柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

神はサイコロを振らない

2006-03-10 08:35:52 | Weblog
テレビドラマの題ですが、どこかで聞いたフレーズです。頭の片隅に仄かに残るばかりの記憶ですから、思い出しそうで思い出せないあの気持ちの悪さをずっと感じていたのですが、やっと見つけました。アインシュタインの言葉でした。すっとしました。以下は成書からの引用です。例えばボールを落とすと地面に落ちますが、その時のボールの運動は正確に予測できます。加速度の法則とかなんたら(私は物理がほんとに苦手でいまだに拒絶反応がおきます)でちゃんと計算できます。それを決定論というらしく、自然現象を表す物理学は決定論でなければならないというのがニュートン以来の物理学の大前提であったところ、電子などのミクロの世界の物質はそれらの既存の物理法則とは全く違う法則に支配されているとする説が出され(量子力学というのだそうです)、電子の位置や運動速度は同時に確定できない(不確定性)ので、それらを表現する際には確率的な言い方しかできない(つまり、電子がここにある確率が何%、あそこにある確率が何%という表現です)とされたそうです。その説に反対したアインシュタインが、その不確定さを皮肉って、神はサイコロ遊びを好まない、神様はサイコロを振って電子の位置を決めたりはしないと言ったそうなのです。そのセリフを是非原語で知りたいところですが、今はまだ叶いません。長々と講釈を、しかも人さまの知識で披露しましたが、ううむ、そう思うと私達は「決定論」に縛られすぎているようです。物理現象は確かに殆どは数式で表現できるのでしょうし(なんちゃらの法則やら公式やらの類です)、だから高層ビルやらロケットやら科学は文明はどんどん進んでいくわけですが、一方でその法則に外れる事柄は間違いなく排除されていくわけです。例えばボールを落とすと、何回かバウンドしてやがて地面に止まります。それを、加速度や重力やらの法則で数式化一般化して人は「これこれの法則に従ってボールは止まる」と言います。でもそうじゃないでしょう?ボールはバウンドして止まるんです。そういう現象があるだけのことです。数式や一般式は、それを数字で説明しているだけのことでしょう?法則がまずありき、ではないでしょう?そういう逆向きの強制というか、ある現象を説明しているだけのものが一人歩きして、逆向きに他の現象を排除していく、沿わないものを排除していくことが、確かにこの世の中多いですよね。正常異常の判断や、本流傍流の区別、さらには善悪正邪の判断に至るまで、硬直した「決定論」が蔓延している、と言うと、ちと言葉が過ぎましょうか。
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