ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

司馬遼太郎の文章もどうかと思うが、産経新聞の牽強付会に(いつものことながら)呆れる

2018-06-13 00:00:00 | 書評ほか書籍関係

別にこのカテゴリーが妥当ということもないのかもですが、「社会時評」というほどでもないので。

だいぶ以前の記事ですが、産経新聞の記事に、こんなものがありました。2016年2月14日の記事です。

>「やっぱり、お前らは、武士じゃない」架空会見で竜馬が学生運動家を喝破 司馬遼太郎さんが教える「歴史に学べ」 論説委員・鹿間孝一

>大阪発行朝刊に山野博史関西大法学部教授が連載している「司馬さん、みつけました。」に興味深い記述があった。

 山野さんは司馬さんのあまり知られていない原稿を発掘するため、古い産経新聞をマイクロフィルムで閲覧していて「新発見が叶った」という。

 その一つが昭和38年1月3日付朝刊の「英雄の嘆き-架空会見記」である。山岡荘八、武田泰淳、三島由紀夫というそうそうたる顔ぶれで、司馬さんは坂本竜馬と全学連のメンバーとの架空会見を書いている。

全学連との架空会見

 〈「わしは、な、諸君」と竜馬はいった。

 「全学連もええし、六本木にたむろしちょる不良どもも、ええと思うちょる。若さというもんは、所在ないもんじゃ。しかし、おなじ始末におえぬエネルギーなら、もっと利口なことに向けられぬものか」

(中略)

 「全学連諸君」竜馬がいう。「お前(まん)らが、わしら維新で働らいた連中とちがうところは、命が安全じゃ。命を賭けずに論議をし、集団のかげで挙をはかり、つねに責任や危険を狡猾に分散させちょる。やっぱり、お前らは、武士じゃない。これはくわしくいいたいが、時間がない。もそっとききたければ高知郊外桂浜まで、足労ねがおう」(後略)〉

なお上の引用文の「(中略)」「(後略)」も原文のままです。

それで鹿間は

>前置きが長くなったが、本題は過去ではなく現在である。

 昨年、安全保障関連法に反対する国会前のデモで「SEALDs(シールズ)」が脚光を浴びた。安倍晋三首相を「バカか、お前は!」と呼んだリーダー格は、時の人のようにテレビの討論番組や集会に引っ張りだこになった。学生団体とされるが、若者が多いものの従来の学生運動とはどうも異なる。

 ここしばらく政治に無関心だった若者が、どこからともなくデモに加わった。1強多弱の政界にいらだっていた一部のメディアは「これが市民の声」「デモが日本を変える」と持ち上げ、野党も選挙を視野に連携を模索している。

と書いています。

シールズというのも今となってはなつかしいものがありますが、それはともかく。

あの・・・全学連とシールズじゃ、性質も規模も歴史的位置づけも全然違うじゃないですか(苦笑)。時代背景も事情も状況もあまりに違いすぎて、一緒に論じることなんかできないでしょう。

司馬が全学連を批判したからといってシールズを批判するとは限らないし、またその批判が妥当かどうかという問題もあります。だいたいこの司馬の「架空会見」て、やっていることは、「幸福の科学」の「ナントカの霊言」てやつと同じじゃないですか。幸福の科学なら馬鹿にするが、司馬ならっていうのもどうかです。いや、産経は幸福の科学とはいい関係にあるんでしたっけ?

お前たちだってここの宣伝をしたろ

もちろん幸福の科学は、霊言を事実であると主張していますが、司馬は冗談で書いているだけです。それはそうですが、これって新発見とわざわざ書いてあるということはつまりは全集などにも収録されていなかったということでしょう。ということは、司馬としても、とても自慢できるようなものではないってことじゃないですかね。あるいは、書いたことすら忘れていたのか。そのあたりの事情はつまびらかでないですが、どちらにせよ司馬も司馬のスタッフ(文藝春秋の編集者ほか)も、とても評価できるようなものではないと認識しているということかと思います。むしろアンチ司馬が、「ほれみろ、司馬なんてこんなものを書くような野郎じゃないか」と司馬攻撃の材料につかうようなものでしょ、これ。

私はこの司馬の文章を引用部分以外読んでいないので、その内容について論じることはできませんが、そもそも論として、この司馬の書いた記事って、当代の大小説家が複数執筆して、しかも正月の発表ということからして、お遊び企画の正月記事でしょう。司馬もたぶん本気で書いたわけではなく、まじめに議論するようなものではおそらくない。書誌学的な研究や(山野教授は、政治学者であり、書誌学者でもあるとのこと)司馬研究のための発掘ならともかく、産経新聞が左翼(?)攻撃の材料として使うようなものじゃないでしょうに。こんなもの発掘されたら、正直司馬もその関係者も迷惑でしょ、きっと。

さてさて。その山野氏の連載をまとめたという本が過日出版されまして、私の住む自治体の公共図書館にも入りましたので、さっそく予約して読んでみることにしました。

司馬さん、みつけました。

当該記事は、P.15から3ページ分です。で、山野氏の考えでは、これはちょうど司馬が産経新聞で『竜馬がゆく』を連載していたので、その読者サービスの一環という意味合いもあったのではないかとのこと(というのは、やや私が意訳した書き方ですが、趣旨は間違っていないと思います)。

>元の職場での最初の長丁場であっただけに、道すがら求めに応じて、おあいそしているにちがいない、とにらんだ。

 執筆活動が盛んになるに従って、全国紙での新年のご祝儀がわりの寄稿依頼がふえ出している気配に注目し、正月松の内に焦点を絞っての探索開始となった。

そのあとの山野氏の文章は、この架空会見記とあともう1つ1965年の正月記事を見つけたことを説明した上で、最初に65年の記事を紹介して、次が63年のくだんの架空会見記の紹介です。執筆者と題目を紹介した後、山野氏はこう書いています。

>お目当ての貴重な一文、勘所のみの抄録となるが、笑って許されたい。

で以下、産経の記事に引用された部分が紹介されて、終わりです。つまり山野氏は、この記事についてなんら感想を述べていないのです(笑)。論評するだけ野暮と考えたのでしょう。

>笑って許されたい。

とわざわざ書いているわけで、山野氏の考えも、お遊び企画の冗談記事という位置付けなのだろうなということはわかります。つまり、山野氏は(当然ですが)シールズなんてかけらも書いていないわけです。産経の記者が司馬にかこつけただけです。こんな程度のものに、産経の記者は、むりやりシールズだなんだとめちゃくちゃなこじつけをしたわけで、予想されたことですが、いつもながらの産経メソッドです(苦笑)。全共闘あたりならまだしも、シールズはないでしょう(笑)。

司馬の文章もろくでもないですが、そんなものに乗っかって、こんなめちゃくちゃな牽強付会をする産経新聞というのも、何をいまさらながらすごい(もちろんほめていません)新聞だなと改めて考えて、この記事を終えます。なおこの記事は、bogus-simotukareさんの記事、その記事に投稿されたブリテン飯さんとbogus-simotukareさんのコメントを参考にしました。また内容が私がその記事に投稿したコメントとだいぶ重なっていることをご了承ください。

コメント (2)
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