https://www.youtube.com/watch?v=CKVuQVCcG7k
どんなアイロニストでも、懐疑論者でも、帰謬論者でも、ニヒリストでも、あるいはアイデアリストでも、かつてもこれからも、いまここで呼吸をつづけ、腹が空いたらメシを食らい、クソをひり出す。
人間的生はニヒリズムを分泌する、しかしニヒリズムは生の基底を構成しない。
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それだけではない。どんな現実主義者でも「われ欲す」「われ感じる」に先行して〈世界〉を所与することはできない。固有の色づきにおいて訪れる〈世界〉。その由来を問うことができない、それ以上遡行不可能な絶対的始発点、〈世界〉の到来。すべての内なる〝審議〟はそこから開始される。そして、みずからに与える一つの処方箋としてのニヒリズム、現実主義、企投の諸相。その展開、2次過程──この間もつねに1次の過程は動きつづけてゆく。
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人間の生はニヒリズムを分泌する。
しかしニヒリズムは生の基底を構成しない。
どんなニヒリストも懐疑論者も計算ずくのリアリストも、
その瞬間、白旗をかかげて屈伏する。
実存──
ふるまいにおいて天使でも鬼でもありうる、
世界感受において希望でも絶望でもありうる、
その分岐をつくり出す生の根源的な志向性と組織化の原理──実存の基底をなすもの。
ある〝歌声〟との遭遇は、相対化を許さない一つの存在拉致、
疑えない明証において〝裸形〟の志向性とかたちを一瞬照らしだす。
問うことよりはやく
情動は走り
かんがえることに先んじて
すでに
地平は開かれ
ことばはおくれて
かたちを結んでいく
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