CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

20世紀は遠くなりにけり

2021年11月29日 | ROLLING STONES関連

その存在は知っていたものの長きに渡り無き物として脳内変換されていたのだが、一昨日本棚に目を向けたところ、一番下の段にひっそり且つどっしりと佇んでいた本に目が留まる。

講談社の“20世紀全記録”なる1300ページ以上の分厚いハード・カバーの豪華本だ。

当時何を思ったのか、確か昭和62年(1987年)に刊行され発売当初の刊行記念特別価格12,000円で発作的に近所の駅前の書店で買ったような記憶が… 

副題のChronik 1900-1986は20世紀全記録と称するにはちょっと寸足らずの中途半端さは感じるも中身はしっかりした内容で読み応えがある。

これまで仕事が忙しかったせいで、全く手に取らぬまま本棚の肥やしとして埋もれてしまった次第である。

今回目に留まったのもなんかの縁って事で、再び読み始めることに。

このブログはロック関連の記事が多いので、その辺りのネタを探してページをパラパラと。

オォ~、早速興味深い記事発見!

ストーンズ、エド・サリバン・ショーに出演後、番組ホストのエド・サリバンが“彼らは二度とこの番組には戻れないと約束する。”って言ったそうな。

ブリティシュ・インバージョンなるムーブメントが63年頃から起こり始め、数多くのイギリスのビート・バンドがアメリカ上陸。中でもビートルズのアメリカでの大成功は今でも当時の記録フィルムなどで見ることが出来る。

てな事でストーンズも同様にアメリカ・ツアーを行ったものの、当時アメリカでの大ヒット曲がなくビートルズのような成功は収められなかった。

アメリカでの4枚目のシングル、Time On My Sideが全米6位を記録した事から、アメリカで人気のあるTV番組、エド・サリバン・ショーに出演し一気に知名度を上げる作戦で再びアメリカへ。

エド・サリバン・ショーと言えば50から60年代にかけてミュージシャンを含む様々な話題のアーティストなどを世界中から呼び集め紹介する人気番組で、ビートルズはもとより日本からもザ・ピーナッツやブルーコメッツも出ていたみたい。

そして1964年10月25日にエド・サリバン・ショーに出演し、Time On My Sideが収録された2枚目のアルバム、12x5もその頃発売された。

彼らの目論見通り知名度も上がり成功したものの、ストーンズのイメージとしてある不良っぽさとか身だしなみにおけるルーズさ、更にスタジオに入れた若い観客のカナギリ声などにエドは業を煮やした。そして17年もかけて築いてきた格調の高い彼のショーが一夜にしてぶち壊されたと感じたことから、前述の発言と相成った。

ところがヒット曲をバンバン出してアメリカで売れればどうってことはない。

(1965年7月10日の記事、ストーンズ恐るべし)

かくしてストーンズはその後もエド・サリバン・ショーに節目節目で再登場する事に。

ところで21世紀生まれの若い人の中ではストーンズやビートルズって言っても知らない人の方がたぶん多いだろうと思えるし、この本を買った駅前の本屋さんもかなり以前に跡形もなくなってしまった。

20世紀のそんなこんなの記憶も今後どんどん風化していく運命で少々もの哀しさを感じ得る。

でも、そんなの他の人にはどうでもいいって話ですよね...


久々にレコードでも聴いてみたものの、その2

2021年11月28日 | West Coast Rock

1976年はメガ・ヒット・アルバムが豊作の年だった。

昨日のボストンのデビュー・アルバム、イーグルスのGreatest HitsとHotel Carifornia、ピーター・フランプトンのFrampton Comes Aliveにスティービー・ワンダーのSong In The Key Of Lifeなどなど。

そしてボズ・スキャグスのSilk Degreesも忘れてはならない。

デビュー当時はルーツ系ミュージックを追いかけていたものの、コロンビア・レーベルに移籍してからは少々丸くなったのかAOR系に軸足を向ける。

そして当時流行りのソウル、ディスコやロックなどをクロス・オーバーさせ耳触り良く仕上げたのがこのアルバム、Silk Degrees。

本作ではToto結成前のデヴィド・ぺイチ、ジェフ・カーロにデヴィッド・ハンゲートらが演奏に参加している。

それまではボズ・スキャグスのことは全く知らず、後日デュアン・オールマンのアンソロジー・アルバムに収録された13分にも及ぶLoan Me Dimeを聴いて以前の存在を知ることに。

演歌歌っていた人が流行りのシティー・ポップスを歌うぐらいの変わり身でまさか同一位人物だとは... そんな記憶が蘇る。

ところでこのレコードも久々の登場だけど、レコード丸洗いしないの?

もうその手の面倒な儀式はいっさい省略。

レコード鑑賞にシルクの等級なる繊細さなんてもうオジンには無用!

ベルベット・クリーナーで盤面をサッと一拭き、ピチパチ音なんてもう気にしね〜から

いい曲ばっかり。


久々にレコードでも聴いてみたものの

2021年11月27日 | AMERICAN ROCK/POPS

ようやくレコード・プレーヤーが修理を終えて我が家に戻ってきた。

レコード、バンザイ!ってことで景気づけに派手なやつでも。

1976年、ボストンのデビュー・アルバム、Boston(幻想飛行)。

マルチ・プレイヤーのトム・シュルツが全ての楽器を演奏し作成、その上ブラッド・デルプのボーカルをオーバー・ダブしてデモ・テープが完成。

デモ音源がレコード会社から高評価を受け契約に漕ぎ着けたものの、ライブ活動を並行させレコードの販促を図るとのお達しが出たため、急遽メンバーを集め結成となったのがボストン。

新たなメンバーによってアルバムは再録。

完成したアルバムは思いもよらぬ世界的大ヒットによって、それから長きに渡ってマイペースを貫くトムとレコード会社からの圧が対峙する事に相成る。

セカンド・アルバム完成までの2年はまだしも、サードが出るまでにはそれから更に8年。

サード・アルバムからシングル・カットされたAmandaをラジオでふと聴いて、まだやっていたのかって感じた。

天才トムと私のような凡人の時間軸はかなり掛け離れてるって事ですな。

ところで、今回久しぶりに引っ張り出したレコードのため、両面の洗浄・乾燥の儀式を終えた後、帯電防止スプレーを一拭きしベルベット・クリーナで埃をとる。

更にプレーヤの針をクリーナ液で清掃後、プレーヤーに設置した盤にゆっくりと針を降ろし、ほっと一息。

ボストンの新譜を待っているかの如く、この旧譜の一枚の再生に長い~時間が費やされる。

チート疲れたのう〜


CD聴いてみる、その2

2021年11月22日 | BRITISH ROCK

まだレコード・プレーヤー使えないので本日もCDを楽しんでみる。

1971年、ビージーズのメジャー・デビューから数えて7枚目のアルバム、Trafalgar。

Trafalgarと言えばジャケットに描かれている通り、ネルソン提督率いるイギリス艦隊とフランスとスペインからなるナポレオンの連合艦隊が19世紀初頭トラファルガー岬沖で激突した海戦のこと。

海戦で勝利したもののネルソン提督は連合軍の銃弾に倒れる。

(バリーがネルソン提督?)

アルバムは美しいバラードで構成され、シングル・カットされたHow Can You Mend A Broken Herart(傷心の日々)は全米一位を記録。

このアルバムでは、いつもバリーとロビンの影に隠れて少々印象の薄いモーリスではあるが、このアルバムでは2曲を作曲しかつリード・ボーカルをとっているのがいいアクセントになっているのでは…

(It's Just The WayとTrafalgarがモーリスの作品)

派手さは無いけど、しっとりしたイギリスの伝統を感じさせる。

オジンになった今、この辺りがピッタリです。


Made In Japan

2021年11月21日 | JAZZ・FUSION

レコードはPCにダウン・ロードされた音源やCDと比べると再生がそれほど面倒でないのは確か。

長い間再生しないでほったらかしにしていると、カビなど表面位付着した汚れを取り去るため丸洗いしたり、ベルベットのクリーナーをかけてもとれない溝にこびり付いたゴミの場合は秘伝爪楊枝の技で掻き出したりと本当に手間が掛かる。

ただレコードでの音源しか所持していない場合は、レコード・プレイヤーがないととても困る。

さっきレコード収納棚をサーフィンしていると、スパイロ・ジャイラのアルバムに遭遇。

彼らの1982年に出した6枚目のアルバム、Incognitoである。(アルバムの邦題は2曲目のOld San Juanの“遙かなるサン・ファン”を採用。ちなみにIncognitoって秘密のとか、匿名のなどを表す形容詞らしい。)

このアルバム、アメリカでは結構売れてチャート40位に食い込み、Jazz部門では2位だった。

当時よく聴いた記憶があるけどもうあれから40年にもなる。Old San Juanのメロディーは何となく覚えているけど他の曲が思い出せない。

ちょいと聴いてみたいと取り出したものの肝心のプレイヤーが無い! 

それではと、YouTubeでアップされている音源でさわりだけでも...

なるほどこんな感じだったっけと記憶を取り戻すも、プレーヤーが戻ってくるまではレコードとジャケを眺めて暫しの間おあずけだ。

それにしても重量盤でも無いのにキッチリとプレスされていて改めて感心する。日本盤には余程のことが無い限り盤に反りやスクラッチ、窮屈なスピンドル・ホールなどほぼ見受けられない。

現在少数の日本のメーカーが細々とレコードをプレスしているものの、大半は海外プレス。180グラムの重量盤であっても堂々の反りが頻繁に見受けられ、薄いヘヤラインなんて付いてて当たり前って感じ。

流石、Made In Japanだった。

人件費の高騰で数多くのメーカーの製造拠点が日本から海外に移転してしまい、今では何か日本ブランドの商品買っても金額が張らないものは大概Made In 某国。

それは本当に残念に思うし、今からでも遅くないから戻ってきて~と思う今日この頃である。


CDいろいろ聴いてみる

2021年11月20日 | 特になし

最近レコードを聴いていない。

それはプレーヤーを修理に出していて、先週の月曜日に修理依頼でサービス・センターに持っていってもうかれこれ2週間経つのに全く音沙汰無いからだ。

サービス・センターと言ってもそこにマイナーなレコード・プレイヤーの修理担当技師なんていないのだろう。

多分そこから修理専門のワーク・ショップに送り検査し必要なら調整やパーツ交換てな事に。

もし交換のパーツがなければ、パーツ・メーカーからお取り寄せとなる何とも気の長い話になる。

てな事で、ここん所PCにダウン・ロードされている音源もしくはCDを聴いている。

楽ちん楽ちん。

最初は、Faces。1970年の彼らのデビュー・アルバム、First Step。

(米盤ではバンド名がFacesではなく前バンド名だったSmall Facesとなっていて、アメリカではまだ前バンド名の方が馴染みがあるってな理由だったとか。またアルバム・タイトルが初心者向け(First Step)のギター教本をロンが拡げているので、ベック先生への当て付けでは無いかとも…)

Small Facesから看板のスティーブ・マリオットが脱退してバンドの運命や如何に?という事だったが、第一期Jeff Beck Groupのメンバーだったロッド・スチュワートとロン・ウッドが加入してくれてリーダーのロニー・レーンもひと安心。

バンド・メンバーの個性がそれぞれうまく出ていて力強くまたバラエティーに富んでいてなかなかのものでした。

Jeff Beck Groupではベック先生からのお達しでベースを不満ながらに弾いていたロン・ウッドもここでは大爆発。カントリー・ブルース系のアコースティック・スライドをギンギンに弾きまくっている。

聴き応えはあるけど、このアルバム売れなかったな~

お次はロビン・トロワーの1973年のソロデビューアルバム、Twice Removed From Yesterday。

プロコル・ハルムを脱退し、多少ジミ・ヘンの影響を受けていると感じるけど、結構自身のやりたい様にこれまたガンガンとギターを弾きまくっているのが印象的。

ただこのアルバムも売れなかったな~

三番目はソウル系という事で、ロバータ・フラックの1981年のベスト盤。

いい曲ばっかり入っている。

手持ちのCDは1986年のCD化された再発盤で、ちょっと音圧低めなのが残念ですかね。

最後は、ロバータ・フラック絡みで、ダニー・ハザウェイの1972年のLIve。

バックには、ギターにコーネル・デュプリーやフィル・アップチャーチ、ベースにはウイリー・ウィークスそしてドラムスはEW&Fのフレッド・ホワイトの名手らを起用し、更に小さい箱でのライブなので臨場感抜群。

いい仕事してます。

もうレコードで聴くのは結構面倒くさいな〜と感じる今日この頃。


エッジの効いた朗読

2021年11月16日 | PROG ROCK

私にとってRock N Roll黄金時代といえば60年代後半から70年代前半辺りですかね。

ステレオを買ってもらい洋楽にちょうどハマった頃で、シンプルなビート・バンドから、サイケ、ルーツ、ハードそしてプログレあたりに興味を示し、音楽雑誌に贔屓のバンドが新譜を出すってな広告を見つけると次はどの様なロックを聴かせてくれるのだろうと考えるたびに居ても立っても居られない感じの期待感があった。

その当時20代だったバンド・メンバー達もいつしか後期高齢者の世代となる。

同様に歳を積み重ねた私も新米オジンのステイタスが与えられ時々物忘れもあり、またかっての様に自由に飛び跳ねれた体力も消失してしまい仕方がないとはいえ少々寂しい気分となる今日この頃。

そんな時、本日ムーディー・ブルースのメンバー、Greame Edgeがつい先日鬼籍に入られたという悲しいニュースを知った。

歳をとれば誰しも避けられない訳であるが、若い頃思い入れが強かったバンドのメンバーが亡くなるとオジンの身にはこたえるね。

Greame Edgeと言えばムーディー・ブルースの設立メンバーの一人でデニー・レインらが在籍したR&B時代からドラムを叩いていた。

第二期になってバンドがプログレ系に変遷してからは、メロディーをバックに彼の詩が非常に格調高く朗読され、尖っていた時代のムーディー・ブルースの象徴的な存在だった。

アルバム、Days Of Future Passedの1曲目のThe Day Beginsに挿入されたMorning Gloryと最後の曲Nights In White Satinを締める朗読Late Lament。後者の朗読はより寂寥感を効果的に味わせる。

2枚目のアルバム、In Search Of The Lost Chordでは一曲目のDepartureという朗読の終盤で狂人の発する様な笑いに変わり、それに被さってRide My See-Sawが始まるアレンジがなんともいえない。更にThe Wordの朗読が失われたコード、OMに繋がるところも驚かせる。

また3枚目のアルバム、On The Threshold Of A DreamでもIn The BeginningとThe Dreamの2曲の詩がアルバムの重要なコンセプトに関わっている。

極め付けは、4枚目のTo Our Children’s Children’s ChildrenでのHigher And Higherではないだろうか?サターン・ロケットに搭載されたアポロ宇宙船に搭乗しあたかも宇宙に向かう様な高揚感に包まれるし、Greameのドラムスもその気持ちを鼓舞するよう叩きまくる。

Greameにとっては新しいDeaprtureかも、だけど残された人たちはLate Lamentって気分ですかね。

合掌。


You Too?

2021年11月15日 | BRITISH ROCK

1998年に出たアイルランド出身のU2のコンピ・アルバム、The Best Of 1980-1990。

日本でも結構売れたようで。

ほぼモノクロームの写真で統一されたそれまでの彼らのアルバム・ジャケから、なんとなく哀愁に満ちた翳りを感じさせられ、それは彼らの演奏でも同じ様な印象を受ける。

アメリカのロック・バンドが放つ陽気さは感じられず、すなわちヨーロッパ系のバンド持つ匂いがプンプン。アップ・テンポの曲でもアメリカのバンドのそれは一味違う。

 

1978年

1983年

1988年

約束の地、アメリカで成功を手にするため数多くのミュージシャンが海を越えてやってきたが、ビートルズ、ストーンズそれにピンク・フロイドを除けば国民性もあってなかなか難しい。

アイルランド出身のロック系ミュージシャンといえば、個人的にはヴァン・モリソン、シン・リジー、ロリー・ギャラガーにブームタウン・ラッツ辺りが思い浮かぶが、健闘はしたもののいずれもアメリカでは成功には至らなかった。

U2の場合日本はともかくアメリカで大成功を収めたのには当時非常に驚いた次第で….

ちょっと! 誰かお忘れじゃないですか? 私も出だしの数年は彼の地で結構受けてましたけどね。

オォ~ オザリバンさんじゃありませんか。 

U2! じゃなかったYou Too!ですね。


あの頃

2021年11月12日 | JAPANESE

このCDを買ってから30年程経つ。

あの頃ってちょうどバブル景気真っ盛りでみなさん浮かれていた様な。

そんな1990年に出た浜田省吾のアルバム、誰がために鐘は鳴る。

(ヘミングウェイの小説、誰がために鐘は鳴るって英語ではFor Whom The Bell Tolls。勉強になります。)

当時は海外在住でいつも洋楽ばっかり聴いていて、ちょっと日本が恋しくなってたまには和物って感じで日本に一時帰国したとき買ってみた。

車を運転している時によく聴いたね。

この人の音楽的な嗜好は多分アメリカのウエスト・コースト系サウンドなので、洋楽好きの私には結構馴染んだ。

ただオマージュなのかどうかは分からないけど、ちょいとメロディー拝借って感じでどこかで聴いた事のあるフレーズがチラホラと。

顕著なのは、

3曲目の“少年の心”ではイーグルスの”ならず者”

7曲目の”夜は優し”ではリンダ・ロンシュタットが1978年のアルバム、Living In The USAに収録されたOoh Ooh Baby Baby ♪〜 にくりそっ!

そして9曲目の”太陽の下へ”では1978年レオ・セイヤーが歌っていたI Can't Stop Loving You(Though I Try)のコーラス・パートによく似たフレーズが…

これらがなきゃ夜もぐっすり眠れたのに...

でももう30年も前の古いお話、いつまでも細かいことが気になる右京さんでもないか。

それでは皆様、ご一緒に!

Ooh Ooh Kiss Me Baby ♪〜 Ooh Ooh Touch Me Baby ♪〜

まだ気にしてるやないかい〜!


5人だった頃

2021年11月11日 | BRITISH ROCK

ビージーズが英国に移住してメジャー・デビューを果たしてからの3枚目のアルバムがこれ、1968年のIdea。

(UK盤、サイドー1の6曲目にはSuch A Shameが収録)

(USA盤、サイドー1の6曲目にはI’ve Gotta Get A Message To YouがSuch A Shameの代わりに収録。CD化された時にはI’ve Gotta Get A Message To YouとSuch A Shameの両方が収録された。)

まだまだ初々しさも残るもののアルバム制作を重ねるごとにアレンジも洗練され、またシングル・カットされたI’ve Gotta Get A Message To You(獄中の手紙) やI Started A Joke(ジョーク)などもヒットした。

5人組バンドとして1967年にスタートしたが、ギターのヴィンス・メロニーはこの次のアルバム、Odessa制作後バンドから脱退、ドラムのコリン・ピーターセンもその一年後解雇された。

一時期ロビンがバンドから離れていた時期もあったが、この後はビージーズは3兄弟体制で進んでいくことに。

3兄弟体制の頃となると、アレンジを作り込み過ぎてことで少々オーバー・プロデュース気味だった事も見受けられた。

シングル・ヒットは出すもののアルバム自体は少しまとまりに欠ける印象もあり、不調の時期が続いた。

そこで心機一転ディスコ・ブームに乗っかって、まさかの大躍進を遂げる。

まあディスコもいいけど、やっぱりシンプルな5人組の初期のビージーズのバンド・サウンドも捨てがたい。

今聴けば古風なアレンジに感じるかもしれないけど、私のようなオジンには丁度いい感じ。

拙い発音ながらも一緒に歌えるのが尚よろし~ Stayin' Aliveなんて絶対無理!


癒し系

2021年11月10日 | SSW

Danny O’Keefeて知ってる?

いや知らないね。

でもこの曲を聴けば、ああどこかで聴いた事あるかな….

Good Time Charlie’s Got The Blues〜♪

ロッキー山脈の東側に位置するワシントン州はスポーケン出身のシンガー・ソング・ライター。

ジャクソン・ブラウン、プレスリー、ジョン・デンバー、ダニー・ハザウェイらによってカバーされた曲も数多く、彼の地ではそこそこ知られた存在かな?

本日は1970年3枚目のアルバム、O’Keefe。

(ロッキーをバックにポーズ。田舎のおっさん丸出し!)

ジャクソン・ブラウンがカバーしたThe Rose、ヒット曲Good Time Charlie’sにハンク・ウイリアムスのカバー、Honnky Tonkin’なんかも収録されていて、全体的には地味ながらもこの手のルーツ系にはいつも癒される私である。

お酒をチビチビ飲りながら、バック・グラウンドで流せば至福のひと時。


江戸川?

2021年11月09日 | PROG ROCK

今や江戸川?と聞けばコナンって感じで、若い時に読んだ怪奇・推理小説作家の江戸川乱歩なんて誰もすぐに思い起こさない。

更にEdgar Allan Poeなんて反対に江戸川乱歩を捩った存在って間違った認識をしてしもうかも。

そんな時はこれを聴け!

ピンク・フロイドの香りがそこはかとなく漂い、オープニングのA Dream Within A Dreamなんてマイク・オールドフィールドの影も感じさせるアラン・パーソンズ・プロジェクトの1976年のデビュー・アルバム、Tales Of Mystery And Imagination Of Edgar Allan Poe。

(若き日のエリック・ウルフソンとアラン・パーソン)

プログレ・ロックのジャンルに組み入れられているものの決して尖った作風ではなく映画のサントラの雰囲気もあってリラックスして聴ける。

元祖はやっぱり1809年マサチューセッツはボストン生まれのEdgar Allan Poe。

実は彼はアメリカ人、少年の頃英国に渡ったもののまたアメリカに戻り作家となる。

へ~そうなの。英国人だと言うイメージ長い間持ってたけど….

ところでコナンの服部平次、無理矢理感のある関西弁、奴は絶対関西人じゃないね! キリッ。

見えていたりそれらしき事の全てって夢の中の夢の出来事さ。

なぬ〜! それじゃ今シコシコブログの記事をアップしてるってのも夢の中のことなの?


シカゴの転身

2021年11月08日 | Chicago

本日はシカゴの1978年のアルバムHot Streets。

ギターのテリーが自殺か事故だったかは分からぬが、ロシアン・ルーレットなる死亡遊戯で1978年の1月に死亡。スティーブン・スティルスのバンドでギターを弾いていたドニー・デューカスが加入。

プロデューサーはジェームス・ガルシオから、ビリー・ジョエルやポール・サイモンのヒット・アルバムを手がけたフィル・ラモーンを起用。

かっての攻撃的なホーンも影をひそめサウンドはAOR系に。

更に歌詞も70年代初期ごろの政治的なものは見当たらない。

時代と共にシカゴも生まれ変わる。

Alive Againでも聴いてオイラも生まれ変わろうじゃないの!

オジンはもう無理だってば!

 


レイの転進?

2021年11月07日 | BRITISH ROCK

いつまでそんなことやってんの!

皮肉っぽくてシャレっ気たっぷりってのは確かに面白おかしいけど、売れなきゃシャレにならないし食っていけない。

原点回帰とまではいかないけど、少なくともかっての様に一般大衆に受けなきゃね。

RCA時代の見方によれば悪い癖だったコンセプトを重視したマニアックな芸風はこれでおしまい。

てな事で、The Kinksは心機一転、アリスタ・レーベルを移籍することに。

クライブ・デイビス率いるアリスタに移籍って事から、ポップな売れ筋路線に方向展開するとは思っていた。

まさしくその通りで、1977年に出た通算16枚目のスタジオ・アルバムでアリスタ・デビュー・アルバム、Sleepwakerは耳に馴染みやすいポップでロック・テイストの曲が中心となった。

(1980年の再発日本盤)

とは言え、バンド・リーダーのレイ・デイヴィスのシニカルな歌詞は健在。

例えばJuke Box Musicでは;

女の子がお好みの曲をジューク・ボックスで熱心に聴き込む。

レイは感情移入しようって思ってもお薦めしないねと突き放す。

だってそれって単なるジューク・ボックス・ミュージック、歌詞なんて意味ないし、ビートに合わせて他の女の子の様にただ踊れば良いだけ。

つまりそれってRCA時代のコンセプト・アルバムもただの彼の個人的なシャレっ気によるもので、さほどの意味はなく深く考える必要はないって言ってるのかな?

なるへそ、レイの本質は昔から何も変わっちゃいないって事ですかね。


バーズ最終形

2021年11月06日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

グラム・パーソンが加入し、1968年元祖カントリー・ロックなるアルバム、Sweet Heart Of The Rodeoで新境地を見せたものの、アルバム制作後すぐにグラムとクリス・ヒルマンはバンドから脱退し新バンド、フライング・ブリトー・ブラザースを結成。

ロジャー・マッギン一人残ったバーズは新規メンバーを集め4人組で再スタート。

その後ベーシストが脱退しスキップ・バッティンが新規加入しバーズ最終形が出来上がる。

ジーン・クラークやデビッド・クロスビーら中心メンバーがいた初期の頃より地味に感じるかも知れないが、バンドとしては一番まとまっていた時期で積極的にツアーも行い実力を蓄えた。

そして1970年に出たアルバムが、Untitled(タイトルのないアルバム)を発表。

2枚組からなるアルバムで、サイド1と2がライブ録音、そしてサイド3と4はスタジオ・テイクの新曲を収録。

一番の注目はやっぱり一曲でLP片面全部を使った長尺のエイト・マイルズ・ハイだろう。

2本のギターが絡み合うインプロヴィゼーションが冴え渡り、また溌剌としたドラムスとベースのリズム・セクションも見逃せないあっという間の16分。

それから、アルバム最後の曲、Well Come Back Homeでは仏教の某宗派のマントラが唱えられ日本人にとっては中々のインパクトあり。

ミスター・タンブリン・マンだけじゃ無いバーズの凄さがわかった。

左から、クラレンス・ホワイト(G)、スキップ・バッティン(B)、ロジャー・マッギン(G)そしてジーン・パーソン(Dr)