CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

裁判は不毛?

2024年02月21日 | CCR and John Fogerty

ここ最近、有名人の名誉毀損とかで裁判することが話題になっている。当事者同士で白黒をつけるのは必要なのかもしれないけれど、判決の出るまで時間もお金のかかるし、せっかく判決が出たのにそれを不服と上訴すればさらなる年月を費やすことに…

本日は1975年のセルフ・タイトル・アルバム、John Fogerty 以来、1976年の未発表アルバム、Hoodooを挟んで長いインタバルを経て1985年に登場したソロ・アルバム、Cernterfieldでも。

CCR解散後、不当に扱われたCCR時代の旧マネジメントに対しての訴訟に明け暮れたジョン・フォガティ。中々音楽の制作に身が入らずなんと10年ぶりのオリジナル・アルバムとなった次第。

ニュー・エイジ・ロックが台頭した80年代になってCCRの再来とも言えるこの手のサウンドに飢えていたリスナーが多かったのか全米1位の大ヒット作となる。

ただここでCCR時代の旧マネジメントに対してかなり皮肉を込めた曲が収録されていたことから再び新たな訴訟問題に発展し、翌年にアルバム、Eye Of The Zombieを出した後、ジョンは再び長い眠りにつくことに。

せっかくの溢れる才能を長きに渡って押し留めたのは本当に勿体なかったね。


Welcome Back to the Rock N Roll World

2023年05月25日 | CCR and John Fogerty

1973年謎の覆面バンドと言うか実際は元CCRのジョン・フォガティーのソロによるカントリー・アルバム、The Blue Ridge Rangersが出た。

カントリー・アルバムも悪くはないが、やっぱりジョンのイメージはCCR時代の豪快なロック・アンド・ロール。

1975年にCCRを彷彿させる待ちに待った彼のソロ・アルバムが、John Fogertyがついに登場!

彼らしいシンプルで豪快なサウンドが心地よい。

ただ残念だったのは昔のアメリカ編集のビートルズのLPのような収録時間がトータルでたった30分程度だった事。

あと4曲ぐらいは収録出来たのではないかと…

手元にあるのは1981年に出た再発盤。


オイラの立場は?

2023年01月24日 | CCR and John Fogerty

1970年のCCR6枚目のオリジナル・アルバム、Pendulum。

(一人だけ離れて窓から顔を出すトム、もう辞める気満々?)

トム・フォガティー在籍最後のアルバムで、前作のCosmo’s Factoryと比較するとカントリー色は抑えられバラエティーさはやや欠くも南部志向のR&Bやロックでまとめられ中々いい感じ。通して聴けば“雨を見たかい”だけのアルバムではないと気付く。

ただし、最後の曲、Rude Awaikening #2はちょっと場違いなプログレ・ロックだけど...

作詞・作曲にアルバムのプロデュースだけでなく、ボーカル、ギターにキーボードや管楽器の演奏など八面六臂の活躍をするジョン・フォガティーはやっぱりスゲェ~。

まあ、CCRの実態はジョンのワンマン・バンドみたいなもので、ここまでやられると兄貴の立場なくなっちゃったって事ですかね?


AとBが入れ替わる

2022年11月26日 | CCR and John Fogerty

CCRの1970年の5枚目のアルバム、Cosmo’s Factoryから3枚目のダブルAサイドとしてシングルカットされた、Long As I Can See The Light(光ある限り)・Lookin’ Out My Back Door。

渋いソウル・フルなバラードと軽快なカントリー調の曲の組み合わせ。全米2位まで上り詰めたヒット・シングルとなった。多分チャートを押し上げたのは日本ではBサイド扱いだったラジオ・フレンドリーなLookin’ Out My Back Doorだろう。

因みに後日再発されたこのシングルではLookin’ Out My Back Doorが功労賞としてAサイドに昇格している。

(Lookin’ Out My Back DoorがAサイドに昇格しているだけでなく、価格も何気に400円から500円に昇格!)

Long As I Can See The Light(光ある限り)はアルバム、Cosmo’s Factoryのグラディス・ナイトやマービン・ゲイの歌唱で有名だったI heard It Through The Grapevine(悲しいうわさ)の長尺なカバー・バージョンの後を受けて渋く且つしっとりとアルバムを締め括り個人的には中々良い感じ。

光ある限り闇の中でもきっと希望は見いだせるし、また元に戻って来れる~って感じの歌詞もポジティブでこれまた中々よろし~


彼らの最後っ屁はコレだった?

2022年04月18日 | CCR and John Fogerty

1980年代の初め頃、CCRのライブ盤が発売された。実は当時このアルバムが発売されたのかも全く知らずスルーしていた。

解散後の最後っ屁って事で1973年に出たトリオでのライブ盤、Live In Europeが個人的にイマイチの出来に感じていたので、私の中では終わった存在だった。

と思いきや80年代の中頃CDショップで新譜のThe Concertなるタイトルを発見!

(ジャーマン・プレスのCDでした。)

ちょうど1969年のWilly And The Poor Boysが出た後の1970年の四人編成の絶頂期のライブ盤じゃね~?って事で即購入に至る。

兄貴のトムのシンプルで目立たないリズム・ギターが音に厚みを加えていて、やっぱりCCRは四人じゃないと…

とは言え、当時のデジタル変換技術はまだまだ始まったばかりで少々迫力に欠ける。

悲しいサガで2009年に40周年記念として20ビット・リマスター版なるものが再発されたのを聞いてまた買っちまった!

因みに、このアルバム当時はロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでのライブと担当者が勘違いしてRoyal Albert Hall Concertとして発売されたそうな。後に音源は1970年1月アメリカ西海岸、オークランドのコンサートだとわかり再発盤でタイトルの差し替えが行われ、The Concertとなったそうな。

(日本盤のLPもRoyal Albert Hall Concertとして発売)

ちょっと待ってください!1970年7月に出たアルバムCosmo’s Factoryに収録されたTravelin’ BandとWho’ll Stop The Rainが収録されてますけど…

心配ご無用、この2曲はCosmo’s Factoryの先行シングルとして1970年1月に出ているからこのライブでのプロモーションとして演奏したと考えればタイミングとしては間違いなし!

てな事でコレが最後っ屁と思ってたけれど、数年前にウッドストックのライブの音源が正式に出てきて、何時になったら最後?って感じですかね...


久しぶりにシングルでも、その7

2021年09月07日 | CCR and John Fogerty

6枚目のアルバム、ペンデュラムを出した後しばし音沙汰がなかったCCR、さらにトムがバンドから離脱して空中分解かと思われたが、どうもバンドはトリオで活動を続けることに。

1971年突如シングルとしてジョン・フォガティ節全開のロックンロール、Sweet Hitch-Hikerが登場しバンドの健在ぶりを示した。

しかしながら、アレ?って思わせたのは、B面にベースのスチュワート・クックが作った曲、Door To Doorが彼のボーカルで収録されているではないか!

それまでは、ジョンの作品もしくはジョンが主体となったR&Bのカバーが収録されていたのに...

その理由は翌年のCCR最後のオリジナル・アルバム、マルディグラで判明することに。つまり他のメンバーからの申し出によりメンバー各自が平等に曲をアルバムに提供するって事に。

ジョンが渋々その要求を飲んでアルバムが制作されたものの、ジョンの提供曲もしくは彼がボーカルをとるカバー以外は今までより一段レベルの落ちる平々凡々の仕上がりに。

てな事でアルバムの売り上げも落ちてバンドは解散。CCRのファンが求めていたのはどうもそれじゃ無かった様で...

このシングルの翌年に発売されたジョン作のシングル、Someday Never ComesCCRの聴き納めとなった。

後年ジョンはCCRのアルバムは6枚だと述べたとか。すなわちマルディグラは彼のカウントには入っていなかった。

実力が問われる世界では平等ってのはやはりなかなか成り立たない難しいものがあるって事ですかね?


CCRはやっぱりこれかな?

2021年05月14日 | CCR and John Fogerty

CCRの本邦デビュー・シングルは1969年のProud Maryで、彼等の2枚目のアルバム、Bayou Countryに収録された。

つまり日本でのデビュー・アルバム、Creedence Clearwater Revival(邦題Suzie Q)はアメリカより一年遅れて1969年に発売された事に。

アメリカではデビュー・アルバムからSuzie QI Put A Spell On Youの2曲がそれぞれシングル・カットされたが、日本では遅ればせながら本邦シングル第3弾としてI Put A Spell On YouSuzi Qが1枚のシングルとしてリバティー・レーベル(東芝音工)から発売された。

自作曲だったProud Maryやシングル第2弾のアップ・テンポのカントリー・ロック、Bad Moon Risingと比べると泥臭さの残るブルージーな展開の2曲だったので少々取っ付きにくかったかも...

とは言えジョンの伸びのある迫力を持ったボーカルによってリバイバルされたこれら50年代のRBはまさしくCCRの代名詞と言える曲ですかね。


忘れ去られたアルバム、Eye Of The Zombie

2020年11月30日 | CCR and John Fogerty

1985年久々に発売されたジョン・フォガティのソロ・アルバム、CenterfieldはCCR時代を彷彿させる内容で全米1位の大ヒット作となった。これに気を良くしたジョンはソロになってから最も短いインターバルで翌年にアルバムを出すことになる。

それが1986年の問題作、Eye Of The Zombie。

何を思ったのか、ジャケのアート・ワークにちょっとグロテスクな獣と人間が合体したようなミュータントが登場。

さらにびっくりしたのは1曲目のGoin’Back Home。のっけからシンセによるコーラスが登場し後半にはギターも出てくるインスト・ナンバーでが本人の歌唱は一切なしと言う異例の幕開け。

2曲目のEye Of The Zombieから従来通りの通常運転と思いきや4曲目のKnockin’On Your Doorそして8曲目のSoda Popなんかはモータウン系の軽いサウンドで違和感が…

ドラムスにはJohn Robinsonなる人物がクレジットされているが、打ち込み系のドラムのような演奏はジョンのアルバムにはふさわしくない気がする。

やっぱり前作、CenterfieldのようにR&B、ブルースそしてカントリー・ポップをあの豪快なボーカルで歌いまくるのがジョン・フォガティだと思っている昔からのファンとしては、良い曲もあるがちょっと取っ付きにくいアルバムてな印象。

また、前作に収録されたThe Old Man Down The RoadがCCR時代のRun Through The Jungleと酷似しているとCCR時代のジョンの曲の版権を持つ前所属レーベルのファンタジーから訴えられることに。

そして当時のファンタジー・レーベルの経営陣を憎しみを持って揶揄した前作収録のMr.Greed (ミスター守銭奴、ファンタジーの経営者、Zaentzのこと)とVanz Kant Danz (Zaentzとキャッスル投資銀行のKanterの名前をもじった)なども訴訟の対象となった。

これらの厄介な訴訟問題とEye Of The Zombie自体の売れ行きも芳しくなく、嫌気がさしたのかジョンは音楽活動から一時身を引く事になり、次作Blue Moon Swampが出るのに10年以上待たされる事となった。

その後ジョンのコンサートでもこのアルバムから2009年に出たアルバム、The Blue Ridge Rangers,Rides Againで再録されたChange In The Weatherを除いてはほとんど耳にすることはなかった忘れられたアルバムとなった。


日曜日の昼下がりCCRでも

2020年06月07日 | CCR and John Fogerty

1969年ウッドストックでのライブが少し前に出て気になっていたので通販でポチってみた。

(懐かしのピース・マークを背にして、白熱の演奏が続く)

セット・リストは初期のアルバム3枚から選曲され、シンプルかつアーシーな演奏による初期のR&B満載で中々楽しめる。

またライブということで、個性の塊とでも言えるジョンの陰にいつも隠れがちな感のある他のメンバーそれぞれの演奏もこの時にこそその存在を主張しているが如くクッキリ聴こえてくる。

(バンドの一体感溢れた演奏は心地よい)

このライブは1969年8月17日の朝早くというか真夜中に行われ、8トラックでレコーディングされたそうな。ただウッドストックのレコードにはCCRの演奏が収録されていなかったのは、ジョンによると当時の演奏の出来がイマイチだった事から断わりを入れたらしい。

時は過ぎ去り、最新の技術でミックスされた素晴らしい音源によって当時のライブが蘇ったのはCCRファンとしては嬉しい限りである。


珍しいのみ〜つけた、ドーナツ盤!

2020年04月27日 | CCR and John Fogerty

CCRの6枚目のアルバム、Pendulumに収録され1970年シングル・カットされ大ヒットした、Have You Ever Seen The Rain(雨を見たかい)。

(US盤シングル)

このシングルでちょいと変わったバージョンがここに。

バーボン・ウイスキーかなんかのプロモーションの景品で、中心に大きな穴が開けられたことからドーナツ盤と呼ばれる7インチ・シングルが1988年に再プレスされたそうな。

(アメリカン・ドーナツ・コレクションと銘打ってある)

ジャケにはCCRとは全く関係のない、50−60年代のアメリカン・ビューティーのイラストが。

裏面は曲がカットされていなくてツルッツルでレーベルも真っ白!正真正銘のシングル盤ってとこですかね。

プロモで出たそのうちの1枚がどう言うわけか我が家に保管されている。

一体、ど〜なってんの?

パチ、パチ、パチ!

なぬ〜! このたわけたダジャレを言うためにこのような回りくどい記事をアップしたじゃと!

どうもすいません。

一日中家に籠っていて暇だったもので、つい....

 

 


サイケなR&B

2020年04月12日 | CCR and John Fogerty

CCRの本邦デビュー・アルバムは1969年に発売された Bayou Country。

1968年に出たアメリカ のデビュー・アルバム、Creedence Clear Water Rival(邦題、スージーQ)は日本ではBayou Countryの後に出たことになる。

確かに1枚目は暗くて地味なイメージ、新進バンドの本邦デビューとしては営業的に厳しいものが感じられたのではないかと...

Bayou CountryにはCCRの代表的なアップ・テンポで万人受けしそうなヒット・ソング、Proud Maryが収録されていたことから先に発売に踏み切ったのではないかと思われる。

ただ、オリジナルのジャケではバンドのイメージがわかない前衛的なものだったから、日本ではジャケ裏の写真を表に持って来ていかついおっさん4人組の奏でるニュー・ロックはいかが?てな発想のジャケ・デザインになったのではないか。

(US盤のジャケ)

さらに曲順を入れ替えてその印象を帰ることを試みる。即ち1曲目にアップ・テンポのR&B、Good Golly, Miss Mollyを持って来てノリノリにさせ、ブルージーなミディアム・テンポのPenthouse Pauperを挟んで3曲めにProud Maryを持って来て一気に畳み掛ける仕組み。

後は成り行きでお好きに聴いてくれって感じの編集ではなかったかと思うのだが。

しかしこのアルバムの本質は、Keep On Chooglin’に代表されるサイケ調の長尺物だと思う。

この曲の歌詞の内容は、Chooglin'、スラングで楽しくやろうぜ〜ってそれほど大した意味はない。

単調なリズムに乗せて、歌唱、ハープのソロそしてギター・ソロやカッティングが入れ替わり立ち替わりインプロヴィゼーションが続く。

サンフランシスコ出身の彼らは1960年代末のサイケデリック・ムーブメントの影響をモロに受け、アイアン・バタフライのような延々と続く単調なインプロを南部系のシンプル且つ泥臭いサウンドに被せたハイブリッドな構成が売りだったと思っている。

アメリカ西海岸ではサイケデリックとかフラワー・ムーブメントなどの解放的で少しばかりゆる〜く感じる社会的運動が当時蔓延していて、この手の長尺物はそこそこ受け入れられていたのかな?

とゆる〜い頭で妄想してみた。


いつかわかるさ

2020年03月14日 | CCR and John Fogerty

昨日サイモンとガーファンクルのシングル盤を探していたらこんなのも発見!

1972年5月に出たCCRの最後のシングル盤、Someday Never Comes。彼らの最後のアルバムであるMardi Grasからの2枚目にカットされたシングルでもある。

歌詞をちょろっと眺めてみると中々含蓄のある内容で….

作者のジョン・フォガティによると、かって幼い頃両親の離婚の記憶があり更に当時自身が築いた家庭も同じ道を辿り、更にバンドやレコード会社とのトラブルなんかの追い打ちが重なって出てきた重苦しさを歌にしたらしい…

Someday Never Comes

First thing I remember was askin' papa, "Why?"

For there were many things I didn't know.

And Daddy always smiled, took me by the hand,

Sayin', "Someday you'll understand"

俺が一番に思い出すのは、何で?って父親に聞いた事

沢山の事こと知らなかったからね

そうしたら、いつも笑いながら手をとって

いつかわかるって言うんだ

 

Well, I'm here to tell you, now each and every

mother's son

You better learn it fast, you better learn it young,

'Cause, "Someday Never Comes."

ところで、教えてあげるよ、今母さんっ子の俺がさ

早く学ばなきゃってね、 若いうちにね

だって、いつかなんて来やしないからさ

 

そっ、そっ、そうか!

Let It Beだ〜ってのんびり構えてちゃダメなんだ、だってSomeday Never Comesだから。

確かに今更ではあるが、もっと真面目に勉強しときゃ良かったなんて思う今日この頃。

反省の日々を送っている次第で…

レーベルは以前のリバーティーからファンタジーのデザインに変更

 

 

 

 


そんな時代もあったねと… その2

2020年03月06日 | CCR and John Fogerty

ジャケを飾るCCRのメンバーが扮するジャグバンド、ウイリーとプアーボーイズがディープ・サウスのとある鄙びた街角にあるグローサリー・ショップの前で演奏。

私の大好きなアルバム・ジャケで、中身の音楽と見事シンクロしていてなかなかの雰囲気を醸し出している。

1969年に出た彼らの通算4枚目のオリジナル・アルバム、Willy And The Poorboysは同年に出した3枚目のアルバムでもあり、なんとそれら3枚が全てマルチ・ミリオン・セラーで、アルバムからのシングルを次から次へとヒット・チャートに送り込み、1969年は彼らにとって人気絶頂期だったと言える。

(トム兄貴の笑顔がなんとも言えずよろし〜)

(邦題はクリーデンス・ロカビリー・リバイバルとバンド名を文字ったものが採用された。まあ、何と無くわからないでもない)

翌年さらに2枚のミリオン・セラーのアルバムを出すも、1972年駄作とも言えるアルバム、Mardi Grasを出した後まさかのしり切れとんぼのような解散するとは夢にも….

さらに追い打ちをかけるように、その後はメンバー間で訴訟合戦を繰り広げることに。

Willy And The Poorboysのジャケットにはまだ和気あいあいに見えるメンバーの姿が収まっている。

ジョン・フォガティーがもしこのジャケットを今眺めれば、何を思うだろうか...

まさか、そんな時代もあったねと〜♪なんて歌うのかな?

(懐かしのリバティー・レーベル)


懐かしのCCRのベスト

2020年01月21日 | CCR and John Fogerty

1969年にファースト・アルバム、Creedence Clearwater Revivalを出し、1972年に7枚目のアルバム、Mardi Grasを出して解散。 

4年という短い活動期間に数多くの大ヒット曲を出して風の如くサッと通り過ぎていった感があった。 

プラウド・メアリーとか雨を見たかいなどのヒット曲をラジオで時折聴く機会はあったものの、当時彼らの作品全てを聴き通す時間もまたLPを買うお金もなかった。 

解散した後直ぐにベスト・アルバム、Creedence Goldが発売され飛び付いた。

 

このベスト・アルバムは通常のそれとは異なり、たった8曲しか収録されていない。

CCRの場合シングル・ヒットの数が多くたった8曲だけでは不十分とは思えるが、11分にもわたるロング・バージョンのモータウンのカバー曲、I Heard It Through The Grapevineや初期の泥臭いR&BのBorn On The BayouやSuzie Qなど少しばかり長尺ではあるがCCRの魅力をLP一枚で伝えるには欠かせない選曲で仕方なかったのだったと思う。

そしてそれを補う形で残りのヒット曲、全14曲をぶち込んだ2枚目のベスト・アルバム、More Creedence Goldが後日発売されることに…

このあとCDでヒット曲を大量に収録したベスト盤が幾度か編集再発され、このアルバムもお役御免となったものの、今一度LPを取り出して聴けばこの8曲で完結した方がなんとなくCCRらしくシンプルでスッキリ感じるし、日本独自の制作のアルバム・ジャケットのイラストに温かみを感じさせてくれる。

日本独自のテキスチャー加工のゲートホールド・アルバムの内側のサイケなデザインはご愛嬌

アメリカ盤のオリジナル・デザインはメンバーの横顔の切り絵が施された特殊ジャケット (写真は東芝から日本ビクターに販売権が移行された後に出た、オリジナル・ジャケを模した再発日本盤のもの)


ランダムにレコード紹介、その23  シングル盤はいかが?

2018年12月06日 | CCR and John Fogerty

CDが世に出るまでは、FM放送かレコードをデッキでカセット・テープにダビングしたもの、もしくはレコードをステレオセットで聴いていた。

しかしながら、ラジオでは自分の思い想い通りの曲が聴けないし、カセット・テープでお目当ての曲を一曲だけ聴く場合その頭出しが結構面倒、だからもっぱらレコードを棚から引っ張り出して いた。

80年代後半CDの価格が安くなった頃には、なんかの儀式とも思える面倒なレコードの取り扱いがネックとなりCD一辺倒に。

しかしどう言う訳か、21世紀になるとレコード復活ってことで、またレコードを聴きだすように。

そんなレコード復活のブームにおいてもシングル盤はほとんど手に取ることがなくなった。

ただでさえ取扱いが面倒なのに、一曲聴くたびに儀式を執り行わねばならないからだ。

せっかく買ったのにそのままほったらかしにするのも勿体無い気もして、本日はシングル盤を久々に聴いてみる。

CCRが1969年に出したProud Maryのシングル盤、B面は渋〜いルーツ・ミュージックBorn On The Bayou。

(懐かしき東芝音工時代のシングル盤、400円也。あまり美しくないお顔立ちというか、ワイルドな方々だった様な...)


(懐かしのリバティー・レーベル。収録時間は3分7秒)

ステレオ録音の日本盤と10年ほど前に出たシングル・コレクション・ボックスからの一枚で、モノラル録音の米再発復刻盤を聴き比べる。

(復刻盤のスリーブ。当時アメリカでは、無地のスリーブに無造作にシングル盤が入れられていたので、結構レアなスリーブではないかと)


(米ファンタジー・レーベル。収録時間は3分11秒と日本盤より4秒長い。こちらの音源がステレオ盤と比べて何と無くスローに感じるのはこのためか?) 

個人的には、ステレオ盤がモノ盤比べるとなんとなくきらびやかに聴こえ、こちらの方が好み。

しかし当時多くのリスナーがAMラジオかポータブルの電蓄でこの音を楽しんでいたのかと思うと、素朴なモノ盤の音の方がなんとなくその時代にしっくりきていたのではないか….

そういえば中坊の頃、エレキを手にしたツッパリ・グループがプラウド・メアリーもびっくりの丸刈り頭に学ランのいでたちで、学校の文化祭でビートルズではなくCCRやっていたっけ。

多分複雑なコードを使ってなかったから、コピーし易かったのかもね。

先生方もダブル・ベース、ギターとドラムを持ち込むバンドを結成、ラブ・ユー東京を演奏したっけ。

中学校の文化祭で先生方がラブ・ユー東京を披露するのは、今思えばちょっと歌詞に問題があるような気もするが、昔はなんでもOKののんびりした良き時代であった。