ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

それってどう考えても非能率だと思う

2010-09-10 00:38:10 | Weblog
このブログでも何回か登場していただいた下川裕治氏というタイや沖縄に詳しいライターがいます。氏は自分でも旅行をし、さらには旅行本のエディターをしたりプロデュースもこなすという人物です。



そんな氏がずいぶん以前1999年に出した本に「タイ語でタイ化」という本があります(まったくどうでもいい話ですけど、「タイ化」ってやっぱり「退化」とかけているんですかね)。私も氏の本は何冊も読んでいるので、この本も図書館から借りて読んでみました。読み終わった後、妙に印象に残ったくだりがあります。この本はのちに文庫版も出ましたが、手元にあるのが単行本ですので単行本から紹介します。

その前に、当方の責任で、私が印象に残った章の内容を要約します。

なお一応断っておきますと、下川氏という人はやや話を大げさに書くところがあり、この話も100%事実かどうかは正直わかりません。しかしそれは確認不可ですので、氏の記述をそのまま要約します(Amazonでの書評では、けっこう厳しいことが書かれています)。

つまりタイ語の「ユン(グ)」(忙しいという意味)という言葉の説明で(44p.)いかにタイ人が仕事ができないかという話を氏は書きます。

あるときタイ料理を撮影することになり、氏のタイ人の友人と相談して黒い鶏の料理を撮影することになりました。その友人が、撮影を手配してくれます。彼の親戚の女性が食堂を経営していてそのような料理にくわしいのでかんたんに仕事が済むというのです。

当日氏とカメラマンが指定された食堂に行くと、友人は鶏を用意していたのですが、親戚の女性がいません。用事ができて店にいないとか。氏が友人にどういうことだと聞くと、女性はいつも店にいるからと答える始末(だからって何の連絡もしないでいいってわけないだろ)。鶏料理を作ってもらうことすら連絡していないというので、翌日また撮影することになりました。

翌日は親戚の女性はいたのですが、漢方薬がないとその料理はできないとのこと。友人もそれをもちあわせていません。氏が友人に連絡をしたんだろと確認すると、電話はかけたが店員に話をしただけだったという答えです(いいかげんにしろ、馬鹿)。それでまた撮影はできませんでした。

その翌日、氏がさすがに不安になって友人に電話すると、友人は…(以下引用、最初の(グ)以外の( )は私のつっこみ)

>「これからワットポーの近くの漢方薬局で薬を買って、それから鶏肉…。もう忙しくて」
 とユン(グ)を使ったのである。おそらく彼の頭のなかはパニック状態だったのだろう。材料を二種類も用意し(たった2種類だ)、おばさんにも確認を入れなければならない(当たり前だろ、そんなこと)。もし、指定された漢方薬がなかったら…(そんなこと、なかったあとで考えろ)。(p.47)

そして氏は、次のように続けます。

>日本人なら中学生でもできるような手配に、頭の中はぐちゃぐちゃになっていたのだ。(同上)

私だったら「てめえ、いいかげんにしろ!」と怒鳴っていそうですが、それではタイでは生きていけないのでしょうね。

さて、この話を読んで、私はなーんか変な気がしました。タイ人の仕事のできなさというのは、あるいは氏が書く通りなのかもしれませんが(私はタイは、2回行っただけでバンコクとプーケットを旅しただけですので、その詳細には詳しくありません)、それにしても下川氏の対応はどうもなあと思ったのです。

実は私の家族に、フリーのライター兼エディターみたいな人がいまして、取材とかに詳しいので、上の話をかいつまんで伝えて意見をもとめました。

私「で、どう思う?」

家族は、簡明に答えました。

家族「そんなの、素人に頼むのが悪いのよ」

私は取材とかそういうことに詳しくありませんが、けっきょくそういうことなのかなと思います。たぶん私だったら、2回目の時に友人に

「悪い、後は私がやる」

といって自分でやります。いや、そうすると友人の顔がたたないかな。でももう友人には任せられないな。

下川氏がほんとに3回目までこんな人と付き合ったのか知りませんが、もし事実なら、それってどう考えても非能率です。能率が常にいいとは私は考えませんが、こんな程度のことにそこまでかかわる必要はありません。

氏はこの章をつぎのようにまとめています。

>最近のバンコクの知人や友人は、しばしばユン(グ)を使う。自分たちが苦手な手配の仕事が増えているのだろう。日本人ならとるに足らないことで、すぐに頭のなかがいっぱいになってしまう人たちだから、確かに仕事は大変なのである。毎日のように、
「ユン(グ)、ユン(グ)」
と呟きながら、バンコクの街を西に東にと走りまわっている。
 そんなタイ人が僕は嫌いではない。(p.47)

そういう話じゃないだろって気がします(笑)。

「好き」とか「嫌い」とかいうのは論理の問題じゃありませんから議論したってしょうがないことですけど、個人的にはそういう人たちをあんまり好きにはなれそうにありません。

って、考えるのは、私が日本という超管理社会に生まれたときから毒された人間だからですかね。
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