ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

梶原一騎と極真空手についてのおもしろいインタビュー(1)

2011-10-28 07:46:54 | 格闘技

雑誌としてはすでに休刊している「kamipro」という雑誌、その休刊直前の156号(休刊は157号)に梶原一騎極真空手についての興味深いインタビュー記事があったのを、先日押入れの本を整理していて思い出しました。



実際、世間ではあまり読まれないような雑誌(ネット、単行本、チラシなんでもそうでしょう)のなかに「お、これは興味深い」と思うような記事はたしかにあるので、そういったものもこのブログで発掘できたらと思います。いままでこのブログで紹介してきた藤竜也薬師丸ひろ子・荻野目慶子の対談記事アニセーや、ジェーンらのインタビューもそうでしょう)を発表してきたのも同じような趣旨です。ちょうどこの秋(11月4日~6日)は、極真空手主催の世界選手権が開かれるわけで、それに合わせてみました。これからも面白そうなインタビューがあったら、積極的に記事にしたいと思います。

このインタビュー記事は、ふだんはみんな遠慮してあまり悪く言われない(かつてはひどいものでしたが)梶原一騎とこれまた必要以上に幻想を持たれていた極真空手や大山倍達についてかなり思い切った発言がされていて面白いと思ったので採録するわけです。

なお、誤植、あるいは書きちがいと思われるところは下線をひいて()内に補正しました。()はすべて採録者のものです。また、一般には必ずしも知名度が高くない人、あるいは知名度があってもどのような人物か知らなければさっぱり記事がわからないところもたくさんあろうかと思いますので、可能な限りwikipdiaその他リンクをはりました。できましたら読者の方々はご面倒ではありましょうが、参照していただければ幸いです。

梶原一騎と極真

運命の破局

BUDO-RA BOOKS』編集長
山田 英司
マスコミ畑で梶原一騎について聞くならこの人!
フルコンタクトKARATE』の元編集長、ザンス山田こと山田英司氏が登場だ!
自らも極真出身のザンス山田が、梶原作品と極真の結びつきについて語るザンス!
聞き手/ジャン斉藤

―今回は梶原一騎と極真空手の結びつきが格闘技界にどうような(原文のママ。たぶん「どのような」でしょう)影響を与えたのかをお聞きします。

山田 俺、もともと福昌堂で空手の雑誌を作っていたけど、社長が寸止め空手の人だったわけですね。で、当時の空手界が極真や大山倍達をどういう目で見てたかというと、もう悪口しか言わない。

―まあ、そうでしょうね(苦笑)

山田 まず聞いたのは「大山倍達は朝鮮人だ」と。そのときは「朝鮮人の何が悪いんだろう?」と思ったんだけど、俺がこの業界に入る前の16歳のときくらいかな。もうすでにマニアだったから、いろんな情報を聞いてたわけです。で、大山倍達に「韓国人なのにどうして日本名を名乗るんですか?」という手紙を出したら、大山倍達から丁寧な手紙が来て「日本国籍を取ったので、私は日本人だと名乗っています」と。

―そんなやりとりがあったんですか。

山田 その手紙、『月刊空手道』に載ったことありますよ。まあでも大の大人がそんなことで差別するのはどうかとは思ったよね。

―とにかく、メディア等を使ったハデな売り出し方に、従来の空手家たちは冷淡な態度をとっていたんですね。

山田 もの凄い反発があったわけですよ。「牛を殺したのもウソだ」とか、そういうことはずいぶん聞かされましたね。俺が極真を好きだから、いろいろ吹きこむわけよ(笑)。要するに「ハデなパフォーマンスをやってマスコミにのって商売上手な悪いヤツだ」っていうのが空手界の見方だったんです。

―その宣伝の旗を振っていた一人が梶原一騎だったわけですね。

山田 そうですね。ほかはあんまり仲良くなかったんじゃないかなあ。梶原一騎も当時は大山倍達以外を取り上げなかったもんね。

―梶原一騎は『虹を呼ぶ拳』で感触を得て『空手バカ一代』に向かったいうことなんですか。

山田 でしょうね。まあ、梶原一騎は隙あらば、あらゆるところに大山倍達を出してましたね。

―隙あらば大山倍達(笑)。

山田 俺、全部チェックしてたから。で、柔道VS空手というと、『姿三四郎』でもかならず空手が悪役だったわけじゃないですか。だけど梶原一騎の空手家はみんな朴訥としてて、自らの強さを隠す人格者として出てくるんですよね。

―つまり、梶原一騎の描写から空手のイメージが変わっていったんですね。

山田 で、71~77年のあいだに『空手バカ一代』が連載されるわけですけども、73年が『燃えよドラゴン』の日本公開だったんですね。で、極真の大会も69年からだから、70年代っていうのはいわゆる極真をはじめとする打撃格闘技の黄金時代だったんですよ。キックボクシングもその頃から始まって、地上波の視聴率が30パーセントも獲っていたわけ。だから70年の頃に思春期を迎えた人たちは、極真空手の魅力が凄くインプリンティングされてるわけですよ。

―そりゃあ感化されちゃいますよねえ。

山田 うん。だいたいその世代の人たちは極真の悪口を言われると感覚的にビクッとするという世代ですよ(笑)。

―もちろん、あの70年代がいまの格闘技文化の礎を築いてるところもあるわけですよね。

山田 70年代(原文のママ。70年代から高度成長はちょっと変でしょう。誤植その他と思われます)から高度経済成長に入って、91年にバブルが崩壊するわけですけども、その時期の日本経済はとにかく上昇志向でイケイケだったわけですよ。それで格闘技なんかも歴史を見ればわかるとおり、ルールをいかに過激化していくかっていう時代でね、もうまさに上昇志向そのものだったわけです。その先鞭をつけたのが極真。実際に拳を肉体に当てることで「殺人空手だ!」と批判されたわけですね。実際には当てても死ななかったけれども、当時の選手たちはみんな遺書を書いて大会に出たという世界だったんです。ところがいまは同じルールでやっても「最良の空手」と言ってるわけ。

―大人から子どもまで学べる最良の空手という。

山田 まあ、そんなに危険じゃないってことがわかってきたわけだけども、となると、極真育ちの人たちも「このルールで最強は決められないんじゃないか」と考えはじめた。

―さらに過激なほうに進んで、それがK-1までたどり着いちゃうわけですね。

山田 そうそう。その前に「投げを入れないといけないんじゃないか」ってことで大道塾があったり、ぶっちゃけ、どんどん過激路線にいくわけですよ。92年にトーワ杯が始まって、大道塾が『ザ・ウォーズ』をやって、正道会館が『格闘技オリンピック』をやって。そしてバーリ・トゥードジャパンが94年だった。

―90年代になって再び革命が起こった、と。

山田 そうするとどうなるかっていうと、バブルと一緒で破裂しちゃうわけですね。だって、それ以上は過激にならないでしょ。過激にならないのと同時に、最強っていう概念が「ルールを改革していけば決められるもんじゃない」ということに誰もが気づき始めるわけですね。これが格闘技バブルの崩壊で、そのあとは測定不能な武術の時代が来るって昔から言ってますけどね。実際、今後は武道とかが見直されてるでしょう。

(つづく)

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Unknown (bogus-simotukare)
2011-10-28 08:33:01
>「韓国人なのにどうして日本名を名乗るんですか?」


ただウィキペ「倍達国」によると『倍達国にちなみ、朝鮮民族の美称として「倍達の民」「倍達民族」という語が用いられてきた。極真空手の大山倍達の名はこれに由来する。』そうで大山の出身を知ってる人は知ってたみたいですが。


>柔道VS空手というと、『姿三四郎』でもかならず空手が悪役だったわけじゃないですか。


うーん、そうかな?。姿三四郎も作者富田常雄は富田常次郎(所謂講道館四天王の一人)の息子で明らかに宣伝目的があるでしょうし、梶原が宣伝した極真も含め、やはりメディア宣伝の威力は大きいと言うことですかね。


>梶原一騎の空手家はみんな朴訥としてて、自らの強さを隠す人格者として出てくるんですよね。


ただ後世、極真との関係が微妙になってから描かれた「カラテ地獄変」だとその辺り、かなり酷いものに変わっていますが(苦笑)。大山をモデルにした登場人物は明らかに単純な人格者ではない(ウィキペ「カラテ地獄変」にも指摘がありますが「人間の本性は悪」なんてセリフを平気で言わせてますし)。
その辺りについてはたとえば「カラテ地獄変・外道カラテの魔王篇」(http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20070125)なんかが参考になるでしょう。
返信する
>bogus-simotukareさん (Bill McCreary)
2011-10-28 19:06:09
>出身を知ってる人は知ってたみたいですが。

そうなんですよね。力道山というしこ名も朝鮮由来であることは、知っている人も少なくありませんでした。

http://column.sumquick.com/tonomura/06020.html

>朝鮮古来の力技たる力道の名をとって力道と名乗

だそうです。もっとも

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1233232082

によると

>部屋の稽古場に掲げられていた後援会名誉会長近衛文麿揮毫の
「力心一道」の額からとって、「力道山」の四股名がつけられた。

だそうですが。はたして真相は?

>メディア宣伝の威力は大きいと言うことですかね。

極真空手の発展は梶原なくしては論じられませんからね。功罪どちらも多いでしょうが、そこは事実として認める必要がありそうですね。

>人間の本性は悪

ありましたねえ、そのセリフ。たぶんそれは、人間一般としての話だけでなく、極真の関係者、具体的には大山倍達を意識しているんでしょうね。わかりやすいといえばわかりやすい話です。


返信する
倍達について ()
2011-10-31 09:22:51
ただウィキペ「倍達国」によると『倍達国にちなみ、朝鮮民族の美称として「倍達の民」「倍達民族」という語が用いられてきた。

ただ、これは朝鮮人の先輩(寧柱だったかな?)に入れ知恵されてつけたことであって、大山氏は倍達族なんて知らなかったと雑誌に書いてありました。普通の朝鮮人なら知らないようなマイナーな言葉だったらしい。
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>あさん (Bill McCreary)
2011-10-31 20:24:04
>寧柱

なるほど、彼なくして大山倍達はあり得ませんもんね。大山氏自身が知らなくてもそれは以外ではないというところでしょうか。まあともかく彼なりに朝鮮民族への想いは強かったのでしょうね。大山さんも最後まで韓国籍は捨てなかったということですしね。
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