CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

今年最後の日のこの一枚、その2

2020年12月31日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

今年最後の日、何を聴こうかと再び考えた。

やっぱり大晦日に聴くロックならコレ!って言う人もいるかも?

てな事で取り出しましたるはThe Bandのライブアルバム、Rock Of Ages。

1971年の12月にAcademy Of Musicで28日から31日までの4日連続の公演をLP2枚に編集し収録したもので、最終日にはサプライズ・ゲストとして公演の終盤にボブ・ディランが登場し日を跨いだ翌日の1月1日の朝早くまで4曲をThe Bandと共に演奏を続けたと言うからすごい!

ディラン登場のパートは、当時のLPには契約の関係で収録されず2002年の再発リマスターのCDに収録されている。

Rock Of Agesとはいくつもの時代を経た岩(Rock)、つまり永遠なる岩でコレに音楽のRockを掛け合わせて永遠なるロックと言う意味。

ロック・バンザイ〜!てな事で、コレだけでおかず無しにご飯2杯いける。

アメリカ盤を購入。レコード1にはサイド1とその裏にはサイド4が収録され、当時オートでLP2枚連続演奏できるレコード・プレーヤー用のものである。

因みに実際の大晦日の公演ではUp On Cripple Creekからスタートしたらしいが、このアルバムに馴染んだ者としてはやっぱりDon't Do Itの方がしっくりくる。

それでは良いお年を。

 


今年最後の日のこの一枚

2020年12月31日 | BRITISH ROCK

今年最後の日、何を聴こうかと考えた。

やっぱりロックで派手に締めくくるのが良いと思い取り出しましたるはThe Whoの6枚目のアルバム、Quadrophenia(四重人格)。

トミーに続くロックオペラ第二弾!

オペラ仕立ての小難しい内容は横に置いといて、The Whoの熱演を楽しもうではありませんか。

(道交法違反確実のGSスクーター)

ジョンの唸るベース、ロジャーのパワフルなボーカル、ピートの切れ味鋭いギター・カッティングにお馴染みキースの手数の多いドラムス。

(ジョン以外はワイルドですな。)

(ピートは特にワイルドですな。)

コレだけでおかず無しにご飯2杯いける。

 

来年もよろしく!


レトロなミュージックで明るくいこう!

2020年12月25日 | R&B

コロナ感染拡大で少々落ち込んでいるそこのあなた!

60年代の明るいポップスでも聴いて明るさを取り戻してみてはいかが?
 
取り出したるはフィル・スペクターのプロデュースのコンピ・アルバム。

スペクターと言えばストリングスやコーラスで音の隙間をなくす厚みのあるウォール・サウンド制作の達人。
 
このCDではクリスタルズや娘のロニー・スペクター率いるロネッツが大活躍。

元気出てくるかもね。
 
それより携帯でのブログ記事のアップ、慣れないせいか打ち間違いばっかりで、気が滅入ります。
 
 

サンタもビックリ!

2020年12月24日 | Bob Dylan, Byrds, Band and etc.

今日はクリスマス・イブ。

クリスマス・ソングでもと取り出したるはディランの2009年の作品、Christmas In The Heart。
 
クリスマス・ソングには思い入れがあったそうでpart of my lifeと言ったそうな。
 
これもフォークソングだからストレイトに演奏すれば良いとの事らしい。
 
しかも、収益の100パーセントを寄附。
 
さすがディラン、サンタも驚くダミ声も問題なし!
 

オーマイPC

2020年12月22日 | PROG ROCK

ギャー

PCが突如故障に。
年末なのとコロナのため、修理出来るのは来年だって!
仕方がないので携帯から記事をアップ。
画面が小さく、それ故文字を打ち込むのに四苦八苦。
 
本日は2005年ロサンゼルスのグリークシアターでのムーディー・ブルースのライブを聴いてみた。
サポートのミュージシャン入れていて、音に厚みが出ていて中々よろし〜
 
これだけ書くに結構時間がかかり大変だ。
 
 
 

レイナードのOne More For From The Road

2020年12月18日 | Southern Rock

昨日のニールのAmerican Stars N Barsに触発されて本日は南部軍旗(Battle Flag)御用達のレイナード・スキナードでも。

レイナードといえばニールのSouthern ManやOhioなどで南部に対する政治的な歌詞に反発する Sweet Home Alabamaが有名でライブの定番となっている。

でかいトラック走らせ

俺の仲間に会うため故郷にむかう

南部の歌を歌ってると、奴らを恋しく思わせる

これは罪ってもんだぜ。

 

ヤングさんの歌をよく聴いた

老いぼれのニールの書いたやつさ

奴には俺が言ったこと思い出して欲しいね

奴なんて必要ね〜ってことを

と超訳してみた。

そのニールさん余裕かまして、俺のこと歌ってくれてありがとさ〜ん、実のところ俺もその歌気に入ってライブで歌ってるぜ〜。

てなことで両者そう悪い関係ではない様な気がする。

1976年に出た彼ら初のライブ盤、One More For From The Roadは彼らの魅力を十二分に発揮したアルバムで聴き応え抜群。

(One More For The Roadと言えば慣用句で最後のもう一杯を意味する、そのForをFromに置き換えてOne More From The Roadとしたのは、多分同年の2月にスタジオ・アルバム、Gimme Back My Bulletsを出したから、今度はThe Road、即ちライブ盤からもう一枚てな意味ではないか?)

(1976年のアトランタのフォックス・シアターでのライブ)

上記のSweet Home Alabamaもなかなかよろしいが、やっぱりこのアルバムの売りはトリプル・ギター炸裂のFree Bird。

11分を超える長尺の曲もあっと言う間に聴き終えるほどの熱演で、レコードが擦り切れる程とは言わないが結構この曲リピートして聴いた。

今日は週末の夜、時間が余裕があるので久々に全編堪能してみようと思う。

レコードが擦り切れるってことはないと思うけど。

南部軍旗(Battle Flag)発見!

ライブ盤に付属していた歌詞カード。

誰かが聴いたものを文字におこしたものだが、スタジオ盤とはちょっと歌詞が違う。

ただこのライブ盤を聴いていると,大したリスニング能力を持ちわせていない私が言うのもなんだが、この歌詞カード通りには歌っていない様な...

 


ニールのAmerican Stars N Bars

2020年12月17日 | CSN&Y

本日はニール・ヤングが1977年に出したアルバムのタイトルがAmerican Stars N Bars。

Stars And Barsと言えば、18世紀リンカーンの奴隷制度廃止が引き金になって黒人の労働力に大いに依存していた南部の7州がそれに不満を持つ事によってアメリカより独立宣言し、アメリカ連合国を建国した際作られた国旗の事。

そのデザインは左上のブルー長方形に連合した7州と同じ数の星が描かれ、残りの部分には赤白赤と交互で横向きに描かれたバー3本が描かれている。

(Stars And Bars)

(初期の頃の合衆国星条旗、Stars And Stripes)

そして南北戦争に突入するも、北軍の掲げる国旗は星条旗(Stars And Stripes)で、両者の掲げる旗がよく似ているためアメリカ連合国は別のデザインの旗(赤の下地に濃紺色のX型十字に星が描かれた)を軍旗にしたそうな。

(レイナード・スキナード御用達、ご存知南軍旗、Battle Flag)

それからアルバムの内スリーブにLyndon Johnson Bared His Scares, American... Stars N Bars (リンドン・ジョンソンは彼の傷をさらけ出したと言う意味だろうか?)と記されている。

60年代、アメリカ合衆国副大統領だったリンドン・ジョンソンはJ.F.ケネディ暗殺の後大統領に就任し、南部テキサス出身だったにも関わらず、人種差別を無くす公民権法制定に尽力したことから、当時党派関係なしに南部出身議員からかなり恨まれたそうな。

この辺りは2016年の映画“LBJ ケネディの意志を継いだ男”を鑑賞すればある程度状況が把握できるのではないかと...

政治絡みを感じさせる大仰なアルバム・タイトルはなんとなく小難しい先入観を感じさせるかもしれないが、いざ聴いてみれば、ロック系の代表曲Like A Hurricane除けば、ニールとしては癒し系カントリー・アルバムの類だと言える。

いつものクレイジー・ホースの面々に、スティール・ギターを弾く盟友ベン・キースやバック・ボーカルにリンダ・ロンシュタット、ニコレッタ・ラーソンにエミルー・ハリスらを起用する事によってリラックスしながらもしっかりした演奏となっている。

ただ、4回の異なる時期に行われたセッションからの寄せ集め的な収録のため、アルバムとしての統一性は今ひとつ感じられない。

ジャケのアート・ワークでは満天に星々が光輝くころアメリカの何処かのバーでぺしゃんこになって酔い潰れているニールのお姿が!

これこそがAmerican Stars N Barsだったりして...

まあ、あまり深く考えないで鑑賞するほうがいいのかも。

(裏ジャケのアート・ワークはアメリカン・インディアン、黒人だけでなく彼らも公民権運動に参加していた)


ホント申し訳ない。

2020年12月16日 | R&B

1962年、コンポーザーそして演奏者として大きな才能を持った12歳のリトル・スティービーがレコード・デビュー。

そして10年後大人になったスティービーが1972年通算15枚目のオリジナル・スタジオ・アルバム、Talking Bookを出してついにブレーク(全米3位)を果たす。

このアルバムから2曲、You Are The Sunshine Of My Lifeとご存知Superstitionを全米第1位となるヒットを連発しさせ、その後続く数枚のアルバムによってスティービーは名実ともに偉大なミュージシャンの地位を築くこととなる。

ところでこのアルバムに収録されたI Believe(When I Fall In Love It Will Be Forever)にはジェフ・ベックがギターで参加。

その時スティービーがジェフが結成する新しいロック・バンド、Beck Bogart and Appiceのデビュー・アルバムにSuperstitionを提供する取り決めをしたそうな。

ただ新グループの結成が少々もたついている間に、曲がヒットすると確信を持ったレコード会社、タムラ・モータウンが待ち切れずにひと月早く先にシングル・カットさせてしまった。(その昔Tamlaの響きが田村に聞こえて、最初は日本人が絡んでいるのかなんて思った事も...)

大ヒットしてしまったので流石のジェフもいい気はしなかったらしい...

約束したのにこんなことになって申し訳ないと、スティービーはジェフの次のアルバムに曲を提供する事になったそうな。

それがジェフの1975年のソロ・アルバム、Blow By Blowに収録されたCause We've Ended As Lovers(哀しみの恋人達)でその注釈として“ロイ・ブキャナンに捧ぐ、そしておおきにスティービー JB”と記されているではないか!(だめ押し目的なのか、もう一曲Theloniusもこのアルバムに提供している)

Blow By Blowも全米4位の大ヒット。

バランスの取れた仲直りが出来て、めでたしめでたし。


泣かせるではないか!

2020年12月15日 | AMERICAN ROCK/POPS

60年代ギター片手に透き通るようなソプラノ・ボイスでフォーク・ソングを歌い、フォークの女王と称され人気を博したJoan Baez。

ずっとフォークの女王のスタイルを貫く事もアリだが、名声に胡座をかかずに新たなジャンルに斬り込むのも必要ではないかと…

その彼女が70年代に示した回答は1975年に出したアルバム、Diamond And Rust。

ジョー・サンプル、ウイルトン・フェルダーにラリー・カールトンらクルセイダーズの面々に、ドラムスのジム・ゴードン、トトのデビッド・ペイチやトム・スコットなどバックに豪華メンバーを揃えてレコーディング。

ちょっと乱暴かもしれないが、これだけの面子を揃えれば聴かずともアルバムの出来は悪かろうはずはないと...

その予感は一聴して確信へと変わる。

彼女のオリジナル曲も中々よろし〜がカバー曲も味わい深いものがある。

ディランを始めジャクソン・ブラウン、ジョン・プラインやジャニス・イアンらのシンガー・ソング・ライター系だけでなくスティービー・ワンダーやオールマンのディッキー・ベッツらの曲を取り上げていてバラエティーに富んでいる。

その出来もオリジナル曲同様、ちょっと泣かせるくらい中々よろし〜ではないか!(お気に入りのアーティストの曲をカバーしているという事もあるが)

さらにアルバムの締めにピアノ演奏をバックにDanny Boyを持って来るなんて、ホント泣かせるではないか!

極め付けはあのジューダスさん、1977年のアルバム、Sin After SinでこのアルバムのJoanのオリジナル曲、Diamond And Rustをカバー。

Rob Halfordがヘビメタ流に高らかに歌い上げているではないか!

それ聴いて思わずプリースト!プリースト!プリースト!とチャントしてしまいそうな…

オォ〜 泣かせるではないか!

 

オタク泣いてばっかりね。


その可能性は?

2020年12月14日 | AMERICAN ROCK/POPS

トッド・ラングレンの何か(Something)を語るとすれば、歌唱を含めたマルチ・プレーヤーであり、作詞作曲をこなし、さらにレコーディングのエンジニア兼プロデューサーと一人で何でも出来るスーパーなお方ってことですかね?

本日はそのトッドの1972年の2枚組大作、Something/Anything?

2枚のLPレコードをサイドごとにパート分けし各サイドには次のタイトルが…

レコード1のサイド1はA Bouquet Of Ear-Catching MelodyでI Saw The Light から始まる耳触りの良い曲を集めたサイドであります。

レコード1のサイド2はThe Cerebral Sideと銘打たれていて、直訳すれば脳のサイド、即ちサイケデリックもしくはプログレ的な音という意味か?

レコード2のサイド1はThe Kid Gets Heavyで、ちょいと派手にロックかましてみましたってところですか…

レコード2のサイド2はBaby Need A New Pair Of Snakeskin Boots(A Pop Operetta)で、それまでの3サイドに於ける単独の宅録ではなく、バンドを入れてみんなでワイワイガヤガヤ、オーバー・ダブなしのライブ録音やりましたって事らしい。

これらに関してご意見何かありますか?(Anything?)

えっ〜と、ちょっと言いにくいのですが、個人的には彼のサイケデリックとか実験的な音楽志向に関してはそれほど興味がなくて、Ear-Catching Melodyの無限ループって感じでアルバム制作お願い出来ればって思っているのですが…

まあトッドのこれまでの芸風からしてその可能性はNothing!


ナンバリング命

2020年12月13日 | Chicago

1975年の“末だ見ぬアメリカ”がChicagoVIII。

1976年の“カリブの旋風”がChicagoX。

あれ、それじゃChicagoIXは?

米ブラス・ロックの第一人者シカゴの各アルバムはナンバリングされている。これはスタジオ・アルバムだけでなく、正式に企画され全世界で販売されるライブやコンピ・アルバムもカウントされるのである。残念ながらオレンジ色のLive In Japanは当時日本限定での発売のためカウントされず。

4枚組カーネギー・ホールのライブ・アルバムが、ChicagoIVで ChicagoIX は1975年に企画されたChicago’s Greatest Hitsがそれに当たる。

1969年のデビュー・アルバムから1974年のChicagoVII “市俄古への長い道”までの彼らのヒットシングルが一枚のLPに収録されている。

ただ各曲シングル・バージョンということでアルバム・バージョンに比べて短く編集されている曲もあって、特にMake Me Smileの導入部の高らかなに鳴り響くブラスがカットされているのはチト残念。

このアルバムは初期のシカゴとしては一番売れたアルバムで、シカゴの歴史をサラッと辿るには優れ物のアルバム。

じゃあ1999年に出たLive In Concertって何番になるの?

えぇ〜と、それは確か26番目でChicagoXXVIですな。

ここまで来るとややこしい。


海外で買ったCD達、その2

2020年12月12日 | Queen

英ロック・バンド、Queenの初ライブ盤と言えば1979年に出たLive Killers。

1978年7枚目のアルバム、Jazzを出した翌年のヨーロッパ・ツアーの模様を録音したもので、75年、76年そして79年の来日公演に行けなかったファンにとっては待望の初ライブ・アルバムとなった。

実はこのアルバムをオン・タイムでは買っていない。初期のアルバムを好むQueen原理主義者の私は、4作目のオペラ座の夜以降のアルバムに対してそれほど興味を示さなかったからである。

ただ、一体ライブではどんな音を出すのだろうかと興味はあったが、実際のオフィシャルの音源を手に入れたのはずっと後の2003年の2枚組CD(2001年のリマスター)として発売された時である。

アルバムに耳を傾けると、高速We Will Rock Youから始まって、曲間のフレディーのMCでピ〜と警告音が鳴り響き、期待したBohemian Rhapsodyのオペラ・パートはテープでの演奏、更にはライブ音源にところどころオーバー・ダブを加えるなど突っ込みどころ満載のライブ・アルバムだった。

まあ、あの重厚なオペラ・パートをバンド・メンバーたった4名で実演となるとまず不可能だし、また多少のオーバー・ダブも音を安定させるには必要だと思うけど、ライブ会場1箇所のみでの録音では無かったのだから少なくともピ〜と鳴った後付けの警告音は省くことが出来たのでないかと…

まさかフレディー、どこの会場でも警告音を後の編集で挿入しなきゃならない程の危ない語りをしてしまったのだろうか?

オォ〜っと、もう一つ突っ込みを忘れていた。

この2003年に海外で買った代物はちょうどその頃スタートしたEMIが開発したコピー・コントロールの機能を持つCCCD。

CCCDとは著作権を守るため音楽データの無断複製を阻止するため各音楽ソフト・メーカーがそれぞれの仕様で開発した商品だったが、再生装置を壊すとか音質が良くない(私の駄耳ではその判断がつかなかったが)などの不評も数多く寄せられたみたいで、結局その後数年でCCCDは消滅してしまうことに。

ただ実際の所、CCCDのことよく理解して不評が寄せらたのかどうかは定かではない。

何しろPlayback problems may be encountered on some equipmentという但し書きが既に曖昧だからである。

 


海外で買ったCD達

2020年12月10日 | EURO ROCK

東南アジアではメロディアスな曲が圧倒的に受ける。

80年代ならオーストラリア出身のAir Supply、90年代ならデンマークから飛び出したMichael Learns To Rockですかね。

(シンガポールで買った1993年発売のセカンドアルバム、Colours)

日本でのライブの会場は数千人規模のホールが精一杯。しかし東南アジアでなら数万人が集まる屋外での公演と言うから凄いの一言。

オォっと、このお方達も忘れてはならない。

ドイツのハードロック・バンド、Scorpionsである。

70年代初めごろから活動を始め人気が出だしたのが80年代で、世界的にソコソコのヒット曲を連発。

彼らはハードなナンバーだけではなくハイトーン・ボーカルによるメロディアスな泣きのバラードも得意としている。

シンガポールに住んでいたとき買った彼らのベスト盤とでも言えるCDを持っているが、The Millennium Collectionと銘打たれたEMI独自企画の東南アジア向けCDでマレーシアでプレスされたものである。

(1999年発売のThe Millennium Collection)

売りは17曲のベスト・ヒット・シングルを収録となっているが、調べたところではそのうちの2曲はシングル・カットされていないみたいだが、まあ看板には偽りのない程度の宣伝文句なので不満はない。

彼らのシングル・カットは比較的メロディアスなバラードが採用されることが多いので、そう言った意味では東南アジア向けのベスト盤と言って差し支えない。

収録曲全17曲、トータル80分弱を一気に聴くのは歳の関係でチート辛いものがあるが、内容は概ね良好。

1991年の彼らの大ヒット曲、Wind Of Changeを聴けば東欧の脱共産化から東西ドイツの統一経てソ連邦の崩壊へと風向きが変わって行った激動のあの頃を思い出す。

あれから30年経つけど世界は大きく変わったのか?

超大国は相変わらずマウント取るためお互い睨み合い、隙あらば!てな状況が続いてるような…


カンサスのアルバムを聴いてみる

2020年12月08日 | PROG ROCK

天動説と地動説なんて言葉がある。

一般的に、前者は“地球は球体で星が地球を中心にして公転していることを唱える説”で2世紀にプトレマイオスが体系化したもので、後者は中世コペルニクスの観測データによる計算によって確立された “球体の地球が衛星の一つとして恒星、すなわち太陽の周りを公転する説”である。

これとは別に地球平面説なんてのもあり、同じ方向にずっと歩いて行くといつかは地面の切れ目、Point Of No Returnに到達するってお話で、これは中世のヨーロッパで拡散された宗教的な考え方で科学者やそれに類する知識人が唱えたものでは無かった。

大航海時代のコロンブスも既に地球は球体だと考えていて、大海を真西の方向に横断していけば東航路の先にあるインドに反対側から到達出来るだろうと考えていた。

ただ南北アメリカ大陸が繋がっていたとは想像がつかず、長い航海の上到達した場所をインドと思ったことからカリブ海に浮かぶ島々が西インド諸島と名付けられた。

ここにPoint Of No Returnではなく Point Of Know Returnなるプログレ・ロックのアルバムがある。

アメリカのKansasというバンドが1977年に出した通算5枚目のアルバムで“もう戻る事の出来ない位置”では無く“まだ戻る事の出来る位置”とでも解釈すれば良いのか?

(パイレーツ・オブ・カリビアンの世界かな?)

Kansasはイギリスのプログレ・バンドの影響を受けて1973年に誕生。もちろんイギリスのプログレをそのまま持って来てもヒットしないプログレ不毛の地、アメリカ。

一工夫が必要という事でプログレ仕立てのエレキ、バイオリンとキーボードの高度なアンサンブルにメロディアスなハイトーン・ボーカルを加わることによって一般受けするポップな方向性を出してきた。

初期のJourneyやStyxなんかも同類項で括れると思う。

ただあまりポップになりすぎると普通のハードロック・バンドとなんら変わりないと言う危機感をバンドとして常に持っていたと思え、俺たちはこのギリギリのポイントで今踏みとどまっているというファンに対するメッセージでは?などと深読みしてみる。

これぞアメリカン・スタイルのプログッレッシブ・ロック!

フロイドのDark Side Of The Moonが爆発的にアメリカで売れたのも、アルバムのサンプラーの役割としてレジスターの動作音にベースが絡んだ不思議なイントロから始まるポップ性の高いMoneyがシングル・カットされラジオで頻繁にオン・エヤーされたたお陰だと思っている。

Ummagummaに収録されたロジャー・ウォーター作のサウンド・コラージュ、Several Species Of Small Furry Animals Gathered Together In A Cave And Grooving With A Pictそのままシングル・カットしても、まずアメリカじゃラジオでオン・エヤーされないからね。

プログレサウンドとは言い難いメロディアスなアコースティックサウンドのDust In The Windはよく売れた