ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.6)その6

2016-09-27 08:19:00 | 日記
甲斐バンドをメインに据えたとはいえ、設立されたばかりの「Big 1」は
「大喧騒の12月が過ぎ、明けて1月〜2月、ステージの農閑期がやって来た
借りた事務所に落ち着いてみると、ガスはないし、電気も引いてない状態

昼間は、せっせと機材作り、機材直しに励み
夜は1本のローソクを囲んで、200円で買えるだけのツマミを買い込み
酒を唯一の暖房にしながら、深夜までミーティング

[それを笑って話せるようになるか
やっぱりあの時、酒なんか飲んでたからダメになったと思っているか
二つに一つだな、という話をよくしましたね]

やがて3月、以前に何回か手掛けたことのあるアリスから
[ぜひ全面的に]のお声
甲斐バンドとアリスを2本の柱に、単発の仕事も色々と入って来た

[会社を辞めた途端に上手く行っちゃって
むしろ、今が一番気をつける時だと思う]
[褌を締め直せ]は、まず自分への戒めだった」…と書かれてますが

当時の甲斐バンドとアリスって
年間の観客動員数No.1の座を争っていたほど
ライブ本数の多い2組ですよね(笑)

ともあれ「楽譜は音楽をステージでやる人間が見るもの
俺は音楽をやる人間じゃないから見ない」と前島さん

「甲斐バンドをやり始めた頃に【ポップコーンを…】の
ストロボのカットアウトのタイミングが判らず
甲斐よしひろは何度もギターを弾きながら
[ハイ、ここ]と繰り返し歌ってみせる

[でも、俺はシロートだからさ
とにかく演奏終わったら消すよって(笑)
大将もガックリ来てたみたいだったけどね(笑)]」
もちろん、甲斐さんは「大丈夫か?」と不安になられたそうです(苦笑)

この機関紙以外の資料によると…
「[稽古場で聞かされた時に、大体アカリのイメージは決まるんです]
自分の身体とカンで照明プランを作って行く前島の
[全体を見据えてのライティング]には定評がある

[1曲1曲で照明を組み立てて行くと
全体の起承転結が出来ないんだ
僕たちは、25曲を見ながら組み立てるようにしている
例えば【冷血】の照明はこうだから
その前の曲はこう終わった方が良い、という風にね]

そのため、同じ曲であっても
並びによってはブルーをオレンジに変える日もあるという
[でも、照明はステージの上にいる人を照らすためのものだから
大将が邪魔だと言えば、そのプランはダメなんだ]と
最終的には甲斐の判断にゆだねる

確認作業をやりながら、照明プランを作って行く
そんなやり方を今も残す数少ないアーティストは
甲斐よしひろ、そして矢沢永吉だと前島は言う」

「照明なんかが話題になること自体、そのコンサートは失敗だよね
[照明が良かったですね]なんて言われたら
[判りもしないのに偉そうなこと言うなよ]てなもんだよ(笑)

そんなことより[良いコンサートだったね]って言われた時の方が
自分が褒められたって思ってるよ」と前島さん

新国技館の柿落としライブの際
打合せでは、天井から照明を吊るせると言われていたプランにNGを出され
照明イメージが根底から覆った上に

急遽、櫓を組むことになり、そのスペース分と死角になるスペース分の
入場者数が減ったために、1日追加しなければならなくなったという
裏方のバタバタにも関わらず

かなりの人数の方が「照明が良かった」と話されていたらしく
まさか直前に照明プランが白紙になった
「苦肉の策」だと悟らせないほど素晴らしいものだったようだけど

当の前島さんは、某イベンター社長と
当時の甲斐バンドのマネージャー氏の方をご覧になって
「あんな非常識な小屋でやろうと言った奴の首を絞めてやりたい」
…と、おっしゃったんだとか…(笑)

甲斐さんは、ご自身のライブ体験から
照明にこだわって来られた方ですが「出発コンサート」の際すでに
当時、チューリップの照明を担当されていた方に
「絶対に他のアーティストと違うアカリをやって下さい」とおっしゃったらしい(笑)

デビュー当初から「いわゆる照明プランナーと
一緒に動いてたりとかはしてたんだけど
彼らはあまり情熱を感じさせてくれなかったのね
移動の列車や本番前に博打ばかりやってるとか
何だ、コイツらと思ったんですよ

でも、前島良彦と出会って、状況を変えて行った
要するに、欧米を凄く意識してたんです、彼も僕も
ライティング良くないと絶対ダメだよねって…

ステージセットでおどかすのは簡単だけど
あれは結果的に、視角的な世界観を限定するばかりで
自分で自分の首を絞めてるようなものだもん

そういうことを判ってる前島良彦との出会いっていうのは
本当に幸福なものでしたね、僕も色々教えられたし」と甲斐さん

「[100万$ナイト]の武道館の後からですかね
照明のためにイントレ組むことになって
その上に人がいて、ピンスポで僕を追う、みたいな…
そのピンスポを操作してるスタッフのシルエットも全部、客に見えてるんだよね

ライブが始まる時、会場にBGMが流れて
普通なら、僕らが出て行くんだけど
スタート時間になると、まずその照明スタッフ達がイントレを登り出す
彼らがスタンバイするところからショーが始まる
今考えれば、完全に格闘技系ですよね(笑)

でも、格闘技でさえ、当時はまだそんなことやってなかったんだから(笑)
[全部見せちゃえ]って、前島良彦の発想ですよ
そういう意味では、古いやり方を打破しようと
凄く意識的に変えようとしてましたね

BIGGIGの時、前島良彦が[建物を染めれば良いじゃん]って言ったんですよ
スタッフは大変だったと思う
でも、キレイでした!めちゃめちゃキレイ!

歌いながら[キレイだなぁ…]って思ったもん
僕、見る方に回りたかった(笑)
あんなこと、いまだかつて一度もないですよ」と話されてます

その前島さんが「ミラーボール」にこだわっておられることは有名ですよね(笑)
初めて【100万$ナイト】を聴かれた時に
一言も口をきかずにスタジオを出て行かれたことや

「これはミラーボールの曲だよって、心底思ったのは
沢田研二の【ある青春】と甲斐バンドの【100万$ナイト】
この2曲だけですね」とおっしゃったこと

「反射した光が遠くまで届くようにしたい
動きだって、横だけじゃなくて縦にも回るようにしたい」と
オリジナルの「三尺玉」を作られたこと

「ミラーボールを照らすのは見送って欲しい」と言われたにも関わらず
箱根・芦ノ湖でのライブの「象徴」にしてしまわれたこと

「武道館ライブが終わって、観客が外に出た瞬間にミラーボールを回したい」
…という86年の解散時には許可が下りなかったプランを
甲斐さんの30周年でリベンジなさったこと…等々、枚挙に暇がありません

でも、甲斐バンドのライブで初めてミラーボールを使われたのは
WOWOWが「AGAIN」の生中継終了後に放送していたお宝映像にあった
シングル発売前の【LADY】みたいです

それまでずっと「もっと重たい感じに
ライブを締めくくれるような曲」を希望されていたそうですし
初めての野外ライブとあって、ミラーボールを使われたのかも知れませんね

「自分が感動した曲は、お客さんも感動させたいから
当然、思い入れの照明になる
ステージ上のスターの思い入れと、こちらの思い入れが合って

曲が終わったら、まず客席がシーンとなって
それからワーッと拍手が沸き起こった時、もうジーンと来ますね

意味のある仕事なんて大袈裟なものじゃないけど
少なくとも、その場に俺がいる何らかの意味を見つけられる仕事でなければ
続けられないし、やってる意味がないでしょ?

とにかく現場だけは離れたくない
機材もホールも刻々と変わっているから
机上だけ、手持ちの知識だけでは
どうしたって生きた照明は出来ない
現場を辞める時は俺が照明を辞める時だと思う」

…これは、1982年、38歳の前島さんの言葉ですが
1999年のインタビューでも
「仕事について思うのは、使える人間でありたいということだけ

求められたいとか、そんな偉そうなことじゃなくて、仕事を貰った時に
チャンと仕事をやってるなって思われる人間でありたい
現役の感覚を持ち続けたい」と話されてます

が、その後…「甲斐よしひろから[一緒に出来なくなった]って言われた時は
いよいよ、その日が来たかって感じだったね

でも、俺だけの都合で言えば、自分の将来のためにも
[お前はもうダメ!]ってだけは言われたくなかったし
甲斐よしひろはそうは言わなかったからね

その後よく2人で蕎麦屋で会うようになった
俺は初めて仕事としてじゃなく、友人として
甲斐よしひろと話が出来るようになったんだ」と前島さん

86年の甲斐バンド再結成の際に
甲斐さんから「またやってくれない」と持ちかけられた時
しばらく現場から離れていらしたものの
「リハビリやらせてくれたら」と快諾なさって今日に至っておられます

ずいぶん長く引っ張ってしまいましたが(苦笑)
1978年3月から、若干の期間を除いても
長きに渡って甲斐さんのステージを支えて来られた方とあって
これでも書き切れないくらいです(笑)

最後まで読んで下さった皆さま、ありがとうございました!m(__)m
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2 コメント

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Unknown (まさと)
2016-09-27 23:07:31
今日も中学生だった自分を思い出しながら読ませて頂きました
あの頃こんなに深く読めなかったし、知らない話も加わってじっくり考えながら読みました
もうすぐ甲斐タローツアーが始まります
大阪のみの僕はネタバレ見たくないのでこの日記慎重に読みたいと思います
返信する
まさとさんへ (ボク)
2016-09-28 22:41:00
この機関紙の頃の前島さんはもちろん
甲斐さんもメンバーの皆さんも発行人の佐藤剛さんも
今の奥さんよりずっとお若いんですよね(笑)
でも、話されている内容は、今読んでも色褪せてないというか
仕事に対する姿勢がブレておられないんでしょうね

甲斐タロー・ツアーの又聞きレポは
タイトルに「ネタバレ」の有り無しを記すようにしますね(笑)
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