青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

続3  教育と宗教

2017年09月19日 | 人生設計

今日の新聞の、コラム記事。
    http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/239643

ここで述べられている「折れない心」を持ち、情緒が安定した子どもに育てることという▼基本となる指針は「遊ぶ」「ありのままに見る」「共感力」「たたかない」など6項目と、他の人と一緒に心地よい雰囲気をたのしむこと」。
そしてその中に、自分一人が頑張ろうと力まずに、全員が協力していってやっていくということが語られている。

しかしこういう事は、教育には馴染めない。
数値化できないし、価値として形に表されないからに他ならない。
目耳などの感覚では認識できず、ただ気持ち良さというような精神的思いとしてしか感じられない。
それ故に教育では行えず、道徳をもってしても育成できない。
何故ならば、そうした思いや精神を持つか持たないかは、本人しかできないことで、他人の出る幕ではないからである。
しかしそれは、宗教によってのみ、導かれていく。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

続  作法の心

2017年09月08日 | 人生設計

北朝鮮軍事行動、回避は可能=「悲惨な日になる」警告も―トランプ米大統領

先に「作法の心」を投稿したが、ここで言った「作法」とは、「礼儀作法」をさす。一般的には、この言葉の表現や言葉使いから、他のものに対するものと受け取られがちになっている。
しかしこの「礼儀作法」の正しく意味するところには、他はない。
ではこの「礼儀作法」は誰に対してのものかというと、己自身、自分に対して行うべき「礼儀作法」を意味している。

他に対し人に対するという「礼儀作法」にしても、そこに心が籠ったものでないならば、それは「礼儀作法」とはならない。誤魔化しのものでしかない。
真に「礼儀作法」を行おうとするなら、まず先に「自分が自分に対して、正しき「礼儀作法」を行う必要がある。自分自身に対してすら「礼儀作法」も行へないものには、人間としての資格すらあり得ない。

だがこの真の「礼儀作法の心」は、教育では得られない。よく言われるようになった「道徳教育の必須化」でも得られない。
それは教育というものが、教養を積むものにしかなっていないことにある。
「礼儀作法の心」は教養でなく、「得心」なのである。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

作法の心

2017年09月07日 | 人生設計

日韓首脳会談、対北圧力強化で一致 安倍首相「異次元の圧力を」

安倍首相は、相変わらず姦しい。
これまで口にしてきた普通の「圧力」を超えて、「異次元の圧力」と言っている。
しかし自身に加えられてきた「異次元の圧力」に対しては、完全に無視している。

我々人間は。というよりも全ての生命は、この世に生き生かされていることに対して、作法をもって答えていかなければならない。
その作法は、自らを生命あるものとして生かしていくという作法である。
生命あるものがこの世に生きるということは、厳しい。辛く、苦しく、悲しく、苦労多い中で生きていかなければならない。
それが、生命をもって生まれてきたものの定めである。
如何にそんなところに生まれてきたくなかったといって、産まれてくる時と処とを選ぶことはできない。それは、何者にもできることではない。
できないならば、この定めに従うより外はあるまい。
ここにこの定めに従うには、自らを命あるものとして生かしていこうという作法しかありえない。
この作法の心がないことにには、この世の中は暗黒と化していく。
この暗黒の世似ていくのは、他ならない自分たちである。
自主憲法をと言っているが、自主的に暗黒の世へと導いている。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

可愛い子には

2017年07月07日 | 人生設計

稲田防衛相「食事せず戻った」 豪雨対応中の不在を釈明

格言か諺に、「可愛い子には旅をさせよ」というのがある。
世の中の苦しみ、世間の苦しみに揉まれて、子供に苦労をさせようとすることである。
しかしこの格言や諺には、それ以外の深遠な意味合いが持たせされている。
お釈迦様にまつわる、次のような話が残されている。

>>

コーサラ国のハシノク王は、ある時 妃(きさき)のマリッカとともに、 舎衛城(しゃえじょう)の 高殿(たかどの)に登っておられて、ふと申されました。
「マリッカよ、お前にとって、自分より 愛(いと)しいものが他にあるか」
妃(きさき)は、少し考えたのち、こう答えられました。
「王よ、私にとって、自分より愛しいものは他にありません。大王はいかがでございましょうか」
妃に聞きかえされて、王もまた、この世でいちばん愛しく思っているのは、自分自身であることを認めざるを得ませんでした。しかし、二人は、はたしてこの考えかたで、正しいか どうかと心配になり、高殿をおりて、お釈迦さまのところへ行ってたずねることにしました。
お釈迦さまは、王と妃に、
「王よ、だれでも自分がいちばん愛しいのだ。しかし、他の人も自分を同じように愛しいと思っている。だから自分を愛しむあまり、他人に害をおよぼしてはならない」と申されました。

<<

我々人間にとっては、自分こそ何にも勝る愛しい子である。故にこの愛しい子をこそ、最も苦労をさせていかなければならない。甘やかしてはならないのだ。
だが今の人間は、自分を一番身勝手にさせて甘やかしている。それがいい老人の年になっていてさえなのだから、とてもでないが「万物の霊長類」と威張っていられるものではない。ウジ虫みたいなもの。

人間としての生命を持つならば、人間としての本性を持って正しく生きて欲しい。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

早く言えば

2017年07月02日 | 人生設計

結婚10年が分かれ目! 離婚しないための3つのこと

早く言えば、自分を相手に差し出すことともいえる。
それは「されるがままになる。言いなりになる」という事でもあり、我を張らないことともいえるだろう。
お互いがそうしていけば、意見の食い違いがあっても、相手の言うことに耳を傾ける余裕が持てる。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

おごれるもの久しからず

2017年06月27日 | 人生設計

【藤井四段記録更新】高市早苗総務相も祝福「学ばせていただくことが非常に多い」

こういう最年少棋士が29連勝したからというので、なんとまあ暇人が多いことか。
勝敗の成り行きを、何もせずに見守っている。マスコミも見守っていて、何もしていない。
そしてこの藤井4段のグッズを買い求めるとか、コンサートチケットを買い求めるとか、青酸カリ事件の傍聴券を得ようとかなどするのには、何時間も前からたちな線でいる。これが新しいスマホとかゲーム機の発売ともなると、前日から並んでいる。
こういうのが一億総活躍であり、且つ働き方であるらしい。
こうした世の中は、どのような方向へ進んでいくだろう。
「おごれるもの久しからず」と言われたのは、もうすでに千年近い前になる。

今日の新聞のコラムには、こんな記事が出ていた。

http://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/209841

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

幸福なきこの世

2017年01月15日 | 人生設計

発生時刻、負傷の友人ら黙とう=現場で「また会いに来たよ」―軽井沢バス事故1年

この世には、幸福などはない。
この娑婆には、幸せなどはない。
それをあると思っている所に、人間の傲慢さと慢心がある。

この世には、この娑婆には、常に辛さ苦しさ悲しさに苦労が満ちている。
故に人間ばかりか命持つものは、全て辛さ苦しさ悲しさと苦労の中で生きていかなければならないことが、運命付けられ定められている。
それを楽しよう、面白いことをしよう、遊んでいようとかするばかりでなく、愛を求め、嬉し須事や喜びばかり求めている。
だがこの世という娑婆に生きていくには、辛さ苦しさ悲しさ苦労に耐えていくことを、いやが上でも負っていかなければならない。
それによって、諺にも言う「可愛い子には旅をさせよ」とか、「苦労は金を払ってでもせよ」というように、辛さ苦しさ悲しさ苦労に耐えていくことらよって、命あるものの道が、人としての道が開けていく。
「青い鳥」の童話にもあるように、幸せは外にあるものではない。
自分の内にある。
その自分の内なる幸せへの道は、自分しか持っていない個性を見詰めた上で、その個性に適切な道を探し求めていくことによって得られていく。
故にこの道は、誰からか教えてもらおうとしても役立たない。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

クリスマスに

2016年12月25日 | 人生設計

クリスマスの日。

世間は浮かれているけれども、私には浮かれる気にはなれない。それが性格というよりも、私という一人の人間がこの世に生きているということに、何か役割を与えられ担わせらけれて生まれてきたと思うからだ。

それ故に何となく生きようとか、自分勝手な気ままばかりしていきたいとは思わない。

もう歳を取り、足腰立たなくなって車いす生活だけれども、人間としての命を授けられ生かされていることで果たさない役割を、命終わるまで行っていきたい。

だから浮かれているなど、情けなくてできない。

今私は小説を書いている。この小説は、私の遺言ともいえるものである。

ここに私という一人の人間が、人間としての役割を果たそうという旨の中の気持ちと思いを述べたいと思っている。私が生きた証として述べたいと思っている。

できればこの小説によって、読者の方たちの生き方の縁になってもらえればと思う。

しかし全ての人は皆、それぞれに個性を見っている。同じような個性を持つものは、絶対にいない。

であるから私が述ぼることは、私一人の個性によってのものでしかなく、人にも当てはまるものではない。

それを判っていながら、書き続けている。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

仲直りするには

2016年12月04日 | 人生設計

「熟年離婚」が止まらない? 熟年してからあえて別れる理由

熟年離婚を防ぎ仲直りするには、何も特別なことをしなくてもいい。簡単なことをすればよい。
しかし相手がいることなのだから、相手を無視してやれないことに、難しさがある。

要は夫婦なのだから、エッチしていればいいのである。
それがいい年になっているのにとか、みっともないとか言ってエッチから離れようとしているために、そこに隙間風が入ってきて仲がうまくいかなくなっていく。

エッチするといっても、それは交尾するようなセックスのことではない。
裸になってなどして、肌の触れ合いをすることである。
別の言い方をするなら、スキンシップということになる。
欧米人を見てみればいい。80にもなっているのに、人前もかまわずにキスしたりして、ぺちゃべちゃしている。
それが日本人などは潔癖すぎて、すぐに自分の殻の中に閉じこもりたくなる。
相手が風呂に入っていたりしたら、自分も一緒に這いこんでしまえばいい。たとえ子供が見ていたりしても、そうして夫婦の仲良さを見せつけてやりなさいよ。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

兵隊文庫

2016年10月27日 | 人生設計

気をうのみこちらの新聞には、「兵隊文庫」を取り上げたコラム記事が載っていた。

アドレス
   http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/column/107667.html

それでネットでも調べてみた。
戦場という前線で戦闘しなければならない兵士たちに、不屈の精神を持たせて戦わせよとしていた。過酷な環境の中で、勝ついつ殺されるかという恐怖に耐えさせて、味方のために働かせようとしていたと言えるだろう。
日本軍のようにゲンコツやビンタを食らわせて、根性を鍛えさせようとしていたのとは異なり、人生そのものに対峙させようとしてと思われる。

昨日我が国では、先の東日本大震災時に津波に襲われて、亡くなった小学児童の遺族が市などを相手取って起こした訴訟の判決が出た。市などに賠償金の支払いを命じている。
このニュースに、こんな句を詠まずにはいられない。

★ 子供らを 津波で亡くし 訴えて
     金が出たなら 悲しみ無きか     2016/10/27

子供たちが亡くなったことをいいことに、それで金を得て満足しようとしている。
本当に償いを求めるなら、賠償金の値を示さずにいればいいものを。
今の世の中はこのように悲しいものになっているが、そこにはしっかりと人生に向かい合わないことにある。
人生に向かい合うことを教えるものは、教育ではない。道徳でもない。
これを教え導くものは、宗教である。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加