ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

なぜ藤岡信勝が登場する(笑)

2011-05-22 09:16:38 | 社会時評
産経新聞で、例の藤岡信勝が、上告側(原告側)敗訴で決着した大江・岩波訴訟についての論評魚拓)を書いていました。

内容は、藤岡が書くものですので予想通りという以上のものではないのでたいして書く気にもならないんですが、私が(毎度おなじみとはいえ)興味深く思うのは、なぜ藤岡がこのような記事を執筆するかです。

だいたいにおいて裁判の判決を新聞などで論評、あるいはテレビなどでコメントを入れる人というのは、まずは法学者、弁護士といった法律の専門家、そしてその裁判のテーマであることに詳しい人でしょう。この裁判についてでしたら、沖縄戦の実情に詳しい歴史学者、さらには沖縄戦について取材しているジャーナリストなどが考えられるでしょう。

でも…藤岡って…どう考えてもそういう人物じゃありませんよねえ。

藤岡という人は本来教育学者です。彼が勤務していた東京大学では「総合教育科学専攻学校教育開発学講座教材開発学開発研究分野」をやっていたそうです。

…ってことは、法律はもとより、沖縄についての知識も失礼ながら素人さんですよねえ。

もちろん彼は勉強家ですから沖縄についての知識もいろいろありますが、それにしたってこの裁判で論評を書くほどの知識や実績はとてもありません。だから雑誌とかならいざ知らず、新聞では彼にこんなものを書かせるのは「産経新聞」しかありません(笑)。当たり前だけど。

つまりは世間でまともに相手にされる法律家や沖縄に詳しい研究者のなかで、この裁判で原告側の肩を持ってくれる人はあんまり見当たらないということでもあるんでしょうけど、それにしてもね。

ご存知の方も多いでしょうけど、目取真俊氏の記述を借りれば

>同じ年(引用者注:2005年)の五月下旬、自由主義史観研究会の藤岡信勝氏らが渡嘉敷島と座間味島に二泊三日の現地調査に訪れた。それを受けて六月に東京で開かれた集会で藤岡氏は、「集団自決」に日本軍の命令があったかのように書いている著作を片っ端から調べて裁判に訴えると発言していた。(世界 臨時増刊 沖縄戦と「集団自決」2008年p.164より)

ということです。つまり藤岡は実質的にこの裁判のプロデューサー(爆笑)みたいな立場にあります。訴外であるが実際にこの裁判のアウトラインを構成したのは彼なわけで、だから岩波書店とか大江健三郎氏みたいな非常に手ごわい相手(岩波がこのような裁判を吹っかけられて妥協するような出版社ではないのは誰だってわかるし、ノーベル賞受賞者の大江氏だってこんな言いがかり裁判に負けるわけにはいかんでしょう)を被告にして「話題づくり」をはかったわけです。藤岡は頭のいい人間ですから、こんな裁判勝てっこないことなんて重々承知です。

だからこの裁判では、地裁の段階で原告の1人が提訴時に大江氏の「沖縄ノート」を読んでいないという爆笑ものの証言をしちゃったわけです(同上p.168)。つまりはたいしてやる気のない老人たちを無理に説得して裁判を起こさせたわけ。

稲田朋美が戦犯遺族に実態と異なる説明をして裁判を起こさせた「百人斬り訴訟」といい、ほーんと毎度おなじみの構図です。

で、産経新聞はこの裁判を原告側の立場からやたら支援していて、予想通り敗訴が確定したら藤岡にこんな記事を書かせるんですからね。何をいまさらながらほんとにどうしようもないクズ新聞です。

たぶん同じようなことがまた繰り返されるでしょう。そのときはまた記事にします。
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