抱かれた希望や夢や善意は、いまも、かつてと同じく
惑星を一周めぐると悪夢に変わっているかもしれない
信じた平安や正義が殺戮や拷問を準備することもある
ともに抱かれた〝理想のカタチ〟は滅びの道へ通じているかもしれない
もっと遠くへとまなざしを凝らしたオレたちは
地上の幸いを酷薄に見捨てる可能性もあった
加担することなく加担し
悪意することなく悪意し
共犯することなく共犯する
なにもない空の向こうに心は深く交わり
赤く染まる時間を悲しく受け入れながら
オレたちはほんとうに投げるべき言葉をもたなかった
オレたちが感慨を結ぶより先に季節は移ろい
流れる雲はいつの間にかオレたちを追い抜いていった
出来事がどんなメッセージをたずさえ
どんな意味を告げたのか
すべては関係企投、オレとオマエの関係企投にかかわっている
覚えておくべきことがある
──確信や信念の構造はそれ自体で「普遍」を妥当しない
「このこれ」という固有の確信は訪れる
しかしオレたちは確信の多数性が存在する〈世界〉を生きている
まちがうかもしれない、そうでないかもしれない
──だが一体何に照らしてそうなのか
──オレたちは何を根拠としてそのことを確かめようとしているのか
あれかこれか──どれが正しいかと問えば思考は行き止まりになる
究極解、最終解を問えば信仰の問題になる
普遍的に妥当する(オレの)確信という「確信の意識」に留まれば
〈世界〉はバインドされフリーズする
〈世界〉を確定するような最終的な根拠は存在しない
一切は確信の意識であることを確認することははじまりにすぎない
解凍してバインドをほどくことの困難さは〝だれか〟に出会い交わることで破られる契機をもつ
にもかかわらず訪れる「このこれ」という確信の意識
あるいは「非このこれ」という懐疑の意識
そのことを交換し記述を混じあわせる以外にオレたちは可能性の地平をもたない
にもかかわらず──という条件節は無限に循環する
生きられる意味は企投の相互的な関係において現われたり去ったりする
循環の回路を破るには「究極解」を求めることを止めなければならない
ひとつだけ確認しておきたい
不可能が〝聖域化〟するまえに
不可能を意志の理由とするために
そこにとどまり、ていねいに結んでおくべき焦点があることを
「いったい何だ」
悲劇の経緯、悲劇が現象する姿を視界に収めておかなければならない
悲劇の本質、なんどでも繰り返されるその原理的な構造について
悲劇を避けたいと願うなら、それとは別の原理を用意しなければならない
嘆き悲しみ怒り憤ることとは別の作業がそこに待っている