塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ロナウドは本当に下降線をたどっているのか

2016-12-02 00:31:49 | 日記
 クラブ・ワールドカップで来日するレアル・マドリード。

 指揮官のジダンを含めて多くの選手が注目される中、スペイン、ポルトガル、日本、そして対戦クラブの記者ですら、何とかしてロナウドの肉声がほしいと思うでしょうね。

 一方でロナウドに対して

 「瞬発力が無くなった」
 「いよいよ彼も肉体が衰えてきたのか」

 という声が聞こえてきました。

 彼が日頃から節制し、息子さんとの時間を守りながらも物凄い量の練習とトレーニングを重ねていることは、素直に尊重すべきでそれはバルセロナ、アトレティコのファンも同様です。

 一方で彼が本当に、昨年までの健康を維持できないのあれば、ドリブルでの突破が独善的に見える危険性はあるでしょうね。

 ドリブルはマークを外す、ボールを前に運ぶというふたつの意味合いを持ちます。

 もしこれが出来ないのであれば、答えは簡単で

 「味方にパスを出す」
 「味方からパスをもらう」

 という形でロナウドがゴールを目指すようになれば良いと思います。

 同じナイキ契約選手ですが、過去マイケル・ジョーダンもボールをほしがる選手でした。

 コーチ・ジャクソンは、その後シカゴ・ブルズの十八番となるトライアングル・オフェンスを導入する際、ジョーダンに

 「これは君の得点機会を減らす方策ではない」
 「君にマークが集中するよりも、分散した方が良いし、同僚の力量が増すことは良い事だよ」

 と諭すことで、ブルズは6度の全米王者に輝きます。

 ジャクソンと同じことをジダンが考えているかどうかはわかりません。

 ただ、今の段階においてロナウドが自尊心を減らすことなく、周囲の助言を受け入れる体制として、ジダンの存在価値は計り知れない、この点は大きいといます。
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小心者は嫌だ、という気持ち

2016-12-02 00:16:30 | 日記
 僕は昔から小心者で、今もその心境は変わりません。

 山梨学院大学在籍時、帰省のためにアルバイト先から休みを一週間程度頂き、購読していた毎日新聞の宅配を止めてほしい、という連絡までは順調なんです。

 大学は夏季、春季休暇中ですから問題ありませんし、後は電車に乗り込むだけです。

 山梨学院に最も近い駅は酒折という駅で、僕のアパートから徒歩5分程度の場所にありました。

 ここが曲者なんですね。

 あれほど確認したのに、駅に向かう最中

 「ああ、あれもう一度確認すればよかった」
 「コンセントは大丈夫、ガスの元栓も閉めてきた」

 などと悩んでいるうちにいたたまれず帰宅し、甲府から松本ヘ向かう特急をに乗り過ごしたことさえあります。

 何か僕の不手際があれば

 1・他の住人にとんでもない迷惑がかかる
 2・未成年のため、当然両親が損害を被る

 事を考えると、すごくビビッてしまうのです。

 それは今も何ら変わらないのですが。

 サッカー選手は家を空ける職業ですから、両親と同居、妻がいる、というだけで物事が安心という側面はあるでしょう。

 ブラジルのように家族がいることで、誘拐や強盗に巻き込まれる選手がいることも事実ですが、家族がいるからこそ家を空けても治安が守られている、という側面は計り知れないと思います。

 熱狂的なファンは、選手がミスをすれば妻や子供にも容赦を見せませんが。

 僕は妻も子もいませんが、気の小さい点を知られたら、もう呆られてしまうと思います。
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