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鳥取県若桜町のシカの食性 -- 人工林地での事例 --

2019-03-17 19:32:12 | 報告
2019.1.20 更新


鳥取県若桜町のシカの食性 -- 人工林地での事例 --

高槻成紀(麻布大学いのちの博物館)・永松 大(鳥取大学)


目的
 シカ(ニホンジカ)の食性は北海道から屋久島まで広範に分析され、大体の傾向は把握されているが、まだまだ残された地域も多い。中国地方はその一つで、2000年に山口県のシカで断片的な情報が報告されたにすぎない(Jayasekara and Takatsuki, 2000)。この分析がなされた1990年代後半には中国地方でのシカの生息は限定的であったが、その後、徐々に拡大した。鳥取県においても兵庫県から連続的な分布域が県東部から徐々に拡大傾向にある(鳥取県, 2017)。1978年と2003年の生息分布をみると、1978年には東部に断続的に生息していたが、2003年になると東部では面的になり、中部、西部にも拡大したことがわかる(図1)。


図1. 鳥取県におけるシカの生息分布. 左:1978年, 右:2003年
(鳥取県, 2017より)


 このため農林業への被害が大きくなり、その抑制のために捕獲が進められ、2010年からは3000頭台、2013年以降は4000頭を超えるレベルになっている(図2)。


図2. 鳥取県におけるシカ捕獲数の推移. (鳥取県, 2017より)


 著者の一人永松は当地方で植生調査をしながら、年々シカの影響が強くなることを観察してきた。調査地である若桜町を含む鳥取県東南部で群落調査とシカの糞密度を調査を行い、若桜町はその中でもシカ密度が高く、植物への影響も強いことが示された(川島・永松, 2016)。場所によってはもともとはササがあったが、シカによって食べ尽くされ、低木層も貧弱化し、不嗜好植物(シカが嫌って食べない植物)が増えている場所もあった。


鳥取県東南部でのササと低木の影響の強さ(左)と糞密度(右)の分布図。色が濃いほど影響、密度の値が大きい(川嶋・永松, 2016)

 この地方は伝統的に林業が盛んであり、若桜町は森林率が95%であり、そのうち人工林率は58%である(鳥取県林業統計https://www.pref.tottori.lg.jp/100539.htm)。スギは常緑であり葉の垂直的厚さがあるために、林床は暗く、間伐が適切に行われないと林床植生は貧弱になりがちである。そのため、面積当たりのシカの頭数が同じであっても、下生えの豊富な落葉広葉樹林に比較すると環境収容力は小さくなる。このため、単純に生息密度を調べるだけではシカの置かれた状況を知ることはできない。筆者らはこれを把握する方法の一つとして、現状のシカの食性を明らかにしておくことが重要だと考えた。
 シカの食性は糞分析によっておこなわれる。糞分析法を採用すれば、非侵襲的に(シカを殺すことなく)、繰り返し調査ができるという利点がある。シカは植物が枯れる冬に食物不足に陥り、常緑のササがあれば集中的に利用するため、シカが増えるとササが減少して、シカの糞中の占有率も減る。ササは表皮細胞が特徴的であり、糞分析で確実に識別できるので、よい指標となる。またシカの主要な食物である植物の葉は一般には冬に減るため、シカが食性に強い影響を及ぼしていれば、シカは落ち葉やイネ科の稈、木本類の枝や樹皮まで利用するようになるが、もしシカの影響が強くなくて、ササや常緑低木が多い環境であれば、シカの冬の糞にはこれらの葉が多く検出される。
 本調査はこのような背景から鳥取県東部の若桜町のシカの現時点での食性を明らかにすることを目的とした。

方法
1)調査地の選定
 若狭町の南にある鬼の城でシカ糞の採取をおこなった
(図3)。


図3. シカ糞採取地の位置


 糞採取した場所はアカマツとコナラの林で、下生えは強いシカの影響を受けて貧弱になっていた(図4, この植生は今後記述予定)。


図4. シカ糞採取地の景観。下生えは非常に貧弱である。

2)糞分析
 シカの糞の採取に際しては1回分の排泄と判断される糞塊から10粒を採取して1サンプルとし、10サンプルを集めた。これを光学顕微鏡でポイント枠法で分析した。ポイント数は200以上とした。
 糞中の成分は暫定的に図5の14群とした。これは今後の分析が進んだ時点で少量のものはまとめる予定である。

結果と考察
糞組成の季節変化
2018年5月以降の糞組成の平均値を図5に示した。
<5月>
5月に最も多かったのは支持組織で木質繊維や樹皮など、葉でないものを含み、56.5%に達した。次に多かったのは枯葉で黒褐色の葉脈が見られた。これが17.8%を占めた。そのほかの成分は少なかった。特に双子葉植物は非常に少なく、シカの影響で減少したためと推察される。イネ科の葉は7.1%で、稈(イネ科の茎)が6.8%であった。これらは新鮮な植物由来であり、顕微鏡下では透過性の良い状態で観察された。
これらの結果は、当地のシカの春の食糧事情は劣悪であることを示唆している。多くの場所ではササや常緑樹の葉が10%以上検出されるが、ここではそのいずれもが微量しか検出されず、栄養価の低い支持組織が過半量、枯葉が2割近くを占めた。

<6月>
 6月9日のサンプルもさほどの変化は見られなかった。はっきりとした違いは支持組織が5月の55.5%から36.3%に減少して、稈(イネ科の茎)が6.8%から21.5%に大きく増加し、枯葉は17.8%から10.0%に減少したことである。このことは緑がほとんどなかった5月から新しいイネ科が育ち始めてシカがそれを食べ、みずみずしいイネ科の葉は消化されたために糞には7.9%しか出現しなかったが、同時に食べた稈が糞中に多く出現したことを示唆する。そのため枝先や枯葉はあまり食べなくなったものと考えられる。それでも6月時点で枯葉を除く葉が合計でも15.3%しかなかったのはこの調査地ではシカが食べる植物が非常に限られていることを示唆する。

<7月>
 7月28日のサンプルはかなり変化を見せた。まずそれまで少量ながら出現していたササが全く出現しなかった。大きく増加したのは稈(イネ科の茎)で,45.4%を占めた。イネ科の葉も10.3%に増加したが、増加の程度は稈が著しかった。これはまだイネ科の葉が若く、柔らかいために消化率が高いからであろう。また双子葉植物の葉も6月の1.7%から15.6%と大きく増加した。これに対して繊維は激減した。繊維は5月に55.5%、6月に38.3%と大きな値を示したが、7月にはわずか4.2%になった。このように、糞中の葉の合計値は30.4%になり、シカの食物状況は大幅に改善されたが、注目すべきは、それでも枯葉が12.9%を占めていたことである。通常であれば夏に枯葉は食べないと思われるので、この地域のシカは夏でも枯葉を食べざるを得ない劣悪な食物環境で生活していると考えられる。

<9月>
 9月25日の糞組成は緑葉が大幅に減少し、双子葉、単子葉合わせても15%にしかならなかった。枯葉が22.1%の高率を占め、繊維と稈を合わせると53.3%と過半量になった。

<11月>
 11月は意外にもイネ科、双子葉植物ともに大幅に増加し、繊維が大きく減少し、これまでで最も葉が多いという結果になった。ただし、枯葉が19.9%あり、10月よりはやや少なくなったものの、かなり多かった。

<2019年1月>
 2019年1月になると、繊維が48.4%とほぼ半量を占め、稈(10.8%)や不明(11.1%)、枯葉(8.8%)など栄養価の低いもので大半を占めるようになった。これは前年の5月の組成に似ており、植物が枯れてシカの食物が最も乏しくなった時期に入ったことを示している。

<2019年3月>
 3月の組成は基本的に1月のものと近かった。最も多かったのは繊維で39.9%を占め、稈(17.8%)や枯葉(14.6%)など栄養価の低いもので大半を占めた。一年で最も食物が乏しい時期t考えられる。


図5. 若狭町シカの糞組成(%)の季節変化。食物カテゴリーは今後の結果に応じて変更する可能性がある。


主要成分の季節変化
 一度でも10%を上回ったものを主要成分として取り上げると、図6のようになった。イネ科は明瞭な季節変化を示さず、夏から秋に10%を超える程度であった。ただし、9月には少なくなった。双子葉植物は夏から秋に増加した。枯葉は夏と秋に多かったが5月にも17.8%になった。稈は春から秋に多く、特に7月に45.5%に達したのでグラフは山型になった。繊維は冬を中心に多く、グラフはU字型になった。
 栄養価の高い緑葉が植物の生育期である春から夏に多くなるのは当然であるが、本調査地に特徴的なのは枯葉と稈も植物の生育期に多かったことである。しかも繊維も9月に27.6%を占めた。このうち稈は特に初夏にはみずみずしい状態であるからシカはイネ科を食べるときに、葉と同時に稈も食べる。この時期の稈は柔らかく、葉緑素も含んでいるから、秋以降の稈とは違い栄養価もある程度あると思われる。しかし枯葉は明らかに低栄養であるし、繊維は枝や細い幹などを食べて消化過程で残ったものと考えられる。このような低栄養の食物を夏でも食べるということは、シカにとっての調査地の食物事情が非常に劣悪であることを強く示唆する。


図6 主要成分の占有率の季節変化

まとめ
 分析の結果、糞の主要成分が支持組織と枯葉で占められていたことがわかり、シカが植生に強い影響を与えて、食糧事情が悪い状態にあることがわかった。特に6月になっても葉の占有率が20%未満であったこと、7月、9月という植物が一年で最も多い時期においても枯葉をかなりの程度食べていたことは注目される。枯葉が多いのは11月も同様であったが、意外にも葉の占有率はこれまでの最高値を示した。
 シカが高密度で知られる宮城県金華山島でも夏はシバなどイネ科植物をよく食べており、このように枯葉を多く食べることはない(Takatsuki, 1980)。そうしたことを考えれば、この地域のシカはこれまで知られる日本のシカ集団でも最も貧弱な食糧事情にある例だと思われる。
 その理由の一つは、若桜地方がスギ林が卓越していることに関係すると考えられる。この地方はスギの名産地として伝統的に人工林化が進められた結果、人工林率が高く、従って森林内が暗いためにシカの食物になる草本類や低木類が少ない。そのため、落葉樹林に比べて同じ程度のシカ密度であれば、食物になる植物が少なく、植生への影響も強い。その結果、シカの食物がさらに減少するという悪循環が急速に進んだためと考えられる。特に常緑のササが乏しくなったことは、シカの冬の食糧事情にとって深刻なことであり、シカの栄養状態にも悪影響を与えている可能性がある。

文献
Jayasekara, P. and S. Takatsuki. 2000. Seasonal food habits of a sika deer population in the warm temperate forest of the westernmost part of Honshu, Japan. Ecological Research, 15: 153-157.

川嶋淳史・永松 大. 2016. 鳥取県東部におけるシカの採食による植生の被害状況. 山陰自然史研究, 12: 9-17.

鳥取県. 2017. 鳥取県特定鳥獣(ニホンジカ)管理計画.

Takatsuki, S. 1980. Food habits of Sika deer on Kinkazan Island. Science Report of Tohoku University, Series IV (Biology), 38(1): 7-31.
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