安倍前首相の「桜を見る会」前夜祭での政治資金規正法違反問題は24、25日の記者会見、衆参両院の議院運営委員会での喚問で一件落着ということに落ち着くのか、どう考えても腑に落ちない点が多く、国民の抱いた疑問はほとんど解明されないままとなってしまった。森山自民党国会対策委員長が前日まで野党の要求する安倍前首相の喚問に対して「なじまない」としていたのに、すんなりと記者会見に次ぎ衆参両院の議員運営委員会での質疑の運びとなったのは予め予定されていたとしか思えないほどスムーズにことが運んだのは「仕組まれていた」」としか思えない。しかし、そこで展開されたのは形だけの安倍氏の謝罪と相変わらずの肝心なことを語らない姿勢でしかなかった。我が国の政治史の汚点をさらに上回る猿芝居に過ぎなかった、と言わざるを得ない。
安倍氏の言明の裏には検察が不起訴とした事実をもって、今回の件は打ち止めにするという意向が見え見えであった。しかも衆院議院運営委員会で、最後に質問に立った宮本徹共産党議員が「前夜祭で後援会のみなさんに1人当たり3000円の寄付を行ったことになる。これは明らかな買収行為であり、公職選挙法違反である」と詰め寄ったのに」対し、安倍氏は「買収には当たらない」としたうえで、「私はこれまで数多くの選挙を戦ってきたが、いずれも大勝して、当選してきた。そんな買収するような必要はさらさらなかった」と宮本議員が聞いていないことをべらべらと語った。
これを聞いて、選挙の際に秘書をはじめとする関係者が仕える議員のためにいかほど苦労して選挙活動を行っているのか、安倍氏はどこまで認識しているのか、聞いてみたい気持ちとなった。選挙期間中だけでなく、日頃の議員はじめ秘書、後援会の様々な活動がいかに大事なものか、を全く認識していないのではないか、と思われた。親の安倍晋太郎氏から地盤を譲り受け、平々凡々と決められたレールの上を歩んできた安倍氏には政治そのものがいかなるものか、全く理解していないのだ、ということがよくわかった。総理大臣まで務めたのだから、そのあたりは頭に刻み込んでいるものと思っていたが、とんだ思い過ごしであった、と改めて思い知らされた。
今回の「桜を見る会」で秘書が勝手にやってしまったことだ、とされているが、こんな下積みの人たちがどれだけの思いを持って取り計って行ったかを安倍氏は全く関知していなかったことがこの発言で思い知らされた。こんな関係では秘書が行っていることを1からすべてのことを安倍氏に報告して、了解を得るようなことはとてもできないだろう、と推察される。安倍氏が言っていたが、こんな関係ではすべてを”秘書任せ”とせざるをえないことだろう。
議院運営委員会でのやりとりで、安倍氏は「辞任した配川博之公設第一秘書の代理人に『なぜ収支報告書に不記載とすることを行ったのか』を代理人である弁護士を通じてに聞いている」と話していたが、日頃のコミュニケーションが取れていない状況では的確な情報を入手することはできないのは当然のことである。まして秘書が行ったことを問い糺すことのできる関係ではないのも明らかなことである。政治家というのはみんながみんなそんな風であるわけではないのだろうが、少なくとも安倍氏はそうなのだ。明らかに政治家としては失格である。そんな人が長い間、総理大臣職を務めていたのは日本にとって大きな損失であったことを強く訴えたい。安倍氏自身はこれで身の禊は払いのけられ、今後は議員として職を全うし、あわよくば第3次の政権を手にする見果てぬ夢を描いているようだが、とんでもないことである。いまの置かれた状況はとてもそんなものではないことを誰かが伝えるべきだ、と思うが、周りを見渡してもそんな御仁はいそうにないのは誠に困ったことである。