一僧侶の日常の思いを語る
沙門の法話
気持ちのいい朝
今日はお不動様のお寺の朝一番護摩に参加しました。早朝のお護摩のなんと気持ちいいものか。それに御開帳のお不動様の凛々しいお姿。
私の中にあった雑念が一気に吹き飛びました。お不動様に助けられた感覚。
この神仏への信仰はやはり言葉では言い表せないものがあります。だったら四六時中、お寺にいればいいかというとそういったものではないのです。
基本はどこにいても同じ。何をしていても。常に見ていてくださる。
こちら側からの尺度では推し量ることのできない世界です。
親がわが子の成長を見てどのように感じるでしょうか。まだまだ幼い子供をできないからとなんでもしかりつけるでしょうか。
小学生にいきなり大人がすることをさせるでしょうか。そのうえでできないことを責め立てるようなことをするだろうか。
私たちは自分のマイナスポイントを勝手にピックアップして自分で自分を責めるが、実際のところはそれがそうであろうとそうでなかろうとたいした問題ではない可能性もあるのです。
たいしたことにしているのは自分だけでそんなことはたいしたことではない。実際に悩むべきもの、考えるべきものは他にあるということです。
私はいつもお不動様にお会いするとそれを感じます。
もっと自由でいい。自分がすべきことをしなさい。
そんなことを言われているように思えてなりません。
そこに一生懸命さがあれば必ず報われる。本当にきもちのいい朝でした。
私の中にあった雑念が一気に吹き飛びました。お不動様に助けられた感覚。
この神仏への信仰はやはり言葉では言い表せないものがあります。だったら四六時中、お寺にいればいいかというとそういったものではないのです。
基本はどこにいても同じ。何をしていても。常に見ていてくださる。
こちら側からの尺度では推し量ることのできない世界です。
親がわが子の成長を見てどのように感じるでしょうか。まだまだ幼い子供をできないからとなんでもしかりつけるでしょうか。
小学生にいきなり大人がすることをさせるでしょうか。そのうえでできないことを責め立てるようなことをするだろうか。
私たちは自分のマイナスポイントを勝手にピックアップして自分で自分を責めるが、実際のところはそれがそうであろうとそうでなかろうとたいした問題ではない可能性もあるのです。
たいしたことにしているのは自分だけでそんなことはたいしたことではない。実際に悩むべきもの、考えるべきものは他にあるということです。
私はいつもお不動様にお会いするとそれを感じます。
もっと自由でいい。自分がすべきことをしなさい。
そんなことを言われているように思えてなりません。
そこに一生懸命さがあれば必ず報われる。本当にきもちのいい朝でした。
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