ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

クロード・ピノトーが亡くなった

2012-10-09 00:00:00 | 映画


フランスの映画監督クロード・ピノトーが亡くなりました。朝日新聞の記事より。

>仏映画監督のクロード・ピノトーさん死去 クロード・ピノトーさん(仏映画監督)代理人が6日明らかにしたところでは、5日、パリ近郊ヌイイシュルセーヌで死去

パリ近郊ブーローニュビヤンクール生まれ。10代で小道具係として映画界に入り、助監督、脚本家などを経て72年に長編映画監督デビュー。ソフィー・マルソーのデビュー作「ラ・ブーム」(80年)、続編の「ラ・ブーム2」(82年)、「スチューデント」(88年)などを手掛けた。(時事)


もうひとつ。報知新聞より。これも通信社の記事です。

>「ラ・ブーム」のクロード・ピノトー監督死去

フランス公共ラジオによると5日、フランスの映画監督・クロード・ピノトー氏がパリ郊外で死去、87歳。死因は明らかにされていない。

 25年パリ郊外生まれ。80年にソフィー・マルソーを起用した「ラ・ブーム」が世界的にヒット。2年後に「ラ・ブーム2」を製作した。父が映画助監督、兄も監督という映画一家。小道具係として映画界入りし、ジャン・コクトー、クロード・ルルーシュといった監督の下で助監督を務めた。(パリ共同)





日本では、クロード・ピノトーっておそらく「ソフィー・マルソーの映画を監督した人」というイメージしかないと思います。ていいますか、私もそれしかありません。私が昨日allcinemaに書いた記事を。

>お亡くなりになったことを今日知りました
投稿者:Bill McCreary 投稿日:2012-10-08 10:06:01
本日(2012年10月8日)の朝日新聞で知りました。日本ではたぶんほとんどソフィー・マルソーの映画の監督(「ラ・ブーム」「ラ・ブーム2」「スチューデント」)としてでしか知られていないでしょうし、私も知りませんが、でもほかにも日本公開作品もありますね。キューリー夫人の映画は見てみたい気がします。

といいつつ私も、ソフィー3部作(って私の造語だけど)もむかし見たっきりみていないんだよなあ。「ラ・ブーム」は日本でもフランス語学習テキストが発売されていた(いまは不明)くらいで私ももっているから勉強するつもり。

ソフィー・マルソーのおかげで日本の新聞にも死亡記事が載るくらいの監督になったと書いたら問題ですが、でもそんなにひどい的外れでもないと思います。監督デビューも40代半ば過ぎで、もっぱら助監督を務めていた苦労人でした。ご冥福をお祈りします。


記事中に出てくる「キューリー夫人の映画」というのは「キュリー夫妻 その愛と情熱」のことです。むろん大傑作というわけではないかもしれませんが、彼を追悼するという意味で見てもいいかも。

ところで引用した記事に出てくる「ブーローニュビヤンクール」というのは、実は私が好きなアニセー・アルヴィナの出身地です。ほかにも映画関係者ではベルトラン・ブリエもここの出身です。日本語のwikipediaにも「ブローニュ=ビヤンクール出身の人物」というカテゴリがありますので、興味のある方はご覧になってください。



ソフィー・マルソーは「ラ・ブーム」のオーディションで700人の中から抜てきされてスターになったわけで、ピノトーは彼女にとって恩師にあたるわけですね。「ラ・ブーム」シリーズ以外では「スチューデント」以外つきあいがありませんでしたが、しかしピノトーは「ラ・ブーム」を監督したときすでに50代後半だったわけです。青春映画をある程度の年齢で監督してヒットさせて、抜てきした女の子は世界的な女優になった、そう考えると、彼はなかなかの有能な監督だったということなのでしょう。



「ラ・ブーム」のソフトは持っていませんが、しばらくぶりに見てみようかな思います。フランス語の勉強にもなるし。クロード・ピノトー監督のご冥福をお祈りしてこの記事を終えます。最後の写真は、2011年のカンヌ映画祭にて。
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