CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ひどいお話(Wild Tales)

2022年03月31日 | CSN&Y

本日はグラハム・ナッシュの1973年のソロ・アルバム、Wild Talesでも。

イギリスのビート・バンド、ホリーズから脱退し渡米後、ステファン・スティルス、デビッド・クロスビーらとスーパー・グループ、CS&Nを結成し並行してソロ活動も行う事になる。

ただ彼の場合、ソロとして注目を集めたのはこのアルバムと1971年に出たファースト・アルバム、Songs For Bigineersぐらいで、それ以外ではクロスビーと組んだクロスビー・アンド・ナッシュのデュオ・ユニットの方が有名で、また数多くのアーティストのアルバムにデュオとしてバック・コーラスに参加しているのがよく目につく。

ホリーズのシングル・ヒットを狙うポップ路線に嫌気がさしたなどと言われているが、それでもCS&Nの中では彼の作品が一番ポップなメロディー・ラインを持っているのではないか。

特にこのアルバムではニール・ヤングのバンド、ストレイ・ゲーターズからスティール・ギターのベン・キースとベースのティム・ドラモントが参加しているので、ニールをポップ化したような作品が並ぶ。

ひどい話って色々あるものさ。

でも大丈夫、なるようになるものさ。

きっと君ならやっていけるよ。

って歌ってるのかな....

 


キッパーって?

2022年03月31日 | PROG ROCK

数少ない経験ではあるが、ヨーロッパのホテルで朝食となると少々悲しくなる。

朝食込みのホテルでは、アラカルトのオーダーを出さない限り、一般的にはビュフェ・スタイルのコンチネンタル・ブレクファストとなり、飲み物、パンとバターもしくはジャム、そしてシリアル系の食材だけってイメージがある。いくら食べ放題といえど、朝からガッツリ派のオイラとしては”朝食の定番オムレツは一体何処に行ってしまったのか~”ってなってしまう。

やっぱりホテルの朝食はアメリカンブ・レクファストですかね。オムレツ、ハムエッグにソーセージなどのが欠けていると食べた気がしない。

てな事で取り出しましたるは、全世界での累計販売数が2000万枚を超えたと言われているイギリスのプログレ・バンド、スーパートランプの1979年のメガヒット・アルバムからシングル・カットされたAmerican Breakfast!

その歌詞の一節に、Could we have Kippers for breakfastとある。Kipperって一体何なのか辞書で調べるとニシンの塩漬けの燻製とある。そしてそれは朝食に供されるとも。

なぬ~、イギリス人は朝からニシン食べちゃうの!って初めて知った。

何でもEnglish Breakfastなる言葉があって、コンチネンタル・ブレクファストに調理した食材、卵、ハムその他を加えたものがそれに当たりアメリカン・ブレクファストとほぼ同じ構成だとか。

まあ、日本人も朝から塩鮭食べるから驚くほどのことはないのだが。

ただこのフレーズがある事によって、この曲のイメージが変わってくる。

朝食にニシンの燻製食べたいんだけど、

ねえ母さん

そりゃテキサスにはあるさ

だってみんな大金持ちなんだから〜 ♪

アメリカン・ブレクファストのメニューにイギリス人御用達のニシンの燻製なんて当然ないのはわかっていて、お金持ちな連中なんだからニシンなんて当然揃ってるはずってスーパーなアメリカ様をちょっぴり揶揄っているのかな...


気分を変えて その3

2022年03月30日 | R&B

しばらくのご無沙汰でした。

この前の日曜日少々暇を持て余していたので、中古レコードを見に某なんちゃらオフと言うショップ覗いて参りました。

数多くのシングル盤、ほとんど日本の歌謡曲が多いのですが、パタパタパタと眺めておりますとシングルのサントラ盤、”いちご白書”Circle Gameをなるものを発見!

再発シングル盤らしく、裏面は別の映画のサントラ、ソルジャー・ブルーが収録。確か騎兵隊とインディアンの登場する西部劇でジョン・フォードの伝統的なそれではなく、お子様にはちょっぴり刺激のあるバイオレンス・シーンが印象的なニュー・シネマだった。 確か当時テレビにスポットで映画公開の広告が出ていたような...

オリジナルはご存じジョニ・ミッチェルの作品ですが、映画のサントラ盤ではバフィー・セント・メリーがアップ・テンポで軽快に歌っていて、映画公開によって日本じゃこっちの音源の方が馴染みがある。

この音源は持っていなくて税込110円だったので買うことに。

更にパタパタを進めていくと、何とバンバンが歌う“いちご白書をもう一度”で手が止まる。

1975年、荒井由美作。お名前は存じ上げませんが、向かって右の方ちょっとヤンキーっぽい感じですかね。

何かのご縁とコレもゲット!

帰って参りますと、晩飯のデザートにイチゴ!

イチゴを頬張りながらシングル盤2枚の鑑賞、正にイチゴ三昧の夜、若かった頃を懐かしんだ次第です。


気分を変えて その2

2022年03月24日 | JAZZ・FUSION

本日はジャズ・ピアニスト兼音楽プロデューサーのデイブ・グルーシンが設立に関わったジャズ・レーベル、GRP Recordsから1995年発売されたオムニバス・アルバム、(I Got No Kick Against ) Modern Jazz。

著名なジャズ、フュージョン系ミュージシャンによるビートルズ・カバー集でチャック・ベリーのヒット曲、Rock And Roll Musicの一節にNoと入れて、“ジャズもいけてるぜ”って洒落たアルバム・タイトルになっている。

(アルバムの内容はいいのに、ジャケのデザインもっと何とかならんかったのかね? これじゃ買う気失せちゃうね。)

一曲目のジョージ・ベンソンがカバーするThe Long And Winding Roadでもう気分最高ですかね。

何しろ元歌がしっかり頭に刻み込まれているから、それぞれのミュージシャンの解釈によるアレンジの妙がより楽しめる。

ベンソン、マッコイ・ターナー、ダイアナ・クラール、トム・スコット、ラムゼイ・ルイス、リー・リトナー、チック・コリア、スパイロ・ジャイラにデイブ・グルーシンら有名どころによるカバー集。

いい仕事してます。

 

 

 


気分を変えて

2022年03月23日 | JAZZ・FUSION

本日はフュージョン系のアーティストでも。

80年代になってアルファ・レーベルのヨーロッパ進出のため海外でも通用するバンドのレコード制作が企画された。

とは言え、彼の地では一般的にはまだまだ日本の文化が現在のように認識されていたわけではなく、まだまだ中国と混同されることもあった。70年代中頃にサディスティック・ミカ・バンドが既にロンドンで公演を行なってはいるが、ほんの一部の新し物好きに興味を持たれたぐらいで、まだまだ日本のアーティストが海外に進出とはならない時代だった。

日本語が理解できなくともエキゾチックな響きを感じる人々が多ければ良いのだが、やっぱり世界共通で理解できるインスト系のカシオペアが先陣を切ることに。

それが1982年に出たライブ・アルバムで、ミントのジャムに引っ掛けて最高な(Mint)コンディションのジャム・セッションと言うことでMint Jamsと名付けられた。

オーバー・ダブ無しで最後のクライマックスを除けば観客の反応をほぼカットされた音源はあたかもスタジオ録音のようなクオリティーの演奏で本当に驚かされる。

その後の活躍もあって海外にも多くのファンがいるとの事。

本人達にはその気が全くなかったと思うが、もしネイティブ・クラスの歌の上手い歌手をゲストに迎えキャッチーなメロディーの歌物を2曲ほど収録すればかなりいけたのではないかと思う。

みなさん本当にお若い。


渋いのか地味なのか?

2022年03月22日 | CSN&Y

1970年のステファン・スティルスのデビュー・アルバム、日本じゃシングル・ヒットをかっ飛ばす洋楽ポップ・バンドやシンガーと比べると一般的なリスナーには少々地味な存在だったかも… 

(この赤いキリンは一体何を意味するのだろうか、一説には別れた恋人に対するシークレット・メッセージだとか?)

(日本の一般的リスナーを代表する私としては当時このレコードを購入するには至らず、1995年の再発CDで後追いでした。)

ただアメリカではこのアルバム・チャートの3位まで行ってかなり売れたみたいだけど。

ギターうまいし、特にアコギ、カントリー・ブルースなんか弾かせたらそのテクニックはピカイチで、さらにキーボードも達者ときている。

てな事で、遅まきながら日本の一般的リスナーを代表するこの私がこのアルバムをじっくり聴いてその素晴らしさについて探求してみることに。

実はこのアルバム数曲を除いて、イギリスでレコーディングされたそうな。イギリス在住の有名どころのミュージシャン達、ジミヘン、クラプトンにリッチー(リンゴ・スター)らが客演している。特にジミヘンのギターはコレだなって一発で認識でき、スティルスのキーボードとの掛け合いやジミとクラプトンとの比較など盛り沢山な内容で中々楽しいではないか。

またゴスペル調のコーラスはアメリカのスタジオでオーバ・ダブされたのかな? クロスビー&ナッシュ、ジョン・セバスチャン、リタ・クーリッジ、ママス&パパスのキャス・エリオットら豪華メンバーのゴスペルチックな分厚いコーラスは迫力あり!

そしてさらに発見したのはジャケに記載されたDedicated to James Marshall Hendrixの文字が気になる。ジミヘンとスティルスは当時かなり仲が良かったらしく、このアルバムが発売される数ヶ月前にジミヘンが天に召され、ジミはそこにいた!って感じで、追悼の意を表したのだろうか…

今日の一言、

このアルバム、渋いを超えてスンバラシ~って結論に達しました。


ダーリン~♪ じゃなくてドナ~♪

2022年03月20日 | BRITISH ROCK

オォ~ ダーリン~♪ じゃなくてドナ~♪ ときた。

オールディズ調の甘いメロディーのラブ・ソングかと思いきや、曲はそんな単調のものではなく途中から転調しまた誰かをおちょくるようなシニカル歌詞は単なるパロディー・ソングではなくイギリスのロック・バンドらしくプログレッシブな雰囲気が醸し出されていると思う。

ニール・セダカのアルバム制作に関わり高評価を受け、その勢いでバンド結成時の頃シングルのデモ、Waterfallを制作しアップルに送ってみたもののシングルとしてはコマーシャル性に欠けるという低評価であえなく撃沈。

1972年当時アップルはビートルズ解散のゴタゴタ後で資金的にもマネージメント的にも不安定だったため、かってストーンズのマネジャーだったアラン・クレインを引き入れアップルの経営を任せた。その結果不採算部門の廃止や所属アーティストの削減など経営をスリム・ダウンさせる方向に動いたことから、10CCの様な芸風はレーベルの売上増に直ちに貢献する事は無いと判断されたのかな?

アップル設立当時のビートルズの面々が経営に直に絡んでいた頃なら、10CCはアップルから契約を勝ち取り、バッドフィンガーと兄弟バンドになっていたかな?と妄想を膨らます。

結果友人が持つマイナー・レーベル、TKレーベルとサインし1973年セルフ・タイトルのアルバム、10CCでデビューを果たす事となる。


時は来たれり

2022年03月19日 | CSN&Y

流浪の身に時はくる

落ち着いていても時はくる

起こされるかの様に光がさす

赤ん坊を直ぐに抱えなさい

この古ぼけた世は未だにぐるりと回っている

不思議と高い木は決して地を這わない

時は来たれり

世の中相変わらず平々凡々と過ぎ去るけどその中に何か意味があるのかも、そろそろ流されずに生きてみたらどう?って歌っている様な気がする。

ニール・ヤングの1978年の11枚目のスタジオ・アルバム、Comes A Time。

(ニコレッタ・ラーソンのハーモニーもバッチリ決まっている)

前作、American Stars N Barsでのクレイジー・ホースのノイジーなエレクトリック・サウンドは何処へ?

そうスイッチを入れる時が来た。

全編カントリー・フレイバー溢れるアコースティック・サウンドによる癒しの時間へと。

一旦落ち着いて周りを眺めてみなよ。

そうすれば何か見えてくるかも。


イアンの個性が強すぎたかな

2022年03月18日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

アイランド・レーベル時代から数えて通算7枚目にあたるモット・ザ・フープルのスタジオ・アルバム、The Hoopleが1974年に登場。

このアルバムはシングル・ヒットしたAll The Way From Memphisを収録した前年のアルバム、Mottと対になっているみたいで作風は同じ方向を向いている。

ちなみにバッド・カンパニーに移籍したギターのミック・ラルフスの代わりにエリアル・ベンダーが加入、サポート・メンバーだったキーボードのモーガン・フィッシャーが正式メンバーに昇格し5人組で再スタートを切った。

イアン・ハンターのボーカルはディランがハードなパンク・ロックをガチで歌うが如く、そのインパクトは強烈。

豪快な歌いっぷりが魅力のロックンロール黄金時代!

残念ながらこの後メンバーが脱退しミック・ロンソンらが加入するも、結局イアンがミックを連れてバンドから脱退しソロ活動へ。

残りのメンバーがさらなるメンバーの補充をおこない、さらにバンド名をMottと改名して活動を続け2枚のアルバムを出したものの解散。

メンバーの出入りの激しいバンドだったが、やっぱりイアンなしではモット・ザ・フープルは成り立たない。

せめてもう一枚このメンバーでアルバム作って欲しかった。


デモのボートラの出来が半端ない

2022年03月18日 | ELTON JOHN

本日は1970年のエルトン・ジョンのセカンド・アルバム。

と言っても、今回は2008年に20曲が収録されたボーナス・ディスクのついた2枚組の再発CDの話。

特に1曲目から9曲目のピアノ・デモが秀逸。

エルトンのピアノとボーカルだけのシンプルな構成だが、多分一発どりで収録されたそれぞれの曲は臨場感に溢れ本編に引けを取らない歌いっぷりだ。

ピアノの伴奏だけでこれだけ歌えるシンガーって当時それほどいなかったのじゃないかと改めて感心した次第で…


70年代のイメージで

2022年03月16日 | URIAH HEEP

1995年、ユーライア・ヒープの通算19枚目のスタジオ・アルバム、Sea Of The Lightが出そのジャケはかって怪人シリーズを担当したお馴染みロジャー・ディーンによるものだった。

(イエスのアルバムなんかによく登場する“雲海に浮遊する岩”だけど、ただこれだけじゃちょっと地味すぎる。もうちょっと何とかならなかったのかと言いたい。)

ミック・ボックスとキーボードのフィル・ランゾンらの作曲チームだけでなく、かってミック・ロンソンと共にジギー時代のデビッド・ボウイを支えたベースのトレバー・ボルダーも4曲を提供、そのうちの1曲はボーカルも担当し彼にとっても気合の入ったアルバムとなった。

一聴してみると人気が出始めた70年代初頭頃の雰囲気がサウンドに表れていて往年のヒープ・ファンには歓迎されたそうな。

言い換えれば、1971−1972年にかけて制作され成功したLook At Yourselfからの3部作のイメージは如何に足掻こうとも逃れることは出来なかったとも言える…

1971年作、対自核

1972年作、悪魔と魔法使い ロジャー・ディーン作

1972年作、魔の饗宴 ロジャー・ディーン作


発見! その2

2022年03月16日 | AMERICAN ROCK/POPS

なるほどジェフはウィルベリーズで彼の大ヒット曲のRunawayに出てくる裏声がかったI Wah-wah-wah-wah wonder~ ♪的なものをやりたかったんだなと今更ながらDiscovery! 聴いてみたかったね。

って訳知り顔で語ってしまったけれど、実はウィルベリーズはデル・シャノンの大ヒット曲のRunawayカバーしていたんだよね。

当時のアルバムには収録されていなかったけれど、後日ウィルベリーのアルバム、Vol.3のCD再発時にボートラとしてRunawayが収録されていたのをどうも見落としていたみたいで....

昨日、再発見!

どうも失礼しました。

2007年に買ったCDセット

確かにRunaway、ボートラで収録されてました。

凄いメンツでした。


発見!

2022年03月15日 | BRITISH ROCK

1979年、2年前の大作、Out Of The Blueに続いて出たのが8枚目のオリジナル・アルバム、Discovery。

曲作りの方向性は前作とほぼ同じではあるが、当時流行りのディスコ・サウンドなども取り入れ初期の頃のプログレ度は皆無でポップ度全開!

このアルバムの一番の変化と言えば、どの様な経緯があったのかは定かではないが、3名のストリング・セクションを解雇し、レコーディングにおいて必要とあらばフルのオーケストレーションを外注、そうでなければシンセを活用てなことに。

70年代初頭のアナログ・シンセと違って、技術の進歩によるデジタル・シンセの登場でコンパクトでかつ色々な音色を作れ使い勝手が良くなったので、わざわざストリング・セクションを自前で擁する必要性がなくなったって事だったのかも…

後特筆すべき事といえば、2001年の再発CDにその当時録音されたデル・シャノンのMy Little Town Flirtのカバーがボートラで収録されていた事かな?

かってトラベリング・ウィルベリーズ時代にメンバーだったロイ・オービソンが急死し、その後釜としてジェフ・リンが敬愛したデル・シャノンを迎えようと段取りしていたものの、残念ながらその彼も不慮の死を遂げウィルベリーズは2枚のアルバムを残して活動停止。

My Little Town Flirtのカバーを聴いて、なるほどジェフはウィルベリーズで彼の大ヒット曲のRunawayに出てくる裏声がかったI Wah-wah-wah-wah wonder~ ♪的なものをやりたかったんだなと今更ながらDiscovery! 聴いてみたかったね。

こっ、こっ、これは魔法の円盤。お宝ゲット〜!

ちょっと待ちな! 勝手に持っていったら泥棒〜だよ。首跳ねちゃうぞ。

てな会話があったかは定かでは無い。


全てはここから始まった

2022年03月14日 | Southern Rock

1969年ジョージア州メーコンの片田舎、湖岸に建つワンルームのキャビンを月165ドルで借り音楽活動がスタート。

キャビンの名前はIdlewild Southと名付けられたそうな。

1969年セルフ・タイトルのアルバムでデビューを果たし、翌年の1970年さらに磨きのかかったアルバム、Idlewild Southが完成。

オールマンを始めクラプトン、レイナード・スキナードやアレサ・フランクリンなどサザーン系のロック・バンド、R&Bにルーツ系の数多くのアーティストをプロデュースしたことで有名になっていくトム・ダウドをプロデューサに起用。

見事オールマンの良さを最大限に引き出しアルバム・チャートは全米40位以内を記録し、地元のロック・バンドから一躍全国区に進出させるきっかけとなった。

ライブでお馴染みのRevival、Midnight RiderにIn Memory Of Elizabeth Reedやウィリー・ディクソン作、Hoochie Coochie Manの秀逸なカバーやグレッグが歌うスロー・バラードなど聴きどころが盛り沢山。

ランブリン・マンも良いけれど、やっぱりオイラとしてはこっちが一押し。


悍ましさ最強ジャケ大賞決定!

2022年03月13日 | URIAH HEEP

ユーライア・ヒープのアルバムのジャケ・デザインで悍ましさ最強を争うのはやっぱりこのアルバムとデビュー作の蜘蛛の巣男であろう。

1980年のアルバム、Canquest制作後オリジナル・メンバーかつバンドの大黒柱だったケン・ヘンズレーが脱退した事によってバンド結成時からのオリジナル・メンバーはギターのミック・ボックスを残すのみとなり、結局バンドは解散となった。

ミックは自身のバンドを結成するも、レコード制作となるとやっぱりヒープの大看板が必要ってことで、一時バンドを去った出戻りのドラムのリー・カースレイクを含めた新たなメンバーを集め新生ヒープを結成。

1982年に通算14枚目のスタジオ・アルバムは完成しアルバム・タイトル、Abominog(邦題は魔界再来)として世に出た。

ギャ〜、でっ、でっ、出た〜!

ケン・ヘンズレーが抜けたおかげで、新生バンドは思い切って芸風を転換。ハード・メタル系にポップな要素を散りばめた。

特にケンに変わって新たに加わったジョン・シンクレアのキーボード捌きはかってのヒープお得意の暗さが滲み出た時代のものとは違ってちょうどその頃アメリカで絶大な人気を誇ったジャーニーのようになんとなく明るさを感じた。

このアルバムはヒープと名乗っているが、ヒープと別物と考えた方がいいのかも、そしてジャケから滲み出る悍ましさを頭から排して聴けば結構イケるんじゃないのって思える。

ただこのジャケかなりインパクトはあるけどやっぱりアルバムの売れ行きに関してはかなり脚を引っ張ったとは思えるのだが…

悍ましさ最強ジャケ大賞次点はやっぱりこれ!ファースト・アルバムの蜘蛛の巣男

そして見事3位に輝いたのは、11枚目のアルバム、Innocent Victimの蛇か?マンガチックなイラストで描かれた蛇のドアップ顔がちょっととぼけた感じで悍ましさが若干薄まった。ただし蛇嫌いの人にとってはこれを大賞に押すかも。