CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

19枚目

2023年08月28日 | Chicago

60年代末レコード・デビューし80年代までずっと走り続けてきたシカゴ。

当初の硬派ブラス・ロックからの作風の変化、それに伴うアルバム・セールスの低下、またテリー・キャスの悲劇の事故死や中心メンバーの脱退などいろいろあったけれどなんとか乗り越えてきた。

そして1988年に19枚目のオフィシャル・アルバム、Chicago 19が発売。3作続いたデビッド・フォースターからハード・ロックよりのプロデューサー、ロン・ネヴィソンを起用し気分を新たにし、またピート・セテラの代わりに加入したジェイソン・シェフも加入後2作目とあってもう客人扱いはなくなり、曲の提供やボーカルにも参戦とかなりバンドの馴染んできた。

(90年代はCD全盛期。この辺りが一般的に流通した最後辺りのLPですかね。)

収録曲10曲の中からLook Away やI Don’t Wanna Live Without Your Loveなど強力バラード5曲がシングル・カットされ、うち4曲がなんと全米シングル・トップ10入りと大ヒット!

ただアルバム自体は37位とイマイチで、私のようなデビュー当時からのシカゴ・ファンとしては、AOR路線に首を突っ込みすぎてなんだかどれも同じようなテンションでアルバムを通して聴くにはメリハリがなくちょっとマンネリ気味に感じられた。

シングル・カットされた曲がそれぞれ大ヒットしたように、個々の曲の出来は良かったんだけれど...

やっぱりリーダーのロバート・ラムやユニークなブラス・セクションのこのアルバムにおける存在感が初期の頃と比べるとかなり薄れてしまったのが影響しているね。


これぞアメリカン・ロック

2023年03月09日 | Chicago

アメリカン・バンド、シカゴの9枚目のオリジナル・アルバム、Chicago XIが1978年に出た。カーネギー・ホールのライブとベスト盤入れるとアルバム・タイトル通りの通算11作目となる。

シカゴ・トランジット・オーソリティーとしてデビューして10年立ち、ブラスを組み入れたジャズ・ロックのバンド構成は変わらずもその芸風は洗練されたAOR系シティー・ポップに移り変わってきた。

デビュー時からのプロデューサーだったジェイムス・ガルシオも、バンドが成熟したと判断したのを機にこのアルバムのプロデュースが最後となった。

しかし、この後のシカゴにとって最も重大な事件がこのアルバムの完成後に起こることに…

ギターのテリー・キャスがアクシデントで死去する事に。この事件後バンドは少し方向性を見失った様な気がする。

以前はアルバム・チャートで連続1位を獲得してきた彼らであったが、前作が3位で本作が6位と少々その人気に翳りが出てき始めた頃だったのかも。

それでも、デビュー・アルバムを除いてずっと1桁台を確保し続けてきたのはすごいの一言。

ただ、このアルバムも相変わらずイギリスではそれほど話題に上らなかったのはご愛嬌。


今日から俺たちはシカゴ、 交通局とはおさらばさ!

2023年01月18日 | Chicago

1970年にシカゴのセカンド・アルバム(シカゴと23の誓い)が出た。

2枚組の力作でブラスセクションが突っ走りロック、ジャズにファンクなどが融合した聴きどころ満載のアルバム。

アルバムの構成としては、特に3つの組曲がこのアルバムの核となっている。ジェームス・パンコウ作の6曲からなるBallet For A Girl In Buchannon、テリー・キャスのPlerudeから始まるMemories Of Love(愛の記憶)とロバート・ラムの4楽章からなるIt Better End Soon(栄光の旅路)は機器用によってはプログレぽい味わいの展開で時代を先取りしていた。

さらにシングル・ヒットした25 or 6 to 4(長い夜)が駄目押しする形でアルバムは全米4位に輝く大ヒット。

交通局から出世してシカゴ市全体を手中に収めるどころか、アメリカ全土を征服したみたい。

皆さん本当にお若い!


久々にシカゴでも、その2

2022年12月17日 | Chicago

70年代の後半ごろからその人気に徐々ではあるが翳りが出てきて、1980年にChicago XIVを出した後にCBSの契約が切れ、ワーナー系のフルムーン・レーベルに移籍した。

そして1982年に新規一転、AOR系の売れっ子プロデューサー、デビッド・フォスターを迎え移籍第一弾のChicago16を出す。

デビュー当時のブラスを全面に出したアグレッシブなジャズ・ロックの芸風からAOR路線に転向したこのアルバムは全米9位、シングル・カットされたHard To Say I’m Sorryはチャート1位に輝き、見事カムバック。

そして、Chicago 16(1982)からChicago 19 (1988)までの4枚のアルバムから編集されたベスト・アルバムが1989年に出たChicago Greatest Hits 1982-1989だ。(シカゴのアルバムには公式ベスト・アルバムを含めて発売順にそれぞれ番号が振ってあって、このアルバムはChicago XXにあたる)

この間、オリジナル・メンバーだったピート・セテラがバンドから脱退し、Chicago 18からジェーソン・シェフが新規メンバーとしてバンドに参加したものの、AOR路線は継承されれシングル・ヒットをガンガン出していくことに。

(素直になれなくて、全米1位)

(忘れ得ぬ君に、全米3位)

(スティル・ラブ・ミー、全米3位、ピートはすでにバンドから脱退している)

特にChicago 16と17におけるピートの活躍は著しく、アルバムのキーになったヒット曲の作曲したり、もしくはボーカルで貢献したことがかなり自信になったようで、その後のソロ・デビューに繋がったのかもしれない。

その代わりに、初期にはほとんどの曲を作曲したロバー・ラムの露出が少なくなったのは往年のファンにとっては残念だったかも。


久々にシカゴでも

2022年12月15日 | Chicago

1971年4月にカーネギー・ホールでの公演を録音したライブ・アルバム、Chicago At Carnegie Hall(シカゴのアルバムには発売順にそれぞれ番号が振ってあって、このアルバムはChicago IVにあたる)。

発売当初は豪華ボックスに入ったLP4枚組の超大作。4枚組と言うことで、収録時間に余裕があることから、当時彼らの芸風だったジャズっぽい長尺インプロビゼーションが楽しめる。

皆さんお若い。時代を遡ってアルバムを聴いていくと、こっちはオジンのままなのにアーティストの方はどんどん若くなっていき、ちょっと不公平。

パワフルな演奏の4枚のアルバムを爆音でテンション上げて一気に聴くとなると、今じゃ流石に辛いかな?

オイラも時代を遡り同じく若くなってコレ聴いてみたいね。

それならこの分量でもFair Enough!

 

 


土曜日はレコードでも

2021年12月04日 | Chicago

1枚目はビートルズのMeet The Beatles! 日本編集盤。

英オリジナル・アルバム、Please Please Me から曲5曲、With The Beatles から5曲、そしてシングルのみで出た4曲の計14曲が収録され初期べスト・アルバムと言っていいぐらいの独自編集で1964年4月に発売された。

商魂逞しく没になった少々ダルさを感じさせるアウト・テイクをかき集めた最近のオマケ音源集よりは、多少荒削りでも若々しくパンチのある演奏の方がズッと価値がある。

2分前後のビート・ナンバーを息を付かせず立て続けに繰り出し、その様にコチラも熱くなる。

2枚目はシカゴのLive In Japan。1972年6月大阪フェスティバル・ホールで収録されたライブ音源で、当時は日本限定発売だった。

個人的には栄光のシカゴと題されたカーネギー・ホールのライブ盤より出来は良いと思う。

まあ、カーネギー・ホールのライブではまだ世に出ていなかった最新作Chicago Vの曲がタイムリーに収録されたことも理由の一つではあるけど…

彼らの熱い演奏に心も踊る。

とにかくこれからやって来る寒い冬を乗り切るためには、身体だけではなく心も温かくしなければね。


シカゴの転身

2021年11月08日 | Chicago

本日はシカゴの1978年のアルバムHot Streets。

ギターのテリーが自殺か事故だったかは分からぬが、ロシアン・ルーレットなる死亡遊戯で1978年の1月に死亡。スティーブン・スティルスのバンドでギターを弾いていたドニー・デューカスが加入。

プロデューサーはジェームス・ガルシオから、ビリー・ジョエルやポール・サイモンのヒット・アルバムを手がけたフィル・ラモーンを起用。

かっての攻撃的なホーンも影をひそめサウンドはAOR系に。

更に歌詞も70年代初期ごろの政治的なものは見当たらない。

時代と共にシカゴも生まれ変わる。

Alive Againでも聴いてオイラも生まれ変わろうじゃないの!

オジンはもう無理だってば!

 


久しぶりにシングルでも、その4

2021年09月04日 | Chicago

いや〜 あれほど面倒がっていたシングル盤のレコード鑑賞、久々に盤を取っ替え引っ替え聴いていくうちにこの一連の面倒な作業がいつしか快感に。

かっては自動で12インチ盤や7インチ盤の頭の無音部にゆっくりと針を落とし、演奏が終わればまた自動的に針が持ち上がり、アームは所定の位置に戻る優れ者のフルオート・プレーヤーがよく出回っていた。

斯く言う私も、一時期アームが平行に動くリニア・トラッキングのプレーヤーを使っていた時があってフルオートの機能を楽しんだこともあったが、所持していたプレーヤーが安物でカートリッジ交換も出来ず、またメーカー指定のスペアの針の入手も現在のような通販全盛の時代ではなく結構面倒だった。

そして80年代CDプレーヤーが登場し、プレーヤーとメディアであるCDの価格がこなれ始めるとこれは便利と面倒な操作手順が必要なレコードを聴くことがなくなった。

現在は2周程回ってレコードへの回帰となったが、これはオジンになった故若い頃と比べると仕事に追われる生活から一応解放されたことで趣味により時間を割けることが出来、面倒な作業もさほど厭わぬようなったと思える。

今の若い人なら、お金をかけてわざわざ機材やメディアを揃えるよりスマホ一台とサブスク加入する方が手軽でスタイリッシュと考えるだろうね。

しかし今日もオジンは意地でも時代に逆行してシングル盤を聴いてみる。

1970年のシカゴの通算4枚目のシングルで、彼らのセカンド・アルバムからカットされた、25 or 6 To 4(直訳4時25−6分前、邦題は長い夜)。

皆様、お若い。

この曲って分かるぐらいのインパクトのあるイントロが始まるや否やブラスが加わり一気にエンジン全開!

とても深夜3時半頃の心象を表現したとは思えないぶっ飛んだ演奏、これぞロックだってば!

とわかったようなわからないようなことをぶつぶつ呟いていつの間にか夕刻に。


シカゴとピート

2021年01月30日 | Chicago

この間ユー・チューブをサーフィンしているとシカゴのミュージック・クリップに遭遇、暫し鑑賞。

なにやら最新アルバムからの曲を披露していた。

と言っても一年以上前の2019年11月に出た通算Chicago37に当るChicago Christmasってアルバムである。これが通算3枚目のクリスマス・アルバムとなる。

驚いたことに、1969年デビューからのオリジナル・メンバーは、ロバート・ラム、ジェイムス・パンコウとリー・ロクネインの3名のみとなりあとは新加入のメンバー達だった。

ちなみにベースのピート・セテラがバンドから脱退したのがChicago17を出した1984年で、代わりのベーシストとしてジェイソン・シェフが翌年の1985年に加入。ジェイソンは4−5年前にバンドから脱退したので30年以上バンドに在籍したことになり、在籍年数がピートの倍以上長かったことになる。

この10年程はシカゴに関してはフォローしていなかったので、全くの様変わりに月日の経つのは早いものと改めて実感したと言うか、俺もいつの間にかオジンになったって事で...

本日はそのピートのマイナー・レーベルのDDEから2001年に出た最新アルバム、Another Perfect Worldでも。

最新といっても買ってから既に20年も経過した骨董品になる一歩手前の作品と言えない事もないが...

(寒い冬を象徴したようなジャケ、ピートさん何処に?)

(顔の下半分を隠して子供の虎とハイポーズ、この写真一体何の意味があるのだろうか?)

(当時住んでいたシンガポールで買ったCD、何と当時業界トップを走っていたAvexが販売元だった。調べてみると日本ではこのCDは当時日本ビクターが販売していたので、東南アジアだけAvexだったのかな?)

今回ベテラン・アレンジャー兼鍵盤奏者、お馴染み、マイケル・オマーティアンとの共同プロディースで、かってのハイ・トーン歌唱は年齢を重ね抑え気味の落ち着いた雰囲気となっている。

また曲も耳に馴染みやすく悪くないが、以前所属していたワーナーのようなメジャー・レーベルからの発売では無かったため、宣伝が足りなかったのか地味な存在となってしまった。

シカゴ時代の1枚のソロ・アルバムと1997年の単なるベスト物ではないYou're The Inspiration, A Collectionを含めると通算7枚目のアルバム。

(単なるベスト物ではない!デュエットや再録バージョンで構成された一味違う存在)

これが最後のスタジオ・アルバムと思いきや、調べてみるとなんと2004年にクリスマス・アルバムを出していた。

さすがシカゴ卒業生! 皆さんクリスマス・アルバム本当にお好きみたいで...


ナンバリング命

2020年12月13日 | Chicago

1975年の“末だ見ぬアメリカ”がChicagoVIII。

1976年の“カリブの旋風”がChicagoX。

あれ、それじゃChicagoIXは?

米ブラス・ロックの第一人者シカゴの各アルバムはナンバリングされている。これはスタジオ・アルバムだけでなく、正式に企画され全世界で販売されるライブやコンピ・アルバムもカウントされるのである。残念ながらオレンジ色のLive In Japanは当時日本限定での発売のためカウントされず。

4枚組カーネギー・ホールのライブ・アルバムが、ChicagoIVで ChicagoIX は1975年に企画されたChicago’s Greatest Hitsがそれに当たる。

1969年のデビュー・アルバムから1974年のChicagoVII “市俄古への長い道”までの彼らのヒットシングルが一枚のLPに収録されている。

ただ各曲シングル・バージョンということでアルバム・バージョンに比べて短く編集されている曲もあって、特にMake Me Smileの導入部の高らかなに鳴り響くブラスがカットされているのはチト残念。

このアルバムは初期のシカゴとしては一番売れたアルバムで、シカゴの歴史をサラッと辿るには優れ物のアルバム。

じゃあ1999年に出たLive In Concertって何番になるの?

えぇ〜と、それは確か26番目でChicagoXXVIですな。

ここまで来るとややこしい。


ポリティカル・メッセージとロック

2020年11月16日 | Chicago

11月3日に投票が行われすでに開票結果が出ているにも関わらず、未だに収拾がつかないアメリカの大統領選挙。

先ほどワシントンで数万人の人々が開票結果に異議を唱えるデモに参加!てな最新状況をニュースで知ることに。

我々日本人にとって中々理解し難い状況と言って差し支えないだろう。

本日はシカゴのロゴを編み込んだボロボロの星条旗をアルバムのアート・ワークに使った1971年の3枚目のオリジナル・アルバム、Chicago IIIでも。

付属のポスターなんかを見ても当時こう着状態で戦死者が数多く出ていたベトナム戦争に対する反戦のメッセージを意図していたことが判る。

アルバムの初っ端の Sing A Mean Tune Kidからエンジン全開。

酷い曲歌ってやるぜ

ショックを受ける様なやつをさ

酷いの歌ってやるぜ

ショックを受ける様なやつをさ

お袋さんに泣いてるところなんて見せない様にな!

イェイ イェイ イェイ

 

酷い曲演ってやるぜ

みんなが憂鬱になるやつをさ

酷い曲演ってやるぜ

みんなが憂鬱になるやつをさ

あんただけが嘘をついてるって誰もわかりゃしない

イェイ イェイ イェイ

と悪態をつき体制に突っかかっていく様な…

結構きてるね〜

(CBS/SONY設立10周年記念の再発廉価盤、お値段二枚組で当時二千五百円でした。)

色々議論はあると思うが日本ではなかなかできない事。

当時は歌詞の内容にそれほど注意を払うこともなく、これがロックにジャズやカントリーその他モロモロが融合して誕生したニュー・ロックだぁ〜!と脳天気に一人悦に入っていたが、今改めて聴き直して結構過激。

ただアメリカ大統領選後の現状を鑑みると、強烈な主張をしなければ負けを認めることになる。

そう考えると、何となくChicago IIIでの政治的なメッセージを込めたアルバム制作の意図が見えてくる。

即ち我々農耕民族である日本人にとっては過激に思えても、これぐらい吠えなければ相手が聞く耳を持たないってことですかね?

その昔海外での商談に於いては、あまり一方の肩を持ちすぎるとどこに地雷が潜んでいるかわからないので政治的発言は差し控えること!とキツ〜く言われていた。

特に主張の強いお国柄の場合、下手な軽口は最悪商談の成立に危険を及ぼすことだってあるので、第三者としては議論には巻き込まれない様遠巻きに静観を決め込むのが正解てなことを思い出した。

てなことで、コロナもそうだけれど大統領選後の軋轢も早く終息することを願ってやまないと遠くから傍観することに。


これは一体?

2020年09月15日 | Chicago

Oh My

Life has passed me by

The Country I was brought up in

Fell apart and died

(人生は過ぎ去り、

俺が育った故郷はバラバラと崩れ去った)

Oh No

Love’s no longer there

Cold wind blew away the sun

That used to warm the air

(そこには愛なんて存在しない、

暖かさを与えてくれた日の光は寒風に吹き飛ばされた)

Lowdown

Ooo! Feelin’ pretty bad

Feelin’ like I lost the best friend

That ever had

(落ち込むよ

気が滅入るね、

旧友を失ったかのようにね)

と何らかの社会的な問題を歌っている。

しかし1972年の大阪公演では、ピートがLowdownを日本語で歌う。(Lowdownは1972年のアルバム、ChicagoIIIに収録されており、翌年のアルバム、ChicagoVまでは社会的あるいは政治的メッセージの強い曲が多く収録されていた。)

Oh My

生まれてから

いいことなんかありゃしない

Lowdown

愛してた

恋人にも裏切られ

Lowdown

どうしようか

僕は一人泣くだけさ

 

何と、失恋物語に変わっていた。

1972年といえば沖縄返還で、次第に反政府学生運動も下火になりかけた時代。当時寝た子を起こすような政治的メッセージを含んだ歌詞はNGだったのかな?なん〜て今更ながら感じる。

それはあんたの考えすぎ!

当時の日本人はこの曲を聴いて、熱いビートに身を委ね俺ってロックしてる思っていたってば!


シカゴってAORだけではないよ。

2020年06月27日 | Chicago

一週間ぶりのご無沙汰です。

久し振りにブログの記事でもアップしようかと…

本日はシカゴのライブ盤でも。

シカゴの公式ライブといえば1971年のカーネギー・ホールや当時日本でしか発売されなかった1972年の日本公演を録音した1975年発売のライブ・イン・ジャパン、それから20世紀末の1999年発売のシカゴXXVI、ライブ・イン・コンサートあたりで、72年以降のライブ音源がゴッソリと抜けていた。(まあここ数年アーカイブ的なライブ盤出てますけど。)

その穴埋めとして出たのが2011年発売のライブ・イン・75。

ちょうどシカゴVIIIが発売された頃の音源で、当時シングルか通されたOld Daysなんかが新曲として収録されていた。

このCD、アメリカのライノ社が発売した数量限定のCDボックス・セットで、通販で何とか手に入れニンマリした記憶が。

(限定盤の特典としてブック・レットとポスターが付いてきた)

音的にはカーネギー・ホールやライブ・イン・ジャパンと比べると迫力の点においてちょいと物足りないかな〜という印象。でもデビューから75年までの既出の曲のアレンジを変えたりライブ音源初登場の曲もあってそれらを興味深く聴けて、これはこれでなかなかよろし〜

しかし、2015年限定盤だったこのCDセット、パッケージをシンプルにしてお手頃な価格で再発と相成る。

当時はせっかく数量限定という事で必死になって手に入れたのに“それはないでしょ〜”と恨み節が…

でも今となっては、テリー・キャス在籍の栄光のシカゴ時代を知らない世代が多くなってきた昨今、商売とはいえよくぞ再発してくださったの一言ですかね。

途中加入したオリベイラを含む8人組でした。


私はコレでリフレッシュ、シカゴVII

2020年04月23日 | Chicago

かっての政治的なメッセージもないし、メンバー各自の音楽性を尊重し今までの枠を外して結構自由に制作されたこのアルバムはまとまりに欠けるという人もいるが、何が何でもコンセプト・アルバムで御座い〜って制作するよりは良心的じゃないかと….

シカゴVを聞いた後このアルバムを聴けばなんとなくホッとした気分になれる、1974年作のシカゴVII。

(シカゴのジャズを満喫できるサイドー1)

ところでシカゴといえばミシガン湖に面したアメリカ中部の北、イリノイ州にある巨大都市。

てっきりイリノイ州の州都と思いきや、コレが違った。

アメリカの各州の州都はメガ・シティーではなく知らない小さな町に置かれているみたいで結構興味を惹かれるのでちょいと調べてみた。

例えばニューヨーク州はニューヨークではなく、オールバニー(州の中心に位置していたため)、カリフォルニア州はロスアンジェルスやサンフランシスコを差し置いてサクラメント(他の候補もあったが議会の議決で決定)などなど。

アメリカの州都選定は地理的中心、人工的、交通の要所や経済的中心などの要素、そして住民投票及び州議会による議決などによって決定されたらしい。しかしながら州が設立された当時、即ち東部13州が独立した17世紀から中西部および西海岸に至る各地に州政府が設立された19世紀頃における決定だったので、今の人にはなんでそうなるのと感じるかも。

シカゴのあるイリノイ州はスプリング・フィールドなる人口11万人の小都市に州議会の議事堂がおかれている。州の中心に位置していたのと住民投票及び州議会の議決によるものだったらしい。

グーグル・マップで小さな田舎町スプリングフィールドを空から眺めると、ありました! 建物中央がドーム型になった州議会議事堂が。

日本も見習って、国会議事堂、国会議員宿舎や中央官公庁が山奥の限界集落に移転すれば、都会の空気に毒されずリフレッシュ! ピュアな心でお仕事捗るんじゃないかと…

開放的な環境でリフレッシュされレコーディングのお仕事捗りました。

 

 


土曜日の公園のように

2020年03月07日 | Chicago

待ちに待った土曜日の朝。

朝早く起きてあの満員電車に乗らなくても済むのはウイーク・デーをしっかりと勤め上げた何よりのご褒美。

とは言え皆様に誇れるほどの大した仕事をこなしているわけでも無いが。

その悪魔のような満員の通勤電車も、ここのところそれほど混んでいなくすこぶる快適である。例の伝染病対策として時差出勤が奨励され大手の企業を中心にそれが実施されているのだろう。

それは私の周りでも。

ある得意先が始業時間を30分ずらして9時半に変更したと聞いてなるほどと納得。

もしこの期間限定のドリルがそれぞれの日々の生活に影響がないのであれば、一連の問題が解決した後もぜひ続けていただければなんて自分勝手なことを思い描いたりしている。

願わくは、現在の困難が素早く解決され早く元に戻って欲しいと…

 

(1972年のシカゴの大ヒット曲)