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小田原久野村の民主主義

2024-01-10 04:03:26 | 地域


 「小田原評定、久野寄り合い」という言葉がある。小田原の久野に暮らして「久野寄り合い」加えた言葉として小田原植木の近藤さんから教えられた。小田原評定という言葉が、何時までも話し合いを続けるばかりで、結論を出せないことを意味する。と現代的解釈ではされている。

 世間的には優柔不断というか、決断力が無い悪い話し合いを意味する。しかし、この言葉の久野の地元での解釈は違っていたのだ。「久野寄り合い」とは結論が出るまで集まって話し合いを続けることを意味しているのだ。簡単に結論を出さない。結論が出る過程を重んじ、とことん話し合うことの重要さを意味していたのだ。

 江戸時代の村の寄り合いでは、泊まりがけが当たり前で、結論は簡単に出さない事が重要だったのだ。だから時間無制限の話し合いになる。どのような話し合いでも、全員が納得が行く合意と言うことは無い。まあ仕方がないかという落としどころにたどり着くには時間が必要なのだ。

 現代の民主主義の議会は、時間制限がある。これが半端な気持ちを残している。国会の議論を見ていると、到底意味のある議論にはなっていない。話し合いをしたという形式重視である。多分見えない場所で調整が図られているのだろうが。国会の議論で内容が深まるというようなことは聞いたことがない。常に時間切れの尻切れトンボである。

 答える側の政府も、どうせ時間が来るまで、言わせるだけ言わせておけば済むと考えている。政府の結論は常に決まっていて動かない。後は議論をしたという形式を踏んでいるに過ぎない。せいぜい国民がその議論を見て、さすがに政府の主張はおかしいと見えるように、野党議員は追及をしているに過ぎない。

 本来の民主主義の話し合いでは、参加者全員が納得することが重要なのだ。例えば村で道普請をするという議題があるとして、その場所よりも優先すべき場所はどこどこだと考える人もいる。どこに優先順位を付けるかは十分な話し合いが必要になる。

 緊急対応が必要な場合もあるだろうし、今年はここをやるが、来年以降に、あそこはやろうと言うことも出てくる。それでは人足はどうする。必要な材料はどう手当をする。作業はどういう割り当てにするか。それなら、下準備はどこが行う。最後の打ち上げまで含めて、すべては総合的判断になる。

 よくよくすべて落ち度なく取り決めなければならない。話し合いには十二分の時間が必要なのだ。それが久野寄り合いの意味だ。話し合いによって、村全体の方角が定まったのだ。方角が定まらなければ、村での共同作業は出来なかった。

 小田原評定では月に2回定例会がある。そして、緊急的な臨時の寄り合いも呼びかけられた。民主主義は実に時間がかかるものなのだ。小田原評定ではこの徹底した話し合いで、家臣の団結が出来ていたのだ。江戸時代には江戸時代なりの民主主義は存在したのだ。

 久野寄り合いも全員参加のもあれば、部落ごとに代表が札入れで選ばれ、つまり選挙で選ばれた上での、代表が寄り合うという形もある。評議委員会のような形式になる。久野の自治会長をやらして貰ったので、どんな空気かは少し分かるのかもしれない。もちろんまったく様変わりではあるのだろうが。

 そもそも小田原評定がなかなか決まらない話し合いと言うことになっているが、その意味は変化したのだ。小田原評定は徹底的な話し合いで、重臣の意思の統一がされると言うことを意味していた。戦国大名北条氏に仕える評定衆による合議政治の典型であり、五代にわたって家臣・国人の裏切りが皆無に近い後北条家の強さの裏付けと考えられている。

 現代の形式民主主義が意味をなさなくなっている。議論に落としどころがないのだ。今国会で一番議論しなければならないことは、敵基地攻撃ミサイルの問題である。反撃能力という言葉を政府は使っている。中国がミサイルを撃ち込んできたときに、反撃しなければやられっぱなしになるという主張だ。しかし打ち込んでくればその時が終わりだ。

 従来の国防は専守防衛で、一切の敵国への攻撃能力を持たないことで、相手も攻撃をしてこないだろうという想定で、国際問題には平和的手段で交渉して解決するという、憲法に従う国の安全保障が図られてきた。ところがこの平和的手段が無意味と決めつけられている。努力すらなされないのが現状である。

 敵基地攻撃能力を持つと言うことは、果たして安全保障上、何が変るのだろうか。ここは本当の議論が必要な部分ではないだろうか。自民党の国防族は中国はいつでも台湾への軍事侵攻を行うと決めつけたところから、反撃能力の議論を始める。これはいかにも幼稚な議論に過ぎない。本気だとすれば、無能なのだろう。

 しかし、とっくに国防族の主張の期限を過ぎたが、中国は台湾侵攻を行わない。この先5年間間違っても中国の軍事侵攻はないと考えている。ここは議論を行うべき所ではないか。この先黙って5年間が過ぎたほうが、中国のアメリカに対する情勢は良くなるとみているからだ。黙っていれば有利になるのに、わざわざ危険な軍事侵攻をするほど、中国は無能な国ではない。

 中国の経済成長の方が、日本よりはるかに高い。5年経てば彼我の経済力の差はかなり離れている。世界での中国の立場も、5年後の方が今よりも、優位に立っているに違いない。確かに国防族の主張では、とうの昔に中国は経済崩壊しているという主張だった。いつも間違いを重ねている無能連なのだ。

 こんな連中の主張に従い、国の安全保障を考えることがいかに馬鹿げているかを考えなければ成らない。つまり、世界情勢を読み違えているのだ。だから、過去の経過を踏まえ十分な議論が必要になる。とことん話し合い、日本の国防は以下にあるべきかを考えるべきなのだ。

 民主主義は欧米から学んだと言うことになっている。確かに議会制民主主義は欧米から学んだものだが、すでに機能しなくなってきている。国会が形骸化したのだ。それは選挙制度が国民の感覚からずれているからだろう。小選挙区制の問題もあるが、それ以上にネット時代に投票所での投票という形が、感覚からはずれているのだ。ネット選挙を検討すべきだ。

 政府はあえて、政府が言いなりに出来る旧態依然とした選挙制度を良しとしている。現代のネット時代であれば、直接民主主義を取り入れた方法も、無理なく可能である。辺野古の国の代執行が正しいか否か。国民投票など簡単にできる。

  日本では国民投票があったことがない。在るのは憲法改正の国民投票だけである。石垣市であれば住民投票は条例である。市民が要求しても市長が拒否をした。裁判所もそれを違法とはしない。これでは日本は民主主義国家と言えるのだろうか。

 
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