CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

瑣末なお話、お風呂場のビートルズって…

2019年08月31日 | BEATLES-BADFINGER関連

助手:博士〜! 一体どこに行ってたんですか? 

博士:貧乏暇なしじゃよ。細々したことに関わっておるとあっという間に一週間が過ぎてしまったわい。 

助手:ただでさえ出番がグッと少なくなってきたのに、そんなにトロトロしていると忘れられちゃいますよ〜 

博士:すまんのう〜  

助手:ところで2013年に出た、キャピトル編集盤をCD化したボックス・セット、The U.S. Albumの中のThe Beatles Second Albumなるものを久々に聴いてみたんですが、ふと疑問に思えたことがあって…

 

博士:このボックス・セットはキャピトル編集盤と言っても、実際のところ60年代当時のキャピトル編集盤のミックスを全て使っている訳ではなく、かなり特徴のあるRemix音源を除けば、2009年に英EMIが主導して作られたRemaster音源に置き換えられたのじゃよ。

各復刻CDには、Hey Judeのアルバムを除けばモノ音源とステレオ音源の両方が収録されていて聴き比べが出来るのじゃが、大半が2009年のRemaster音源に置き換えられている観点からすれば、聴き比べはそれほど意味のあることとは思えない気がしてのう〜

助手:なるほど、このボックス・セットの価値って、音源よりもむしろキャピトル編集時代のジャケのミニチュア・サイズでの復刻を楽しむことにかなり重きが置かれているって事ですね。

(オリジナルLPのデザインに準拠)  

博士:そんなところじゃ。

助手:疑問に思ったのは、The Beatles Second Albumのモノ音源からステレオ音源まで通しで聴いて、ステレオ・ミックスと表記があるのに音源として収録されていた最後の2曲、I’ll Get YouとShe Loves Youはモノ音源に差し替えられているのに気がついたのです。

(2曲はモノ・レコーディングとなっている) 

博士:それはじゃな、 She Loves YouとShe Loves YouのシングルB面のI’ll Get Youには正式なステレオ・ミックスが存在しなかったので、この2曲に関しては仕方なしにモノ音源が使われているのじゃ。 

助手:しかし、オリジナルのレコードや2004年に出たボックス・セット、The Capitol Albums Vol.1のステレオ編集盤には、疑似ステレオ・ミックスによるI’ll Get YouとShe Loves Youをアメリカ独自に作成し収録されていますが…

(悪名高きコーピー・コントロールCDで当時定価1万円とはボッタクリ以外の何物でもない!)

(紙ジャケもオリジナルに正確に準拠していない手抜き!) 

博士:当時、アメリカ・マーケットでは2チャンネル・ステレオという新しい規格を早く定着させよういう考えだったからのう。

疑似ステレオ(Duophonic)、すなわち左右から出てくるモノ音源に異なったフィルターやディレイなどを加えて音の定位を調整し、2台のスピーカーの出力でなんとか立体感を出そうと試みたのじゃった。 

助手:なるほど。 

博士: ところで、She Loves Youには別の疑似ステレオ・ミックスがある事を知っておるかの〜? 1966年にイギリス編集で発売されたコンピ・アルバム、A Collection Of Beatles Oldiesに収録されたバージョンで、ステレオ盤のA Collection Of Beatles Oldiesを制作するため、ステレオ・マスターのない曲はモノ音源から疑似ステレオ・バージョンを作成したのじゃ。

(廃盤のため、中古レコードかロシア製?のブート紙ジャケCDでしかお目にかかれなくなった)

 

左チャンネルには高域をカットしたモノ音源、 右チャンネルには低域をカットしたモノ音源を配置し独自にミックスしたらしい… 

助手:甲高いビートルズの歌声は斜め右から、低域を含む演奏は斜め左から聴こえてきますね〜 

博士:しかしA Collection Of Beatles Oldiesは廃盤となり、この英編集のステレオ音源も今や存在しなくなった。

それにCD化の際ビートルズの曲を一括管理するため、 The U.S. Albumの発売を機に60年代の米編集の疑似ステレオなどのミックスは邪道とだと考え、一部の例外を除いて今後正規盤には収録されない措置がとられたのじゃよ。 

助手:現在はShe Loves Youは全てモノ・ミックスで統一されたって事ですか? 

博士:その通りじゃ。ただ専門家の話によると、モノ音源もリマスターのされる毎に微細ではあるが音源が修正加工された事から、いくつものモノ・ミックスの別バージョンが存在するらしいのう〜 

それはさておき、 The Beatles Second Albumのステレオ・ミックスには全体にリバーブ(残響音効果)が施され、あたかも風呂場での歌唱したような反響音があり、ワシとしてはこれはこれでなかなか趣があるように感じたのじゃがのう….

知っている人は知ってるし、また知らなかったとしても何お得にもならない瑣末な事。

貧乏暇有りのお話でした。

 

 

 

 

 

 


70年代のビーチ・ボーイズの私的イメージってやっぱりこれですかね。

2019年08月24日 | West Coast Rock

来年の今頃は東京オリンピックが開催されている。

オリンピックがやってくるといつもこのジャケを自動的に思い起こす。 

ビーチ・ボーイズの1976年のスタジオ・アルバム、15 Big Onesの事。

オリジナルのメンバー5人が笑顔で五つの輪の中にそれぞれが収まっている。 

当時、リーダーのブライアンは、色々な理由が重なって精神的に疲弊をきたし、レコーディングにはちょっぴり参加するもののツアーとなるといつも欠席。 

その彼が、リハビリを経てなんとか立ち直りブライアン・カムバック〜とバンド設立15周年言う宣伝文句で売り出されたもの。 

内容は、約半分の曲がカバーとそれまでオリジナルを中心にアルバムを制作してきた彼らにとっては珍しいアルバム。 

カバーの選曲は60年代のチャック・ベリー、キャロル・キングにフィル・スペクターらのオールディーズの作品を取り上げていて、オリジナルの作品共々ブライアンらがそれまで築いてきたかってのビーチ・ボーイズのイメージにはピッタリ・フィットしていたので、本当に聴き易いなつかしのビーチ・ボーイズ・カムバックとなった。 

1966年のPet Sounds以来、10年のインターバルを置いて久々に全米8位とチャートを賑わせヒットした。

その後彼らがヒットチャートを賑わすには2012年のThat’s Why God Made The Radioまで待たなければならない。 

嗜好の移り変わりの激しいこの業界、オリンピックのように例え4年に一度でもヒットを出すことは至難の技。

バンドとしての形態は昔とは異なってしまったにも関わらず、ビーチ・ボーイズがいまだに存在するのは単純にすごいことだと思ったりする。


商店街でSuperstar

2019年08月23日 | AMERICAN ROCK/POPS

近所に古い商店街があるんだけれど、近くにスーパー、コンビニ、ドラッグストアのチェーン店、そして百円ショップなどが立ち並び、昔の靴屋、洋品店、金物雑貨、小さな薬局やケーキ屋などはことごとく淘汰され、今ではその商店街の歯抜けになった場所には居酒屋、焼肉屋、焼き鳥など食べ物屋さんが次々と新しく入居している。 

そのため、食べ物屋さんがばかりで結構厳しい競争に晒されているのでは…

知らぬ間に店が結構代替わりしているみたいだからね。 

その商店街で長年の間全く変わらないのが商店街に沿って経っている商店街の街路灯に取り付けられたスピーカーから流れるミュージックである。 

多分地元の商店会がバック・グラウンド・ミュージックとして商店街の通りに有線で流していると思うのだが、それが全て洋楽でしかも70年代にヒットしたポップ・ソング中心に連日夕方の6時ごろぐらいまで流されているみたい。 

本日の夕刻に通りを歩いていた時、チラッと聴こえてきたのが、カーペンターズが歌うSuperstar。 

そういや、Superstar長いこと聴いてないな〜 

この曲に初めてお目にかかったのは、70年代の初め頃実家にステレオセットがやって来て色々とLPを買い始めた頃で、当時カーペンターズの初期の3枚のアルバムから選曲されたもので、確かゴールデン・プライズ(金賞)と印刷された金色のスティッカーが貼られた日本編集のベスト盤に収録されていた。 

このアルバム、いつの間にか行方不明になってしまった。

(多分同じ頃に買ったと思われるトム・ジョーンズのLive In Las Vegasは無くさず手元にある。これにもゴールデン・プライズの金色のスティッカーが... あぁ〜 このアルバムも懐かしい〜) 

てなことで、Superstarを我が家でもう一度聴いてみようと、カーペンターズのCDを取り出す。

(彼らのオリジナル・サード・アルバムにSuperstarが収録されている)

レオン・ラッセルとデラニー&ボニーのボニー・ブラムレットによる共作で、当時Groupie(Superstar)という曲名でデラニー&ボニーのシングル盤のB面に収録された地味な存在だった。

その後、ジョー・コッカーのライブ・ツアーに参加していたリタ・クーリッジも取り上げるが、目敏いリチャード・カーペンターが気に入り早速カーペンターズがカバーすることによって大ヒットをもたらす。 

A Song For Youと同様に、ヒッピーのような長髪・髭モジャでハードかブルース・ロックなんかをギンギンやってそうな出立ちのレオン・ラッセルが、まさかこの手の美しいバラードを作るとは当時想像もつかなかった。

それはともかく、最近の曲を全く流すことのない近所の商店街、私にとってはなかなかのモノと思います。

 


Jump Up! を手に取れば

2019年08月22日 | ELTON JOHN

1976年の2枚組大作、Blue Moves以降ヒット・チャート的には低迷を続けていたエルトン。

しかしながら1982年の通算16枚目のスタジオ・アルバム、Jump Up!で少しばかり調子を取り戻したかなって印象。

(ゲートホールド・ジャケ表) 

(ゲートホールド・ジャケ裏) 

ヒット・シングルのBlue Eyesを始め、ジョンレノンの死を追悼したEmpty Garden(Hey Hey Johnny)や第一次大戦の戦争映画、西部戦線異常を歌ったAll Quiet On The Western Frontなどじっくりと聴かせる曲や、前作Foxでの翳りのあるヨーロッパ調のイメージをとは正反対の明るいジャンプ・ナンバーも収録されている。

(ゲートホールド・ジャケの内側、その1) 

(ゲートホールド・ジャケの内側、その2)

このレコード、丁度翌年にシンガポールに仕事の関係で移住した時に現地のショップで買ったもの。

今一度ジャケを手に取ると当時の若き日の懐かしい思い出が色々蘇る。

(レコードにスタンプされたマトリックス・ナンバーから、プレスは英国でもシンガポールでもなく、多分ヨーロッパでまとめてプレスされ世界各国に輸出され、ジャケは現地のシンガポール、マレーシアもしくは香港で印刷されたものだと推測する。) 

こちらは歳をバンバンとっていくのに、レコードはあの時のまま。

 





Quadrophenia(四重人格)のライブでも

2019年08月21日 | BRITISH ROCK

初めてこのアルバムを聴いた時は正直ぶっ飛んだ。 

ザ・フーの中でも一番大好きなアルバムが、1973年のロック・オペラの大作、Quadrophenia(四重人格)。

 

(ベスパを改造したGSスクーターに憧れたもんだ)

(これぞザ・フー!)

アルバムに付随していた分厚いブックレットにその物語のあらましが英文で長々と綴られていたが、そんなの辞書片手に翻訳なんて面倒なので、ブックレットに掲載されていた写真をチラ見しながら、スピーカーから流れる音だけを楽しんでいた。

(分厚かった大判ブックレット) 

出だしのザザッ〜と聞こえてくる波打際の効果音(I Am The Sea)にトロ〜んとしていると、急にジョンのベースがドロ・ドロ・ドロ、さらにキースのドラムがドコ・ドコ・ドコと派手に鳴り響き、ロジャーの熱唱が大音響でスピーカーから出てきて2曲目のThe Real Meが始まる。 

掴みオーケーで、本当に圧倒された記憶が…. 

さらに、The Punk And The Godfarther(不思議なことにジャケ裏とブックレットには何故だかThe Punk Meets The Godfartherと記載されている?)でピートのジャラ・ジャラ・ジャ〜ン〜と唸るエレキに痺れ、これぞロック少年のバイブルと言えるアルバムじゃないかと思ったものだった。 

(ジャケ裏の記載、Meetsになっている)

(ブックレット内の歌詞のタイトル表記、Meetsになっている)

それから40年経ってQuadrophenia(四重人格)のライブ盤が出るってことで2014年に発売されたそのCD買ったのだが、当初リーズ公演のライブの様に70年代のライブ音源が新しく発掘されたのかと思いきや、バック・バンドを従えての新録ライブと言うことで、キースやジョンを含めたオリジナル・メンバーでのライブを期待していた者としては、ちょいと興味が薄れ長い間ほったらかしにしていた。

 

70年代の当時はテープでバッキングの音源を作ってそれに各々の楽器またはボーカルをかぶせる様な算段だったらしいが、技術的にライブの一発勝負でシンクロさせるには無理があり、数曲が単品としてライブで演奏された様だった。 

90年代に10人程度のバック・バンドを従えその再現に成功、そして2010年代にも同様の公演が模様され2014年の公演が新録ライブでついにオフィシャルでCD化されたことになる。 

本日買って5年ぶりCDを取り出し改めてそのライブ公演聞いてみると結構忠実に再現されていて迫力もあり、なかなかの出来といえる。 

ただね、ロジャーのボーカルもかなりの健闘は見せているもののやっぱり70年代の頃と比べるとね〜 

さらにキースやジョンもいないとなると…. 

なんで全盛期の70年代にバック・バンドをつけて完全ライブ公演しなかったのかね〜


掴み所のないトッド・ラングレンを久々に

2019年08月20日 | AMERICAN ROCK/POPS

直にご本人を見た事がないのでなんとも言えないが、トッド・ラングレンといえば細身で長身のイメージがある。 

しかし子供の頃は小柄でからかいの対象になってたらしく、ティーン時代のニックネームはRunt(チビ)だったそうな。 

ひねくれ者故だったのか、そのRunt(チビ)をSales兄弟(ドラムとベース担当)と組んだ3人組のバンド名に採用し、1970年ファースト・アルバム、Runtを出す。 

本日はトッドがその翌年出したセカンド・アルバム、Runt名義のThe Ballad of Todd Rundgren。

マルチ・ミュージシャン且つ作詞作曲やプロデュースまで1人で手がける多彩な才能故、いつの間にかSales兄弟の存在も忘れさられ、Runtと記されたにも関わらずアルバムはトッドのソロ・アルバムとして認識されてきた。 

このセカンド・アルバム,トッド曰く、ファーストが少しばかりまとまりに欠けていたので、ちょいと気合を入れてアルバム全体に一貫性を持たせた内容にすべく制作されたらしいとの事。 

その結果、ヒットした次作Something/Anythingにつながるポップ・ソングがズラリ、彼の作品群の中でも非常に聴き易い部類のアルバムではないかと思う。 

ひねくれた様なタイトルのRunt、そしてジャケのシュールな写真に惑わされないように! 

よろしければ、是非ご一聴を。


たまにはアイドル歌謡でも

2019年08月19日 | JAPANESE

ふん! アイドル歌謡なんてだるくて聴いてられるか〜  

英語の歌詞も満足に聞き取れない癖にやっぱりロックだよとか、モード演奏が何の事かわからないのにジャズっていいな〜ってかっこつける人がいる。 

それって一体誰のこと? 

私じゃないよ! 

演歌や歌謡曲も結構聴くからね。 

歳をとれば、あぁ〜昔は良かった〜ってよく出るセリフ。

若い人からすれば、また同じ事言ってるとか時代は変わるから比較したって意味がないって言われるかもしれないけど、アイドル歌謡に関しては、ちょいと一言ある。 

かってはアイドルはピンで勝負! 成功するもしないも全責任が自身にかかってくるから、今時の多勢なグループ・アイドルとはプレッシャーが違うし、何かプラス・アルファなものを持っていないと生き残れない結構シビアな世界だった。 

本日は、独自の魅力で70年代のアイドル・ポップ歌謡を牽引してきたうちの1人、南沙織。 

彼女の1976年の出たアルバム、哀しい妖精。

(私が通っていた中・高では全く巡り会えないレベルのこのお姿)

 

1971年にデビューし、若干舌っ足らずの歌唱ではあったが、バイリンガルの能力からなのか洋楽のカバーも卒なくこなせるため、当時他の歌謡ポップのアイドルとは何か一味違い、ロック少年だった私の琴線に触れる存在だったような…. 

このアルバムには、SSWのジャニス・イアンの曲を日本語で歌っていたり、おなじみのポップ歌謡の重鎮、筒美京平や都倉俊一、さらには安井かずみ・加藤和彦のコンビ、SSW系の田山雅充に荒井由実が作詞を手がけたりとかなり豪華なことになっていた。有名どころの作詞・作曲家から曲が集まる事からして、業界に玄人の彼女の隠れサポーターが結構存在していたのかも知れないね。

 

これらを聴いて、彼女がアイドルだった古き良きあの頃の妄想にしばし思いを馳せるのである。  

あるところで甘味な妄想が途切れてしまう。

ちょっと待ってくれ! 

まさか後年あのアフロのおっさんと結婚するなんて! 

私の妄想とはちょいとシナリオが違ったみたいで…


Born To Be Easy 原付Rider

2019年08月17日 | AMERICAN ROCK/POPS

映画俳優のピーター・フォンダ氏がお亡くなりに。享年79歳。 

日本ではレナウンのCMに登場して打て、その格好良さに人気があった。 

出世作はもちろん1969年のイージー・ライダーで、60年代当時はまだ小学生だったのでこの映画をオン・タイムでは見てはいなかったのだが、のちにテレビのロード・ショーなんかでオンエヤーされた時に見た様な記憶がある。 

ハーレーの改造チョッパーでアメリカの人気のない荒涼とした大地に敷設された道路を自由気ままに駆け抜けて行ったのが非常に印象的だった。 

大型バイクは一旦走り出すと安定感はあるらしいが、低速になるとその重量故に手慣れた人でないとそう簡単に扱える代物ではない 。 

私の場合、 二輪車デビューは働き始めて出た給料で買った原付スクーター、ホンダのタクトであった。 

丁度スクーターが流行りだした頃で、スズキからはジェンマ、ヤマハからはベルーガなども発売され、当時は原付の場合ヘルメット着用の義務はなかったしクラッチ操作不要で使い勝手がよく、自転車感覚で結構近所を走り回っていた。 

しかし新米サラリーマンから数年経つと仕事のボリュームが増えだすようになり、次第に原付にまたがる時間もなくなり数年後廃車。 

遂にご近所彷徨のイージー原付ライダーは終焉を迎えたのであった。 

本家のイージー・ライダーとはスケールが違いしょぼかったのではあるが、まあヘルメットなしの運転は風を感じて大変心地よかった。 

イージー・ライダーの映画となるとサントラの存在がある。 

我が家にも一枚。 

(英国盤仕様のジャケ、Simply Vinyl社からの比較的新しい再発盤)

(The Weightはザ・バンドの曲であるが、サントラ盤制作に置いて著作権の関係でオリジナルの音源は収録出来なかった都合、Smithというバンドがカバーしたのが当LPに収録されている。ザ・バンドの演奏を真似たカバーなので違和感はさほど感じられない)

ステッペンウルフ、ジミヘンにバーズらの曲が使用されていて、特にステッペンウルフのBorn To Be Wildなんかは聴いていてこの映画にぴったりの雰囲気。Born To Be Easy Riderと変えてもおかしくない。 

改めて聴いて、映画だけでなくイージー原付ライダーの時代を懐かしむ。 

ピーターさん、RIP。


たまには女性シンガーでも

2019年08月16日 | SSW

もうレコーディングのセッションに参加した面子がすごいのなんのって…. 

ヒット・メーカーとして著名なプロデューサー、リチャード・ペリーがこのレコードをプロデュースした事によって、録音はロンドンで。 

そして彼の人脈でそこに集まったのは、クラウス・ブーアマン、ジム・ケルトナー、ジム・ゴードン、ニッキー・ホプキンス、レイ・クーパー、アメリカからは、リトル・フィートのローウェル・ジョージやビル・ペイン、ボニー・ブラムレットに旦那のジェームス・テイラー、さらにはポールにリンダ、記載はないがミック・ジャガーも、ストリングスのアレンジメントにポール・バックマスターなどなど。

超豪華なメンバーによるバック・アップ! もちろん大ヒットを記録し、彼女の代表的なアルバムになった。

それは1972年11月に出たカーリー・サイモンの3枚目のオリジナル・アルバム、No Secrets。アルバムは日本では確か翌年の2月ごろに発売された。

(何というか、ガキにとっては眩しいすぎるお姿でした)

(超ど・アップのポートレイト、かなり自分に自信を持ってないと一般人なら躊躇するのだが)

 

(アゲハ蝶がデザインされた懐かしのエレクトラ・レーベル)

ラジオでシングル・カットされたロック仕立てのYou’re So Vainを聴いてすぐさま反応して、レコード・ショップにこのアルバムを買いに行ったような朧げな記憶がある。(しかしロックぽかったのは、You’re So Vainとジェームス・テイラーの作品、Night OwlぐらいであとはSSW系のおとなし目の曲で、ロック少年としては当時少しガックリした様な... )

今なら通販でポチれば玄関先まで届けてくれるが、当時はそんな便利なものはなく、自転車で近所の駅前にある小さなレコード・ショップに行く。

しかし当時は洋楽の場合、有名どころのアーティストしか置いていない場合が多く、取り寄せてもらうのが待ちきれないので、駅から繁華街のある大きな街まで電車に乗って買いに出かけた。 

不思議なもので、この様に手数を踏んでようやく手に入れたレコードは、昨今の手軽にポチッと買える再発盤と比べると、レコードの内容以前にすでに有り難みがあって愛着が湧く。 

ただ、このジャケットじっくり見るとちょいとセクシーすぎて、ませたガキと思われるのも気恥ずかしく感じるので、若いオネーサンではなくおじさんがレジにいる時に買った様な小細工も… 

おじさんもレコードを透明の保護袋と一緒にショップの分厚い紙袋に入れる際、心の中で分かる分かるその気持ちって思っていたかもしれないな〜

 

 


クソ暑い真夏にはハード・ブギーでブッ飛ばせ

2019年08月14日 | BRITISH ROCK

台風接近の影響なのか、いつの間にか遥か彼方の空は分厚い雲に覆われ、荒れ模様。 

しかし、まだまだ蒸し暑い風が吹き込み、げっそりしてしまう。 

こんな時は敢えてノイジーなハード・ブギーで暑気をぶっとばせと取り出したのがこのアルバム。 

イングランド出身のハード・ロック・バンド、ステイタス・クォー。売りのハード・ブギーだけでなくミディアム・テンポのホワイト・ブルースなんかも披露してくれる。 

彼らにとって通算5枚目のアルバムで、パイ・レーベルからバーティゴ・レーベルに移籍してからの1972年に出た初のアルバム、Piledriver(日本語では杭打ち機って意味)。

(1975年の再発盤でステイタス・クォートと遭遇したので、レーベルのデザインは例の眩暈を起こす初期のものではない

このアルバムから、イギリスのチャートで5位を獲得し彼らの快進撃が始まる。しかしながらアメリカでは鳴かず飛ばず、日本でも来日公演はあったものそれほど話題にならなかったような記憶が…. 

アメリカはソフト・ロックが主力のA&Mレーベルから出ていたので、なんとなくバンドの方向性とレーベルとの方針がうまく噛み合わなかったのかな? 日本の場合は当時ハード・ロックといえば、パープルやツェッぺリンなどに代表されるどちらかと言うと湿った感じのヘビー・サウンドが好まれ、どちらかといえばステイタス・クォーのようなカラッとしたサウンドは好まれなかったのかなと勝手に想像している。 

それはともかく、本日はパイル・ドライバーで脳天を直撃してもらって暑さも一緒にブッ飛ばすと言う算段である。 

博士:それでは、部屋の壁が振動するくらいの音量で頼む。 

助手:それはちょっと難しいかも。 

博士:どうしてじゃ? 

助手:大音量だと、近所から苦情が来ますからね。近年工事現場でも、騒音を撒き散らすパイル・ドライバーはご法度となり、大型ドリルで地面深くまで穴を開けて基礎工事してますからね。

それ以上に博士の頭頂部分の髪の毛の厚みが足りず、パイル・ドライバーの衝撃に耐えられないリスクがあります。 

是非音量は現状維持でお願いします。 

博士:Status Quoという事じゃな? キリッ 

通りすがりの人:オチになっていないってば!  

どうもすいません。


熱帯夜にスティービー・ワンダーはいかが?

2019年08月13日 | R&B

英語での数字の単位は、ゼロが三つ付く(もしくは1000倍)毎に単位が変わると覚えれば良い。 

すなわち、1のお尻にゼロが3つ加えられれば、One Thousand (千)

更にゼロが3つ加えられれば、One Million (百万)

更にゼロが3つ加えられれば、One Billion (十億)

更にゼロが3つ加えられれば、One Trillion (一兆)

そして、更にゼロが3つ加えられれば、One Quadrillion (一千兆) 

一万なら千が十個って事でTen Thousand、千億なら十億が百個という意味なのでOne Hundred Billion。 

ちなみにZillionという言葉は、基本的に何億兆とか無数という単位を超えた意味で使われるそうな。

 

そうすると、スティービー・ワンダーのアルバム、Fulfillingness’First Finaleに収録されたHeaven is 10 Zillion Light Years Awayの邦題は、One Thousand Billionが1000億だから、1000億光年の彼方”とするのはおかしいね。 

10 Zillionとは光のスピードでも到底たどり着けない距離で、神様はいる事はいるのだが辿り着けない遥か彼方に存在している。 

だからあまりにも遠すぎてその存在を確かめる事は出来ないが、各々の心の中に存在することを感じて欲しいと言うゴスペル・ソングかな? 

1972年のアルバム、Talking Bookでついにギアがトップに入り、続く1973年のInnervisionsも大成功を収め、そして第一幕終了とタイトルがつけられた1974年のアルバム、Fulfillingness’First Finaleは、当時としては彼の集大成のアルバムだったと言える。

(キーボードの階段を登り、次へのステージへとステップ・アップ)

(若き日のスティービーや、ケネディ大統領やキング牧師らしいイラストも)

まあ少し宗教臭さや政治社会に関連する言動などが此処彼処で見え隠れするので、スティービー・ワンダーはちょいと苦手と言う人もいるかもしれないが、このアルバム、それらを差し引いても彼のメロディー・メーカーぶりやバラエティーに飛んだ曲調を楽しむことができる。

個人的には、5曲目のミニー・リパートンがコーラスを務めるCreepin’が不思議な魅力があってヘビロテするくらいなかなかよろし〜

 

ところでジリオンなんて言わず、ミリオン・ダラーでもいいから宝くじ当たらないかね〜と思う今日この頃。

でもそれは、到底不可能な事。

宝くじ買ってないからね。

 

 


真夏の夜を穏やかに

2019年08月12日 | CSN&Y

先日忘れた頃にやって来る癒しのサウンドとしてニール・ヤングのHarvest Moonを取り上げたところ、こんなのが新譜で出ていたのを発見!  

1973年、アラバマ州タスカルーサ市の会場でライブ録音された音源がアーカイブ・シリーズで甦った。

アルバムのタイトルは、Tuscaloosa。

 

 

出し物はStray Gatorsをバックに、過去のアルバム、Neil Young、After The Gold Rush、Harvest、Time Fades AwayにTonight’s The Nightから満遍なく選曲されたもので、アコースティックなバンド・サウンドによる穏やかなフォーク・ロック・サウンドが堪能できる。

懐かしさのあまり、無意識にも通販のボタンをポチッと。 

 

個人的には今まで聴きたかった彼の作品のちょうどど真ん中を射抜く様な選曲とアレンジに久々に心を輝かせたって感じで…. 

長〜い年月を経て何故か急に登場したんだけれど、こんな音源があれば当時に出してくれればね〜 

Keep Me Searching For A Heart Of Gold〜♪ 

And I’m Getting Old〜♪ って感じの心境ですかね。


熱帯夜にシングル盤を聴く

2019年08月12日 | JAPANESE

お盆休みに突入し、今日も明日も明後日も休みという余裕から、普段あまりかけないシングル盤でもと取り出したのがコレ。 

日本のフォーク・ロック・グループの赤い鳥が1971年に出したシングル盤、竹田の子守唄。B面には有名な“翼をください”がカップリングされていて両面がA面と言って良いほどのお値打ちシングル盤である。

 

実はこのレコードは、自身が買ったものではなく、友人が部屋を整理していた時に発掘されたものを頂いた。 

私にとって70年代と言えば、中高大と学生時代の真っ只中でラジオやレコード・プレイヤーから流れてくる音楽にどっぷり浸かっていた時で、新譜の発売が発表される毎に次はどんな新しいことをやってくれるのだろうとドキドキしたものだった。 

日本のニュー・ミュージックと呼ばれるカテゴリーの発展の先鋒を務めた赤い鳥は、洋楽のポップ・センスを一味加えたことによって、そこら辺のフォーク・ギターをジャラ・ジャラ掻き鳴らす日系フォークとは一線を画した存在だったと注目していた。 

じゃあ、久々にベタではあるがB面の“翼をください”を聴いてみた。

 

あれっ? ちょっとテンポが早いんじゃね〜の…

一瞬33回転で録音されたのを、通常のシングルのスピード、45回転で再生したのかなと錯覚に陥ったが… 

いや、そんな訳はない! 7インチのシングル盤は45回転で音源をカッティングし、そして再生されると決まっている。 

てなことで調べてみると、今までずっと聴いてきたバージョンはアルバム・バージョンなるもので、全体的にスローテンポで進行しトータルの演奏時間は3分25秒。 

シングル盤の音源は別テイクで、曲の進行スピードが早くドラムやベースのリズム・セクションがサビのところでドコドコドコと派手に登場。

でっ、トータルの演奏時間は2分46秒でした。 道理で早く聴こえる訳で...

Wikiには両音源の事は記載されてはいないが、これら以外にも歌詞の少し違うバージョンや英語の歌詞で歌われているものなどあるらしい。 

熱帯夜に比較のために何度も聴くにはチート暑苦しいけど、アルバム・バージョンとシングル・バージョンの違いが40数年ぶりに分かったのはお盆休みのおかげかね?


真夏日の歌詞の考察

2019年08月10日 | BEATLES-BADFINGER関連

日本の演歌系の歌謡曲だと、かなわぬ恋に落ちた女性が陰ながらお慕い申し上げます〜って感じの消極的な歌詞が多い様な…. 

反対に洋楽の場合だと、男性の方から積極的に愛を語るというケースが多々あるのでは無いかと。 

ジョージ・ハリソンの1970年のアルバム、All Things Must Passよりシングル・カットされた大ヒット作、What Is Lifeもその中の一つ。 

まあ“美しき人生”ってつけられた邦題はちょいと違う様な気がするが...

 

何を感じるかって? それは言えない

でも、オレの愛は君のためにずっとそこにある 

もしそれが君の求めている愛じゃ無いのなら

オレは全てがうまくいく様に努力するよ

 

君の愛のないオレの人生ってどうよ〜?

君が側にいないオレって何なの? 教えて〜

 

私もこんな風にハッキリと言えたら、毎晩おかずが一品増える様な…. 

でも、やっぱり“わたし祈ってます〜”の方がいいかな?


わたし祈ってます〜 🎶

2019年08月10日 | 特になし

ややこしい動画を拡散されたくなけりゃビット・コインで支払えってなランザム・メイルが今でも数多く届く。 

ほとんどが英文なのだが、たまに日本語でも届いたりする。 

つい先日届いた新手の変り種がコレ!  

今までは、パスワード盗みPCにウイルスを送り込んでPCを乗っ取ったという様な話だったが、今回某探偵社の調査員が登場し私の秘密を知ったと言う設定になっている。 

変換ソフトを使って日本語バージョンを作ったみたいで、ツッコミどころ満載の文章、でもこれじゃ脅しに乗ってビット・コイン払う奴なんてイネ〜って気もするけどね… 

“仕事のご健闘を祈り致します

私は某探偵社の調査員と申します。お客様に頼まれ、貴方のことが全面追跡調査を行います。仕事中で貴方が身分があるであることを見つけました。それで貴方が人知れずの一面を了解しました。私にとっていい見つけると思います!

もし私はこの材料を公開したら、絶対貴方にとって悪い影響があります。もしこの資料を貴方に渡したら、私達にとっていいじゃないの。

お客様と社長さんは私に「貴方が貴方の家族はとても大切」だと言いました。

貴方は私の要求を満足すればいいんだよ。もちろん、貴方は警察に連絡してもいいんです。でもね、私のノートに貴方の電話と住所を全部書いていますよ。

私の指示を操作しないと全部のことをご家族にお知らせしますよ。チャンスは一回しかない、手紙が二度来ないから。

24時間以内に2個つのビットコインを支払ってください

Bitcoinをもらってから 私達は世間で知り合ったことを忘れている、これから貴方は何にも危険が無いです。すべて悪い物を隠滅します。

覚えてね、まぐれ心を持ってないでくださいね、チャンスは一回しかないよ。

ご家族の幸せを祈ります!”


仕事の健闘だけでなく家族の幸せも祈っていただき、有難う御座いました。