ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「関係論理」20210822

2021-08-22 | Weblog

 

 

血も涙もある関係世界、生活世界
生まれた場所で教わり、学び、育つ

「やっぱ義理と人情」(寅次郎)

善悪、真偽、美醜──この世を分節する価値コード
生活世界がこの世に一つであればコードは一つで足りる
しかし一つではない

一つではない世界を一つのコードで走り切ることはできない
義理と人情はそうではない別の義理と人情、関係論理に出会う

もし共生を願うなら別の関係論理
血も涙もある義理と人情に濡れた価値コードではない
第三の関係論理──
それぞれの関係世界を生かしうる関係のコードが要請される

あえていえば、血も涙もない〝法〟の世界

生活世界の多様性多数性が出会い相互に認め合う位相
個と個がその異質性にもかかわらず共生を可能にする論理

総員の合意と承認(「一般意志」)にもとづく共生世界

       *

ご近所では、あるいは職場でも評判のいい人である(かもしれない)
面白い人、個性的な人、憎めない人、できる人、冗談がわかる人
お互いに愉快に付き合える、生涯の友、そんなこともありうる

赤の他人がいきなり踏み込んであれこれ言っても仕方がない
ローカルな生活世界の領域

ホットな共同体、わが家、仲間、向こう三軒両隣、ローカルな暮らし
イケてる-イケてない、できる-できない、かっこいい-かっこわるい
まるごと包摂してくれるホットな関係世界

しかし関係世界(関係のゲーム)はこの位相だけで完結できない
生きているかぎり、かならず別のゲームを生きる人間、社会と出会うことになる
〝ローカル〟の多数性多様性はそのまま関係論理、関係倫理の多数性多様性を意味する

ローカルな価値に照らして査定される「よい人-わるい人-ふつうの人」
このこととは無関連に、切り離されてつづられるべき記述レベルがある

ローカル論理に照らして「よい人」は
別のローカル、汎ローカルに照らせば「極悪人」でもありうる

この逆説がみちびく対立、抗争、殺戮、戦争
この展開としての人間の歴史、終わることのない惨劇
カタストロフ、黙示録的状況へ通じる道がいまも口を開いている

異質なローカルとローカルが出会い、交わり、共存を主題とする場面では
ローカルな生活論理、倫理では処理できない知恵と実践的スキルがいる

あらゆるローカルを貫く関係意識、関係態度、関係理念
そしてルール設定がそこでは求められる(一般意志という統制理念)

この記述レベルにおいて思考し、語りあい、生きあうためには
いったんみずからのローカリティから離脱しなければならない

この離脱には脱ローカルな経験、エクササイズ、学習を必要とする

 

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