モット・ザ・フープルの通算5枚目、CBS移籍の初アルバム、All The Young Dudesが1971年に発売された。
前作、アイランド・レーベルからの最後のアルバム、Brain Capersが内容は悪くないのにチャート・イン出来ずバンド解散寸前まで行ったものの、当時彼らの才能を買っていたデビッド・ボウイがプロデュースを引き受け、またボウイの新曲も提供された。
それまでのハード系にグラム・ロックの味付けがなされ時代にマッチ、全英21位・全米89位を記録しバンドは息を吹き返した。
このアルバムには、ミック・ラルフス作のReady for Loveやルー・リード作のSweet Janeのカバーなど注目曲が収録されているが、中でもイアン・ハンターの絶叫調ボーカルをフィーチャーしたボウイのペンによるタイトル・チューン、All The Young Dudesが秀逸。
かってボウイがジギー・スターダストに成り代わり、人類は5年以内に終末を迎えるって歌った。
その続編って事で、
全ての若者よ! チンタラやっている場合じゃない。ニュースを知って現実を理解し行動すべきだと。
おぉ〜、勉強になります。
てな事で、オジンになってもヤフーのサイトで毎日ニュースしっかり読み続けております。
まあ、ろくでもないニュースばっかりだけれど...
デビッド・ボウイの1969年の2作目のアルバム、Space Oddityでも。
60年代末期のサイケデリック風フォーク・ロックって感じで、アコギのサウンドはエレキ一辺倒より柔らかく感じられて心地よく聴こえる。
このアルバムは1968年に公開されたSF映画、2001 A Space Odyssey(2001年宇宙の旅)とか人類初の月面着陸を試みようとするアメリカのアポロ計画なんかにインスパイヤーされたとか。
ただ、あれから50年以上経った21世紀も四半世紀を過ぎようとしているのに映画で描かれたような宇宙計画のレベルにはまだまだ到達していない。
異常事態によって宇宙で迷子になってしまったトム少佐もきっと痺れを切らしている事かと…
早くオイラを救出してくれ~!
時間に追われるヘビーな毎日。
週末の夜はちょっとひと息入れてみる。
デビッド・ボウイの1977年、通算11枚目のスタジオ・アルバム、Heroes。
ブライアン・イーノとトニー・ヴィスコンティのトリオで臨んだベルリン3部作の第2弾。
エクスペリメンタルなサウンドはアンビエント・ミュージックにも繋がり、部屋の照明を落とし音量を絞って聴いているとなんだか心がとても落ち着く。
1972年のヒット・アルバム、The Sliderからシングル・カットされたMetal Guruに続いたヒット曲が1972年11月から始まった来日公演に合わせて発売されたアルバム未収録のシングル盤、Children Of The Revolutionだった。
初出は当時リンゴ・スターが制作・監督を手がけたT.Rexのドキュメンタリー的映画、Born To Boogieでのエルトン・ジョン(ピアノ)とリンゴ(ドラム)が参加したジャム・セッション・シーンで、シングル盤の音源はその後別にレコーディングされたそうな。
プロデューサーのトニー・ビスコンティが施した重いストリングスが絡み、摩訶不思議な印象のサウンドとなった。
新しい時代の革命を起こすのは子供達、決して馬鹿にしちゃいけんよ~って歌っていたけれど、矢継ぎ早に20世紀少年など数曲のヒット曲をチャートに送り出したその後はボランさんもちょっと息切れしたかな?
グラム革命もあえなくその終焉を迎えることに。
それでも、当時は色々な毛色のアーティストが入れ替わりに登場してきて楽しかったな。
1974年、アメリカ進出を目論みアルバム、Diamond Dogが発売。間髪を入れずにアメリカ・ツアーを敢行し同年10月にそのフィラデルフィアでの公演のライブ音源をレコード化した。
それがDavid Live。
レコードが発売された当時は、音が平坦だとかボウイのボーカルに薬のせいで張りがないとか色々と酷評された。それでもヒットチャートでは英2位、米8位と大健闘。
そして1990年RykodiscによってCD化された。レコード音源は持っていなかったのでこのCDを購入することに。
(ブルーを基調にジャケを制作)
レコード発売当時評論家からかなり腐されたみたいだが、このCD音源聴いてみると言われるほど悪くはないと思えたのだが…
そして2005年にはオリジナルのプロデューサであったトニー・ビスコンティが5.1CHのマルチ音源を制作した際、それをベースに新しく追加した曲を加えた新ステレオ音源も制作しCD化された。
(2005年盤は、ホワイトが基調となりイメージが激変)
2005年バージョンは1990年のミックスと比べると、少し音圧も上がり更に全体的にメリハリを加えたハッキリした音になったかな?
(2005年の波形は振幅が激しくメリハリ効いてます)
2005年盤ばかり聴いていて古い盤はご無沙汰だったけれど、古いCDには買った当時の思い出もあって、これはこれで聴く価値があるのかな。
最近殆どテレビを見る事はなくなった。
見るとしてもスポーツ中継か興味のある分野のドキュメンタリー物ぐらいですか。ニュースにしてもネットの方が早いし事足りる。
特に最近のバラエティー番組なんて個人的には最悪ですね。
画面になんらかのビデオ映像が流れていて、画面の隅にワイプされた芸能人が台本通り何かを呟く。更に、あたかもスタジオに一般の観覧者を入れているが如く、エェ~とかオォ~とかのわざとらしい効果音を流し、そして大して面白くもないやり取りに対して、スタジオ内から関係者と思える仲間内からの笑い声。
こんな土曜日の夜は、レコードでも取り出しリラックスして鑑賞するに限るってことで、取り出しましたるはこのブログでも登場している、T.RexのThe Slider。
シングル・カットされたTelegram Samもカッコいいし、Metal Guruのイントロだけ何度もリピート。しかし一番このアルバムで良いと思ったのはBallrooms Of Marsですかね。
マーク・ボランの特徴でもあるアコースティックな味わいの演奏で単純なメロディーが繰り返され、これが妙にツボにハマる。
かくして、土曜の夜は集合住宅ゆえ音量絞ってロックで行こう!
1987年のアルバム、Never Let Mer Downの売れ行きが思ったものではなく、行き詰まりを感じたのか目先を変えてハード・ロック・バンド、ティン・マシーンを結成したものの成功を手にする事は出来なかった。
バンド活動を停止しソロに戻り1993年にはBlack Tie White Noseを制作、その合間にBBC TVのドラマのサントラ盤も制作し同年に登場。
それがアルバム、The Buddha Of Suburbia(郊外のブッダ)。
ただサントラ盤と言っても実際の映像にはタイトル・トラックのみ使用されたとのことで、ボウイのオリジナル・アルバムと言っても差し支えのない位置付けで後にジェケットのデザインを変えて欧米で再発された。
何故か当時日本盤が発売されなかった事から、日本では知名度の低いアルバムであるが、一聴してみると結構いけるじゃないの。
時折聴こえるジャズ・タッチのピアノや馴染みのフレーズなどアルバムのアクセントになっていて、彼の70年代を思わせる。
インスト・ナンバーが多いこのアルバム、ただ70年代と言っても個人的にはベルリン三部作時代のようなその当時の暗さや翳りを特に感じず、更にいえば全体的には安らぎと言うか穏やかな明るさを見出すわけで...
ボウイ的には不発に終わったティン・マシーンのプロジェクトはソロ・スタート再開のためのリハビリ的なものだったのですかね。
シーッ、聴けばわかるって。
デビッド・ボウイーのファンならばこのアルバムは絶対無視できない存在。
個人的には彼のアルバムの中ではベスト3に入る。
1972年に発売されたThe Rise And Fall Of Ziggy Stardust And Spiders From Mars。邦題は ”屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群れ”と言う一歩引く様なおどろおどろしいタイトルだった(後年にジギー・スターダストと単純化された)。
このブログでも何度かこのアルバム登場しているので本日は別バージョンで聴いてみる事に。
因みに、2002年30周年記念盤としてリマスター音源とアウト・テイクを含んだ2枚組CDが発売。そして翌年にはステレオと5.1chマルチ音源を収録したハイブリッドSACDがヨーロッパで発売された。5.1chマルチ音源はこのアルバムをボウイと共同プロデュースしたケン・スコットによってリミックスされた訳であるが、残念ながら我が家にはSACDのマルチ音源を再生する機材が無かったので猫に小判って感じになってしまった。
時は流れて、2012年にボウイの全作品の再リマスター企画がスタートした際、なんと2003年ケン・スコット・ミックスの5.1chマルチ音源がステレオ化されLPとして登場。
本日はオリジナル音源と聴き比べてみようって事で早速ターン・テーブルに乗せてみた。
むむ~、よく分からない。多分音の広がり方とか音圧に差があると思うのだが、老化現象による聴力の衰えでイマイチその差を明確に聴き取れないし、さらに記憶力の低下もある。DJスタイルで同じターンテーブル2台をミキサーと繋いで交互に聴けば、何とかなるのかも…
それでは本日は聴覚ではなく視覚で楽しむことに。
なるほど、あの電話ボックスってこんな所にあったのね。
何事でも常に一流のステイタスを保ち続けるには相当のプレッシャーを覚悟せねばならない。
そのプレッシャーに耐えられず大きなストレスを抱え込み、酒や薬に逃げ込むことも多々ある。緊張をほぐすために少量からスタートするもやがて自身でコントロールできない容量を摂取する状態に落ちってしまう場合もある。
ボウイさん、新しい芸風であるプラスチック・ソウルでアメリカで大活躍も長年のドラッグ中毒で精神的に辛い思いをしたのだろうか、ドラッグと決別という思いなのかは定かではないが、アメリカからヨーロッパに活動の拠点を移し心機一転。
ブライアン・イーノと組んで新たの方向性を模索、その回答が1977年の通算11枚目のオリジナルアルバム、ベルリン三部作の第一部とも言われたLow。
(2018年のリマスター盤。RCAでは無くBOWIEのロゴGAレーベルに。)
サイド1はボウイの従来の雰囲気を少し引き締めた感じのポップ路線ですかね、ただサイド2は暗く冷たい、無機質なイメージで殆どがインスト・ナンバーで構成。イーノのシンセから紡ぎ出されるアンビエント、即ち空気のような味わいがそこかしこに…
確かに無の境地で薬なしにメンタルを落ち着かせる効果はあるかも...
ただもうこれはロックと言えるのだろうか? とは言え、この実験的なアルバムが結構売れたのである。
当時の世の中疲れ始めていたのかも。よって、癒しが求められたのかな?
さすがボウイさん、今更ながら時代を一歩先取り。
凡人の私には聴いてびっくりで到底その発想など思いもつかなかって、時代がひと回りして今更ながら、これがいいのだ!と感じた次第。
因みに、ボウイの盟友イギー・ポップとメリー・ビスコンティなる人物がバッキング・ボーカルでこのアルバムに参加。
メリー・ビスコンティといえば、このアルバムのボウイとの共同プロデューサーであるトニー・ビスコンティの嫁さんで、多分そのつながりでアルバムに参加したのだろうか?
メリーとは、その昔ポールが売り出しに力を注いでいたウエールズ出身のフォーク・シンガーでアップル所属のアーティスト、メリー・ホプキンのこと。確かデビュー当時ポールのポップ路線とは相容れずGood Bye、そしてフォーク路線を貫いていくことに。
その彼女がフォーク路線とは全くかけ離れたボウイのSound And Visionでコーラスつけているとは!
彼女もこれがいいのだ!と思ったのかも...
この世の中、何でもそう簡単に物事は思い通りにはいかない。簡単に思えても何かしら色々と手間かかってしまう。
誰か最強かつシンプルな一手を授けてくれないかな?
そんな時は、コレを聴いてみる。何かヒントになるような事歌っているかも…
ああ~ Solid Gold Easy Actionの事?
(1972年、シングル盤のみで発売された)
何を寝ぼけたこと言っているの。
当時人気絶頂だった無敵のボランさんでも、それが欲しいって言ってるくらいだから、我々凡人はただ努力の上に努力のみ!
あなた、分かった?
Hey, Hey, Hey
おちゃらけの合いの手入れるようでは、あまり分かっていないような...
発売当時、何故かやっつけ仕事かのようなこのシンプルな曲に凄くひかれた記憶が...
爆音でどうぞ。
Hey, Hey, Hey
アイランド・レーベル時代から数えて通算7枚目にあたるモット・ザ・フープルのスタジオ・アルバム、The Hoopleが1974年に登場。
このアルバムはシングル・ヒットしたAll The Way From Memphisを収録した前年のアルバム、Mottと対になっているみたいで作風は同じ方向を向いている。
ちなみにバッド・カンパニーに移籍したギターのミック・ラルフスの代わりにエリアル・ベンダーが加入、サポート・メンバーだったキーボードのモーガン・フィッシャーが正式メンバーに昇格し5人組で再スタートを切った。
イアン・ハンターのボーカルはディランがハードなパンク・ロックをガチで歌うが如く、そのインパクトは強烈。
豪快な歌いっぷりが魅力のロックンロール黄金時代!
残念ながらこの後メンバーが脱退しミック・ロンソンらが加入するも、結局イアンがミックを連れてバンドから脱退しソロ活動へ。
残りのメンバーがさらなるメンバーの補充をおこない、さらにバンド名をMottと改名して活動を続け2枚のアルバムを出したものの解散。
メンバーの出入りの激しいバンドだったが、やっぱりイアンなしではモット・ザ・フープルは成り立たない。
せめてもう一枚このメンバーでアルバム作って欲しかった。
70年代中頃になると値上げに次ぐ値上げでLP一枚が2500円程度で販売され、当時の一般的な所得から考えるとLPの購入って結構割高な商品だった。
ただその頃はカセット・デッキが比較的安価で高性能となり、録音テープもダイナミック・レンジの広いハイ・エンドなスペックものが投入された事から、LPを購入して直ぐにカセット・テープにダビングして聴くことが流行った。
さらに週刊でFMラジオの番組表を掲載した雑誌も発行されたことから、大ブームとは言えないもののエア・チェックもオーディオ・マニアの間では流行った。
これだとガチのファンでない限り特にLPを買う必要も無くなってくるわけで...
本日はデビッド・ボウイの1974年の8枚目のアルバム、Diamond Dogs。
当時土日を除いた毎日夕方、新譜アルバムを丸ごとオン・エアーするFMラジオ番組があって、このアルバムをエア・チェック。
テープに録音されていることによってから、LPで再生するよりは手軽に再生でき何度も繰り返し聴いていた。
てな事で、ジャケのセンスがイマイチでグロテスクだとか内容も他の作品と比べれば劣るなんて辛口な批評もあったが、個人的には耳に馴染むアルバムとなった。
しかしそのテープも劣化して廃棄処分と相成る。
2004年になると30周年記念盤Diamond Dogsが発売されたので、当時住んでいたシンガポールのCDショップで懐かしさに誘われて購入に至る。
ボートラ音源が収録されたCDを含む2枚組として発売されたものの、ダビング出来ないCopy Controlled CDと言うスペックだった。
(ダビング出来ないって事は無いけれど、PC使ってダビングしている最中にPCもしくはメディアが壊れてもわしゃ知らんって感じかな?)
当時シンガポール、香港やマレーシアは英国のレコード会社の販売テリトリーでEMI系の新譜はほぼCCCDだった様に記憶する。
不評によりCCCDはその後すぐに廃止され、また新たなフォーマットのDVD Audioもさほど話題にならず、まさか1周回ってレコード・ブームになろうとは…
ロンとラッセルのメル兄弟が中心となってアメリカで結成されたバンド、スパークス。
アメリカで成功しなかった彼らが渡英し完成させたのが1974年の3作目のアルバムがキモノ・マイ・ハウス!
(外人さんが着物を自己流で着たらこんな風になるってのを写してみたかったのかな?)
(英国でリクルートしたバンド・メンバー3名を加えて完成)
女性ボーカルかと勘違いしてしまう様なハイトーン・ボーカルをブリティシュ・ロックビートに乗せてオペラチックでかつ前衛的に展開。
付いて行くのに精一杯。
因みにアルバム・タイトルは他のアーティストの曲名、Come On My HouseだとかKimona My Houseなどを捩ったものだとか…?
さらにアルバム・ジャケに配した目を引くポップな写真はバンドとは関係のないモデルさんらしい。
てな事で音だけでなくアルバム全体が洒落っ気たっぷり。
このアルバム当時英チャートでは4位とそこそこ売れたらしいのだが、私とは少々波長が合わなかったのか結局所有する彼らのアルバムはこの一枚だけ。
今宵オジンの身になった私が、今一度聴いてみる。
むむ〜 まだまだ修行が足りんわい!
メル兄弟のこの容姿、確かに只者ではない!
な、な、なんじゃ〜 これは〜!
新譜のマスター・テープを聴いて、リプリーズ・レーベルの幹部が飛び上がったかどうかは定かでは無い。
アメリカでの発売が却下となったMarc Bolan & T.Rexの一味が制作した1975年のニュー・アルバム、Zinc Alloy And The Hidden Riders Of Tomorrowのアメリカでのプレスは却下され、ヨーロッパ、日本その他一部地域のみでの販売となった。
(邦題はズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー、ズィンク・アロイは亜鉛合金で何と無くアメコミに出てくるような怪人のイメージか? Hidden、隠されたという意で顔が隠されたライダー、すなわち仮面ライダーとなる。Tomorrowは明日を象徴する明け方と考えて朝焼けって言葉が登場。ネット上ではマークが来日した時仮面ライダーの番組を見て思いついたそうな。ホンマかいな〜?)
(Marc Bolan & T.Rexの一味)
1974年David Bowieがアルバム、Diamond Dogsを出した後アメリカ・ツアーを敢行、そこで徐々に芸風がソウルへと転換し、翌年プラスチック・ソウルと呼ばれたアルバム、Young Americanを出して大ヒットを飛ばす。
グラムの終焉を感じ始めたMarcがこれに感化されたかどうかこれまた定かでは無いが、このアルバムのベクトルが同じような方向だと感じた。
かってのヒット・シングル、Telegram Sam、Metal Guruや20th Century Boyなどのグラム特有の怪しい雰囲気の素がパラパラ振りかけられたお馴染みのロック・ナンバーをこのアルバムに期待してはいけない。
ここにはスローからミディアム・テンポの甲高いバック・コーラスに彩られた少々地味な味わいのグラム風ソウル・ナンバーがずらりと。
このノリにハマることが出来るかどうかで、このアルバムの評価が決まる。
ちなみにアメリカでは、レーベルをカサブランカに変更して、このアルバムから3曲そして次作のBolan’s Zip Gunから8曲調達して合併アルバム、Light Of Loveが発売されたとの事。
Bolan:あんさん、商売上手でんな〜
Bowie:なんの、なんの。アメリカ・ツアーでオーティスのR&B、Knock On Woodのカバーをサービスのつもりで演ったら意外に受けてね、ツアー自体も最後あたりは自然にソウル・ツアーに変わって行ったからね。もうホント、ラッキー!
Bolan:こっちなんか、プレス拒否られオマケに必死で作った2枚の新譜1枚に編集しやがって! もうホンマにわやや!
Bowie:ワシが思うに、あんさんグラムのスパイスかけ過ぎたんと違いまっか? ツアーして分かったけど、アメリカではとっくにグラム終わってましたで〜
万人ウケする世界の味の素かけときゃよかったのに... いつでも〜、どこでも〜♪♪ 中略 マイ・ファミリ〜 アジノモト〜♪♪ ってアンディさん歌ってましたで〜
てな会話があったかどうかは定かでは無い。
ロックは各々の感性の問題。誰がなんと言おうと良いと思えばそれでよし。
ただ、商売として考えると流行の波に乗らなければ、全く売れないで終了てなことも。
このアルバムはその後一周回ってようやく評価されたものの、ボランさんはもうおらんかった。
(2014年の再発LP)