最初におさえておくべきことは、
いわゆる〝外界〟におけるいかなる物体も出来事も差異も、
それらに応じて変化するだけの柔軟性をそなえた
ネットワークの中に取り込まれさえすれば、
情報の源(ソース)になりうる、ということだ。
──G・ベイトソン『精神と自然』(佐藤良明、2022年訳)
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倫理、義務、指令のコマンドがアクセスできない生の領域がある
命令や義務があらかじめ指定するルートには限界がある
指定ルートを先行的に強行するとき失われるものがある
生命は本質的に指図されることを望まない
どんなに美しい理想、理念、ロマンであっても
どんなに親しい存在の指令であってもそれは変わらない
生命は外から訪れる命令、制御には断固抵抗し、歯むかう
おのれの了解と納得を経由しない強制力には承認を与えない
「われ欲す」
この根源的な内的作動に敬意が示されるときはじめて
生命はみずからに備わる柔軟性を行使するように
外部の声を新たな展開の糧として利用しはじめる
このことの相互性においてはじめて開かれる関係の地平があって
俺たちはそうできる関係を〝友(fraternity)〟と呼びあっている