CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

やっぱりこれだね。ドゥービーは…

2024年02月29日 | AMERICAN ROCK/POPS

体調不良でリーダーのトム・ジョンストンが抜けたドゥービー・ブラザーズ。当初ライブでのサポートとして加入していたマイケル・マクドナルドが正式メンバーとなり頭角を表し始めた。

後のアルバム、Munute By Miniuteが全米1位に、またシングル・カットされたWhat A Fool Beleivesはグラミー賞に輝く大ヒットとバンドの成功に大きく貢献した。

バンドの都会系AOR路線は大いに受けたのだが、初期からのファンとしては彼らのベスト・アルバムには1975年の5枚目のスタジオ・アルバム、Stampedeを個人的には押したい。

ジョン・ハートマンとキース・ヌードセンのダブル・ドラムに、新たに元スティーリー・ダンのジェフ・バクスターが加わったことによる3本のギターでサウンドにより厚みが加わった。

作風はトムの歌ういつもの軽快なロック・ナンバーに始まりパトリック・シモンズのちょっぴり異色なアコギによるブルース、I Cheat The Hangmanなんかが絡みバランスがよく取れている。

 


ほぼフィリップのワンマン・バンドと化したセカンド・アルバム 

2024年02月28日 | PROG ROCK

久々に1970年のキング・クリムゾンの2枚目のスタジオ・アルバム、In The Wake Of Poseidonでも。

(ほぼフィリップのワンマン・バンドって感じですね。)

メンバーの出入りの非常に激しいバンドで、イアン・マクドナルド、グレッグ・レイクとマイケル・ジャイルズらが本作の制作前にバンドから脱退することを決断。

急遽サポート・メンバーを手配するもドラムスの手が足りずマイケルが呼び戻されレコーディングに参加、またグレッグも何故か1曲を除いてボーカルの収録には参加していた模様で、ベースのビーター・ジャイルズ、管楽器のメル・コリンズにボーカル(1曲だけ)にはゴードン・ハスケルの参加によって何とかアルバムの完成に漕ぎ着けることに。ちなみに前作ではイアン・マクドナルドが弾いていたメロトロンを本作ではロバート・フィリップの弾くことに。

ほぼワンマン・バンド。

ちなみに荘厳なイメージを構築するメロトロン。特にオイラの様な世代はメロトロンの音色に真っ先にやられちゃうね。


フォーク・ロック期のビー・ジーズ

2024年02月27日 | BRITISH ROCK

ビー・ジーズと言えばやっぱり芸風を変化させたディスコ全盛だった頃が一番売れたのだけれど、個人的にはデビューからのフォーク・ロック期が年寄りのオイラには一番馴染む。

その辺りをサラッとおさらいするにはベスト物が一番。彼らの数多く出されているベスト物の中でフォーク・ロック期であるならば、1969年のBest Of Bee Geesと1973年のVol.2の2枚があれば事足りる。

本日はそのVol.2を久々に聴いてみる。

(1987年の西ドイツ・プレスのCDで聴いてみる。日本ではレコードは出たもののCD化は長い間見送られた。ネットのサイトでは2008年にワーナーから初CD化されたと記載されているが個人的には現物を見たことがないのだが...)

ちなみにこのアルバムには基本的に1970年のCucumber Castleから1972年のTo Whom May It Concern迄に出たアルバム(ロビンのソロ・アルバムとサントラ、Melodyを含む)及びシングルからの11曲と前回のベスト盤から漏れた初期の3曲、計14曲が収録されている。

この時期は少々マンネリ化したと捉えられたのか、またロビンのバンドから一時期脱退の影響もあったのかデビュー当時と比べると人気も少々下降気味だった。

しかしながらこのアルバムに収録された個々の曲はいつまで経っても瑞々しく聴こえる名曲ばかり。


遥かなる未来から覗いてみると

2024年02月26日 | BRITISH ROCK

ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)は1980年のサントラ、Xanaduを挟んで1979年のアルバム、Discovery以来のオリジナル・アルバム、Timeを1981年に出した。

その内容は1981年からタイム・トラベルをしてたどり着いた世界が21世紀末の2095年。そして主人公が遥か未来から1981年の時代を振り返り当時のGood Old Daysを懐かしむと言う過去と未来の時の繋がりをコンセプトにしたトータル・アルバムとなっている。

アルバム、Discoveryの制作からストリング・セクションをバンドから外すことによって更なるポップ度を追求し、それぞれの曲の出来は前作や前々作と比べても引けは取らない。

ただ80年代の幕開けの1981年ともなるとリスナーも新たな刺激のあるサウンドを求め少々食傷気味に感じたのかもしれない。全英はチャートは見事1位を獲得したもののアメリカでは16位と前作よりチャートの順位を落とす残念な結果に。

それから43年経った今改めてこのアルバムを聴いてみると、2095年の世界はまだまだ遥か先の未来ではあるが1981年当時と比べると今時21世紀末の未来に期待を持つ人はかなり少なくなっているのでは... と言うよりは時が進むにつれて状況はさらに悪くなっていってるのでは?と思わせる様な...

むむ〜、確かに....

それでも悲観するだけでは何も生まれないと、このアルバムの締めでジェフ・リンがHold on tight to your dream~と勇気づける様に歌う。

そうすればきっと明るい未来が待っているのかも。


バーズ再来か?

2024年02月25日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

1978年、ロジャー・マッギン、ジーン・クラークにクリス・ヒルマンが揃ってトリオを結成。バーズ再結成かと思いきやバンド名はシンプルにマッギン・クラーク・アンド・ヒルマンに落ち着いた。

翌年のファースト・アルバムは全米39位と中ヒットとバーズの御威光はまだまだ健在。

そしてセカンド・アルバムでさらなる飛躍が期待されたものの、ジーン・クラークのアルコール依存とドラッグ中毒がひどくなってライブ活動が維持出来なくなってしまった。

ジーンはセカンド・アルバムに自作曲を2曲を提供したものの、レコーディングできる体調ではなくなり準メンバーに格下げとなった形で1980年にセカンド・アルバム、Cityを残るメンバーでなんとか完成させた。

(バンド名はMcGuinn, Hillman Featuring Clarkとなった。)

またプロデューサーのアルバート兄弟とアルバム制作の方向性が噛み合わなくなってきたこともあって、不完全燃焼となりチャートも136位と大幅に後退することに。

80年代ともなるとやっぱりこの手のフォーク・ロックは時代遅れと言うか刺激が足りないと捉えられたのかもしれないね。

オイラの耳には当時懐かしのフォーク・ロックって感じで悪くないと思ったし、今聴いてもその印象は変わらないのだが....

 


ムーグ登場

2024年02月24日 | BEATLES-BADFINGER関連

1968年、ホワイト・アルバムのレコーディング終了後、アップルのアーティストだったジャッキー・ロマックスのレコーディングのプロデュースをするためロスのスタジオに飛んだジョージ・ハリスン。

ビートルズは4トラックの時代から色々レコーディングに工夫を施しまたメロトロンなどの新しい楽器も早い段階で取り入れてきた。中でも探究心旺盛なジョージはロスのスタジオで興味を持ったのが開発されたばかりのムーグ・シンセサイザーで、ちょうどサイケデリック・ロックが流行り出しバーズやドアーズなどが使い始めた頃だった。

ジョージは早速購入しイギリスのスタジオにセッティングを依頼。

そして翌年にシンセを使ったジョージのソロ・アルバム、Electronic Soundがザップル・レーベルから発売されたのだった。

(ポールも興味津々)

片面それぞれに長尺曲が1曲づつ収録されたアルバムで、ムーグの試し弾きと言った感のある実験的な作品で、初めの数分聴いたところで“ナヌ~、これ?”ってギブ・アップしてしまう内容ではあるが、このステップを踏んだことによってビートルズの最後のアルバム、Abbey Roadにおける音源制作に新たな味わいが加わることに。

ムーグなしにはHere Comes SunやBecauseでのあの独特な浮遊感は味わえなかったと思う。


今だにバリバリの現役

2024年02月22日 | CSN&Y

1973年にレコーディングされたニール・ヤングのアルバム、Tonight’s The Nightがレコード会社よりダメ出しを喰らい発売中止に。

ニールによると確かにマスターピースと呼ばれる出来ではなかったものの、その当時の彼の心境を忠実に切り取ったものとして発売の価値はあると考えていた。もちろんレコード会社としては1972年のニールの代名詞とも呼ばれた大ヒット・アルバム、Harvestの次に来るスタジオ・アルバムとしては暗く重たいその出来にニールのそれまで築いてきたイメージに適さないと考え決断を下したと思える。(ちなみにスタジオ・アルバム、Tonight’s The Nightは再録および再編集を経て1975年に発売された。)

ニールとしては自信を持って制作したアルバムってことで、発売されずともTonight’s The Night Tour 1973と銘打ってライブ活動を展開。

同年の9月にLAのロキシー・シアターで公演での録音テープが50年近い年月を経てついに日の目をみることに。それが2018年にアーカイブ・シリーズとして出たライブ盤、Roxy, Tonight’s The Night Live。

(ジャケは2020年のアーカイブ ボーリューム2のボックス・セットのもの。この盤にはThe Losing Endがボートラとして付いてくる。)

バックにはお馴染みのベン・キース、ニルス・ロフグレン、ビリー・タルボットとラルフ・モリーナからなるSanta Monica Flyerがシンプルではあるがしっかりとしたロック・サウンドでニールをサポート。

長年のファンとしては嬉しいわけだが、新作以外にアーカイブ・シリーズと銘打った未発表音源も今だにガンガン出してくるのでこのペースにはオイラも流石に付いていけないのが現状です。


裁判は不毛?

2024年02月21日 | CCR and John Fogerty

ここ最近、有名人の名誉毀損とかで裁判することが話題になっている。当事者同士で白黒をつけるのは必要なのかもしれないけれど、判決の出るまで時間もお金のかかるし、せっかく判決が出たのにそれを不服と上訴すればさらなる年月を費やすことに…

本日は1975年のセルフ・タイトル・アルバム、John Fogerty 以来、1976年の未発表アルバム、Hoodooを挟んで長いインタバルを経て1985年に登場したソロ・アルバム、Cernterfieldでも。

CCR解散後、不当に扱われたCCR時代の旧マネジメントに対しての訴訟に明け暮れたジョン・フォガティ。中々音楽の制作に身が入らずなんと10年ぶりのオリジナル・アルバムとなった次第。

ニュー・エイジ・ロックが台頭した80年代になってCCRの再来とも言えるこの手のサウンドに飢えていたリスナーが多かったのか全米1位の大ヒット作となる。

ただここでCCR時代の旧マネジメントに対してかなり皮肉を込めた曲が収録されていたことから再び新たな訴訟問題に発展し、翌年にアルバム、Eye Of The Zombieを出した後、ジョンは再び長い眠りにつくことに。

せっかくの溢れる才能を長きに渡って押し留めたのは本当に勿体なかったね。


XTCを感じ取るには

2024年02月20日 | BRITISH ROCK

本日は1986年のXTCの8枚目のオリジナル・アルバム、Skylarkingでも。

トッド・ラングレンにプロデュースを頼んだものの、サウンド面にそれぞれ一家言あるトッドとアンディー・パートリッジのぶつかり合いによって思った様に制作が捗らなかった様だが、その裏側を知らぬ第三者のリスナーとしては彼ららしいポップさを持った好アルバムに仕上がったのではないかと思う。

とは言え、AMラジオでオン・エヤーされて大ヒットに繋がる様なポップさとは無縁の作風であるからしてその良さを理解するには何度もの聴き込みが不可欠。

恥ずかしながら、まだこのアルバムからEcstacyを感じ取るにはさらなる時間を要するオイラである。


日本で大ヒット

2024年02月19日 | URIAH HEEP

洋楽のアルバムで欧米で大ウケしたのに何故か日本ではダメで、反対に欧米ではそれほどでもなかったのに日本で人気が出るケースもしばしば見受ける。

本日は1971年、ユーライア・ヒープも3枚目のオリジナル・アルバム、Look At Yourself(対自核)でも。

(US盤のジャケの目や鏡のデザインはUK・日本盤とは異なる。)

シングル・カットされヒットしたLook At Yourtselfを始め長尺曲のJuly Morningも印象に残る聴き応えのある作品となり、全英39位・全米93位と初めてチャート100位以内に進出しようやく注目を集める存在に。

更にわが国、日本ではレコード会社による邦題のネーミングなど攻めたマーケティングが功を奏したのか、オリコン5位を獲得しユーライア・ヒープのチャート最上位のアルバムとして知られている。

個人的には、July Morningのしっとり感が日本人リスナーの琴線に触れたのかも?って思うのだが....

 


ジャズへの誘い

2024年02月18日 | JAZZ・FUSION

本日はキース・ジャレットでも。

まだマイルス・バンドのメンバーに抜擢される前のそれほど有名でない時代のキースが1968年8月、ロス・アンジェルスに於いてアメリカ人、チャーリー・ヘイデン(ベース)とポール・モチアン(ドラムス)を加えたトリオでのライブ・レコーディングの模様を収録。

その翌年、アルバム・タイトル、Somewhere Beforeとして発売された。

ジャズ・トウシロであるオイラがこのアルバムを手にいれたのは、やっぱりディランのMy Back Pagesをカバーしていたからですね。

一聴して、ディランのワルツ調の弾き語りではなく、キースのピアノが奏でるメロディー重視のカバー・スタイルをいたく気に入った次第でありまして…


夏草の誘い

2024年02月16日 | West Coast Rock

ジョニ・ミッチェルの1975年の7枚目のスタジオ・アルバム、The Hissing Of Summer Lawnsは音楽、歌詞そしてジャケのアートなどが一体化し彼女らしさを持ってプログレッシブに攻めた作品ですかね。

(大蛇を捕獲した原住民達が夏草茂る野原を一列に進み、遠く見えるは郊外の住宅地、さらなる彼方にはスカイスクレーパーが林立する大都会と同じステージにそれぞれが溶け合った風景が広がる)

フォーク、ロック、ジャズにアフリカン・ビートなどがクロスオーバーして多彩な味わいがある。アルバムは全米4位に輝きまた識者の評価もかなり高い。

とは言え、AMラジオでオン・エヤーされヒットする、すなわち大衆に迎合する様なポップさはかなり控えめでオイラみたいな一見さんには結構とっつきにくい。

こんな時は一歩引いてあまり入れ込まずにバック・グラウンドでサラッと流して聴くのがいいかも。

ジョニさんも肩の力を抜いてリラックスして泳いでいます。


濃縮されたシカゴ

2024年02月15日 | Euro Pop

バンド初の全米1位に輝いたアルバムが1972年のChicago V。

シングル・カットされたSaturday In The ParkやDialogue Part-I/IIもキャッチーな仕上がりでそれぞれヒットしアルバムの売り上げに大貢献した。

過去3枚のスタジオ・アルバムが全てダブル・アルバムとして制作され時に冗長と感じられる部分もあったが、今回は過去の組曲仕立ての作風を出来るだけ排し収録時間を大幅に短縮させた事で初のシングル・アルバムとして登場。

この手法でシカゴというバンドのエッセンスを凝縮させ、その結果より引き締まったアルバムの完成となった。


枯葉よ~をバックにガンプラ!

2024年02月14日 | 特になし

トリオはトリオでもガンプラ・トリオ!

小学生の頃、プラモ制作にハマっていた。小遣い握りしめて今はほぼ絶滅した街の模型屋さんよく通ったものだ。

下手くそではあったが真冬にも関わらず窓を全開にして筆塗りでラッカー塗装にも励んだ。

中学生になった頃には部活や他の事に時間を取られいつしかプラモ制作から離れていく事に....

長い年月が過ぎ去り、子供ができると親と同じ道を辿るのか何かを組み立てる事に興味が湧くのかプラモを作り始める事に。

とは言えオイラの時代はミリタリー物の制作だったが今はガンプラ。量販家電店の中にホビーショップが併設されていてガンプラのキットが山積みに。

さらに長い年月が過ぎ去った先日、子供が幼少期に組み立てたガンプラにたまたま目が止まり、昔を思い出し組み立てられたキットに少しばかり手を入れてみる事に。

バリ取りをして軽くヤスリがけ、さらに汚しや墨入れをササっと施し、また可動部のジョイントが緩くなった箇所にはマニア御用達の仕上げ用ニスを塗布して仮固定し、そして仕上げには艶消塗装のスプレーで完成!

(AsiaのAstraのジャケをバックにガンプラ3兄弟、左からズゴック、ドムにザク・ファントムの揃い踏み)

なかなかの出来栄え!

枯葉よ~バックにたまにはプラモ工作で暇つぶしも悪くない。


Rock に飽きれば枯葉よ~

2024年02月13日 | JAZZ・FUSION

ロックに飽きれば暫し休息、1959年のビル・エバンス・トリオのPortrait In Jazzでも。

トリオとしてビル・エバンスのピアノ、スコット・ラファロのベースとポール・モチアンのドラムスがそれぞれが程よく絡み合いバランスよく主張していく。

ジャズのイメージって言えばやっぱりこれですかね。