CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

この100円LP、コスパ最高

2022年07月31日 | AMERICAN ROCK/POPS

猛暑の夏の日曜日いかがお過ごしでしょうか?

つい先日オジン限定のコロナ・ワクチン4回目の接種券が届いたので、モデルナ一発打って参りました。これでファイザーとモデルナ2回ずつ計4回接種した事に。オジン・コレクターにとって限定って言葉には弱い。

ところで接種後の副反応はこれまでと同様、腕に筋肉痛の様な痛みが2−3日あっただけでそれ以外は全くなんとも無い。果たしてその効果は如何程なのだろうか?

などとぼんやりしているところに、かなり前に何ちゃらオフってショップに出かけ漁った中古レコードを思い出す。コンディションも良く100円の洋楽ってことでつい買ってしまったものの長い間ほったらかしに...

本日はその忘れ去られていたLPでも聴いてみようかと。

1974年に発売されたオリビア・ニュートン・ジョンの日本盤アルバム、Let Me Be Thereでも。

なんと帯つきで100円!

彼女の初期のアルバムは発売国よって選曲やアルバム・ジャケのデザインも異なっていて、さまざまなバリエーションがありコレクター泣かせである。

1971年のデビュー・アルバム、If Not For Youは日本ではポリドール・レーベルから発売されたもののその後のアルバムは何故か発売されなかった。

日本で契約レーベルが東芝EMIへと変わり、1974年彼女のニュー・アルバム、Long Live Loveが登場したのを機に、デビュー・アルバムと初期の日本未発売の数枚のアルバムからベスト・アルバム的に編集されたのがこのアルバム。

(サイドー1はディラン、レスリー・ダンカン、ドン・マクリーン、デヴィッド・ゲイツにジョージらの有名曲のカバー)

(サイドー2は彼女の日本でのトレード・マークとも言える、ジョン・デンバーのカントリー・ロードから始まり、バラードの名曲Amoureseとグラミー獲得のLet Me Be Thereが並ぶ)

まあ彼女の高音の声がちょっと苦手だとか感じる人もいるかもしれないが、カントリー調で有名どころの馴染みのある曲をカバーしているので結構耳に入ってくる。

ここの所のコロナ感染再拡大の状況でする事もなく自宅に籠っている私としては、たった100円で爽やかな気分になれるのでオーケー。

ただ今日は本当に暑いからエヤコン必須だけどね。


知ってる人は知ってるが、知らない人は全く知らないSSW

2022年07月30日 | West Coast Rock

70年代のアメリカのシンガー・ソングライター、テレンス・ボイラン。

私の様な年配でウエストコースト系のロックに興味があった人なら、ああそんな人いたねって感じだけど、一般的には無名の存在だったろう。

ニューヨークで育ち、60年代末ごろには学生時代のクラス・メートだったウォルター・ベッカーやドナルド・フェイガンらとの音楽活動を通して、彼らのバック・アップで69年ファースト・アルバムを出す。

その後ニューヨークから西海岸に移住、1977年にセカンド・アルバム、Terence Boylanを出すことに。

ちょっとジャクソン・ブラウンぽいが、バックにはSteely DanのAjaで演奏していたセッション・プレイヤーとかぶる豪華メンバーによる洗練された演奏が持ち味のフォーク・ロックって感じですかね。

(Steely Danの給料より遥かに高額と言われた普通じゃ集められない豪華セッション・プレイヤーを配してのレコーディング。ウォルター・ベッカーやドナルド・フェイガンとの長い付き合いからお友達価格で引き受けてくれたのかな?)

なかなかセンス良いんだけれど、やっぱり知名度が足りなくてヒットには至らず。

ただ翌年、イアン・マシューズが出したアルバム、Steelin’ Homeにこのアルバムから、Shake ItとDon’t Han Up Your Dancing Shoesを2曲をよりポップにカバー。

シングル・カットされたShake Itは全米チャート13位と結構ヒットしたので、作者として少しは元が取れたかも。


知ってる人は知ってるが、知らない人は全く知らないPop Group

2022年07月29日 | AMERICAN ROCK/POPS

60年代アメリカでヒットを飛ばしていたヤング・ラスカルズ、1968年ラスカルズと改名も70年代初め頃に解散。そのメンバーだった、ディノ・ダネリ(ドラムス)とジーン・コーニッシュ(ギター)が新しいバンドを結成。

そこには1975年位解散したラズベリーズのリード・ギタリスト、ウォーリー・ブライソン、更に無名の若い二人、レックス・マルケーシ(ギター)とフランキー・ヴィンチー(キーボード)らが加入するとのことだった。

元ラスカルズと元ラスベリーズのメンバーの合体では少々インパクトに欠けるとは思えたが、1978年デビュー・アルバム、Fotomakerが誕生。

一聴してみると、ウエスト・コースト系AORでスッキリ爽やか。

驚いたのはディノ・ダネリが他のメンバーと曲作りに数曲参加しているだけで、ウォーリー・ブライソンに至っては曲作りには参加せず、無名の若い二人がほとんどの曲で作詞作曲を手掛けグループを牽引していて、もうラスカルズやラズベリーズ関係ないって感じでしたかね。

(ウォーリー・ブライソンは2枚目のアルバム完成後、もうバンドにはオイラの居場所は無い!と言って去っていった。Deep In Thoughtってことで自身の行く末を深〜く考えてたんですかね?)

まあ70年代後期デビューって事で、ディスコやパンク全盛時代にハーモニーを多用したAOR系じゃ爪痕を残せず、計3枚のアルバムを出して解散と相成った次第。

今聴けばこれはこれでイケてるって感じはするんだけど。


3発目 その2

2022年07月29日 | PROG ROCK

アルバムを作るとなるとやっぱり3枚目はどのバンドも苦労するみたいで。

2枚目のアルバムは、もし1枚目が大ヒットすれば二番煎じと呼ばれようが、同じような方向性を持った売れ筋のアルバムになるのは世の常。ましてレコード会社が制作に関する実権を握っていれば違った方向にバンドの芸風を転換させるようなリスクは犯さない。

問題は3枚目のアルバム。

本日は1970年のクリムゾンの3枚目のアルバム、リザードでも。

セカンド・アルバム制作時にはイアン・マクドナルドがバンドから去り、ボーカルのグレッグ・レイクも途中で離脱。

急遽、管楽器にメル・コリンズ、ボーカルにはゴードン・ハスケルを起用し旧メンバーを含むゲスト・ミュージシャンの力を借りてなんとかアルバム完成させた。

ただ次のアルバムの制作では新メンバーで前2作の余韻を残しながら新たなる方向性を導き出さねばならない。

(左から、ロバート・フィリップ、メル・コリンズ、アンディ・マカロック、ゴードン・ハスケルにピート・シンフィールド)

制作は迷いに迷ったのではないかと推測。特に新メンバーとしてボーカルにゴードン・ハスケルを雇用したのに、アルバム主題曲のリザードにはイエスのジョン・アンダーソンがボーカルを担当。

これではバンドとしてのまとまりがなくなるし、当時このアルバムに批判的な意見が聞かれたみたい。

とは言え流石、ロバート・フィリップ! デビュー・アルバムのクリムゾン・キングの宮殿でのインパクトには及ばずも、今改めて聴けばアルバムとしては結構まとまっているのではないかと。

特に管楽器のメル・コリンズやゲスト・ミュージシャンのピアニスト、キース・ティペットらによるジャズ調の演奏がロックぽさを抑えて私には小気味よく感じる。

この後不満を持ったコードン・ハスケルらが抜けてまたしてもメンバー・チェンジ。

まあクリムゾンの場合は一時期を除いてロバート・フィリップとゲスト・ミュージシャンてなイメージが強い感じですかね。


3発目

2022年07月25日 | West Coast Rock

ハット・トリックとは元々はクリケット用語で、ボウラー(投手)が3者連続でアウトにする難易度の高いプレーをすればその褒美にハット(帽子)が贈られる事から送られることから始まったそうな。

それが色々なスポーツに伝わって、日本ではサッカーのゲームで一人のプレーヤーが3得点した時によく使われている。

今日はその1973年にでたアメリカのアルバム、Hat Trickでも。

今でこそワールド・カップでの常連参加国となった日本ではあるが、それ以前の世界的な名声を探すとすれば1968年のメキシコ・オリンピック辺りまで遡らねばならない。

一般的には日本でサッカーがまだまだマイナーなスポーツだったことから、このアルバムのでた当時はハット・トリックって一体何のことやら?と思った次第でありまして...

今更ながら、なるほど3枚目のアルバムって事ですね。

このアルバム、全2作のようにトップ10入れ出来ずに、残念ながらアルバム・チャートは28位止まり。

前2作は当時流行りのCSN&Y調のフォーク・ロックで割合親しみやすかったのだが、彼らとしてはこのアルバムで既成のフォーク・ロック路線とは一味違うオリジナリティーを出してみたかったのだろうか... 

その結果作り出された曲はAOR系でアーバンな香りがする繊細なポップ、それが災いしたのか今までの押し出しがそれほど強くなくて地味と捉えられたのだと感じた。

ただこの時の経験が生きて次作のHolidayはプロデューサーのジョージ・マーチンの手腕も相まって曲作りがかなり洗練されたのではと思う。

それよりも、全くの新人としてデビューしメジャー・レーベルから3枚のアルバム、即ちハット・トリックが達成出来たのが凄いと思う。

売れなければすぐに契約解除って世界ですからね。


ちょっと箸休め、その3

2022年07月24日 | JAPANESE

さっき部屋を掃除していたら、CD棚の奥深くに珍しい物を発見。

決定盤 グループ・サウンズ ベスト・ヒット15のCDだ。フィリップス系所属のバンドのそれぞれのヒット曲が計15曲。

いつどのような経緯でこれを買ったのか定かでは無いのだが、この家でCDを買うのは私だけなので、どこかのショップで見かけて懐かしさの余りつい買ってしまったのであろう。

調べてみるとディスクには1990年と記されており、発売日されてから30年以上も経つと考えると感慨深いものがある。

グループ・サウンズも70年代になるとそのブームも去りその当時洋楽にのめり込み始めた私ではあるが、彼らはオリジナルだけでなく結構洋楽を日本語バージョンでカバーしており結構親しみのある存在ではあった。

このCDに収録されているカーナビーツがカバーしたゾンビーズのI Love You(好きさ好きさ好きさ)やテンプターズのカバーしたグラス・ルーツのLet’s Live For Today(今日を生きよう)はなかなか上出来。

カーナビーツがカバーしたイギリスのビート・バンド、デイブ・ディー・グループのOkey(オーケイ!)やビートルズのOb-La-Di Ob-Ra-Da、それにジャガーズがカバーした同じくデイブ・ディーのThe Legend Of Xanadu(キサナドゥーの伝説)なんかも収録されていたらもっと良かったのだが。

それからスパイダースの初期の頃はかまやつさんがバンドの中心だったことがよくわかる。

久々にグループ・サウンズ楽しみました。


ちょっと箸休め、その2

2022年07月23日 | JAZZ・FUSION

つい先日までは雨がダッ~って降り続いて、近所を流れる一級河川も水嵩を結構増していたような。

でっ、本日週末の昼下がり、厳しい西日が差し込み時折生ぬるい風が漂うような小部屋でボウイさんのアンビエント・ミュージックなぞを聴いていると不覚にもついコックリしてしまう。

ボウイさんの後は箸休めでまたまたデイブ・ブルーベック・カルテットの1959年の作品、Time Outでも。

超有名なTake Fiveが収録されているアルバムけれど、他の収録曲も結構いけます。

一曲目のBlue Rond A La Turkなんて複雑な変拍子使っていてまるでジャズのプログレ。

ベースもドラムスも元気いっぱい、目が覚めました。


これがいいのだ!

2022年07月23日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

何事でも常に一流のステイタスを保ち続けるには相当のプレッシャーを覚悟せねばならない。

そのプレッシャーに耐えられず大きなストレスを抱え込み、酒や薬に逃げ込むことも多々ある。緊張をほぐすために少量からスタートするもやがて自身でコントロールできない容量を摂取する状態に落ちってしまう場合もある。

ボウイさん、新しい芸風であるプラスチック・ソウルでアメリカで大活躍も長年のドラッグ中毒で精神的に辛い思いをしたのだろうか、ドラッグと決別という思いなのかは定かではないが、アメリカからヨーロッパに活動の拠点を移し心機一転。

ブライアン・イーノと組んで新たの方向性を模索、その回答が1977年の通算11枚目のオリジナルアルバム、ベルリン三部作の第一部とも言われたLow。

(2018年のリマスター盤。RCAでは無くBOWIEのロゴGAレーベルに。)

サイド1はボウイの従来の雰囲気を少し引き締めた感じのポップ路線ですかね、ただサイド2は暗く冷たい、無機質なイメージで殆どがインスト・ナンバーで構成。イーノのシンセから紡ぎ出されるアンビエント、即ち空気のような味わいがそこかしこに…

確かに無の境地で薬なしにメンタルを落ち着かせる効果はあるかも... 

ただもうこれはロックと言えるのだろうか? とは言え、この実験的なアルバムが結構売れたのである。

当時の世の中疲れ始めていたのかも。よって、癒しが求められたのかな?

さすがボウイさん、今更ながら時代を一歩先取り。

凡人の私には聴いてびっくりで到底その発想など思いもつかなかって、時代がひと回りして今更ながら、これがいいのだ!と感じた次第。

因みに、ボウイの盟友イギー・ポップとメリー・ビスコンティなる人物がバッキング・ボーカルでこのアルバムに参加。

メリー・ビスコンティといえば、このアルバムのボウイとの共同プロデューサーであるトニー・ビスコンティの嫁さんで、多分そのつながりでアルバムに参加したのだろうか?

メリーとは、その昔ポールが売り出しに力を注いでいたウエールズ出身のフォーク・シンガーでアップル所属のアーティスト、メリー・ホプキンのこと。確かデビュー当時ポールのポップ路線とは相容れずGood Bye、そしてフォーク路線を貫いていくことに。

その彼女がフォーク路線とは全くかけ離れたボウイのSound And Visionでコーラスつけているとは!

彼女もこれがいいのだ!と思ったのかも...


これもいいのだ!

2022年07月22日 | PROG ROCK

プログレ・ロックと言っても何も構える必要が無いのがこのバンド、Camel。

叙情的かつ親しみやすいメロディーゆえイージー・リスニングとプログレの境界線辺りを行き来している様な気もするが、高い演奏能力がやっぱり彼らがプログレ・バンドだと改めて認識させられる。

1977年に出た彼らの5枚目のアルバム、Rain Danceはベースのダグ・ファーガソンがカンタベリー・ロックを代表するキャラバンやハットフィールド・アンド・ノースで活躍したリチャード・シンクレアと入れ替わり、更にクリムゾンのアルバムにも登場した管楽器の名手メル・コリンズも加わり新たな魅力が加えられた。

ブライアン・イーノが参加したElkeという曲は、後の喜太郎のトレード・マークとなるアンビエント・ミュージック風な印象でこのアルバムのアクセントとなっている。

イギリスはプログレ・ロックの宝庫。ジェネシスを含む5大プログレ・バンドだけでなく、数多くの魅力溢れるバンドが存在する。

あまり深掘りし過ぎて底なしの沼に嵌まらぬようにしたいものだ。

雨の妖精のダンスを楽しむ


これでいいのだ。

2022年07月21日 | Jeff Beck, Eric Clapton and etc.

アルバムの初っ端からEverybody Oughta Make A Changeって歌ってる。

確かに当時は酷いアル中でそのまま放っておけばその後の音楽活動もままならないと判断し、施設に入院しリハビリに取り組み何とか変わらねばという意識はかなりあったのだろう。

症状が改善し施設から退所して、自身のレーベルを立ち上げ取り組んだアルバムが1983年のMoney And Cigarettes。

プロデューサーにはアメリカン・ロックを代表する著名プロデューサーとして知られるトム・ダウド、バックを固めるのは、アルバート・リーを除けばスライド・ギターにライ・クーダー、ブッカーTとMG’sのベーシスト、ドナルド・ダック・ダンとマッスル・ショールズ・スタジオのセッション・プレーヤーのロジャー・ホーキンスをドラムスに起用。

これだけ見るとコテコテの泥臭い南部サウンドの展開になるのかと思いきや、意外にもブルース特有の憂や翳りも感じられない明るいポップ・サウンドに溢れている。

クリーム時代からクラプトンを聴き続けて来たリスナーなら、同姓同名の別人か?と思ったかも。更に69年から70年かけてのデラニー・アンド・ボニーのツアーに加わり南部志向時代のクラプトンと比べてもイメージが少々異なる。

まあアルバムは大ヒットとはならずとも従来通りそこそこ売れて、本人もEverybody Oughta Make A Changeって歌っているのだから、これでいいのかも。


収録時間が長ければ良いってもんでも無い。

2022年07月20日 | ELTON JOHN

80年代中頃になるとドラッグの影響なのか制作するアルバムに今ひとつキレがなくなり、セールスも低迷。

施設での矯正を受けドラッグ禍からようやく立ち直り1989年にアルバム、Sleeping With The Pastを発表。

そしてそれに続くアルバムが、1992年のThe One。ようやく往年の充実したサウンドが戻ってきた。

ジャケ・デザインのコンセプトはお馴染みベルサーチ

お馴染みのギターのディビィー・ジョンストンはもとより、ナイジェル・オルソンやキキ・ディーらエルトン・ファミリーも参加。

ベースにはのちにジョン・メイヤーとトリオを組ピノ・パラディーノや、さらにエリック・クラプトンやデヴィッド・ギルモアもそれぞれ1曲だけだがギターで参加。

当時一聴してようやくエルトンも闇を抜けたかって思った。

ただ個人的にはもう少し曲の長さを切り詰めてメリハリ効かせた方がよかったかな?

LPレコードは両面の収録時間を合わせると大体44−5分ってところ。CD時代になるとその特性により更に長い収録時間が確保出来ることにより、一曲の長さが長くなったり曲数が増えたりすることになる。

そのためアルバム全体やそれぞれの曲が冗長になる様な時が…

聞き手が緊張感を持って音源を聴き続けるにはやっぱり限界があって、レコード世代の私などは20分ほど聴いてレコードを裏返してまた20分というサイクルが体にフィットする。

わざわざサビをこれでもか!って何度も繰り返す必要はなく、ここぞというときに心地よいサビを一発かまし曲を終わらせば、またもう一度聴きたくなるって思うのだけれど。


今じゃ癖になって

2022年07月19日 | AMERICAN ROCK/POPS

ドゥービー・ブラザースの1974年の4枚目のスタジオアルバム、When Were Once Vices Are Now Habits。

邦題は確か“ドゥービ天国”でしたっけ。

悪しき感覚だったのが今じゃ癖になってやめられないってタイトル。

そもそもバンド名がマリファナ兄弟だからそれに引っ掛けたアルバム・タイトルてな事のようで。

前作The Captain And MeのChina Groveとか前々作Toulouse StreetのListen To The Musicの様な聴いて一発で記憶に残るキャッチーなヒット・シングルは収録されていなく、このアルバムは日本人的な感覚からすれば少々地味なイメージに映った。

しかし、このアルバムからシングルカットされたアコースティックな少々緩い感じのルーツ系の曲、Black Waterがまさかのバンド初の全米1位に輝くヒット・シングルとなる。

元々はシングルのB面だったのがラジオ局による頻繁なオン・エヤーのお陰で火が付いて、シングルA面に昇格しその後大ヒットとなったそうな。

川の水が真っ黒に見える夜、大河ミシシッピに筏で漕ぎ出す。特に急ぎの旅ではなく、のんびり漕ぎ続ければいつか憧れのプロミス・ランドのニューオリンズに着くだろう、ってなんだか牧歌的な印象。

これがスルメイカの様に噛めば噛むほど味が出るが如く、アメリカのリスナーはどうもこの曲が心に響いて聴けば聴くほど癖になったって事のですかね…

ドゥービー天国にようこそ!


ちょっと箸休め

2022年07月18日 | JAZZ・FUSION

スティーブ・マリオットのパワフルでソウルフルなボーカルを聴いて心地よい疲れを感じたなら、一回お休みって事で軽快なジャズでも。

私のようなジャズ・ノービス・クラスが持つジャズのイメージと言えば、電化マイルスとかフリー・ジャズ期のコルトレーンの様な小難しいものではなく、やっぱりもう少し時代を遡ったコレですかね。

デイブ・ブルーベック・カルテットの1954年の作品、Brubeck Time。

このジャケ・デザイン、結構気に入っています

ドラムとダブル・ベースがいつものリズムを刻んで、ピアノとサックスがそれにのっかるオーソドックスな演奏がやっぱり楽ちん。

デイブ・ブルーベックのあまり前に出ない控えめなピアノとポール・デズモンドの滑らかなサックス・プレイが程よくマッチしていてなかなかよろし~


パワフルな孤高のボーカリスト

2022年07月17日 | BRITISH ROCK

個人的にはロック・ボーカリストとしてこれほど熱くパワフルに歌い上げる人はいないのではないか? 他の著名なロック・バンドのボーカリストもビビって共演したくないぐらいの歌唱力だと思う。

それはスモール・フェイセスやハンブル・パイでの活躍で有名なスティーブ・マリオット。

1974年のハンブル・パイの力作、Thunderboxが思った様には売れず、バンドとは別の活動をスタートしたスティーブであったが、レコード・レーベルからの要請もあってやっつけ仕事の様な形で出した1975年の作品、Street Ratsも不発に終わり、バンドは解散。

翌年スティーブはソロ・アルバム、Marriottを出すことに。

サイドー1がBritish Sideと称し元ハンブル・パイのベーシスト、グレック・リドレーやクリムゾンでドラムを叩いていたイアン・ウォーレスらを起用し従来のバンド・サウンドを展開、サイドー2はAmerican Sideなるコンセプトで、歌手スティーブのボーカルにデヴィッド・フォスターのアレンジしたキーボード、ホーン、ストリングスに分厚いコーラスを被せた大掛かりなアレンジで、ソウルフルでファンキーなアメリカン・サウンドを追求する内容となった。

ロニー・レーンと共作したスモール・フェイセス時代のWam Bam Thank You Ma'amも収録

ただ、British Sideはハンブル・パイ時代と比べるとバンドのパワーが足りない様に感じ、またAmerican Sideの大掛かりなバックはよりは従来のバンド・サウンドの方が好みで少々消化不良の企画だったかなと思えるのだが... 

通販的に言えば、あくまでも個人の感想であります。

とは言え、スティーブ・マリオット先生の歌唱はいつ聴いても最高だという思いには全く異論はない!

キリッ


ビートルズのレコードに関する瑣末な話

2022年07月16日 | BEATLES-BADFINGER関連

ビートルズのレコードにはUS独自の編集盤があって、独自のジャケット・デザイン、選曲それにミックスと本家UK盤とは全く異なる存在だった。

一応サージャント・ペパーズのアルバムからは、英米の制作規格が統一されたのではあるが、それでもUSサイドは懲りずにマジカル・ミステリーのLP盤や編集盤LPとしてHey Judeなど独自に制作しビートルズのアルバム制作の意向を無視した。

ビートルズ解散後は一件落着と思いきや、なんのなんのUS編集盤はまだまだ続いた。

1973年に出たビートルズのベスト・アルバム、赤盤と青盤がそれである。

ジャケのデザインや収録曲は英盤と同じであるが特に1962年から1966年までの活動を編集したUS赤盤には独自のミックスを施された曲が点在する。

From Me To You  ステレオのチャンネルがUK盤と左右反対になっている

She Loves You UK盤のステレオ音源に対してUS盤はモノ音源

I Want To Hold Your Hand UK盤のステレオ音源に対してUS盤は擬似ステレオ音源 

Hard Day’s Night UK盤のステレオ音源に対してUS盤はモノ音源

I Feel Fine UK盤のステレオ音源に対してUA盤はリバーブが加えられたモノ音源

Ticket To Ride UK盤のステレオ音源に対してUS盤はモノ音源

Help UKとUSAは同じ音源だがUS盤には冒頭007のイントロがちょっぴり登場

We Can Walk It Out UK盤は1966年のステレオ音源、US盤はモノ音源1965年のステレオ音源を採用

Norwegian Wood UK盤は1966年のステレオ音源、US盤はモノ音源1965年のステレオ音源を採用

Paperback Writer ステレオのチャンネルがUK盤と左右反対になっている

全ての音源がデジタル化しリマスターされた後は一応英米の内容は統一された形にてな事になるが、熱心なビーコレの方々は、旧US盤の赤盤と青盤も収集する羽目に。

聴いてその違いが一発でわかるのはHelpの冒頭にある007のイントロぐらいですかね。

まあどうでもいいような話、お疲れ様でした。

1976年に再発されたキャピトル・レーベルの赤盤。

ビーコレ上級者は当然の如く1973年のUS初回盤(アップル・レーベル)を所持している模様。