CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

Empty Skyを眺めつつ

2024年01月31日 | ELTON JOHN

本日はエルトン・ジョンの1969年のデビュー・アルバム、Empty Skyでも。まだまだ無名の新人シンガー・ソング・ライターって事で日本では1年後の1970年に発売された。

このアルバムはヒットしなかったもののオープニングのEmpty Skyなどではエルトンの力強いボーカルを聴くことができるし、またエルトンにとって永遠の名曲とも言えるSkyline Pigeonでは初々しさを強く感じさせ今後ブレークする片鱗を見せた。

(1975年の米盤ジャケ)

ちなみにアメリカでは当時このアルバムが発売される事がなく、エルトンがスーパー・スターとして君臨するその6年後の1975年にジャケのデザインを一新して発売され、何と全米6位の大ヒット。

閉ざされた部屋の窓から虚空を見上げこの大空をいつか自由に飛び回ってみたいと言う願望をわずか数年で叶えさせた。

オイラもそれにあやかってアパートの窓からしばしば虚空を眺めるも、何も起こらないね。


ポコのベスト・アルバム、その2

2024年01月30日 | West Coast Rock

1974年にエピックを離れABCレーベルに移籍する事になったポコ。その後1979年にABCレーベルはMCAレコードに買収され、二つのレーベルにまたがって音楽活動を続けていく事に。

その期間の彼らの作品をサクっとなぞって聴いていくならば、1989年出たベスト・アルバム、Crazy Loving、The Best Of Poco 1975-1982がお勧め。

(ポコのトレード・マークともなった馬のイラストは1978年のアルバム、Legendから登場)

ポコのリーダーとしてまたキーとなる曲を提供してバンドを引っ張って来たリッチー・フューレイがバンドから去った事によって4人だけになったバンド内に化学変化が起こり、それまでまでペダル・スティールやギターなど演奏面でバンドに貢献して来たラスティー・ヤングが曲作りやボーカルなどにも積極的に関わる事に。

バンドとしての結束も更に固まりカントリー・ロックのパイオニアとして中堅どころの活動を続けていたものの、1977年ベースのティモシー・シュミットがイーグルスに引き抜かれた事により、バンドは一旦活動を停止。

そこでポール・コットンとラスティーが新たにベーシストとドラムスの2名を加えコットン・ラスティー・バンドを結成する構想を持ち、それに対してレコード会社はポコの名前を引き継ぐ事で許可し、ここに新生ポコが誕生!

このベスト物で特筆すべきはラスティー作のCrazy Loveが収録されている事。新生ポコによる1978年のアルバム、Legendは何と全米14位に輝きポコの全活動における最も売れたアルバムとなり、またシングル・カットされたCrazy Loveも17位とヒットした。

バンドから去ったジム・メッシーナ、それにリッチーやティモシーがいなくともポールとラスティーの地味な二人で今まで以上にやれることを証明出来たのは、長年ポコ・ファンのオイラとしては溜飲が下がったね。


POCOのベスト・アルバム

2024年01月29日 | West Coast Rock

1968年、バッファロー・スプリングフィールドが解散となり、そのメンバーだったリッチー・フューレイとジム・メッシーナが中心となり、バッファローの最終作でペダルスティールを弾いたセッション・ミュージシャンのラスティー・ヤング他2名を加えてカントリー・ロック・バンド、ポコを結成しエピック・レーベルからデビューした。

エピック在籍時代にはスタジオ・アルバム7枚とライブ・アルバム2枚の計9枚が制作され、1974年にエピックを離れABCレーベルに移籍する事になる。

その間の音楽活動をサクっとなぞって聴いていくならば、1975年出たベスト・アルバム、Very Best Of Pocoがお勧め。当時LP2枚組で全18曲が収録され、極上のカントリー・ロックを楽しめる

(その後アルバムがCD化される事になり、2曲カットさた全16曲で1枚のCDに収録されることに。)

ベーシストのランディー・メイズナーがデビュー・アルバムの完成を待たずに脱退し代わりにティモシィー・シュミットが加入。その後ファウンディング・メンバーだったジム・メッシーナが脱退し代わりのギタリスト、ポール・コットンが加入したかと思いきや、リッチー・フューレイもそれから3枚のアルバムを制作した後バンドから脱退とメンバーの出入りが激しく不安定な時期もあった。

結局残された4人でレーベルを跨いで活動を継続していく事になる。

個人的にはこの4人体制での時期が一番印象に残っている。


The Concert For Bangladesh

2024年01月28日 | BEATLES-BADFINGER関連

ロック界の大物が集まったチャリティー・コンサートの草分けといえば、ジョージ・ハリソンが中心となって開催した1971年8月、NYのマジソン・スクエア・ガーデンにおけるバングラデェシュ・コンサート。

ちなみに、ジョージからポールに対して参加の依頼があったものの、ポールはビートルズの解散騒動で他のメンバー3人に対して訴訟を起こしたこともあってその気になれず辞退。ただジョンはオノ・ヨーコ抜きで参加する事で事前に了承していたものの、この件でレノン家内で何らかの強いやりとりがありそれに嫌気が差したのかライブ開催日の数日前にジョンはNYから逃亡。

もしかしたら、ビートルズ解散後4人が揃ってステージに立つ可能性も少ないながらあったと思うと非常に残念だった。

またそれまでロックにシタールやタブラなどの楽器が取り入れられきたものの、純インド系ミュージックとなるとまだまだ浸透していない時代だったので、オープニングに登場したラビ・シャンカール率いるインド楽団のチューニングが済んだところで拍手が起こり、ラビ・シャンカールがすかさず“チューニングに対する拍手に感謝し、今からの本編を更に楽しんでください”って言ってクスッとさせたところも興味深い。

それはともかく、大物たちによるコンサートは大成功。

(クラプトン、ディランにレオン・ラッセルらが揃い踏み)

(ディランのグレーテスト・ヒッツ第2集のジャケの傍にいたのはジョージ。)

ただコンサート、レコードの販売や映画からの収益が税金やマネージメント会社のアラン・クレインによる中抜き疑惑などがあって、その全てがスムーズかつタイムリーにバングラデシュに届けられなかったそうな...

それでもこのコンサートのノウハウがその後のチャリティー・コンサートがより良い成果を挙げることが出来たのはいうまでも無い。

今更ながら改めてジョージに感謝!


The Last Waltz Suite

2024年01月27日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

The Bandのロビー・ロバートソン氏、去年の8月に亡くなれていたのをつい先日知った。

本日は彼らの解散コンサートのアルバムでも。

1969年のデビューから曲作りとオリジナル・アルバムのレコーディング、更にその合間にライブ・ツアーが間断なく続いたことから、ロビーはツアー疲れから今後スタジオ・ワークのみ専念との提案、他のメンバーとの折り合いはつかなかったものの取り敢えず解散コンサートを実施。

それが1976年にロスで著名なミュージシャンのゲスト参加によって開かれたラスト・ワルツのコンサート。記録映画としてマーティン・スコセッシがメガホンを取り制作され1978年に上映。また同時にその模様を3枚組LPに収録したサントラ盤も発売された。

その収録されたライブ音源の出来がイマイチだったそうでサントラ制作の過程でかなりのオーバー・ダブが施され、またライブ音源以外にこの記録映画のテーマ・ソングと言えるThe Last Waltz Suiteがスタジオ録音で別途制作された。

この組曲の中にソウル・コーラス・グループのThe Staple Singersから改名したThe StaplesがかってThe Bandの看板曲The Weightをカバーした縁からなのか今回同曲の録音で共演を果たしている。

娘Mavis Staplesの気持ちのこもったソウルフルな歌唱に親父さんRoebuck Stalplesの押さえ気味な歌唱も中々の出来で私のツボにハマって何度もリピート。

映画のDVDかユー・チューブにアップされているビデオ・クリップなどの映像で見れば尚いい感じ。

本編のライブ音源よりいいかも。


エルトンの埋もれた名曲たち

2024年01月26日 | ELTON JOHN

2020年、Elton Jowel Boxなる8枚組のCDボックス・セットが発売された。

60年代末から70年代初期にかけてのデモを含む未発表の音源、シングルB面の曲とアルバムに収録されたものの従来のベスト物に取り上げられなかった埋もれた名曲などがたっぷり収録されている。中でもエルトン自身が選曲したDeep CutsというタイトルのCDは聴き応え満点。

本日はそのDeep Cuts 2に収録された15曲でも。

  1. Ticking - Caribou, 1974
  2. Crystal - Too Low For Zero, 1983
  3. All Quiet On The Western Front - Jump Up!, 1982
  4. Tell Me When The Whistle Blows - Capt. Fantastic And The Brown Dirt Cowboy, 1975
  5. Freaks In Love - Peachtree Road, 2004
  6. Never Too Old (To Hold Somebody) - The Union, 2014
  7. The Emperor’s New Clothes - Songs From The West Coast, 2001
  8. House - Made In England, 1995
  9. (Gotta Get A) Meal Ticket - Capt. Fantastic And The Brown Dirt Cowboy, 1975
  10. Understanding Woman - The One, 1992
  11. Shoot Down The Moon - Ice On Fire, 1985
  12. Have Mercy On The Criminal - Don’t Shoot Me I’m Only The Piano Player, 1973
  13. Blues For Baby And Me - Don’t Shoot Me I’m Only The Piano Player, 1973
  14. My Quicksand - The Diving Board, 2013
  15. Street Kids - Rock Of The Westies, 1975

かって私が好んで聴いてきた曲とエルトンの選曲が結構被っていてニンマリ。

収録時間の80分があっという間に過ぎ去る。


ビートルズの旧規格CD

2024年01月25日 | BEATLES-BADFINGER関連

昨年ビートルズのベスト盤とも言える赤盤・青盤がデミックスによる増補改訂版としてされ再発された。

ただ強気の価格設定にボンビーな4流コレクターとしては今だに手がでない。

考えてみれば彼らのデビュー・アルバム、Please Please Meは1963年に発売され、その当時の一般的なリスニング装置といえば電蓄によるモノラル再生が主流で、ステレオ音源はオマケみたいな扱いだったと何かの本に...

1987年、ようやくプロデューサーのジョージ・マーチン監修による丁寧なデジタル音源化が図られ、更に2009年にモノとステレオ音源の両方がリマスターされた。

リマスター盤が発売されてからは、1987年にデジタル化された旧音源は全く聴く機会が無くなってしまった。

本日は久々に旧規格のPlease Please MeのUKプレスのモノラルCDでも。

一聴すると、旧規格の音源はいいね。

2009年に登場したモノラルのリマスター音源と同じ音量でブラインド・テストすればオイラの駄耳では多分区別がつかないだろう。

我が家にステレオが登場したのは70年代を数年が過ぎた頃でそれまでは電蓄かモノラルのラジオで音楽を楽しんでいたことから、当時の人たちが聴いていた初期のビートルズの雰囲気を味わいたいならやっぱりモノ音源一択ですかね?

って負け惜しみを言ってみる。


復活第2弾

2024年01月24日 | West Coast Rock

自身のレーベル、ブラザー・レコードを設立し数作のアルバムを出すもいまいちレコードの売れ行きが思わしくないビーチ・ボーイズは気分を一新するためオランダのスタジオでレコーディングを敢行。1973年にアルバム、Hollandを出すも微妙な結果に終わる。

てな事でしばらくの間スタジオ・アルバムの制作はストップし、3年後の1976年、約半数がカバー曲ではあったが、ブライアン復活!とも言われたアルバム、15 Big Oneが登場。アルバムは全米8位となり、久々に表舞台に戻った彼らだった。

更にその翌年、第2弾として全編ブライアンのペンによるフル・スイングのスタジオ・アルバム、Love Youが満を持して登場。

ただビーチ・ボーイズらしさの溢れた好アルバムに仕上がったのだが売れ行きは落ち込んだ。

ハード・ロックやプログレ・ロックが後退しパンクやディスコの嵐が吹き荒れた70年代後半に於て、シンセを導入し時代に即したサウンドを展開するチャレンジがあったにせよ、やはり飛び抜けたシングル・ヒットの後押しが無いとアルバムのセールスには繋がらない。

ブライアンは次作を企画するも、メンバーからの却下と精神的な病からまだ完治していない状態だったことからビーチ・ボーイズのアルバム制作の表舞台から引っ込んでしまう事に。

時は流れてパンクやディスコも消え去った今、我が家においてLove Youは十分復活を遂げていると思う。


BTO

2024年01月22日 | American Hard Rock

カナディアン・ロック・バンドのゲス・フーを脱退したランディー・バックマンが自身の兄弟とC.F.ターナーらと共に1973年に結成したのがバックマン・ターナー・オーバードライブ。

同年末には早くも彼らのセカンド・アルバム、IIが登場し全米4位と大ブレーク。

アルバムは基本2本のエレキ・ギターを中心にカラッとしたハードロック・サウンドが続くも、一本調子な雰囲気を変えるためなのかフロントの3人が曲ごとにボーカルを交互にとり、また軽いラテン・タッチの演奏を曲間に挟む事によってちょっぴりリラックスさせるアクセントとなっている。

豪快でスッキリさせるサウンドで個人的には大好きなバンドであるが、今やこの手の音を出すバンドって全く見かけないね。


Elan

2024年01月21日 | West Coast Rock

伝説のカントリー・ロック・バンド、フライング・ブリトー・ブラザーズ繋がりでリック・ロバーツとジョック・バートレーによるデュオが結成され、さらにギタリスト兼ソングライターだったラリー・バーネットや他のメンバーが加わり1974年にファイヤーフォールが誕生。

1976年のデビュー・アルバムがヒットし順調に活動を継続、そして1978年にはサード・アルバム、Elanが出てまたまた全米11位とヒットさせる。

このバンドの特徴はバンド内に二人のソングライター、リック・ロバーツとラリー・バーネットが在籍しリックはアーバンな雰囲気のポップよりの曲、ラリーは少々泥臭い曲調とそれぞれの持ち味を出しバランスが取れている事だ。

ただこのアルバムでプロデューサーのトム・ダウドと音楽的な方向性の違いで対立、レコーディングはやり直しを強いられなんとか完了したもののギクシャクした結末となった。

この後は更にいろいろなトラブルがあって残念ながらバンドの趨勢も下降気味となる。

やっぱり移り気の激しい人気商売においてコンスタントに活躍していくのはいつの世においても至難の業。

ここは彼らの最後の輝きとなったElan(音楽に対する情熱)をただじっくり味わう事に。


ハードからプログレへ

2024年01月19日 | PROG ROCK

PCはモニターを除けば出来るだけ小型軽量化への道を歩んできた。よってその進化にそぐわない機能やデバイスは新しいモデルが登場すると廃止されてきた。

現在3代目のiMacを使っているが、基盤の不良のため廃棄した昔使っていたiMacにはディスク・ドライブが付いていてiTuneにリッピングしたりDVDの鑑賞に使っていたのだが現在のモデルには装備されていない。

別になくなってもそれほどの不便さを感じない今日この頃ではあるが、CD棚をガサゴソしていると宝の持ち腐れって感じで未鑑賞のブルーレイやDVDのディスクが結構眠っている。

てな事で今回安物の外付けDVDプレーヤーを買ってみる事に。

早速取り出した音源はラッシュの1977年の5枚目のスタジオ・アルバム、A Farefwell To KingsのDVDディスク。

ハードロック系のバンドとしてデビューした彼らも2作目からドラムスにニール・パートが加入した事によって、単なるハードロック・バンドとは一線を画す作品づくりを目指し、このアルバムのレコーディングは初めてカナダ国外に出てウェールズにあるあの伝説のスタジオ、ロックフィールドで行われ、さらにシンセや曲のモチーフに必要な他の楽器も投入され彼らのさらなる進化したサウンドが聴ける事に。

そこで今回DVDプレーヤーを買ってPC経由でデジアンに繋ぎ24ビット、96kHzのハイレゾ音源でも楽しもうと思ったのだが、なぬ~!iMacに以前装備されていた光ケーブルのアウトプットが廃止されているではないか。

そう言えば大昔に買ったクリエイティブ社製の外付けUSBオーディオ・インターフェースが押し入れの奥深くに眠っていたっけ。押入れをガザゴソし20年ほど前の骨董品を発見しセッティングするも、その装置では16ビット、48kHzのほぼCDクオリティーのレベルしか再生できないことがわかった。

最新のUSBインターフェースとなると1万数千円以上するし、むむ〜

結局新しい外付けハードを買ったものの、プログレッシブなハイレゾ音はおあずけってなった次第。

もうCDでよし!


それでは皆様もGo!ってわけには

2024年01月18日 | PROG ROCK

日本が誇る世界で活躍する!って形容されるミュージシャンがいるけれど、それって案外日本だけで盛り上がっているのかも…

海外でレコーディング敢行、あの海外の著名ミュージシャンが参加!ってアルバムにクレジットされていても実態は小遣い稼ぎによる名義貸しなんてことも。

ただこの人の場合はチョット違うかな。

Stomu YamashtaのGoは京都出身の打楽器奏者の山下勉氏を中心に元トラフィックのスティービー・ウィンウッド、リターン・トゥ・フォーエバーのアル・ディ・メオラ、元サンタナのマイケル・シュリーブに元ダンジェリン・ドリームのクラウス・シュルツュなどその筋では本当に著名なメンバーらによって結成されたプログレ・バンド。

これだけのメンツが集まりプログレ・アルバムを制作するって相当山下氏の実力を買ってのことじゃないかと。

本日はGoの1977年の2枚目のスタジオ・アルバムかつ彼らの最後のアルバムとなってしまったGo Tooでも。

デビュー・アルバムと比べるとスペーシー感は後退したものフュージョン系サウンドをベースにしっかり作り込まれている。また今回ソウルフルなボーカルが売りのスティービー・ウィンウッドが本人の都合で参加出来なかったものの今回起用された男女一組の代役のボーカル、特に女性シンガーのリンダ・ルイーズは十二分にその大役を果たしている。

とは言え前作の全米60位のように100位以内に食い込む事は出来ず156位。

やっぱり一般的な売れ線からは外れているよね、結構好みなんだけれど…


忘れ去られたポールのアルバム

2024年01月17日 | BEATLES-BADFINGER関連

ポール・マッカートニーの2007年に出た14枚目のソロ・オリジナル・アルバムって言われても全くピンとこない。

それまで長年の間在籍していたEMIから離れてスターバックスとコンコード・レーベルによって共同設立されたHearmusicからの移籍第一弾として発売されたのがそのアルバム、Memory Almost Full。

買った当初に数回聴いてはみたものの、その後CDのトレイに乗ることのなかった一枚。

一曲目のDance Tonight はシングルとしてカットされプロモ・ビデオなんかがあったのでなんとなく覚えているけれど、その他の曲はほぼ記憶になくオイラにとってはチョット影が薄いアルバムかな?

てな事で本日十数年ぶりに改めて聴いてみると全体的には悪くないし、何度も繰り返し聴いていけばしっくりくるのかもしれない。ただポールの細部にわたってしっかり作り込まれる手法は時折オーバー・プロデュース気味に感じることも。

もっとシンプルにアレンジしても良かったのではないかと…

アルバム・タイトルじゃないけれど、歳を重ねるごとにオイラの脳内の記憶スペースも満タンに近づく。

もっとシンプルでガツンとくる方が記憶には残り易いと思う今日この頃。


リッチー師匠あってのレインボー

2024年01月16日 | DEEP PURPLE-RAINBOW関連

どれだけメンバーが入れ替わろうがリッチー師匠がいればレインボーは健在!

バンドが1975年に結成され約10年弱の間に7枚のスタジオ・アルバムを出すも、ちょいとマンネリに感じたのか当のリッチー師匠が再結成ディープ・パープルに参加する事に決めバンドから脱退し1984年にレインボーは解散。

そんな師匠の置き土産として1986年にレインボーの企画物のライブ盤、Finyl Vinylが登場。

在籍期間が短かく影の薄かったがグラサン・オールバック健在のボネット兄貴を含む歴代の3人のボーカルが楽しめるように編集されていてレインボーの芸風がメンバー・チェンジによって変化していく様を楽しめる。

また日本のオーケストラをバックに師匠がこれでもかとギターを弾きまくるインスト・ナンバー、Difficult To Cure(第九) を含む1984年の武道館で行われたライブの模様も収録されていて師匠の心遣いありがたく感じたものだった…


爽やかな1枚

2024年01月15日 | West Coast Rock

本日はリンダ・ロンシュタットのアルバムのプロデュースや彼女のバック・バンドに参加したり、また並行してソロ活動を続けたウエスト・コースト系シンガー・ソング・ライターかつマルチ・ミュージシャンのアンドリュー・ゴールドの1975年のファースト・アルバムでも。

ヒットするには至らなかったけれど、少し懐かしさを感じる60年代風のポップでメロディアスなサウンドがてんこ盛り。

80年代は元10ccのグレアム・グールドマンとバンド、Waxを結成し活動を続けた。

もっと売れてもよかったのに...