塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

現状における日本代表の課題を探る

2013-08-16 23:37:13 | 日記
 誰が日本代表監督であろうとも、現状を踏まえれば守備の再構築を図るのは当然です。

 僕は本田と同意見で、最終ラインを現状よりも下げリトリートで守備を行うよりも、前からプレスをかけて相手陣内により近い
位置で攻撃の起点をつくるべきだと思います。

 つまり

 「守備の再構築は不可欠だが、戦い方そのものは従来で構わない」

 というものです。

 サンドニのフランス戦を1-0で勝利した際、拍手喝采で勝利を喜んだファンがいた反面、引いて守ってカウンターでは成長の
跡が見られないと突き放すファンもいました。

 2010年の16強を脱却するには、やはりマイボールを大切にしてより攻撃の手数を増やす必要があります。

 では日本代表が手数を増やすにはどうすべきでしょうか。

 僕はそんな戦術を根底からひっくり返すような慌ただしさを必要ないと思いますし、改善事態は非常に単純明快な代物で構わな
いと捉えます。

 1・前線でのプレスをかける位置を再度徹底する
 2・サイドバックがオーバーラップした際のつるべの動き
 3・最終ラインとGKの選手選考

 岡田監督就任時、南アフリカでオランダと戦った際に、60分までは最高の状態でプレスが効いていましたが、残り時間30分
で完全にガス欠となり、0-3という完封で敗れてしまいました。

 つまり、プレスにメリハリをつけ選手たちが闇雲に走らず体力と集中力を温存させるには、やはり指揮官がプレスをかける位置
を伝達せねばなりません。

 またつるべの動きでサイドバックが最終ラインに吸収する必要もあるでしょう。

 日本がマイボールを維持するためには、足の技量に優れたGKとやはり上背があり、俊敏さを備えたCBが必要です。

 僕は上記3点を顧みることで、年内の4試合を戦うべきだと考えています。
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日本代表のCBを再考察してみる

2013-08-16 01:59:20 | 日記
 今日本代表に相応しいであろうDFで、足が速い選手は誰でしょうか?

 日本代表に限らずラインを高く設定してよりFWとの距離を縮小したい場合、当然ですが最終ラインの背後を突かれる危険性が
増します。

 その背後にボールを供給された際の策として

 「足の速い選手を配置する」

 という方法があります。

 つまり後方からでも相手FWを追いかけることで、ミスを誘発させる可能性を高めると同時に、追いついてボールを奪うにはそ
れなりの脚力が求められる為です。

 相手FWがボールを持ち自陣にドリブルで切れ込んだ際、CBがリトリートしながらいきなり止まって対峙する守備の方法を

 「ストッピング」

 と呼ぶそうです。
 
 現在のCBには適切なライン・コントロールとGKとの連携、そして空中戦での強さに脚力と求められる要素が多岐に渡ります。

 幸運にも日本代表は年内に4試合親善試合を残していますから、サイドバックの選考も含めて再度人選を見直す必要があると僕
は思います。

 日本代表は今も昔も基本は4年任期で選定されます。

 しかし、アルディージャは選手と指揮官の不和という話もありましたが、5連敗でベルデニックの首を飛ばして再出発を目指し
ています。

 ジュビロも関塚監督が浮上させられないようであれば、すぐさま新しい監督を準備するでしょう。

 こうしてみると、

 「どうして代表監督だけがこれだけの失点を重ね、欧州、南米列強に敗れても地位が安泰なのか?」

 という意見がでるのは当然ですし、僕もそう思います。

 ここは本職のCBを呼び戻すという案もありますが、レッズ、サンフレッチェとJの上位クラブが3バックを用いている点が
懸念材料なのでしょうか。

 中澤と闘り王に任せるのも、

 「時代に逆行している」

 と非難されそうですが、代替案を出さない限り議論は発展しないとも思うのですが。
 
 
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改めてダービーの怖さを探る

2013-08-16 01:48:13 | 日記
 僕はこのブログで何度か、女性上司とウマが合わない点をお話しています。

 皆さんだってウマが合う人物、人物がいるでしょうが、家族という離れられない存在でない分、僕はまだマシなの
でしょうが、昨日ふと気づいたことがあります。

 ダービーが燃え上がる背景に

 「憎悪」

 という単語が思い浮かびますが、宗教的、世俗的にほぼ変化の無い日本ですら些細なことでいがみ合うのですから、そりゃ中
世から様々な形で上流階級と庶民が敵対してきたわけですから、

 「落ち着いて観戦する」

 というのは無理ですよね。

 僕と上司の間柄は僕がアトレティコ、相手がレアルというように僕の方が完全に分が悪いわけですが、ダービーではその階級
差が完全にフラットになるのも特徴です。

 欧州では

 セルティックとレインジャーズ
 ミランとインテル
 ベンフィカとスポルティング

 というように、戦力と対戦成績が拮抗している例が無いわけではありません。

 でも例えどちらかが一方的に勝敗で上回っていても、ダービーではその試合のみで半年間の優劣が決まるわけです。

 価値観の相違は当然

 「個人」

 という主観によって構成されており、何時の時代でも僕は全ての基本は「個」にあると僕は考えます。

 その個人の集合体が「家族」であり、家族の集合体が「市町村」、市町村の集まりが県、または州でありそれがまとまって
ようやく「国家」となります。

 ですから個が基本である以上、それ以上の集合体である家族と市町村で諍いが起こるのは当然だともいえます。

 家族がダービーで分裂し、肉親同士ですら挑発と諍いがあるのが欧州であり、実際ミランとインテル、リバプールとエバートン
というようにダービーの当日が

 「青と赤」

 に分裂することは珍しくありません。

 ダービーというのは、やはり怖い存在といえますね。
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