自然日誌 たかつき

自然についての問わず語りです。

乙女高原

2021年08月11日 | 標本
8月8日に乙女高原にいきました。乙女高原はこの十数年で、かつて咲き乱れていた美しい花が減ってしまい、ススキ原になってしまいました。そのこととシカが増えた時期が重なっていたので、地元で長年自然観察や環境教育をしてきた植原さんに講師として読んでもらいシカの話をしました。それから交流が始まり、草原の変化とシカの増加を説明する研究をしました(こちら)。
 その頃、学生の加古さんが乙女高原で卒業研究をしました。彼女は感性が豊かな人で生き物に対しても独特の接し方をすることができる人だったので、訪花昆虫の調査をしてもらい、花にくる昆虫の記録をしてもらいました。2013年のことでした。
 その後2015年に柵ができました。この時、私たちの調査で小さな柵を作ったら柵の中には外側の100倍もの数の花が咲くことがわかったことが大きな力になったそうです。
 柵の効果は劇的で、長い間少なくなったり、ほとんどなくなっていた花が咲き始め、今では相当回復しました。そこで加古さんと同じ方法で調べてみることにしました。



草原には歩道があるので、ルートをきめ、巻尺を張って距離がわかるようにしました。

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収支報告

2021年08月10日 | がんこおやじ
オリンピックはわからないこと、納得できなことだらけなのだが、新聞もテレビも取り上げないとても不思議なことがある。
 オリンピックはさまざまな予想外のことで大幅な赤字になったことはわかる。政府のしたことはひどすぎるとは思うが、それでも人に失敗はつきものだし、予想外のことも起こり得る。そのことを認めた上でも、どれだけのお金がかかり、どのような不測の自体が起きてどれだけの出費がかかったから、これだけ赤字となった、これに対してどのような対応をするということを報告するのはごく常識的なことのはずなのにそれを聞いたことがない。JOCが言いたくないのは容易に想像がつくが、そこを切り込むのがジャーナリズムであるはずだ。

そういえば、ワクチン代は一体どうなっているのか。とんでもない高額を払ったのではないか。当時の首相はワクチンが手に入りさえすれば全て解決するという甘い想定を立てていたが、逆にいえばそのためには条件をつけなかったのではないか。国費を使っての買い物は納税者として知る権利がある。ジャーナリズムはこのことにも切り込まない。

 この問題は結構深い。オリンピックはフェアさ、公平さが主要コンセプトの一つのはずだ。だが、金に糸目をつけないで自分たちだけのためにワクチンを買い占めることは、経済的に余裕のない国の国民に対してあからさまな不公平を強いることである。私はワクチンを受ける時に、そのことに対する後ろめたさがあった。私のしたことは明らかに他の人に迷惑をかけたと思った。一般庶民としては金持ちの国であることの恩恵を受けたということだ。だが、一般庶民とは違い、国のリーダーは理念を明確にする必要がある。一方でオリンピックの綺麗事を言って開催を強行した。その同じ人間が札束で頬を叩くことをして平然としている。このことについてもジャーナリズムは切り込まない。
 日本のジャーナリズムは死んだも同然だと思う。
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金華山 13 ヤマビル

2021年08月09日 | 標本
最初にヒルにやられたことを書きましたが、別の日にまた足についていたので捕まえて容器に入れて写真を撮りました。左側が細くなっていますが、こちらが頭で、これを右に左に動かしてどこに取り憑こうか伺う動きをします。子供の頃、田んぼにもヒルがいましたが、あれは水の中を泳ぐヒルで妙に色鮮やかで気味の悪いやつでした。生物多様性を重んじる生態学者としては、その多様な生き方を理解はしますが、実際に自分がやられると頭にきます。

ヤマビル

 そういうわけで色々ありましたが、学生時代から調査をしてきた金華山で71歳になって元気で歩けるというのはありがたいことだと満足して島を離れました。


船から

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金華山 12 糞虫

2021年08月08日 | 標本
糞中を調べてみようと思い、トラップを2つおきました。


翌日眺めるとエンマコガネ類がきていました。さすがは金華山です、たくさん糞虫がいます。


ところがもう一つのトラップを見てもっとびっくり、オオセンチコガネもたくさん入っており、エンマコガネはさらにたくさんいました。

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金華山 12 サル

2021年08月07日 | 標本
金華山にはサルもいるので、時々出会います。ただ普通は「あ、いるな」と横目にみながら通り過ぎるだけですが、今回は暑くてバテたので、休みをかねてサルを眺めました。

母子がいたのでしばらく眺めていましたが、お母さんが子供の毛づくろいをしていました。子供は毛づくろいをされながらも、目の前にある草を掴んだり、人間の幼児と同じだなと思いました。


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金華山 11 シカが食べない植物

2021年08月06日 | 標本
金華山にはシカがいっぱいいて植物を食べますから植物は強い影響を受けます。

草を食べるシカの群れ

そのため、普通の植物は少なくなって、シカが食べない植物が目立つようになります。その一つはキンカアザミで、ダキバヒメアザミというアザミの特にトゲが鋭いものです。

キンカアザミ

カリガネソウ

ヨウシュチョウセンアサガオ



シカが食べないために群落を作っている植物もあります。

ワラビ群落

イワヒメワラビ群落

ダンドボロギク群落



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金華山 10 歌詞を訳す

2021年08月05日 | 標本
 私はちょっと考え込んでいました。
 1960年代の日本はアメリカに対する強い憧れがあり、またアメリカの大学では自由のために、あるいはベトナム戦争に反対して学生が運動をしていると聞きました。そして「風に吹かれて」などのフォークソングが爆発的にヒットし、私たちはギターを手にして一緒に歌を歌いました。それまでラジオから流れてくる歌は演歌ばかりでしたから、フォークソングを聞いて稲光にでもあったように衝撃を受けました。パートに分かれてハモると、不思議な響きが生まれ、興奮しました。信じられないかもしれませんが、歌を歌いながら徹夜するということもありました。
 そうした流れの中で登場したのが森山良子で、私たちは育ちのいいお嬢さんがアメリカのフォークソングの和訳を歌ってくれているという感じでうっとりして聞いたものです。今思えば、それはレコード会社の戦略で、小ぎれいなメロデイーに無毒な歌詞をのせれば一定のヒットは約束されていました。
 しかし、だからと言ってこの訳はコピーライトとして許されるのでしょうか。この原作者は、人生の不条理を芝生を軸に描き、眩しいような明るい景観を一気に反転させて暗い灰色の壁の中で死刑を待つ男の心情を描きます。その詩の最も重要な部分を頰被りして前半だけで完結したものとすることは、ほとんど別の詩にすることです。それは原作者の了解を取ってのことだったのでしょうか。
 そう思えば、歌詞を訳すとはどういうことかと考えてしまいます。

それにしても、私の話は横道に逸れすぎます。

逸れついででさらに。
歌詞といい、音がカシなので詞と詩を区別していませんが、歌詞の詞は「ことば」という感じで、詩よりはメロディーに合わせて長さや響きを重視した感じがしますが、しかし詩も韻を踏んだりするのだから似たようなものです。子供の頃、なぜ「歌詩」でないのだろうと思ったことがあります。英語でもpoemとlyricsと別の言葉です。日本語では同じ「シ」だから大した違いではないように思っていますが、英語では全く違うものと捉えられているのかもしれません。ご存知の方、教えてください。

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金華山 9 原詩の核心

2021年08月04日 | 標本
問題はここからです。

Then I awake and look around me
At the four grey walls that surround me
And I realize, yes, I was only dreaming
For there's a guard and there's a sad old padre -
Arm in arm we'll walk at daybreak
Again I touch the green, green grass of home

それから俺は目が覚めて周りを見回す
俺を取り囲む四面の灰色の壁を見て
ああ、そうか、夢を見ていたんだ
看守と悲しげな神父の爺さんがいる
明日夜が開けたら俺とその二人は腕を組んで歩くのさ
ああ、もう一度うちのあの緑の芝生に触りたいなあ

私はこれが囚人の歌だと聞いて、刑期を終えて我が家に帰った時の歌だと思い込んでいました。そうでは全くなく、明日死刑執行という夜にうたた寝をして目が覚めたという歌詞だったのです。私はpadreという言葉を知りませんでした。きっと面会に来て励ましてくれていた神父さんだったのでしょう。

Yes, they'll all come to see me 
in the shade Of that old oak tree
As they lay me neath the green, green grass of home

そうだ、みんなが俺を迎えに来てくれている
あの懐かしい大きなナラの木の木陰で
うちの緑の芝生の下に俺を葬ってくれるんだ

アメリカの習慣はわかりませんが、死刑のあと、遺体を家族に渡すのでしょうか。あるいは火葬して骨を渡すのでしょうか。いずれにしても、これはのどかな望郷の歌などではありません。懐かしい庭の芝生も、こうなると意味が重く、深いものとなります。

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金華山 8 原詩

2021年08月03日 | 標本
もとの歌詞は次の通り

The old home town looks the same
As I step down from the train
And there to meet me is my Mama and Papa
Down the road I look and there runs Mary
Hair of gold and lips like cherries
It's good to touch the green, green grass of home

私なりに訳してみます。

故郷の町は昔のままだ
汽車から降りると
母さんと父さんが迎えに来てくれている
駅から家に向かう道でメアリーを見かけた
髪は金髪で唇は桜みたいだ
ああ、うちの緑の芝生に触るのは気持ちがいいなあ

Yes, they'll all come to meet me
Arms reaching, smiling sweetly
It's good to touch the green, green, grass of home
そう、みんなが俺を迎えに来てくれている
手を差し伸べて、優しく微笑みながら
ああ、うちの緑の芝生に触るのは気持ちがいいなあ

The old house is still standing
Tho' the paint is cracked and dry
And there's that old oak tree that I used to play on
Down the lane I walk with my sweet Mary
Hair of gold and lips like cherries
It's good to touch the green, green grass of home

古い我が家はまだある
ペンキは乾いてひび割れているけど
登って遊んだあのナラの木もある
愛しいメアリーと道を歩く
髪は金髪で唇は桜みたいだ
ああ、うちの緑の芝生に触るのは気持ちがいいなあ

Yes, they'll all come to meet me
Arms reaching, smiling sweetly
It's good to touch the green, green, grass of home

そうさ、みんな俺に会いに来てくれる
手を差し伸べて、優しく微笑みながら
ああ、うちの緑の芝生に触るのは気持ちがいいなあ

ここまでは森山良子の歌で大体いいと思います。男女が違いますがこれはよくあることで許容範囲です*。ただし、oak treeが樫の木と訳されているのは間違いです。カシは常緑樹で、oakは落葉ですからコナラ、ミズナラの類で、ナラと訳さないといけません。歌詞の木と訳すと木ヘンに堅いですから、常緑で硬いがっしりした鬱蒼としげる木とイメージしますが、oakは大きくはなりますが落葉樹で新緑が爽やかな木です。だからイメージが違うのでカシではなくナラと訳すべきです。最も英語の辞書でoakと引けば樫の木と出てくるので、訳した人を責めるわけには行きませんが。

* カーペンターズで流行った「プリーズ、ミスター・ポストマン」は初期のビートルズが歌っていました。女の子が歌う歌詞ではボーイフレンドの、男の子が歌う歌詞ではガールフレンドの手紙が待ちきれないとなっています。こういうことおは日本の歌ではありません。
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金華山 7 思い出のグリーングラス、森山良子

2021年08月02日 | 標本
シバの話から横道にそれました。それついての話題です。
「思い出のグリーングラス」は私が高校生の頃に森山良子が歌って流行りました。私の理解は都会に住む若い女性が故郷の我が家のことを思い出しているというのどかなものでした。日本の「故郷」も同じような歌詞で、それのアメリカ版という感じでした。ただ、その後でこれは囚人の心を歌ったものだと聞いて、意外な感じがしましたが、深くは考えずそのままでいました。
 実は今回、ふとしたことで歌詞を調べてびっくりしました。

まず森山良子が歌った邦訳です。

汽車から降りたら 小さな駅で
迎えてくれる ママとパパ
手をふりながら呼ぶのは
彼の姿なの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム
帰った私をむかえてくれるの
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

昔と同じの 我が家の姿
庭にそびえる 樫の木よ
子供の頃に のぼった
枝もそのままよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

悲しい夢みて 泣いてた私
ひとり都会で迷ったの
生まれ故郷に立ったら
夢がさめたのよ
思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

笑顔でだれもむかえてくれるの
思い出の グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

笑顔でだれもむかえてくれるの
思い出の グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム

これを読めば私の理解は納得できるものです。
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