CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ハマースミス・オデオン重爆

2023年10月31日 | BRITISH ROCK

英国の誇るハイ・スピード・ヘヴィ・メタルの雄、3人組モーター・ヘッド。

1975年結成で彼らのピークはやっぱり1976年から82年のレミー(リーダー、ベースとボーカル担当)、エディ(ギター)とフィルシー(ドラムス)のトリオだったころですかね。

幻のデビュー・アルバム、On Patrolをカウントに入れれば5枚のスタジオ・アルバムを出した後、満を持してのライブ・アルバムを制作。それが1981年に発売されたライブ・アルバム、No Sleep ’til Hammersmith。

ハマースミス・オデオンは英ロック・バンドにとって殿堂とも呼ばれた会場でしばしばツアーの最終日によく使われたそうな。今回ツアー最終日のハマースミスでの公演の音源は含まれていないものの、それまでの公演からベストな音源が収録されている。

前年のスタジオ・アルバムAce Of Base(全英5位)からジャンプ・アップし、全英1位を獲得。

ハイ・スピードなギターにヘビーなリズム隊が絡んで形成されたサウンドが直線的にドーンとやってきてリスナーをノック・アウト。

久々に聴いて、週の始まりのもやもや感が押し出されて気分はスッキリ!


Doobieさん、これでよかったのかな?

2023年10月30日 | West Coast Rock

1975年の前作、Stampead制作後、ドゥービー・ブラザーズのリーダー格であるトム・ジョンストンが体調を崩し入院。

翌年に復帰し、6作目のアルバム、Takin’ It To The Streetを制作する事になった。

(個人的には、このアルバムは彼らのデビューしたサンフランシスコを含む北カリフォルニアよりも暖かく開放的な南部に位置するロサンゼルスのイメージが浮かぶ。)

トムの体調がイマイチだったことから彼らしさが発揮された曲はTurn It Looseの一曲のみとなり、またトムが入院していた時期に代役としてマイク・マクドナルドがツアーに参加し、更にその後メンバーとしてそのまま加わった。

マイクがこのアルバムでのイニシアチブをとったことから、それまでのギター中心の泥臭いアメリカン・ロック・サウンドからソフトなAOR系へとシフトし、それまでのファンだった私としては当時ちょっと違うかな~とは思っていた。

ただアルバムのセールスが全米8位でこの変化はリスナーからの支持や理解を得られたみたい。

そしてこの芸風を継続し1978年の全米1位、グラミー賞獲得と頂点を極めるアルバム、Minute By Minuteに繋がっていく。

結果、バンドとしてはこれでよかったみたい。


奴らのパーマネント・バケーションってここ?

2023年10月29日 | AMERICAN ROCK/POPS

一時脱退していたエアロスミスの中心的存在だったうちの一人、ギタリストのジョー・ペリーが1984年にバンドにカム・バック。

バンドは再始動し、レーベルも新規一転、コロンビアからゲフィンに移籍し1985年、ヴァン・ヘイレンのプロデューサーだったテッド・テンプルマンを起用しニュー・アルバムを制作したものの人気まではカム・バックとはいかなかった。

そして1987年、ロック系バンドのプロデュースで著名なブルース・フェアバーンによるアルバム、Permanent Vacationが完成。

やっぱりここかぁ〜 間違いない!

初期の頃の攻めた歌唱や演奏は引っ込んだものの、よりポップさを感じさせるハード・ロック・アルバムとして安定感は示せたのでは。

シングル・カットされヒットしたハード・バラード、スティーブン・タイラーのAngelが泣かせるじゃない。

全米チャートも11位と人気も回復。

ご褒美として、バケーションにでもいってらっしゃい〜!


アメリカの想い出

2023年10月28日 | West Coast Rock

デビューした頃はひとりCSN&Yなんて呼ばれたダン・フォーゲルバーク。

本日は1974年ロス・アンジェルスで制作されたのが彼のセカンド・アルバムSouvenirs(アメリカの想い出)。

彼のマネジメントを引き受けているアーヴィン・エイゾフの人脈からプロデューサーにはジョー・ウォルシュ、更に当時のウエスト・コースト・ミュージック・シーンの著名なミュージシャンを総動員して贅沢に作られた。

ポップで爽やかな印象をもたらすウエスト・コースト・サウンド仕立てのアルバムは全米17位(通算の売り上げはダブル・プラチナ)でシングルのPart Of Planは31位とまずますの成功を収めた。

当時井の中の蛙だったオイラにアメリカへの憧れをふんわりと抱かせる数々のダンの土産話(Souvenir Stories)を綴り合わせた様な1枚だった。

あれから50年ほど経った今でも当時の想い出となる愛聴盤。


21世紀のテクノ・ブルース

2023年10月27日 | Jeff Beck, Eric Clapton and etc.

ジェフ・ベックのテクノ3部作の第2作目You Had It Comingが前作Who Else!から約1年のインターバルで2000年に出た。

前作の延長線とでも言える作風で今回もテクノ・サウンドに乗せてジェフがギターを思うままにかき鳴らす。

本作にはシカゴ・ブルースと呼ばれるマディー・ウォータやロバート・ジョンソン、さらにはエリック・クラプトンらのカバーで有名なRollin’ And Tumblin’が収録されていて、それはまさしく21世紀に相応しい興味深い仕上がりになっている。

他のギタリストの追従を許さないギター・テクでテクノ系結構苦手なオイラも何故かヘビロテ。


1977 in USA

2023年10月26日 | West Coast Rock

バーズのオリジナル・メンバーだったクリス・ヒルマン。

バーズにグラム・パーソンを紹介しカントリー・ロックの先駆者としての活動を目指すものの、ロジャー・マッギンとバンドの方向性をめぐって対立。結果、クリスとグラムはバーズから脱退しフライング・ブリトー・ブラザーズを結成。2枚のアルバムを出した後グラムはバンドから脱退。

クリスも3枚目のアルバムを出した後バンドを抜け、スティーブン・スティルス率いるマナサスに加入。

その後J.D.サウザーとPocoを脱退したリッチー・フューレイらとS.H.F. バンドを結成。2枚のオリジナル・アルバムを出した後バンドは解散。

あちこち転々としてきたクリスはソロ活動をしていくことに。

元々ブルー・グラスのバンドのマンドリン奏者だったクリスは、バーズに加入してからはベースを担当し爽やかなフォーク・ロック系のサウンドをメインとし、ソロになってからは明るいポップな要素も加わることに。

そして1977年に出たのは2枚目のソロ・アルバム、Clear Sailing(順調航行)。

1977年のアメリカと言えば、フリートウッド・マックのRumours、イーグルスのHotel California、ボストンにELOなどスーパー・バンドらによる派手なアリーナ・ロック全盛期。

そんなご時世だったことから、バーズ出身とは言え少々地味目なクリスのソロ・アルバムはほぼ注目されず、全米アルバム・チャート188位に沈んだ。

個人的にはほっこりしていいアルバムなんだけれどね。


1977 in UK

2023年10月26日 | BRITISH ROCK

1977年と言えばイギリスでパンク・ロックがブレイクした年。

セックス・ピストルズ、ストラングラーズ、ダムドなんてバンドが一斉に暴れまくった。

そんな中、古参ハード・ロック・バンド、シン・リジーが8枚目のスタジオ・アルバム、Bad Reputationを出した。

残念ながら、ツイン・リードを操るうちの一人ブライアン・ロバートソンがレコーディングの途中で脱退したものの、残ったギタリスト、スコット・ゴーハムのオーバー・ダブでなんとか乗り切る。

しかもこのアルバム結構売れて全英チャート4位を記録。

シンプルな編成のいつも通りのシン・リジーゆえ、パンクのリスナーにも割と受け入れられたのかもね。

次のアルバムでは、ロバートソンに代わってゲイリー・ムーアが参加し最強のツイン・リードを結成することに。


アリスとの遭遇

2023年10月24日 | JAPANESE

先日、谷村新司氏が亡くなった。

アリスがレコード・デビューしたのは、ちょうど私が高校生だった頃。

ロックばっかり聴いていたので日本のミュージック・シーンには疎かった私だが、当時レコードの貸し借りがクラス内でよく行われていて、ニュー・ミュージック系フォーク全盛時代だった頃の拓郎、陽水とかアリスのLPレコードをレコード・ショップがくれる厚手の紙袋に入れてクラス・メートが大事そうに抱えていたのを横目で見ていた。

そう、クラス内ではカミング・アウトしない人を含めてもロック派は圧倒的にマイナーな存在で少々肩身の狭い思いがあったかな。

そんな私だったが、徐々に聴くジャンルを広げて和物も聴くように。

アリスは1976年の“今はもうだれも”や“遠くで汽笛を聞きながら”が収録された5枚のスタジオ・アルバム辺りから全国的に認知され、1978年の“冬の稲妻”で大ブレーク。テレビのヒット・パレードでよく見たっけ。

本日は1973年の彼らのセカンド、Alice IIでも。

(手持ちのLPは1975年の再発盤)

まだまだアンダー・グラウンドの時代だった彼らだが、それほど大仰な歌詞もなく素直で初々しさが残る作風は割とお気に入り。

ちょっと早過ぎたね、チンペイさん。

合掌。


誰がB級やねん! その4

2023年10月23日 | BRITISH ROCK

知る人は知っているが知らない人は全く知らない、本日は以前紹介した英ハード・ロック・バンド、Heavy Metal Kidsでも。

彼らは1975年にセカンド・アルバム、Anvil Chorus(Anvilとは金床と言うハンマーで叩いて金属板を成形する台のことからキンキンのコーラスって意味かな?)を出した。

確かオリジナルLPではバンド名をThe Kidsと短縮した表記だった。

前作同様ゲイリー・ホルトンの少々芝居がかったねちっこい声でのシャウトするロックなボーカルが売りですかね?

ただこのアルバムの制作においてデビュー・アルバムをプロデュースしたデイブ・ディーがゲイリーのライフ・スタイルを許容できずその座から退き、代わってストーンズ、ツェッぺリンやフーなどイギリスを代表するロック・バンドにプロデューサーもしくはエンジニアとして関わってきたグリン・ジョンズの弟アンディー・ジョンズをプロデューサーに起用し何とか完成させたものの、残念ながら成功には至らなかった。

少々クセが強すぎたかな?

とは言え2009年にCD化されめでたく再発されたのは、当時少なからずも期待されていたバンドだったとも言える。

知名度はB級だったが、期待度はB+ってとこですかね?

やっぱりB級!


いつもそこにはバーニーが

2023年10月22日 | ELTON JOHN

2006年、エルトンは1975年に出したCaptain Fantastic And The Brown Dirt Cowboyの続編とも言われる自叙伝的な作品、The Captain And The Kidを出した。

前作はメジャー・デビュー前後の1967年からその数年後までが描かれているが、続編は1970年から2005年あたりまでの35年間における彼らのクロニクルと呼べるものである。

Postcard From Richard Nixsonは1970年3枚目のアルバム、Tumbleweed Connection を出した後、憧れのアメリカ、ロス・エンジェルスに進出。宣伝を兼ねて赤いダブル・デッカーのロンドン・バスに乗り込んだり当時大統領だったニクソンの”ようこそアメリカへ”などの思い出が語られる。

2曲目のJust Like Noah’s Arkはノアの方舟で導かれた如く一気に成功の階段を上り詰め、Wouldn’t Have You Any Other Way(NYC)でアメリカのシンボル、ニューヨークに上陸。ただ成功するスピードがあまりに早すぎてそれに対応できずに挫折も味わうことに。

4曲目のTinderbox(火口箱)2枚組のアルバム、Blue Movesが出た1976年からその数年後のそろそろ音楽活動が煮詰まって下手をすれば一色触発で終了って曲で、バーニーがエルトンへの作詞の提供を終わらせた。

本作には音源が収録されていないがAcross The River Thamesでは80年代初期にはパンクやMTV など新しいトレンドとなり、その変化を受け入れあれこれトライすることに。And The House Fell Downでは精神的には落ち着かないもののバーニーも戻ってきて活動を続け90年代へと向かう。Blues Never Fade Awayで過去に回帰しある程度自信を取り戻す。

Bridgeは橋を渡るのは常にリスクが伴うがなんとか90年代生き残ってきたことがテーマ。

I Must Have Lost It On The Windでは何とか生き延びたものの失うものも多かったことが歌われ、Old67ではバーニーとのデビュー前のおもいでが語られ、The Captain And The Kidでエルトンはロケット・マンに、バーニーはカウボーイになった経緯が描かれている。

そして最後の曲、12には何故かバーニーの詩だけが記載されたのみ。なんとなくバーニーの締めくくり方がこれでお終いって感じだったのでエルトンがメロディーを付けずに曲を完成させなかったのかな? 

それでもバーニーは次作でも詩を提供しているのでまあ一安心。

ちなみにこのアルバムはヒットを狙ったものではなく、またシングル・カットもされずエルトンのアルバムの中では結構地味な存在ではあるが、曲の背景を理解しながら彼らのクロニクルを辿りながら聴き込んでいくと結構味わいの深いものとなる。


言うは易し

2023年10月21日 | ROLLING STONES関連

80年中頃のストーンズといえばミックとキースの間での仲違いがあってどうもバンドとしてのまとまりがなかった。

そんな中ミックの1985年のソロ・アルバム制作(She’s The Boss)があって、ミックはそのアルバム・プロモーションのためバンド活動も疎かになり翌年のバンド名義のアルバム、Dirty Workはキースの主導によって制作され、1987年にミックはさらなるソロ・アルバム、Primitive Coolの制作に注力しストーンズ解散か?なんて巷で言われていた。

てな状況で、それまでストーンズ一辺倒でやってきたキースも重い腰を上げソロアルバムを制作。それが1988年のTalk Is Cheap。

サウンド的には80年代の一人ストーンズ、歌詞の内容が興味深い。

Big Enough、泣いてる暇なんてないんだ。いろいろ障害はあるけれど、俺たちはもう大人。自分で切り開いていくしかない。

Take It So Hard、愛をあきらめるってそう簡単じゃない。落ち込まずにもっとポジティブに。

Struggle、苦しいって言うのはおまえだけじゃない。思い詰めればますます自身を縛ることになる。

I Could Have Stood You Up、好きなようにやれよ。俺だってやろうと思えばでき出来るさ。でも俺はそうはしない。

Make No Mistake、間違っちゃだめだぜ。物事よく考えて行動しなよ。

You Don’t Move Me、お前は間違った行動をしたね。世の中金より大事なものがある。お前にはもう興味なしってところだね。

How I Wish、おまえがもう一度ここに戻ってくるならやり直したい。

Rockawhile、しばらくの間休戦ってことで楽しくやろよ。

Whip It Up、お互いが相手に対して不十分だった。まあお互いそれぞれ鞭を入れて頑張るしかない。

Locked Away、色々言われる世間から離れ暫しの間それぞれが離れて閉じこもるのがいいのかもな。

It’ Means A Lot、ちょっと見ればわかるって。その感覚が二人にとって恋っていうものなんだ。

自己流で超意訳的にまとめてみたけれど、これらはキースのミックに対するメッセージだね。

またもう一度一緒にやりたいと思うも、それまでの感情も合わせるとそうストレートにも言えない。

言うは易し(Talk Is Cheap)でも、物事そう簡単ではないってことですかね?


黄金色のロックな奴

2023年10月20日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

有事の際は金!てな事でここのところ金の価格が上昇している。

とは言え、ボンビーなオイラには全く縁のないお話。

ただレコードに関しては、多く売り上げたレコードにゴールドの称号が与えられるのを耳にしたり、キンキラキンなレコード・ジャケなんかもしばしばお目にかかる。

ロックのジャンルならやっぱりグランド・ファンクのWe’re An American Bandとコレ。

そう、1975年の第二期ディープ・パープルの曲をコンパイルした“ベスト擬き”の24 Carat Purpleですかね。

なんで“擬き”かと言えば、第二期の代表曲が選曲されているものの彼らのトレード・マークでもあるHighway Starが収録されていない事からベスト・アルバムと称するのは個人的には少し躊躇してしまう。

ただ本作のライブ音源重視の選曲はディープ・パープルの本質により迫ることが出来るし、当時日本公演でのアンコール曲、Black Nightもここでしか聴くことが出来なかったので当時としてはファンにとっては価値のあったアルバムだった。

(1979年の再発レコード)

黄金に全く縁のないオイラでも、このアルバムは気楽に聴けておすすめです。

更にジャケが24金で出来ていたなら、擬きじゃなくて真のベスト・アルバムに昇格!


ベージュ色の熱くさせる奴

2023年10月19日 | BRITISH ROCK

ザ・フーのライブといえばやっぱり1970年のLive At Leeds。

イギリス中部に位置する都市、リーズにあるあのダイヤー・ストレイツのマーク・ノップラーも学んだ名門リーズ大学の講堂でのライブ・アクト。

アリーナ公演のような大きな入れ物ではないので音が拡散せずに迫力満点。当時のライブでの持ち歌だけではなく前年に出したトミー全曲を披露するサービスっぷりで聴き応えがある。

オリジナルはその公演から抜粋された6曲が1枚のLPに収録されたが、2001年に出た2枚組再発CDではそのコンサートの全景が楽しめる。CD1には8曲が新たに追加され、CD2にはロック・オペラ、トミーの全ての演奏が1枚にまとめられていて、トータル2時間にも及ぶ熱演が楽しめる優れもの。

ピートの激しくかき鳴らすギター、

ジョンのブンブン唸るベース、

そしてキースのドコドコドコと手数の多いドラムに乗せて

ロジャーがシャウト。

ようやく秋らしく涼しく感じるようになった今日この頃、熱い演奏も問題なし。

ただ2枚のCD一度に全部聴いちゃうとオーバー・ヒートするかも。


見た目ブルーだけれどほっこりさせる奴

2023年10月18日 | SSW

1968年、ジェームス・テイラーはビートルズのアップル・レーベルから有望な将来を掲げてデビューを果たしたものの、素人経営によるアップル・コープスの大混乱で契約が打ち切られ、翌年アメリカに戻りワーナー・レーベルと契約。

その第一弾のアルバムが1970年のSweet Baby James。

同じくアップルから弾き出されたピーター・アッシャーがプロデュースしたアルバムはフォーク、カントリーにブルースが混ざり合ったソフト・ロックなサウンドに仕上がり非常に聴きやすい作品となった。

このアルバムが全米3位の大ヒットとなり、ジェームス・テイラーは一躍トップアーティストの座を掴むことに。

ところでロンサム・カーボーイ、スウィート・ベイビー・ジェームスはいつになったら幸せを掴めるのだろうか?

 


セピア色の渋い奴

2023年10月17日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

その昔、コマーシャルでオレンジ色の憎い奴ってキャッチ・フレーズの夕刊紙ありましたっけ。

ただ、最新の出来事を次々とタイムリーに伝えるネット・ニュースの登場により、その日の午前中の出来事を伝える夕刊紙は少々時代遅れ。

夕刊紙の衰退が顕著になる今日この頃、かっての記憶が少しずつ消されていく感じでちょっと寂しく思う。

そんな中オイラとしてはセピア色の渋い奴を応援したいですね。

それは1969年のザ・バンドのセカンド・アルバム、The Bandの事。セピア色のモノクロ写真に写っているのは5人組の地味な出立ちの兄貴達。

ただレコードに針を落とすとそこにはアメリカの市井での様々な情景が描かれていて懐かしさを感じる。

ポップなサウンドかと言われればそうではないが、その渋みを何度も繰り返し味わうことによってなんとなく温かみや親しみが染み出してくる。

ロビーもついこの間あの世に旅立ってしまい、ガースのみが最後の生き残りとなってただただ寂しい限り、でもセピア色の渋い奴は永遠不滅と声を大にして言いたいね。