CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

俺は俺、ケン・ヘンズレー

2018年08月31日 | URIAH HEEP
もう一枚我が家には ドイツのリイシュー・レーベル、Repertoire Records から1992年に再発されたCDがある。マイナーなアルバム故、2000年以降までは再発されなかったように記憶している 。

1973年ユーライア・ヒープのキーボード・プレイヤー、ケン・ヘンズレーのソロ・アルバム、Proud Words On A Dusty Shelf (邦題は“誇り高き言霊”で結構秀逸な邦題だと思う)。




ちょうど、ヒープの5枚目のスタジオ・アルバム、Magician’s Birthdayと同時期に制作された。ケンが時折披露する美しいピアノ・バラード系のRainが両方のアルバムに収録。

助っ人は、ヒープからドラムスのリー・カースレークとベースのゲーリー・セイン、それにセッション・ベース・プレーヤーは一名、 残りの ボーカルとキーボードやギターの演奏はケンが担当するこぢんまりした編成だった。

アレンジは、ヒープでは前面に出てくるB3ハモンドの音色も控えめで全体的にスリックなプロダクションとなっている。

また最後の曲、The Last Timeにはスティール・ギターが登場するカントリー調の曲で、ヒープのイメージとは大きくかけ離れている。

ヒープはヒープ、俺は俺って感じかな?

いゃ〜 ロックって本当にいろいろあるもんですね〜

穴熊は穴から二度と出てこなかった

2018年08月30日 | BRITISH ROCK
昨日のドイツのリイシュー・レーベル、Repertoire Recordsつながりで、本日は1993年にRepertoireからCDがようやく再発されたBadger(穴熊)でも。

2000年以降は日本でも数回再発され比較的簡単に手に入るようになったが、それ以前はレコード会社もマイナーバンドのCD再発まで手が回らなかったのか、なかなかお目にかかれない代物だった。

目に止まった時点で即購入。

Badgerは元イエスのキーボード担当だったトニー・ケイ、イエス結成前にジョン・アンダーソンと活動を共にしたベーシスト、デヴィド・フォスターらがギターのブライアン・パリッシュとドラムのロイ・ダイクをリクルートし結成したバンドである。

デビューは1973年のロンドン、レインボー・シアターでのライブの模様を収めた、One Live Badgerだった。ジョン・アンダーソンは共同プロデューサーの役を引き受け、アルバム・カバーのデザインはイエスのジャケで有名なロジャー・ディーン。


となると中身はプログレ系かと思いきや、時折トニー・ケイのキーボードの演奏がプログレを感じさせるところもあるにはあったが、全体的なイメージはブルース系ロック・サウンドだった。


しかし、臨場感溢れるライブ演奏はなかなかのもので、リズム・セクションもしっかりしていたし、ギターやキーボードのソロもバッチリで次作にさらなる期待をもった。

残念ながら次作、White Ladyはメンバー・チェンジもあったことから芸風が全く変わってしまいズッコケてしまう。

なんと、ロジャー・ディーンからヘタウマのセクシー・レディーへと!

何を血迷ったのか、アップルからジョージ・ハリソンの後押しでデビューしたR&B系のソウルフルな歌い口のジャッキー・ロマックスをボーカルに据え、さらに曲作りも彼に任せてしまえば、プログレのカケラも残らないこととなる。

あのBadgerは何処へ?

バンドはセカンド・アルバム発売前に空中分解。

いゃ〜 ロックって本当にいろいろあるもんですね〜

またまたオシビサ

2018年08月29日 | BRITISH ROCK
ガーナ出身もアフロ・ロック・バンド、オシビサが1971年に出した2枚目のアルバム、Woyaya。

ロジャー・ディーンによるジャケ表のイラスト


ロジャー・ディーンによるジャケ裏のイラスト

ドイツのRepertoire Recordsから3年程前にレコードが再発されている。

版は180グラム重量盤

今時のロックと比べると、流石に発売されて50年近くの年月が過ぎ去っているので アレンジは古臭さを感じるかも知れないが、背景に聴こえる打ち込みでは無い素手による素朴なパーカッションの連打に何と無く暖かみを感じる。

無意識に指を机に軽く打ち付けリズムを刻み演奏に参加。

あっと言う間にサイド1終了。

いゃ〜 クラッシック・ロックって本当にいいもんですね〜

ぐるっと廻って元の位置

2018年08月28日 | 特になし
ザ・フーがLong Live Rockと歌っていたのも束の間、70年代の中頃から後半にさしかかった頃、ロックは死んだ!てな発言が巷を巡り、猫も杓子もディスコ・サウンドにうつつを抜かしていた。


当時著名なロック・バンドなんかも、ディスコ・サウンドを取り入れた曲を出していたが、いまいちピンと来ず興味をなくす。

映画、サタデー・ナイト・フィバーを見なかった私は、ディスコ・サウンドと映画の中で隊列を組んで踊る西洋式盆踊りにもあまり興味がなかった。


というわけで、当時はフュージョン・サウンドの方に舵を切っていた。

ここにLPが一枚。

知る人ぞ知る、知らない人は全く知らないブラジル出身のホーン奏者(主にトランペットかフリューゲル・ホーンを吹く)、Marcio Montarroyosの1982年のアルバム、Magic Moment.

ジャケ表のイラストに何と無く惹かれた

この人がMarcio Montarroyos

私もこのお方全く存じ上げなかったし、さらにこのアルバム何時何処でどのような経緯で買ったのかも記憶にない。

多分ジャケのイラストにちょっと興味を持って、ジャケ買いしたのだろう。

一聴してみると芸風はラテン系ジャズ・ファンクとでも形容すればいいのだろうか?

なかなか軽快でクールなサウンドでドンピシャ!

フュージョンも悪くないねと思った。

その後ニール・ヤングがMy My, Hey Hey(Out Of The Blue)で一人力強くこう歌っていたのを聴いて、


My my, hey hey
Rock and roll is here to stay
ロックはここに健在
It's better to burn out than to fade away
ゆっくり消え去るより、燃え尽きる方がマシさ
My my, hey hey.

さらに

Hey hey, my my
Rock and roll can never die
ロックは決して死んだりはしない
There's more to the picture than meets the eye.
目に見えるものが全てじゃない
Hey hey, my my.

オォ〜!さすがロックの伝道師。

で、またまたロックに回帰した次第で….

とは言え、パンク、ニュー・ウェイブやオルタナには今だに馴染めず….

どうもすいません。

ムーディー・ブルースの The Other Sideはいかがすっか〜?

2018年08月27日 | PROG ROCK
1986年にムーディー・ブルースはスタジオ・アルバム、The Other Side Of Lifeを出した。

(2014年リマスターされた音源は音圧が上がり、一曲めのWildest Dreamでは、ジョン・ロッジのベースがブンブン鳴り響く)

過去の神セブン・プログレ・シリーズでコンセプト・アルバムを続々ヒットさせたムーディー・ブルースでさえも時代の流れには逆らえない。

オリジナルのメンバーはともかく、Yesのアルバム、Relayerでリック・ウエイクマンの後釜として、尖ったキーボードの演奏を披露していたパトリック・モラーツも、ここではセッション・ミュージシャンのように言われた通り大人しくシンセを操る。

神セブン・シリーズからずっと彼らのアルバムを聴いてきた私もあまりのポップ調に当時はがっくりしたし、評論家もこのアルバムに対して低評価を下していた。

しかし、今思えば80年代に70年代のプログレはいかが?と言ったところで、ミュージック・シーンは既にエレ・ポップの時代を迎えていたので、たとえ迎合だ!と言われたとしても時代に生き残るためにはある程度売れ線の味を出すことは必然だったと思える。

その回答がこのアルバムで、アメリカ大衆を意識した彼らにとってアザー・サイドとも言えるポップ路線は見事に当たり、全米9位かつプラチナ・アルバムを獲得。

おかげさまで先細りしていた人気もここで挽回。

オリジナル・メンバーのレイ・トーマスとマイク・ピンダーはいないけど、残り3名でいまだに現役で活動できるのは、それぞれの時代でヒット曲を持っているからじゃないかと….

いつになく、ダジャレなしで終わる。

昨日の続き その3

2018年08月26日 | West Coast Rock

今日は車検でディーラーに預けておいた車を取りに行ってきた。

電話で前もって自賠責、訳のわからぬ重量税とディーラーの手数料が6万6千円也、さらに部品交換や作業一式が7万3千円で、計13万9千円也と告げられた。 

任意保険を入れると、20万円強。 ウギャ〜!

何年か前のスピード違反で、ゴールド免許を無くしてしまったのも痛かった。

何でこんなに高いのかね〜?と思いながら、駅から結構離れた国道沿いに立地しているディーラーに行くため、タクシーを使わずトボトボ歩くと体は汗でギトギト。

暑さが追い打ちをかけて、イライラ満開。

ホント頭にくるじゃありませんか。

で思い起こすのは、今からちょうど37年前の夏。

コカ・コーラのキャンペーンで、カラー・レコードがもらえる企画があった。

手元にあるのは、ドゥービー・ブラザーズのカラー・レコード。




ベストな選曲に、コカ・コーラのキャンペーン・ソングとして、ライブ盤、The Doobie Brothers Farewell Tourに収録されていたCan’t Let It Get Awayのスタジオ録音盤が初見参。

(A面の一曲目に収録。A面はマイク・マクドナルド時代のヒット曲で、B面はトム・ジョンストン時代のヒット曲がそれぞれ収録されている。)


(ライブ盤のジャケ)

今一聴すれば、特に大した曲とは思わないが、こんな事でも楽しいと感じた昔が懐かしい。

働き出してまだ数年のヒラ社員、当然給料は安く車もなかったけど、何となく明るい未来が待っていると感じたものだ。

昔と比べれば金銭的に余裕はあるが、小さな幸せを感じとる心の余裕がない今日この頃。

コカ・コーラのように、いつもスカッと爽やかと行きたいものだ….


昨日の続き その2

2018年08月26日 | JAZZ・FUSION
博士:松島〜の、さ〜よ〜 瑞巌寺ぃ~ ほ〜ど〜の♪♪

助手:急に大漁唄い込みなんて唄い出して一体どうしたんですか? 

まさか台風一過の残暑の熱にオツムがやられてしまったのでは?

博士:バッカも〜ん! 

金曜の夜と土曜日が暇じゃったので、大量聴き込みなるものをやってみたのじゃ。

語呂合わせで、ちょっと歌ってみたまでのこと。深い〜意味はない。


1975年、ハービー・ハンコック のFlood、日本でのライブ収録。CBSに移籍後のヘッド・ハンターズなど初期のアルバムからの選曲は貴重


1978年、ハービー・ハンコックとチック・コリアのコラボ・アルバム、An Evening With Herbie Hancock & Chick Corea In Concert
2台のピアノだけの演奏。CDは二枚組で約90分。ちょっと疲れてしまったので一枚目だけ聴く。


1979年、ハービー・ハンコック 率いるVSOPの唯一のスタジオ録音盤、Five Stars。
なんと東京で録音された。ウェイン・ショーター、トニー・ウイリアムス、フレディ・ハーバードとロン・が参加していて、まあ、マイルスのいないマイルス・バンドって感じだろうか。



2000年、エリック・クラプトンとB.B. キングのブルース・コラボ・アルバム、Riding With The King。


1981年、超有名ソングライター、鈴木キサブローの幻のソロ・アルバム、Letter。
Jポップ、フォーク、歌謡曲そしてアニソン何でも来いのヒット・メーカーが密かにソロ・アルバムを出していた。
80年代の中頃、海外で働いてた時ふと日本が恋しくなって、地元の小さなレコード・ショップに行く。小さな棚に何と日本盤コーナーがあって、このLPにふと目が止まり購入。


レーベルはイーグルスなどのウエスト・コースト系が所属するアセイラム・レーベル。


お終いは、エルトン・ジョンの1973年の大ヒット・アルバム、Don’t Shoot Me, I’m Only The Piano Player。
当時ラジオで流れていた、先行シングルのDanielをいたく気に入り、発売日にレコード・ショップに駆け込み 即ゲット。

今じゃ通販ばっかりで、レコード・ショップに顔を出すこともなくなった。

あの頃君は若かった。

博士:久しぶりに家の中にこもってガッツリ聴いたのう〜 あ〜疲れた。

助手:それもそのはず、今月は車検と自動車保険更新で大出費! 外で一杯なんて無理。

それにエンジン・フラッシングも今回やるみたいですね。

もう大量使い込みなんて当分出来ませんね〜

博士:しかたがないから、歌でも

エンジン・ドロドロ、エンジン・ドロドロ、松島〜の♪♪

昨日の続き

2018年08月23日 | JAZZ・FUSION
せっかくハービー・ハンコックのコロンビア・ソニー時代のボックス・セット引っ張り出したのに、ブロンソンの映画のサントラ一枚聴いてハイお終い!と言うのもチート寂しすぎるので、ちょっと他のCDも聴いて見た。

一枚目は、1979年の笠井紀美子のソロ・アルバム、Butterfly。


ハービー・ハンコックと笠井紀美子とのコラボ・アルバムで、ハービーが来日した際、ハービーのバンドをバックにハービーの曲にオリジナルの歌詞をつけて歌う企画だった。

当時の流行だったフュージョン系のファンキーなサウンドに乗せて日本人とは思えぬ英語の発音と歌唱力で歌い切る。

ただ個人的には繊細さよりも、少しばかりラフで且つ太さのある声を出して貰えばバッチリと思った。

二枚目は、ハービー率いるVSOPクインテットによる1977年の今は無き田園コロシアムでのライブ、Tempest In The Colosseum。




各人の個性爆発。それにハービーのアコースティック・ピアノとロン・カーターのウッド・ベースの響きが、これぞジャズって感じでいい仕事してます。

で三枚目は、キング・クリムゾンの1970年作のサード・アルバム、Lizardが不意に登場。




管楽器のメル・コリンズやピアノにはキース・ティペットとジャズ系のミュージシャンを起用しているが、Tempest In The Colosseumの聴いた後では、まあもちろん時代が違いもあるが、ここでの彼らの演奏ははどうしても控え目なものに聴こえてしまう。そしてロバート・フィリップの弾く、メロトロン、シンセそしてやアコギなどのクラッシック寄りのサウンドが返って際立って聴こえる気がする。



ウ〜ン、マンダム? 違った、ウ〜ン、ランダム!

2018年08月22日 | JAZZ・FUSION
最近ニュースで大阪が万国博覧会開催に立候補し有力開催地候補の一つって話がちらほら。

そういえは前回の大阪万国博覧会って1970年だった。

当時お茶の間のテレビには、あるがコマーシャルが流行った。

アメリカのカントリー・シンガー 、ジェリー・ウォレスの歌う、Lovers Of The World (マンダム 男の世界)のテーマ・ソングに乗って、カーボーイ姿のチャールス・ブロンソンが颯爽と登場し、決め台詞“ウ〜ン、マンダム”と一発かます。

当時、 丸刈りで薄っすら生えた産毛程度の髭で、男性化粧品には全く縁のなかった 中坊の私までが、“ウ〜ン、マンダム”と下アゴをさすりながら言ったものだった。

ブロンソンといえば、テレビのロードショーなんかで彼が出演した“荒野の七人”とか“大脱走”を見た事が。

その時は髭なしでの出演だったので印象は薄かったのだが、後のこのコマーシャルの映像で鼻の下に髭をたくわえたブロンソンはインパクトがあり、中坊なりにこれが本当の男の世界だ!な〜んて…

さらに時は過ぎて、1974年に出た彼の主演映画、Death Wish(狼よさらば)には度肝を抜かれた。

若年層が見るにはちょいとバイオレンス満載で、実際に見たのはかなり後だったが、髭付きブロンソン、カッコいい!と思ったものだ。特にシカゴの駅構内でちょっとした出来事に遭遇したブロンソンがニンマリし、冷やし中華ではなく悪党狩り始めました 〜ってエンディング、なかなかよろし〜!

このDeath Wishの映画はシリーズ化されその後数本作られたが、回を重ねるごとに殺しのアクションがエスカレートする傾向になり、ブラック・コメディーな描写もチラホラ、ストーリーに現実味が無くなってしまっていったのは残念だった。

やはり、1作目がベストであろう。

でこの作品、サウンド・トラックはハービー・ハンコックによるものだと手持ちのCDから最近知った。

ハービーの全集なるものをかなり前に買ったのだが、大体聴くやつはVSOP関連ばかりで、このCDが含まれていたとは知らなかった。


サントラとなると、その映画を何度も繰り返して見た事があれば、なんとなくそのシーンを思い出すのに役立ちその曲に入り込む事が出来る。

ただ、当時はそれほどサントラに注意を払っていなかったので、今一聴してもああ〜フュージョン系ねって印象になってしまう。

ただ今回ハービーのサントラよりこのCDのジャケットが印象的で 、これを見れば映画のストーリーが順不同ながらも断片的に思い浮かぶ。

ジャケ表

ジャケ裏

ウ〜ン、ランダム!





印税ガッポ・ガッポの巻

2018年08月21日 | West Coast Rock

本日のヤフー・ニュースに反応。

イーグルスが1976年に出した、Their Greatest Hits (1971-1975)のアメリカのマーケットでの累計販売数(出荷数)が3800万枚に達し、マイケル・ジャクソンのベスト・セラー、スリラーを抜き返し第一位に返り咲いた。

(鷲の頭蓋骨がエンボス加工で浮き上がっている特殊ジャケ)

何でもネット配信でのダウン・ロードやストリーミングなどの最新販売数のデータを反映させたことによって達成されたとのこと。

イーグルスのベスト・アルバムと言えば数多く出されているが、その半分程度はヨーロッパやオーストラリアの市場限定で編集されたもので、販売数の話になると 世界最大のマーケットである北米をターゲットとしたアメリカ編集による世界統一盤となる。

ちなみに、
1976年 Their Greatest Hits (1971-1975)
1982年 Eagles Greatest Hits Vol. 2
2000年 Selected Works
2003年 The Very Best /The Complete Greatest Hits
がそれらに該当する。

2000年のSelected Works はCD四枚組で値段が高いし、2003年のThe Very Best Eagles はTheir Greatest Hits (1971-1975)にGreatest Hits Vol. 2とそれまで収録されなかったシングルなどを収録した決定版ではあるが、発売からまだ15年しか経っていない。

リマスターがどうとかこうとかの音質マニアや、出たCDは全てゲットというコレクターでない限り、1976年と1982年の二枚のベストを持っていればで十分。

さらにイーグルス後期のネチネチ・ドロドロ系より、初期のスッキリ爽やかフォーク・ロック系がお好みならば、 収録時間も40分ちょっとで気楽に聴けるTheir Greatest Hits (1971-1975)だけでオ〜ケ〜。

(全10曲の収録、あっという間に聴き終える)

それにしても、このアルバム以外の累積販売数も半端ない。

印税凄いだろうね〜 ホント羨ましい限り。

世のお父さん、朝方億万長者になった夢を見て枕によだれ垂らして寝ぼけていたら、ホント蹴り入れられちゃうからね。

我が家にも、一枚ありました!

久々に聴こうと思ってレコードを取り出すと、表面カビだらけ。

こちらセッセ・セッセと丸洗い、片や寝ていて印税ガッポ・ガッポ。

まあ、比べても仕方がない。

Take It Easyって事で….


オルターネイティブ・ロックのススメ その3 Wilco流ホワイト・アルバム

2018年08月20日 | AMERICAN ROCK/POPS
昨日のシメが“Out Of Timeという事でまた明日”だったので、本日またまた登場。

新進のバンドであればなかなかハードルの高い2枚組みアルバムの制作。

ジョージ・マーチンが2枚組では纏まりがないのでシングル・アルバムでの発売を推奨するも、結局実力と過去の実績から出せば何とかなるだろうと押し切り2枚組でホワイト・アルバムが...

流石ビートルズ。

WilcoのJeff Tweedyは、当時30曲もの楽曲を作りこれらを2枚組のCDアルバムにして発表したいとレコード会社に申し出た。

2枚組になると価格が上がり、オルタナ系新進バンドの場合、CDの単価も重要。

高いけど買ってみようかなどと言う気持ちは、よほどその内容がズバ抜けていないと湧いてこないだろう。

そのため1枚もののCDの価格で、2枚組CDを何とか販売してほしいとレコード会社にお願いすると言う要求を出してみた。

ほとんどのオルタナ・バンドのCDが初回盤のプレスのみで廃盤になるのが普通で、当然かなりの売上の目処が立たな限り赤字となる可能性が大きく、レコード会社はすんなり承認しない。

最終的にレコード会社はアルバムの内容を精査し赤字のリスクを取ることにし、またJeff Tweedyもこのアルバムの印税を減らすことで協力を申し出て何とか発売に漕ぎ着ける。

それが、知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない1996年の彼らの2枚目のアルバム、Being Thereである。



二枚組CD


5人組のバンド

Wilcoはオルタナ・カントリー・ロックで知られていた前身バンド、Uncle Tuperoが分裂して出来上がった2つのうちの一方グループだった。

このアルバムでは、カントリー系だけでなく、ポップ、ロック、プログレ調(重い弦楽器の不協和音を効果に使った1曲目のインスト・ナンバーなど)さらには、ビーチ・ボーイズの香りのする曲などバラエティーに富んでいる。

このアルバム、出た当初は全米73位とそれほど話題とはならなかったが、その後年を重なるごとに、じわじわと継続して売れ続け2004年頃には通算で30万枚以上は売れたようだ。

その売上でレコード会社の売上の収支が黒字になったかどうかは定かではないが、Jeff Tweedyが60万ドルの印税を取り逸れたらしい。

つい最近このアルバムのデラックス盤が再発されたことを考えれば、レコード会社はその内容をかなり評価しているものと思える。

このアルバムの後、Wilcoは芸風をカントリーからポップやロック寄りに軸足を移し大成功を収める。

しかし私としては、後年の大ヒット・アルバムよりも、このアルバム制作時におけるJeff Tweedyの心意気を買いたい。

このWilco流のホワイト・アルバム、何か一曲を取り出して聴くのでは無く、マッタリと全体を通して聴いていくのがおすすめ。

オルターネイティブ・ロックのススメ その2

2018年08月19日 | AMERICAN ROCK/POPS
80年代Concrete Blondeと同じインディーズ・レーベル、I.R.S.からアルバム・デビューしたR.E.M. 。

インディーズ時代から既に注目を集め、6作目のアルバム、Greenをメジャーのワーナーから出し大ヒット。

そして1991年には、世界的大成功を収めるアルバム、Out Of Timeを出す。





購入の経緯は記憶に残っていないが、ジャケ買いをするようなデザインのCDでは特にない事から、多分当時ラジオでオン・エヤーされた先行シングルのLosing My Religion の印象がよかったので購入に至ったような気がする。

60年代末から70年代頃のカントリー・ロックは好みのジャンルで、Losing My Religionに登場するあのマンドリンの美味しい響きに降参。

博士:これ一曲だけでこのCDアルバムはオーケーじゃ!

助手:博士!他の曲も聴き込んでその良さを発見し文章にまとめないと。

博士:こう見えても、ワシも結構忙しいのじゃ。 一日中音楽を聴いているわけにもいかん。全く時間が足りぬ。


ブックレット内の挿絵、淡いバックライトに照らされたこれらの透かし絵は通行人に中でライブショーが継続的に行われてることを気付かせる。


ブックレット内の挿絵、75年の使用の後、このビルのロビーにつながる階段の大理石が磨り減ってきたのに、交換や修理をしない、保護のために鉄製の波打ち板で覆っているだけだ。

時間が足りないと言うよりは、彼らが一体何を表現しようとしているのかイマイチ理解できないのが本当のところ。

これぞ別枠のロック、オルターネイティブ・ロック!

Out Of Timeという事でまた明日。

オルターネイティブ・ロックのススメ

2018年08月18日 | AMERICAN ROCK/POPS
モダ〜ン・ロックって今頃声高にいってる人って、本当に時代遅れ。

今じゃ Alternative Rock(オルターネティブ・ロック)って呼称した方がピンとくるらしい。

てな事で、それじゃ何かAlternative Rockの括りで紹介できるCDが無いかとCDの棚をガサゴソしていると、こんなのありました〜。

アメリカはハリウッド出資で、80年代半ばにデビューしたバンド、Concrete Blonde。

1990年に出したアルバム、Bloodlettingがキャリア・ハイのヒットをもたらした事で、期待は高まる。

それに続け!と出したアルバムが、1992年のWalking In London。なんで知らないバンドの出したこのアルバムを買ったのか記憶に残っていないが、多分芝居掛かったジャケットのデザインが気に入って発作的にジャケ買いしたのかも?

(今思えば、小さなCDサイズのジャケにちょっと詰め込みすぎで、虫眼鏡がないと何が表現されているのかよく分からないのだが。)

今更ながら調べてみると、女性ボーカルのジョネット・ナポリターノが中心で、あと男性2名を加えたトリオ編成。なんとこのジョネットさん、1曲のカバー除いた残り9曲全ての作詞作曲を手がける才女、彼女のボーカルも独特で味がある。


7曲目のSomedayなんかは、フリートウッド・マックのクリスティーン・マクビィーが歌ってもおかしくない様な感じのいい曲だし、最後のジェームス・ブラウンのカバー、It’s A Man’s Worldも雰囲気出して上手く歌っている。

しかしこのアルバムあまり売れなかったみたいで、バンドは一時的な解散に至る。

全体的に聴いてみて良いアルバムだと思うし、もっと売れてしかるべきだったような気も….

なんで売れなかったのかと聞かれれば、多分全体的に暗〜いイメージが万人受けしなかったのかな?

音楽の中身は変えなくともジャケのデザインなんかをもっと明るいポップ調のスッキリしたデザインにすれば、全く彼等の事を知らぬリースナーも、ひょっとすればこのCDをショップで手に取ったかも….

(やっぱりちょっと暗いね〜)

まあ、私の暗〜いジャケ買いのセンスは参考にならないという事で....

モダ〜ン・ロックのススメ

2018年08月18日 | EURO ROCK
Modernと書けば“現代の”とか“近代的な”って形容詞の意味になる。

モダンとカタカナで書けば思い起こすのが、関西のお好み焼き店のモダン焼きと言うメニュー。

お好み焼きの玉に蒸した中華そばを合体させて焼く炭水化物の塊になんでモダン焼きと命名されたのかは分からぬが、安くて食べ応えがあるので、私にとってはラーメン・ライスにそば飯と並ぶ黄金麺食トリオと言える。

ロックの世界にも、クラッシック・ロックと差別化を図るため、70年代末ごろからモダン・ロックという言葉が出てきた。その後、色々と派生し別のロックということで、Alternative Rock(オルターネティブ・ロック)なんて呼ばれることも。

エイト・ビートに乗ってギター・ヒーローの奏でるソロ、ボーカリストのシャウト、またプレグレ・バンドが披露する超絶テクノ演奏もない。

この手の分野はちょっと苦手で馴染めないと思い込んでいた。

そんな私も修行ということで買ってみたのが、次のアルバム。

1993年発売のアイルランド出身の女性シンガー・ソングライター、Bjorkのソロデビュー・アルバム、Debut。

この風貌で、あのサウンド。ギャップありすぎ。


裏ジャケの写真


ブックレット内の写真、完全にアイドルしてる。

当時音も聴かずに、完全なジャケ買い。

このお嬢さんがいかなる音を出すかと興味津々、期待に満ちて早速CDトレイに載せる。

で、レッツ・スタート・ミュージック!

あら、ぶったまげた! 

想像とは全く違う当時の先端を行く電子ビートに乗せ、今まで聴いた事のない モダ〜ンな香りの充満したポップ・ソングが次々と 。

英国で3位にランク・イン、他のヨーロッパ諸国でもヒットとなる。

果たしてクラッシック・ロックに長年縛られてきたおっさんが、ここに来てモダン・ロックに開眼するだろうか?

モダン焼きが好物だからいけるんじゃね〜と思ってから月日は流れたが、いまだにポジションは変わらない。

しかも歳を重ねると炭水化物を多く取れなくなってきたみたい。

やっぱりお好み焼きは、そば無しのシンプルな豚玉に限る。

でもBjorkのDebut、あれから早25年すぎましたが、今聴きてもいい線いってますよ。

サイケで行こう!

2018年08月15日 | ROLLING STONES関連
時は1966年、ビートルズはリボルバー、ビーチ・ボーイズはペット・サウンズそしてキンクスはフェイス・トゥ・フェイスと今までエイト・ビートに乗せてLove Songを歌っていた時代からロックは進化し、さらに拡大発展を続けていた。






我らのストーンズも時代のトレンドに乗っかって何か新しいことをやらねば。

てなことで、66年に録音され67年の頭に出たのが、Between The Buttons(邦題のカナ表記はビトウィーン・ザ・バトンズで、直訳すればボタンとボタンの間)。

(2002年米盤SACD、英盤と選曲が異なりシングルのみで出た、Let's Spend The Night TogetherとRuby Tuesday収録。当時英盤買った人はズルイ〜と言ったかも)

前作のAftermathより、さらにいろいろな音色の楽器を投入し更にサイケデリック感を出す様なアレンジを試みている。

(CDもサイケデリックなデザイン)

Between The Buttons、この他愛も無い韻を理解するには、“最初に君のタップを曲のビートに合わせることだね。そうすりゃ、ボタンはもっと近づき、ストーンズもよりクリヤーな存在ってなるわけさ”、とジャケ裏のイラストのところに書いてある。


ボタンとボタンの間には断層なるものが存在し、ボタンはそれを繫ぎ止める役割。ボタンが近づくことによって断層のギャップが狭まりストーンズをさらに理解出来るってところかな?

そんなわかった様なわからない様な妄想してるよりも、このアルバム、ブライアン健在って事でいいんじゃないの。

(ミックとビル、何故かピンボケ)

サイケデリック・サウンド万歳!