CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

通常運転です

2024年03月18日 | Southern Rock

レイナード・スキナードは1975年のサード・アルバム、Nuthin’ Fancyが全米9位にランクされほぼ完全に南部のローカル・バンドからその地位を全国区へと確立させた。

ただファースト・アルバムから担当してきたプロデューサーのアル・クーパーは本作を最後に退任することに。どうもメジャー・デビューする前に蓄えてきたものがそろそろ枯渇するタイミングでもっと売れ線に沿って芸風を転換する必要があると考えた製作陣とバンド・メンバーとの対立があったらしい。

レコード会社としては売れなければただの自己満足。ただバンドとしてもバンドの存在の根幹に当たるこれまでの信念を曲げたくないのも一理あり、中々難しい線引きとなる。

その様な状況が反映されたのかどうかはわからないが、アルバム・タイトルにはNuthin’ Fancy(いつも通り)と付けられたのが何か訳ありな印象。

ただ1曲目に収録されたSaturday Night Special はバート・レイノルズ主演の1974年のThe Longest Yardのサントラにも収録されたご機嫌な曲。

オイラとしてはこれ1曲で問題なし!


時代遅れのアナログなオイラ、今宵はサザーン・ロックでも

2024年03月06日 | Southern Rock

本日はオールマン・ブラザーズを味わってみる。

1971年バンドのリーダーだったデュアン・オールマンがモーター・バイク事故で死去。大黒柱を失ったバンドはセカンド・リードギターのディッキー・ベッツが中心となってバンドを維持する事に。

そして翌年にデュアン追悼アルバムとも言える2枚組アルバム、Eat A Peachが発売され、全米4位まで駆け上がり大ヒットを記録した。

(サイドー2にMountain Jam Part-1そしてサイドー4にPart-2がそれぞれ収録されている。)

収録曲はデュアン存命時にスタジオ・レコーディングした新曲3曲とフィルモア・イーストでのライブ音源3曲、更に新しい体制でのスタジオ録音での新曲3曲が収録された計9曲からなり、スタジオとライブ音源それぞれ特徴が生かされたレコーディングで完成度の高いアルバムだと感しる。

ちなみにこのアルバムには収録時間約33分にも及ぶMountain Jamが2分割されてLPレコード片面にそれぞれに収録されている。CDだと当然の如く一気に全編を通して聴く事になるのだが、長きにわたりアナログ人生を歩んできたオイラとしては2分割されたレコード音源の方が気分を新たにして後半を聴けるのでしっくりくる。

演奏の終わったレコードを裏返したり取り替えたりするのは結構面倒なんだけれど、この一手間がオイラの集中力を回復させてくれる様な…


弾返してもらえる?

2024年02月01日 | Southern Rock

無名バンドから一気に大成功を成し遂げたレイナード・スキナード。

“いろいろ困難なこともあったけれど、仕事に励めばツキも変わる。

もう大丈夫、無茶はしない。だから俺の弾丸、元あったところに戻してくれる?”

とでも言っているような歌詞ですかね?

本日はアルバム・タイトル曲でもあるGimme Back My Bulletsが収録された1976年のレイナード・スキナードの4枚目のスタジオ・アルバムでも。

ギターのエド・キングがバンドから離れ6人編成となり、またプロデューサーもアル・クーパーからトム・ダウドに変わったことからそれまでのアルバムと比べてサザン・ロック特有の泥臭さが薄らいだように感じる。

また、このアルバムにはかってのFree Bird、Sweet Home AlabamaやSaturday Night Special などシングル・ヒットしたキャッチーな曲がなかったので更に地味に感じたのか残念ながら前作よりは売り上げが落ちたそうな。

とは言え、それぞれの曲の出来は悪くなく泥臭さの薄れたあっさり目のサウンドはドライブのお供には最適かも。車のカーステでよく聴いたね。

 


髪型問題について

2023年10月03日 | Southern Rock

本日は1973年にセルフ・タイトルのデビュー・アルバムを出したサザーン・ロック・バンド、Lynyrd Skynyrdでも。

このアルバム、出た当初はすぐにヒット・チャートを駆け上がることはなかったが、翌年にはゴールド・ディスクを獲得しさらに1975年には全米27位にチャート・イン。その後時間をかけて売り上げをどんどん伸ばしていく事に。

確かに何度も聴き返していくごとにその良さがじんわり染み込んでくる感じ。

ちなみにこのバンド名の由来は高校の風紀担当の教師、レオナルド・スキナーの名前をもじったそうな。

大昔私が中学生だった頃、校則で男子の髪型はもれなく2枚刈り(5mm)の坊主頭で、だった。毎朝登校時には学校の正門にコワモテの風紀担当の教師が立っていて、髪の毛が長いと指導が入り一両日に散髪屋に直行てな事だった。

自由の国のイメージである彼の地でも、メンバーと風紀の教師の間でトラブルがあったんだろうね。

(70年代ロック・バンドの定番ファッションといえばロン毛にベルボトム・ジーンズ。2枚刈りのスタイルはパンクの時代まで待つ事に...)

まあ髪型に関しては日本のような2枚刈り一択ではなく、ヒッピーが好むロン毛が多分ダメな緩めの校則で状況はかなり違う...

丸坊主になると顔が全く変わるような印象が... 当時は早く髪型自由の高校生になりたいって思っていた。

そして長い~月日が過ぎると昔はフサフサしていた私の頭髪も髪の毛が抜けたり細くなったりして心許ない状況に。

今となっては短くした方が楽ちんかも?


もしオイラのデキシー・チキンになってくれたら.... みんな兄弟。

2023年09月02日 | Southern Rock

1973年、ローウェル・ジョージ率いるリトル・フィート3作目となる渾身のアルバム、Dixie Chikenが出た。

南部のルーツ・ロックが芸風で、このアルバムでもそれを象徴するかのようにテネシー州メンフィスとかルイジアナ州ラファイエットなんて南部の地名も登場。

特定のリスナーからは高い評価を受けるものの残念ながらあまり売れなかったそうな。全国区の人気を得るにはまだまだ地味な存在だったのかな?

リーダーでスライドの名手ローウェル・ジョージはカリフォルニア出身で、同じカリフォルニア出身でドロっとした南部サウンドを求めたCCRと方向性はなんとなく似ていた様な気もするし、個人的にはもう少し一般ウケする様なロックンロール1−2曲ブッ込めばもっと人気が出たかも…

キーボードのピル・ペインなんてドゥービー・ブラザーズのレコーディング・セッションでポップな曲弾きまくっていたしね。

まあ、リトル・フィートとしてはそっちじゃない!ってことだったのかな?


2曲で56分

2023年09月02日 | Southern Rock

本日はオールマン・ブラザーズ・バンドの1971年のThe Fillmore Eastのライブでも。

このライブは3月12と13日の2日間に渡って繰り広げられた。

その中から9曲が選曲され1971年のAt Fillmore Eastとして2枚組のライブ盤として発売。また未収録の3曲は次作、Eat A Peachに収録された。

今日は週末、少しばかり時間に余裕があるので普段聴くことの無い長尺曲に挑戦。

2003年に出たAt Fillmore Eastの増補再発盤CDのセカンドCDには4曲が収録されていて、中でも23分に渡る熱演を収めたWhipping Postとレコード片面に収めきれない全編33分以上に渡る規格外ジャム・セッション、Mountain Jamでもトライしてみようかと...

いや~やっぱり長い! トイレ休憩が必要だね。

若かった頃のように、ヘッド・フォンを付けて神経を集中して聴いていくのはもう無理。

何か他の事をしながらBGMとして流し、デュアン・オールマンとディッキー・ベッツのギターの掛け合いに時折耳を傾けるのが正しい楽しみ方なのかも...


チャック・リーヴェルって知ってる?

2023年06月22日 | Southern Rock

デュアン・オールマン亡き後、キーボードにチャック・リーヴェルが加わり新生オールマン・ブラザーズ・バンドが誕生。

それまでのデュアンとディッキー・ベッツのツイン・リード・ギターの掛け合いが売りだったのが、彼のピアノが加わる事によりバンドとの方向性が合致したのか演奏に新たな魅力を生み出し、1973年に出たBrother And Sistersは大ヒットを記録。

ただメンバーのドラッグ中毒によって、その絶好調も長続きせずその後スタジオとライブ・アルバム各1作を出してバンドは空中分解。

残ったメンバーのチャック(キーボード)、ジェイモー(ドラムス)とラマー・ウイリアムズ(ベース)に外部からギターのジミー・ネイルズが加わり新バンド、Sea Levelが結成された。

ボーカルがついた曲もあるが、1977年のファースト・アルバムではオールマン風の軽快なフュージョン系インスト曲が味わえ、これがなかなかの出来だった。

1977年のファースト・アルバム

その後3枚のアルバムがキャプリコーン・レーベルから発売されたが、マイナーなバンドのため、初回盤の購入を逃すと直ぐに廃盤となり中々手に入れ難くその後の3枚のアルバムの入手を諦めていたところ、1990年にそれら4枚のアルバムからの選曲でベスト・アルバム、Best Of Sea LevelがCD化されようやくゲット。

因みにチャックはSea Levelから脱退後、ローリング・ストーンズのサポート・キーボード・プレイヤーとしてオリジナル・アルバムやライブなどで長年活躍してきたのは有名な話。


マーシャル・タッカー・バンドのファースト

2023年03月20日 | Southern Rock

60年代中頃に前身バンドであるトイ・ファクトリーが結成され、メンバーが固定してゆき1972年に結成したのがマーシャル・タッカー・バンド。

1973年のセルフ・タイトルのデビュー・アルバムはカントリー、ブルースそしてジャズの要素が散りばめられたスケールの大きなサザーン・ロック・バンドって印象でデビュー時点で既にバンドとして完成の域に達しているように思えた。

(サザーン・ロックの新しい夜明けを意味しているのだろうか?)

リーダーのトイ・コールドウェルの親指ピックによる早引きリードにダグ・グレイの張りのあるリード・ボーカルとジューリー・ユーバンクスの奏でる管楽器が絡み独特の味を出しているのが売り。

(左から、リード・ギターのトイ、ボーカルのダグ、ドラムスのポール・リドル、ベースのトミー・コールドウェル、サイド・ギターのジョージ・マックロッキーとサックスとフルートのジュリー)

ヨーロッパのバンドでは、ジェスロ・タル、フォーカスやPFMがそれぞれ演奏にフルートを用いているが、サザーン・バンドで演奏にフルートを絡めているのは結構珍しく何となくプログレチックな味わいも持ち合わせている。

因みにベースを弾いていたトミー・コールドウェルが1980年車の事故で30歳の若さでこの世を去り、リーダーで兄貴のトイも十数年後バンドから脱退し1992年自身のバンドを結成しアルバムを出すも、1993年45歳の若さで病死した。

いいアルバムたくさん出していたんだけれどね。


オールマンのライブでも

2023年01月14日 | Southern Rock

音楽嗜好の違いとか、それ以外の内輪揉めによる人間関係の悪化によってオールマン・ブラザーズ・バンドは1976年に解散。

とは言え、レコード会社からすればそうあっさりと解散してもらっても困るてなことで新譜の代わりに2枚組のライブ・アルバム、Wipe The Windows, Check The Oil, Dallar Gasを出す事に。

1972年から73年と75年に行われたコンサートからのライブ・レコーディングが収録されているデュアン・オールマン亡き後のバンド編成で、往年の名曲以外に1973年の大ヒット・アルバム、Brother And Sistersや1975年のアルバム、Win, Looser Or Drawから何曲か収録されているのが聴けるってことでその当時としては結構価値があった。

(Brother And Sistersの曲がてんこ盛り。当時は米盤買ったのでサイドー1の裏にサイドー4に、そしてサイドー2の裏にサイドー3の音源が収録されたオート・プレイヤー用のダブル・アルバムだった。)

新加入のピアノ奏者、チャック・リーヴェルの演奏もいけてるし、他のメンバーも力強い演奏を披露しデュアン亡き後のポップなオールマンてな感じで悪くはないけれど、やっぱりデュアンの抜けた分音に厚みが少々足らないかな?


ここまでやるか~、Working for MCA

2022年12月04日 | Southern Rock

MCAとはMusic Corporation off Americaの略称でアメリカの巨大音楽産業を構成する一員だった。

Working for MCAって曲、本当にご当人の前で演れる?ってぐらいぶっ飛んだ歌詞のロック、チューンだ。

この7年の間全くツキがない。

フロリダの州境からテネシーのナッシュビルにやってきた。

どんなイベントにも顔を出しこなして来た。

そして、北部の詐欺師野郎が彼の求めているものが俺たちだって言ってきた。

契約書にサインを

今日にでもサインを

大金が稼げるぜ

MCAのために働けば

俺たちが得たのはたった9000ドルぽっち!

だけど南部の漢がするようにニャッて笑ってやったぜ

カリフォルニアに行ってスーパー・スターにしてくれるんだって

俺の金は全部払ってくれよ、アンタには大した額じゃないだろう?

ニューヨークで活躍していたミュージシャン、アル・クーパーに見出されMCAレコードの傘下のSound Of The Southと契約したサザーン・ロック・バンド、レイナード・スキナードが彼らの1974年の2枚目のアルバム、Second Helpingのレコーディングでそのプロデューサーであったアル・クーパーを前にして豪快に歌った。

前年のデビュー・アルバムが既にミリオン・セラーの爆売れだったのに、Second Helping(2度目の御奉公)と意味ありげなタイトルのアルバムに収録されたのはWorking for MCA。何かのジョークかそれとも本心(賃金闘争)を歌ったものだったのか…

まあ実力あっての事だったのは間違い無いだろう。

Working for MCA以外にも、ニール・ヤングのSouthern ManやAlabamaに対する回答とでも言えるアラバマ州讃歌、Sweet Home AlabamaやJ.J. Cale作の軽快なCall Me Breezeなど聴きどころ満載。

MCAと言えば、1990年日本の松下電器産業がバブル景気の影響もあって、家電のハードと映像・音楽のソフトの融合を夢見てMCA・ユニバーサルを買い取った。ジュラシック・パークが世界的大ヒットしたもののアメリカ企業を統率するノウハウも乏しく赤字に転落、バブルが弾け始めた中その5年後にカナダの酒醸造会社、シーグラムに株を買い取ってもらい清算と相なり、現在はMCAレーベルは消滅しユニバーサル・ミュージックが代わって運営している。

その点ソニーは1日の長があったのかな。60年代末CBSに請われて合弁企業CBS・Sonyを設立し、1988年にアメリカのCBS株を買取りソニーの名義で音楽、ゲームと映画などの娯楽産業を世界的に展開。有名なところではマイケル・ジャクソンからビートルズの音源の著作権を購入し現在まで所持している。

てな事を思い出した。

 


テキサス・ブルース・フラッド

2022年06月25日 | Southern Rock

ジャズのフレーズに乗せた甘いブルースなんてやってられないぜ!

パワーで押しまくるブルース・フレーズはカラッとしていて明るさもあり何とも心地よい。

1983年デヴィッド・ボウイの大ヒット・アルバム、Let’s Danceでリード・ギターを任され注目を集めたものの個人的には何となく場違いな感じもあったスティービー・レイ・ボーンがその後満を持してメジャー・デビュー。

十八番のブルースを弾けば水を得た魚のように自由自在に力強いギターを操る。

1985年から86年にかけてのモントルー・ジャズ・フェスや地元テキサスでの公演から収録したスティービー・レイ・ボーンとダブル・トラブルのライブ・アルバムが1986年に出た。

今宵もスティービーのストラト・キャスターが唸る。

テキサス・ブルースの洪水に呑み込まれそう。


このバンドいけてます

2022年05月30日 | Southern Rock

サザーン・ロックといえば、南部のブルース、カントリーにハード・ロックの素をふりかけシェイクしたのが一般的だと思っている。

しかしこのバンドは一味違う。

サザーン・バンド、マーシャル・タッカー・バンドの1974年の3作目のアルバム、Where We All Belong、当時LP2枚組のアルバムとして発売され、1枚目は穏やかな感じのスタジオ録音で2枚目は本領発揮のライブ演奏となっている。

ジャズ・タッチのインプロビゼーションだけでなく、ブルースにファンキーなR&Bさらに聴きようによってはプログレ・カントリーって味わいが感じられる曲もあってバラエティーに富んで中々楽しめる。

トイ・コールドウェルの親指ピックによる早引きギター・ソロ、中々のものです

ライブでのダグ・クレイの張りのあるボーカルも捨て難い


全てはここから始まった

2022年03月14日 | Southern Rock

1969年ジョージア州メーコンの片田舎、湖岸に建つワンルームのキャビンを月165ドルで借り音楽活動がスタート。

キャビンの名前はIdlewild Southと名付けられたそうな。

1969年セルフ・タイトルのアルバムでデビューを果たし、翌年の1970年さらに磨きのかかったアルバム、Idlewild Southが完成。

オールマンを始めクラプトン、レイナード・スキナードやアレサ・フランクリンなどサザーン系のロック・バンド、R&Bにルーツ系の数多くのアーティストをプロデュースしたことで有名になっていくトム・ダウドをプロデューサに起用。

見事オールマンの良さを最大限に引き出しアルバム・チャートは全米40位以内を記録し、地元のロック・バンドから一躍全国区に進出させるきっかけとなった。

ライブでお馴染みのRevival、Midnight RiderにIn Memory Of Elizabeth Reedやウィリー・ディクソン作、Hoochie Coochie Manの秀逸なカバーやグレッグが歌うスロー・バラードなど聴きどころが盛り沢山。

ランブリン・マンも良いけれど、やっぱりオイラとしてはこっちが一押し。


私的にはこれ名盤です

2022年02月25日 | Southern Rock

60年代女性シンガー・ソング・ライターの草分け的存在だったジャッキー・デシャノン。

自身のアルバムにおけるヒット曲はもとより、他人に提供した曲も結構有名。

特にBette Davis Eyes、Needles And PinsやWhen You Walk In The Roomなど多くのアーティストにカバーされ親しまれている。

その彼女がアトランティック・レーベルに移籍しメンフィスで録音されたのが1972年のアルバム、Jackie。

レーベルや録音場所から何となく想像できるように、南部のカントリーやR&Bフレイバーたっぷりの素晴らしいアルバムが完成。

ニール・ヤングのOnly Love You Can Break Your Heartのカバーもいいけど、アルバム最後を締めるストーンズ風ロックンロールのAnna Karina、カッコよく決まってる。

前年、キャロル・キングの出したTapestreyが大ヒットし、その流れに乗ってこのアルバムもそこそこ売れるのではないかと思いきや、どうもそうでも無かったそうな。

また当時日本ではLPは発売されていなかったような気がする。

売れ線の少々ジャズっぽく洗練された都会派ではなく、少々泥臭いイメージが災いしたのかな?

かく言う私も9年ほど前にCDで復刻された時、初めてその存在を知った次第でして…


ディッキーのいないABB

2021年12月03日 | Southern Rock

デュアン・オールマン亡き後、長年バンドのリード・ギタリストを務めたディッキー・ベッツが解雇され、新たな編成で2003年に約10年ぶりにスタジオ・アルバム、Hittin’ The Noteがでた。

ディッキーのいないABBってどうなるのか心配したけれど、しっかりしたサザーン系ブルース・アルバムが完成。

70年代のチャート・アクションと比べるとかなり見劣りはするものの全米37位と健闘した。

ギターはドラムのブッチ・トラックスの甥でもある若きデレク・トラックスが左に、そしてベテラン、ウォーレン・ヘインズが右に配置されギター・バトルを繰り広げる。

それぞれの曲はしっかり作り込まれ完成度は高いけど、個人的にはカントリー・タッチや時にはジャズ調の軽快なディッキーのギターが無いとちょっと息抜き出来ないかな。

かって彼の作った曲や演奏がブルース・バンドにアクセントを加え、緊張と緩和を行ったり来たりしてアルバム全体を楽しむ事が出来た。

このアルバムでは、ストーンズのHeart Of Stoneをカバーがそのアクセントとなる役割を果たしているのかな?

オールマン流にカバーされていて中々楽しめるけど、やっぱり原曲の良さが光っている。

流石ストーンズって思えた。

毒キノコ、ベニテングダケのようなこれらのマッシュルームは一体なにを象徴しているのか?