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渋谷ヒカリエ

2012-07-24 03:57:35 | 身辺雑記
機会があって、ヒカリエを見学してきた。本当の名前はShibuya Hikrieというらしい。1972席ある「東急シアターオオブ」というものができた。世界最大級のミュージカル劇場ということらしい。昔の東急文化会館である。屋上にプラネタリユームがあったビルである。出来たのは50年以上前で、当時としては名店街のように、老舗を集めた店舗だった。やはり当時なりに新しいコンセプトのビルであった。中には1階にパンティオンという洋画の映画館があった。駅と繋がった劇場という事で、何か似ているものはある。私が出掛けたのはこのビルにある、貸会議室である。何と、40㎡ほどのスペースが1時間3万円というような価格で、貸し出されているらしい。借りる人がいるのだろうかという驚きである。私の暮らしとはあまりにかけ離れて居て、すごいことなのか、とんでもないことなのか、良く理解が出来ない。

B3から5Fまでがシンクスという商業スペースである。レストランが6,7Fにある。その上には、クリエイティブスペースとかホールがある。11Fから16Fが劇場。そして17Fから34Fまでがオフィースである。まだ借り手の決まっていないスペースもあって、そこを見学させてもらった。照明はすべてLEDであり、窓際などは、明りが自動的に調光されるようになっている。ブラインドも、太陽光に従って、自動制御されるそうだ。もちろん証明はすべて、LEDである。窓が広いせいか、違和感はなかった。すべての入り口が、セキユリティーが良く出来ていて、エレベーターから自分の降りる階以外の、他所の会社の階に降りれないようになっている。もちろん全体の入り口には、駅の改札のようなシステムがあり、カードがないと通れないようになっている。ビルの全体の中央に吹きぬけがあり、それが煙突のようになり、夜間など空調を補助するらしい。

私は長く三軒茶屋に住んでいたので、どこに行くにも渋谷は通過した。一時若者の町として賑やかになったが、その前の1960年代の渋谷である。蛇屋さんと、昆虫採集専門店。随分個性的な町であった気がする。道玄坂の上の方にあった、地球堂という画材屋さんで油絵の具のセットを買ったのが1962年になる。町というものは随分変わるもので、私の父は、渋谷今東急本店がある場所の確か松濤小学校にかよったらしい。まだ、ハチ公が渋谷を歩いていた時代だ。どんどん変化して、若者の町になり、そしていくらでも続くように見えた、にぎわいがだんだんに衰退の方向らしい。そして、渋谷の街全体で、再生の計画が話されている。、その一つの表れがヒカリエらしい。要するに古いビルを壊して、高層オフィースビルを立てる。あるいはショッピングセンターであったり、マンションであったり、ホテルであったりする。そうして東京は見違えるように、高層ビルの町になっている。大震災の来る前に耐震化や防火をしなければならない。

町の再生ということは、全国どこでも言われている。しかし、人口が減少して行く中で、どういうことになるのだろう。世界最大級のミュージカルホールが出来て、その分どこかで劇場はいらなくなっているのだろう。渋谷が良くなる分、どこかが悪くなる。渋谷のように商売の競争に有利な所ほど、大きな資本の投下で、信じられないような開発を行う。同じ土俵で競争しようとすれば、どこが勝つかは、目に見えている。もうそういう同じ方角は良いのではないだろうか。もう少し違う角度から、町を考えた方がいい。小田原の環境的な魅力は、渋谷では及びもつかない。渋谷のような街づくりではなく。小田原なら畑や、海や、山や川と直結した街づくりを目指すべきだろう。東京や、ネット社会でも可能な、ものづくりを目指した所で、大した競争にはならないだろう。私にとっては小田原の久野で、自給自足で暮らす事が最大の喜びである。オオブ劇場にはたぶん行くことも無いだろう。

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