盾に満ちたもので、もう無茶苦茶だ。
だがこうした人間の生き様とは裏腹に、自然の姿の、なんと素直なこと。

==============================================


 明治の文豪、幸田露伴の娘、幸田文さんには礼儀作法に関する秀逸な随筆が多い。…
(2010年7月24日午前9時00分)



 明治の文豪、幸田露伴の娘、幸田文さんには礼儀作法に関する秀逸な随筆が多い。その中に1978年の「ものさし」という文章がある(「季節のかたみ」講談社)▼ある日、自宅のベルが鳴った。小学生の女の子が2人、物差しが庭に入っちゃったという。探しても見つからずもう一度聞くと、物差しじゃなくて袋だという▼少し前にボール取りの男の子が無断侵入した件があったせいで「なぜ最初からそれを言わないの」とつい言葉を荒らげた。見ると少女は硬直し必死に耐えていた▼そのとき幸田さんはある畳屋さんから聞いた話を思い出した。その人が小僧時代に「物差しを背負わせる」という言葉があったそうだ。修業のため職人を厳しく叱(しか)ることらしい▼今の畳づくりはレーザー機器で採寸するが、昔は物差しで縦横の寸法を定め、同時に誤った寸法を正していた。そこから社会のしきたりを徹底する意味合いが込められたようだ▼先の“物差し侵入事件”はお目玉を食らった少女だけでなく、感情的になった幸田さんにも「物差しを背負わせる」後味の悪い経験だったという▼世間を見渡せば“物差しを背負わせたくなる”事柄は多い。空き缶ポイ捨てから相撲界の暴力団癒着や「政治とカネ」疑惑までキリがない。とりわけ社会的地位の高い人の“寸法違い”は見苦しい。社会の物差しを進呈したくもなる。

================================================================


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短歌 134,

2010年07月23日 | 短歌に政治や社会
★ 夏休み プールへ行き出し 二回でも
       日に焼け目立ち 痛いと言って   2010/7/23

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする