塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ブランドと地域に見えるサッカーの矛盾

2014-12-02 23:16:46 | 日記
 イタリアでもっとも有名な企業は、恐らくフィアットでしょう。

 長野でもフィアットの車を稀に見かけますし、ショールームでは来客に同じくイタリアの「イリー」のコーヒーでもてなしてくれると言う話を聞きました。

 フィアットが凄いのは、イタリアの車ブランド全てを傘下に収めていることです。

 ブンデスリーガのウォルクスブルクの筆頭スポンサーであるフォルクス・ワーゲンは、傘下にアウディを持つ事で有名ですが、フィアットの場合、それとは比較になりません。

 憧れのフェラーリだけでなく、ランチア、アルファロメロ、そしてランボルギーニの行く末もフィアットの手中にあるわけですから、日本で言えば

 「トヨダが日産もダイハツもスバルも生産をコントロールする」

 ようなものでしょうね。

 ユーヴェとフィアットの関係は皆さんもご存知でしょうが、南からトリノまで出稼ぎに来た労働者は、週末になるとユヴェントスの勝利を見届ける事でやる気を出したと聞いています。

 南部にもバーリやレッチェ、カリアリと地元民から支援されるクラブがありますが、ユヴェントスだけがイタリアで全国区の人気を持つのは、労働者からの支援が基本事項だったというわけです。

 ですから、本当は両親も祖父母、そして自分も「トーロ(トリノの愛称)」が好きなのに、働く会社がフィアット。

 という人物もいると思います。

 例えばドイツ代表として一時代を築いたロタール・マテウス。

 彼は両親がプーマで働き、彼も契約選手だったのですが、代表からはアディダスを履くように圧力がかかり、なかなか難しい時期を過ごした事もあったのです。

 これもまた、サッカーの矛盾と言える出来事でしょうか。
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日本代表監督の行方はどうなるのか

2014-12-02 01:59:54 | 日記
 プロ化以降、日本代表監督を最短の任期で終えたのは、1994年のファルカンでした。

 この時は広島で行われたアジア大会の8強で韓国に敗れた事が響き、わずか8カ月で頓挫してしまいましたが、以後続く、外国籍監督の在籍期間とは雲泥の差です。

 そしてハヴィエル・アギレ政権は、日本代表の勝敗とは何ら無関係の出来事で瓦解してしまう可能性がでてきました。

 「監督自らの八百長問題」

 という形で。

 僕は監督の問題よりも、仮に報道されているように彼が職務停止に陥った際、果たして代表監督を誰に指名するのか、協会は探っておく必要があるのではないかと考えます。

 「サッカー監督の成り手は、世界中に幾らでもいるよ」

 とはよく聞く言葉です。

 しかし、一国の代表監督を選出する作業は、年々困難を増してゆきますし、イングランドのように監督その物が枯渇していると言う国もあります。

 「Jと海外組をフラットに考えられる」
 「4バックを基本事項とする」

 という現体制を考慮すれな、ここはピクシーという考えもあるように思います。

 鹿島アントラーズを率いていたオリヴェイラ監督もかつては有力候補でしたが、ご家族で健康に優れない方がいるらしく、ブラジルを離れることは無理な様子です。

 ガンバの長谷川監督は非常に興味深い人選ですが、ガンバ首脳陣が手ばなすわけはなく、どこか消去法とも言えますが、ピクシーと言う戦は「一応」あると思います。

 「一応」と付けたのは、まだアギレ監督が職務停止になったわけではなく、単に嫌疑がかけられているだけの状況だからです。

 ただ、アジアカップまでの時間を考慮すれば、いかんともしがたい状況であることは確かです。
 
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僕が思う、日本代表の存在とは

2014-12-02 01:44:02 | 日記
 「何でもない明日を生きてゆく」

 僕は休日、「ごきげんよう」を見て楽しんでいますが、笑っていいともが終了した後、完全にフジテレビの代名詞と言えるでしょうね。

 そのごきげんようは皆さんご存知のようにライオンがスポンサーに付いていますが、冒頭で記した歌詞が流れてくるCM、ご覧になったことはありませんか?

 一日の労働を終えた女性たちが、お風呂に入ろう、歯磨きしようと歌い、同時に

 「言い訳しないで頑張った」

 とも語ります。

 このCMを見るたびに思うのは、日本代表です。

 「日本代表の試合を観て、明日も何とかなると思えた」
 「選手達の踏ん張りが、僕の心に響いた」

 こうした戦いぶりが全ての代表戦で叶えられるとは思いません。

 それでも、日本代表はやはり、時差や気候、戦術など、言い訳したくなる衝動を抑え、なんでもない明日を懸命に生きようと思う人、名もなき人々の為に存在すると思います。

 1950年代から70年代は、その役目を映画と舞台が担っていました。

 野球ではファースト王とサード長嶋であり、大相撲では大鵬や双葉山という人気力士が、毎日汗を流して憩いを求める人々から喝采で迎えられていたはずです。

 日本代表は今

 「視聴率が取れる大きな存在」
 「アジア王者を防衛するために」

 という、まさにビジネスの側面がいささか強調されすぎている、ように思います。

 1993年、ドーハで散った選手達と今の代表選手たちは、格段に技術力が向上し、俯瞰して物を見られるようになりました。

 それでも、20年前の愚直さがさほど感じられない事は、それだけ日本が地位向上した面もあり、同時に体を張らなくともアジアで勝てるようになった、と言う意味もあるのでしょうが。
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