塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

柏レイソル、監督問題で激震が

2013-08-31 23:37:21 | 日記
 驚きましたね。

 今仕事から帰宅してインターネットでニュースを読んでいましたら、ネルシーニョ監督が辞意を表明したとあるではあり
ませんか。

 レイソルの選手たちも指揮官の意思は到底予想が出来ず、非常に驚いている模様です。

 僕は監督は辞めるべきではない。

 そう考えます。

 それはネルシーニョ監督がJ1とJ2の2階級制覇、クラブ・ワールドカップ4位と天皇杯の優勝という、結果、言い換
えれば功労者としての役目を持っていたからではありません。

 それは彼の手腕、例えばあのフランサにも仲間の為に走って欲しいと意識改革を求めたことや、キャップ1とはいえ田中
そして工藤のように代表選手も育ってきたためです。

 つまり監督は

 「自分で耕し、種を蒔き、育った選手が勇躍している」

 つまり、今が実りの時期を迎えているわけで、辞任してはその収穫を行う人物が存在しなくなります。

 少なくとも

 「アジア王者」

 という最高の名誉はまだ実現できる機会はありますし、少なくとも監督代行の形でサウジアラビアに出向くことは避けるべ
きです。

 ナンバーも度々ネルシーニョ監督の手腕を特集しており、例えば780号の58、59ページでレイソルの選手とコーチと
の間に生まれた信頼関係を、戸塚啓氏が執筆しています。

 ネルシーニョ監督はヴェルディ時代に最盛期を迎え、グランパスエイト時代に落ち込み、レイソル時代で再び急上昇した印
象があります。

 しかし当時のヴェルディが主力が軒並み代表選手であったことを考えれば、レイソル時代の今こそ

 「本領発揮」

 だったはずです。

 僕が社長ならば彼の辞意を受け付けることはありません。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かつては見られなかったマーチャンダイジングという概念

2013-08-31 00:30:20 | 日記
 古いサッカー雑誌を見ていると、牧歌的な風景に遭遇します。

 それは選手が着ている物で、レアルならケルムとヒュンメル、バルセロナならメイハにカッパ、ユヴェントスならロット
という具合に80年代から90年代前半は、今ほど。

 「マーチャンダイジング」

 の概念が希薄だったためです。

 この時代に一世を風靡したミランでさえ、スポンサーはカッパ、ロット、アディダスというように随分変更していますか
ら、テクニカル・スポンサーとの契約がさほど重要視される代物ではなかったのでしょう。

 希薄と記したのは、単に契約と言う意味のみで、そこには現在ではテレビ放映権と並ぶ、莫大な金額が流れてはいないと
思える為です。

 今ではビッグクラブは大手とがっちりタッグを組み、契約年数も二けたを数えることも珍しくありません。

 ユナイテッドやバルセロナのように、東南アジアを筆頭に世界規模で人気のあるクラブをナイキが支援すれば、アディダ
スはチェルシーとレアル、ミランで対抗しています。

 プーマはドルトムントと契約を結ぶ一方で、来季からはアーセナルを担当します。

 リバプールのような老舗が新興ブランド、ウォリアーと契約したのはそれだけ支援する側が結果と人気を追い続けている
証拠とも思えますね。

 代表ジャージもそうで、90年代ならなイタリアとベルギーはディアドラ、オランダはロット、ロシアがリーボックという
ように随分枝分かれしていたものです。

 しかし近年はやはりビッグカンパニーへの

 「一極集中」

 が基本となっています。

 それだけ提示される金額が馬鹿にならないのでしょうし、レプリカジャージの売れ挙げもブランド力向上の指針になる事
も確かでしょうから。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

監督として名声を得るために必要な要素

2013-08-31 00:13:21 | 日記
 「同じ経験をしても貴腐できる人とできない人とがある。」

 「その時に一番必要な事と言えば、めんどうなこと、いやなこと、うっとうしいことを避けて通らないことである。」

 この言葉は集英社文庫「風に聞け」の170ページから引用しています。

 この風に聞けは今でも刊行されている「週刊プレイボーイ」の読者相談で、開健が答えていたものを文庫化したもの
です。

 この作品は非常に好評で第2弾も発売されており、今も普通に販売されていますが、開健がユーモアにあふれた作家
であることが一目でわかります。

 僕はこの作品が大好きで幾度も読み返していますが、冒頭でご紹介した言葉はサッカー、特に監督にあてはまると思っ
た次第です。

 問い合わせの内容は

 「人にとって腐るとはどういう意味ですか?」

 というもので、僕が答えるならば熟成という言葉を用います。

 「ヘア・ドライヤー」

 と囁かれ、畏怖を集めたファーガソンも終盤には温厚な表情を見せましたし、ヴェンゲルやケヴィン・キーガンとの
マインド・ゲームも用意周到な事前策であったのでしょう。

 モウリーニョにしてもヴィラス・ボアスにしても、面倒な事を自分から率先して行ってきました。

 ヴィラス・ボアスはモウリーニョの下で映像解析とレポート提出で対戦相手のスカウティングを学び、攻撃に関しては
グアルディオラから大きな学びを得ています。

 モウリーニョも駆け出しの頃はロブソンとファン・ハールの言葉を必死に受け止めていましたし、両者はいずれもライ
センスをポルトガルではなく

 「スコットランド」

 で獲得しました。

 国外に出る勇気も持ちあわせていましたが、それは多くの指揮官に求められる姿勢です。

 有名、無名問わず指揮官は面倒な事も嫌な出来事も体感していますが、それでも尚自分が信じた道を歩む、強い姿勢が
あるのですね

 欧州ではアマチュア・コーチも周囲から敬意の眼差しを受けますが、それは彼らの奮闘を周囲が理解している証拠であ
り、この点は日本も真似したいものです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする