CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

Knackのファースト

2020年01月31日 | AMERICAN ROCK/POPS

バタバタして最近ブログを更新していなかったので久々にブログの編集ページを覗いてみると、ブログが開設されてから1826日となっていた。

閏年を含めて丸5年もたったということである。飽きっぽい性格なので、これほど長く続くとは我ながら驚いている次第である。

その記念すべき日に、本日もいつも通りアルバムの紹介でも。

1979年のThe Knackのファースト・アルバム、Get The Knack。

Knackは“技巧”とか“こつ”という意味で、Get The Knackで“こつを覚える”という意味になるそうな。

レコードもジャケのデザインとか古い時代のキャピトル・レーベルの採用、また4名のシンプルなギター・バンドが繰り出すポップで短めの分かりやすい曲を12曲並べるという、全くビートルズを意識したというか、もろビートルズ再来というキャッチ・フレーズで売り出した。

(ミート・ザ・ビートルズ そっくり)

(シンプルなバンド編成)

(キャピトル盤ビートルズ と同じレインボー・レーベルを採用)

ヒット曲を出すこつをビートルズから学んだと言うことだろうか….

このデビュー・アルバムは大ヒットしたものの、その次に続くアルバムがそれ程でもなく残念ながら1982年に解散した。後に再結成したものの、あまり話題に上らなかったと記憶している。

我が家にあるナックの音源は、このデビュー・アルバムとその後CDで出たベスト物1枚で彼らの熱心なファンではない。

まあ一言言わせてもらえば、アルバムに収録された数々のポップ・ソングの中でシングル・カットされ大ヒットしたマイ・シャローナだけは別格でひときわ輝く!

この曲に関しては“こつ”と言うよりは“惚”。

シャローナ! 惚れてしまうやろ〜 って感じかな?

 


懐かしのCCRのベスト

2020年01月21日 | CCR and John Fogerty

1969年にファースト・アルバム、Creedence Clearwater Revivalを出し、1972年に7枚目のアルバム、Mardi Grasを出して解散。 

4年という短い活動期間に数多くの大ヒット曲を出して風の如くサッと通り過ぎていった感があった。 

プラウド・メアリーとか雨を見たかいなどのヒット曲をラジオで時折聴く機会はあったものの、当時彼らの作品全てを聴き通す時間もまたLPを買うお金もなかった。 

解散した後直ぐにベスト・アルバム、Creedence Goldが発売され飛び付いた。

 

このベスト・アルバムは通常のそれとは異なり、たった8曲しか収録されていない。

CCRの場合シングル・ヒットの数が多くたった8曲だけでは不十分とは思えるが、11分にもわたるロング・バージョンのモータウンのカバー曲、I Heard It Through The Grapevineや初期の泥臭いR&BのBorn On The BayouやSuzie Qなど少しばかり長尺ではあるがCCRの魅力をLP一枚で伝えるには欠かせない選曲で仕方なかったのだったと思う。

そしてそれを補う形で残りのヒット曲、全14曲をぶち込んだ2枚目のベスト・アルバム、More Creedence Goldが後日発売されることに…

このあとCDでヒット曲を大量に収録したベスト盤が幾度か編集再発され、このアルバムもお役御免となったものの、今一度LPを取り出して聴けばこの8曲で完結した方がなんとなくCCRらしくシンプルでスッキリ感じるし、日本独自の制作のアルバム・ジャケットのイラストに温かみを感じさせてくれる。

日本独自のテキスチャー加工のゲートホールド・アルバムの内側のサイケなデザインはご愛嬌

アメリカ盤のオリジナル・デザインはメンバーの横顔の切り絵が施された特殊ジャケット (写真は東芝から日本ビクターに販売権が移行された後に出た、オリジナル・ジャケを模した再発日本盤のもの)


哀しみの明細書

2020年01月20日 | 特になし

買わないという選択肢はないやろ〜と鶴瓶の畳み掛けるセリフについ連番とバラ各10枚、懲りずに買っちゃた宝くじ。

先週職場の近くの宝くじセンターに出向き、換金に出向く。

予想通りというか、購入した20枚のうち下一桁の当選が2枚の計600円の戦果。 (10枚のバラ購入でも、下一桁は0から9と順番になっている)

(哀しみの明細書)

本当に一等賞に当たった人なんているのかね〜?

一等賞のくじが存在したとしても、売れ残りのくじの中に紛れ込んでいたりして....

まあ年末の暇つぶしにはなったが年始のガッカリにもなった。

 


リッチーもお手上げ

2020年01月20日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

もちろん長期に渡って活動を続けていたからではあるが、このバンドほどメンバーの出入りが激しいバンドも無いのではないかと。 

1980年8月ドラムのコージー・パウエルが脱退し新ドラマーとしてボブ・ロンディネリが加入し、コペンハーゲンでニュー・アルバムの録音を開始した時期がレインボーの第六期にあたる編成だった。しかし、ボーカルのグラハム・ボネットが親しかったコージーの脱退でやる気をなくし、新しいボーカリスト、ジョー・リン・ターナーをリクルートし2人体制のボーカルの構想を持ち出すとグラハムはさらにやる気をなくしてバンドから脱退。 

そして11月からジョーを正式ボーカリストに起用しグラハム抜きで録音を開始したのがこのバンドの第七期の編成にあたる。そして翌年にようやく完成したアルバムがDifficult To Cure。

 

(誰しも手術前にこの医者団の姿をみれば恐怖を覚えるのは間違いなし!)

ラス・バラードのポップなハード・ロック、I Surrenderをシングル・カットし大ヒットさせ、アルバムもゴールド・ディスクを獲得し成功を収めた。 その秘訣は今までよりシンプルな曲作りでポップ路線に舵を切ったからである。

 

(恐怖を高める小道具の数々)

これによって今までのファンはなんじゃこりゃ〜!となったが、同時に特にアメリカのマーケット新しいファンがその親しみやすいサウンドに飛びついた。

スタジオ盤はラジオ・フレンドリーにポップに仕上げ、リッチーのハードなギター・プレーを所望のお方は是非ライブにお越しやす!って2面作戦をとったわけである。 

残念ながら、このメンバーでの編成も長く続かず、1981年の秋にはまたまたメンバーが入れ替わることに。 

本当にメンバーを固定できない症状はDifficult To Cureで、これじゃリッチーもI Surrenderとお手上げ。


舞妓さん〜!?

2020年01月19日 | BRITISH ROCK

I've got things to do

I move every day

I hope you don't mind

'Cause I'm going your way 

てな歌詞がある。

ここんところちょいと忙しいけれど、怒らないでね。すぐ君の元にやって来るから。 

これがなんと“マイコさん”てな邦題で日本でシングル・カットされたそうな。

Coming Your Wayと言う曲でフリートウッドマックの1969年にリプリーズ・レーベルに移籍して出た3枚目のスタジオ・アルバム、Then Play Onに収録されている。

(後追いでCDでの購入)

このアルバム、オリジナル・メンバーのギタリスト、ピーター・グリーンが在籍した最後のアルバムで、新ギタリスト、ダニー・カーワンを相方に迎えそれまでのブルース・ロック一辺倒の芸風に少しばかりポップさが加わりイギリスではチャート6位とそこそこヒットしたアルバム。 

発売当初、英盤、米盤そして改訂米盤と収録曲の事なるLPが存在したようで、結構ややこしいことになっている。近年出たCDにはボートラを含め当時録音された曲がすべて網羅されているが、長尺のジャムやサイケ調の曲など色々詰め込みすぎて少しばかりアルバムの焦点は少々ぼやけることに。 

ところで、Coming Your Wayがなんでマイコさ〜んとなったかと言うと、歌詞の mind 'Cause が、マインド・コーズ、マイン・コーズ、マイン・コザァー、マイコ・ザァーン、マイコさん、バイザイ!てな事らしい。 

シングル・カットされた曲をなんとか話題なるようにと悪ノリしたわけだが、コミック・バンドならまだしも天下のブルース・ロック・バンド、フリートウッドマックに何すんねん!と言いたかった。 

なんやて? アンタの時折ひねり出すくだらんダジャレも大概やなぁ〜って? 

それはそれは、どうもすんまへん。 

と舞妓さん絡みで何故か関西弁に。

ジャケのイラストが金色の空をバックに緑鮮やかな山中を白馬にまたがった若者が駆け巡り、そして紅く染まった葉した紅葉の葉がひらひらと。

日本の伝統を意識した屏風絵のようで、やっぱり舞妓さん〜でよかったのかな?



Against The Grain、反抗の宣言かな?

2020年01月17日 | BRITISH ROCK

ロリー・ギャラガーの1975年のソロ・アルバム、Against The Grainはテイスト時代から所属したポリドール・レーベルからクリサリスに移籍後の第一弾のスタジオ・アルバム。

 

使い込まれたストラトキャスターのボディー・ペイントが剥がれたその跡に木目がクッキリ。 

Against The GrainはThe Grain(木目)に反するで、つまり意に反してと言う意味だそうだ。 

誰の意に対して反目するのかは定かではないが、多分レーベルが変わったとしてもレーベルの意に沿った売上優先の音楽活動は一切しないし、自身のやりたいようにギターを弾きまくる宣言を改めて行ったのかな?などと想像してみる。 

今作では、かっての地味目なブルース・ロックより今回少しばかりハード・ロック寄りでポップな面もあり、この傾向は次作のパープルのロジャー・グローバーによってプロデュースされたCalling Cardへと引き継がれて行く。 

レコードの売れ行きはイマイチ、しかしステージ上でのガッツなギターの弾っぷりが圧倒的な存在感を示し、ニッチではあるがコアなファン層を形成し長年の活動に繋がったのではないかと….

1995年、47歳と言うまだまだ働き盛りで亡くなったのがつくづく残念に思う

孤高のギタリスト


2020年ダジャレですべる

2020年01月13日 | Jeff Beck, Eric Clapton and etc.

休日の夕刻、フグの干物で一杯やってると

リリリン〜 リリリン〜 リリリン〜

カシャ 

もしもし、もしもし。どちら様ですか? 

ワイや、ワイや!

ワイや、ワイやって関西弁で言われても…

だから、ワイやって、ワイやでぇ〜

なぬ! ワイやでぇ〜とな? 

ワイやでぇ〜 ワイヤでぇ〜 ワイヤどぉ〜 ワイヤ〜ドォ〜 ワイヤード Wired バンザ〜イ! 

アァ、ジェフ・ベックさんでしたか。

そう本日は私の1976年に出したジャズ・フュージョン系のインスト・シリーズ第2弾のWired。

 

1975年のヒット作、Blow By Blowに続くもので、今回シンセ界のフュージョン系奏者の第一人者とも言えるヤン・ハマーがゲスト参加し俺のギターとシンセとのバトルは一味違って迫力満点だぜ!

(ヤン・ハマー作、Blue Wind中々よろし〜) 

なぬ! シンセ界とな? 

シンセ界 新世界 新世界のづぼらやは〜♪ 

フグの干物うめ〜


2020年も懲りずにレコードを聴き、そして想う その3

2020年01月10日 | JAPANESE

曲は良いけどヒットするかと言えば、まだまだ周り追いついてきていない時代で、彼の音楽がなかなか受け入れられない。 

しかしようやく1978年のアルバム、Go Ahead!で風穴を開けた。

そしてついに彼の時代の到来とばかり、続くアルバムは1979年に独立レーベルのエヤー・レコードからの記念すべき第一弾のムーン・グロウ!

 

まあ今聴けば古さを感じさせるが、所々に散りばめられた達郎節を聴けば再びあの頃へと…. 

特にリズム・セクションがバッチリのレイニー・ウォークはよく聴いた。

 

Rainy Walk Rainy Walk ♪♪

Silver Rainy Walk Silver Rainy Walk ♪♪ 

と久々に口ずさんでみる。 

そうあの頃ワシも若かった。


2020年も懲りずにレコードを聴き、そして想う その2

2020年01月09日 | AMERICAN ROCK/POPS

本日はボズ・スキャッグス1969年制作のセカンド・ソロ・アルバム、Boz Scaggs

相変わらずせこい日本流マーケティングというか、このアルバムの邦題が何と!ボズ・スキャッグス&デュアン・オールマンに改題されている。

 

ボズは1965年にソロを出した後スティーブ・ミラー・バンドに参加し、2枚のアルバムが出た後バンドを脱退し、再びソロ・キャリアを歩むことになる。 

このアルバムの録音はアラバマ州のマッスル・ショールズ・スタジオで、スタジオ所属のお馴染み腕利きセッション・プレーヤー、バリー・ベケット、ロジャー・ホーキンスやデュアン・オールマンらにサポートされ完成。

(ボズとマッスル・ショールズの愉快な仲間たち

実は日本ではオン・タイムでこのアルバムは発売されず、1976年にボズのアルバム、Silk Degreesが日本でも大ヒットしたことによって、ボズの過去のアルバムにも光が当てられる事となり、7年の歳月を経てついに日本で発売された。 

しかしいくら日本でのデュアン・オールマンの知名度や彼のこのアルバムの制作に対する貢献度が高くとも、このアルバムに関してはセッション・プレーヤーの立場のデュアンの名がしれっとアルバム・タイトルに登場し、あたかも共作アルバムのような体裁にしたのはいかがなものか…. 

まあそれはさておき、このアルバムはブルースやカントリーなど泥臭い南部のルーツ・ミュージックがメインとなっている。

後のアルバム、Silk DegreesやDown Two Then LeftなどのAOR路線で大成功した芸風とこのアルバムは異なり、都会的な華やかさとかスマートさには欠けるがじっくり聴かせるという点では決して負けていない。 

デュアンのアンソロジー・アルバムにも収録されていて、彼のギターが冴える12分を超えるブルース・ナンバーの大作、Loan Me A Dimeはこのアルバムの聴きどころだ。

 

ところでアメリカに行くとコインの呼び方が独特で、1セント、5セント、10セント、25セントそして50セントがありそれらは、ペニー、ニッケル、ダイム、クウォーターそしてハーフ・ダラーと呼ばれている。 

ボズはLoan Me A Dime、すなわち誰か10セント貸してくれないかって歌っているが、どうも公衆電話から昔の彼女に電話をかけたかったみたいで… 

昔の彼女を愛しく思っているなんて12分にも渡って延々と歌われるとたしかに貸さざるを得ない。


2020年も懲りずにレコードを聴き、そして想う

2020年01月08日 | BEATLES-BADFINGER関連

ビートルズのモノLPでも久々に聴いてみようと取り出したのがアルバム、Revolver。

 

中身の音楽だけでなくジャケのイラストとか当時のポピュラー・ミュージックと呼ばれたジャンルではぶっ飛んだ存在で今でも愛聴盤である。 

ビートルズの場合、デビュー当時からステレオとモノ盤の両方が制作され、その制作方針はホワイト・アルバムまで続くのだが、日本盤はちょいと事情が異なる。 

日本盤の場合、モノで発売されたLPは1964年のMeet The Beatles!(邦題はシンプルにビートルズ!)、The Beatles’ Second Album(邦題はビートルズNo.2!)と1965年のThe Beatles No.5(邦題はビートルズNo.5!)の3枚のみ、他のアルバムは英米と異なり全てステレオ音源仕様のみで発売された。

(旧オデオン盤、かなり以前に中古でゲット!ジャケはシワだらけ)

 

(Ever Cleanという商品名でなんでも静電気が発生しにくい原料を塩ビに混ぜてプレスされた赤盤、モノって記載はレーベルになし)

家電王国日本において60年代初め頃から売りに出されたステレオ・セットの普及率が英米と比べて高かったのかな? 

反対に当時日本でモノLPを聴くとなると海外盤の購入しか選択はなく結構厄介な代物だった。普通のビートルズ・ファンは1982年のデビュー20周年を祝い企画された10枚のモノLPの発売まで待たねばならなかった。 

ちなみに1986年にモノLPが再発され、さらに21世紀になってモノのCDとLPがリマスターされまたまた登場と巷にはモノ音源が溢れる事になる。 

モノ音源の存在価値って、ビートルズのアルバム制作陣はモノ・ミックスに力を入れていて、特に初期の左右泣き別れのステレオ・ミックスなんてオマケの産物、是非迫力のあるモノ・ミックスを聴くべし! って事ことなんですかね? 

ところである解説本で、82年盤は旧マスターを使用しているとの説があるが、この時代のモノ盤は音質・ジャケともに60年代の初版とは別物なのでお勧め出来ないと書いてあった。

(東芝EMIの社名がドドん〜と、ジャケはフリップ・パックではないE式)

まあいいっか〜 

私なんぞ、ステレオ音源と聴き比べをしてその違いを専門雑誌などで再確認しなるほどとニンマリするだけのクチなので、このモノ音源の音質にどうこうって感想は特にありません。


2020年も懲りずにレコードを聴く、その3

2020年01月07日 | West Coast Rock

ジャック・テンプチンと言えば、ウエスト・コースト・ロック好きの人なら、イーグルスにPeaceful Easy FeelingやAlready Goneという爽やかハツラツな曲を提供した人だとピンとくる.

またイーグルス解散後、メンバーだったグレン・フライのソロ・アルバムにグレンと共作で曲を書いていたことも思い浮かべる。 

1982年のNo Fun Aroundに収められたThe One You LoveとかI Found Somebody、1984年のアルバム、AllnigtherのSmuggler’s Bluesさらには1988年のアルバム、Soul Serchin’に収録されたタイトル曲とTrue Loveなどなどいい曲がいっぱい。 

さらなるウエスト・コースト・ロックの深みにはまってしまった人などは、彼が在籍し1976年にたった一枚のアルバムを出して解散したFunky Kingsでも。 

そして最終的には彼のソロ活動での作品群を聴き込んでしまうことに…. 

それでは1978年のJack Tempchinという自身の名前を掲げたソロ・デビュー・アルバムからスタート。 

カントリー系フォーク・ロックとでも形容すれば良いのだろうか、コーラス・ワークも素晴らしい。このアルバムにはイーグルスに提供したPeaceful Easy Feelingをシットリとした穏やかなアレンジでセルフ・カバー。

レコーディングは南部のアラバマはマッスル・ショールズ・スタジオ。スタジオ所属の腕利き セッション・プレイヤーのピート・カーやバリー・ベケットらがバックを務めて、さらにゲストにはグレンと共にジャクソン・ブラウンの名前も。 

おヒマなら是非ご一聴を。 

癒しの一枚はアリスタ・レーベルから。

 

 


2020年にレコードを聴く、その2

2020年01月06日 | BRITISH ROCK

本日はイギリスのロック・バンド、テン・イヤーズ・アフターが1969年に出したブルースに軸足をおいた3枚目のスタジオ・アルバム、Ssssh。

 

このアルバムの邦題は、何らかの擬音のようなアルバム・タイトルをカタカナで表現するのも何となく印象がぼやけるので、このアルバムの最後の曲、I Woke Up This Morningに付けた邦題、夜明けのない朝を拝借した。

(オリジナルはDERAMから1969年に発売、そして1975年クリサリ・スレーベルから再発。このレコードはレーベルのデザインから判断して多分1987年頃クリサリスから再々発されたアメリカ盤) 

夜明けのない朝って詩的で趣のある響のタイトルであるが、歌詞を読んでみると何てことはない軽〜い感じ。


夜明けのない朝 

今朝起きたら、

俺の彼女はいっちまった

今朝起きたら、

俺の彼女はいっちまった

俺を愛してたって思ってたのに

どうも間違ってたみたい

そう、間違ってた

 

毎晩泣いたさ

君が帰ってくるなら、そうするさ

毎晩泣いたさ

君が帰ってくるなら

ひどく孤独を感じるのさ

一人取り残されて

そう、一人取り残されて

 

今朝起きたら、

雨だった

今朝起きたら、

雨だった

ひどく孤独を感じるのさ

泣きたい気持ちさ

雨が地面に降り注ぐ 

 

夜明けの朝って、何と!彼女に逃げられガックリしたアニキの朝イチの嘆きでしたか? 

なるほど、これがブル〜スっていうもんなんですね。 

アルビン・リーの奏でるリード・ギターとベースやキーボードの絡みなど、このアルバムには聴きどころ盛りだくさんです。 

おヒマなら是非ご一聴を。


2020年もレコードを聴く

2020年01月05日 | Southern Rock

楽しいひと時はアッと言う間に過ぎ去ってしまう。 

明日からまた仕事。 

でもよくよく考えてみると、平日仕事に縛られていてストレスの連続だから余計に休日により有り難みを感じる訳で、毎日が日曜日状態になってしまうとこれはこれで退屈してしまう。 

それに労働の代償としてお金を多少なりとも頂けるのも無視出来ない。世の中お金で買えない大切なものもあると言うけど、やっぱり日々の生活を平穏に送るためにはある程度の額は必要不可欠。 

そんな訳で、明日からの勤労生活は素直に受け入れ、今日この時はリラックスしようと取り出したる一枚はこれ! 

1969年に出たデラニー・アンド・ボニーのアルバム、The Original Delaney & BonnieもしくはAccept No Substituteと言うタイトルが付いた彼らのデビュー・アルバム。

実際はそれより前にメンフィスのスタックス・スタジオでブッカー・TとMG’sやアイザック・ヘイズのバック・アップでHomeというアルバムが制作されたがお蔵入り。 

南部の黒人アーティストが得意とするところのR&Bやゴスペルなんかがベースになっている音楽志向で、はっきりいってヒット・チャートの頭を取るようなポップさはなくはっきりいって地味! 

でも黒人アーティストらが奏でるそれらとは違い、悲壮感が感じられなくむしろ明るい雰囲気があるような… 

親しい仲間内のミュージシャンらと一丁楽しくやりましょうか? てな感じを受ける。だから、Accept No Substituteすなわち“代わりはいらね〜”というアルバム・タイトルになっているのかも。 

お仲間は、ジム・プライス、ボビー・ウイットロック、ボビー・キー、ジム・ケルトナー、カール・レイドゥル、リタ・クーリッジとレオン・ラッセルらおなじみの面々。そして知る人ぞ知るギターのジェリー・マッギーもね。 

ジェリーといえばのちにベンチャーズにノーキー・エドワーズの交代要員としてバンドに加わり活躍というまさかのSubstituteつながり。 

彼はベンチャーズ時代に当時日本で大ヒットした京都の恋、京都慕情とか雨の御堂筋の作曲に加わっていて、その少し前にThe Original Delaney & Bonnieで南部のロック・サウンドを奏でていたとは! 

まあ、声を大にするほど大げさなものでも無いのですが… 

おヒマなら是非ご一聴を。

日本盤はワーナー系のエレクトラ・レーベルから発売。但し、発売は4年後の1973年だった。日本で著名だったエリック・クラプトンでも参加していればもう少し早かったかも?