鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

プロ野球のスカウトマンの持ち味を出し惜しんだ「人生の特等席」

2012-11-30 | Weblog
 29日は東京・渋谷の渋谷HUMAXで映画「人生の特等席」を観賞した。クリント・イーストウッドが米メジャーリーグのスカウトマンを演じる映画で、老齢で視力が衰えながら、娘の協力で、メジャーリーガーの卵を発掘する姿を描いているが、スカウトマンとしての眼力を発揮する場面が高校生強打者1人では野球をよく知っている人にとってはちょっと物足りない感じがした。クリント・イーストウッドの野性味が出るのは暴力シーンなのだろうが、年老いた老人にそれを期待するのも無理があり、キャラクターを生かす作品も限られてくることだろう、とも思った。
 「人生の特等席」は1人の有望な選手を追っかけているメジャーリーグのスカウトマンが医者から黄斑変性と緑内障だ、と告げられ、それを心肺して弁護士を務める1人娘が見舞いがてらやってくる。昔、スカウトマンをしている時に娘がいなくなって探したところ、男に襲われそうになっていて、男を殴り倒したことがあり、以来娘を親戚に預けっっぱなしにしてきた。それを知らない娘は父親から放って置かれたと思い込み、父親を恨んでいる。そんなわだかまりを抱えて、スカウト業務に勤しむ父親の元に通い詰める。
 やがて父親が1人の高校生スラッガーを追いかけていることを知り、その力量を見極めるのを手伝い、その高校生は変化球を打てないことを突きとめ、スカウト会議にその旨を報告する。が、球団は父親の意見を受け入れずにドラフト1位に指名してしまう。失意のうちに娘は街中で、キャッチボールをしている黒人に巡り合い、素晴らしい球を投げることを発見し、父親に進言し、球団の練習に参加させる。その場で、黒人はドラフト1位指名の高校生スラッガーを相手に剛速球を投げ込み、見事に3振に打ち取ってしまい、スカウトマンの眼が正しかったことを証明する。
 父と娘は和解して仲を取り戻し、娘は弁護士を辞めて、父親の後を継いでスカウトウーマンになるのか、定かでないが、スカウトマンたる者のあり方は示してくれた。実際にドラフトの結果が出るには2、3年かかるのだが、そこは映画でドラマチックに見せたのは面白い。ただ、打者として変化球が打てるかどうかは大成する大きな要素だろうが、スカウトマンとしてプロの卵を見極めるポイントは他にもいくつかあるのだから、もっとそのあたりを出してほしかった不満は残る。
 タイトルの「人生の特等席」は父親がスカウトマンの仕事を田舎のどさ回りと自嘲して語ったのを娘が「いや、グランドに座って野球観戦するのは特等席だ」と言い返すところから取ったようだが、原題は「トラブル ウイズ カーブ」でカーブの打てない打者と何の変哲もないタイトルで、そんな素っ気ないタイトルでは観客も飛びつかなかったことだろう。それと、クリント・イーストウッドの老いぶりがやや目立ったが、映画としては楽しめるいい作品だった。 
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取締役が無断で社判を持ち出し、押印しては勝ち目はない

2012-11-29 | Weblog
 28日は東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけた。午後1時半からの621号法廷の個人が貸金返還請求事件でみどりミュージックなる会社を訴えている民事事件を傍聴しようと開廷の5分くらい前に法廷に入ると、まだだれもいなかった。1人傍聴席に座っていると、原告、被告側の弁護士らが入ってきて、時刻通り始まったが、傍聴人は相変わらずたった1人だけだった。最初裁判長が2人の名前をあげて来ていないので、その2人の証人尋問はなしにする、と宣言し、まず原告の証人尋問から始まった。原告側の弁護士はスーツでなくラフなセーター姿で、いつもなら陳述書を提示して「この通りですか」と確認するのにそれもせずにいきなり尋問を始めた。
 みどりミュージックとは歌手の畠山みどりのプロダクションのようで、原告は斉藤という人から頼まれて、昨年4月15日にみどりプロダクションへ300万円の資金を貸し、その際みどりミュージックが借りたという借用証なるものが存在する。ただ、その場に立ち会ったのは斉藤氏とその知人だけで、みどりミュージックの当事者はおらずに原告は単に畠山みどりの弟と称する人と電話で「よろしく」と言われだけだった。原告は斉藤氏とみどりミュージックが畠山みどりの会社である、ということを信用して300万円を用立てた、という。返済期日の1カ月後に返済を迫ったが、「待ってくれ」と言われてそのままとなった、とも語った。被告側の尋問に移り、「原告が貸したのはみどりミュージックではなくて、斉藤氏ではなかったのか」、「返済をみどりミュージックにはしていないのはなぜか」などと突っ込み、原告は「そこまで考えなかった。だまされた」とつぶやく始末で、原告側の弁護士も口をもぐもぐさせてやる気なさそうにしていた。被告側の弁護士は余裕からか、「弁護士とはどういう関係で」と質問しだし、さすがに裁判長から「裁判とは関係ない」と止められた。こんな案件でも裁判所は受けつけるのだ、と思っていた。
 ところが、被告側の証人として畠山みどりの弟なる人が証言席について、尋問が始まったたら、様相は一変した。実は畠山みどりの弟はみどりミュージックの取締役を務め、実権こそないが、経理一切を任されていて、社判を簡単に持ち出せる状況にあった。しかも斉藤氏は畠山みどりとも知り合いで、斉藤氏からお金が入用で、あとで必ず返すからと言って、借用証に社判を押してくれ、と頼まれて、断りきれずに、無断でみどりミュージックの社判を持ち出し、問題の借用証に押して、署名までしてしまったことを告白した。その時には金額も貸し先も空白の借用証で、後日印鑑証明も斉藤氏に渡したことも明らかとなった。署名してから1週間後に、斉藤氏にその後の経過を確認したところ、「まだ決まっていない」と言われ、もうなくなったのだ、と思い込んでいて、姉の畠山みどりにも報告しなかった、という。
 会社の取締役たる者が社判を持ち出して署名までしている、となると正式な文書とみなさざるを得ないだろうし、会社のガバナンスも問われることになる。いくら弁護士が言い立てようが動かぬ証拠がある限り、300万円の返済を迫られれば、知らぬ存ぜぬでは済まされない。尋問終了後、裁判長は和解の余地はない、として、直ちに判決の期日を申し渡したが、一番のワルは斉藤氏なのだが、みどりミュージックの責任は免れられないとして半額程度の支払いを命じるのではないだろうか。
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小沢一郎の策略にはまった哀れな人身御供としか思えない嘉田滋賀県知事

2012-11-28 | Weblog
 27日、滋賀県の嘉田由紀子知事が新党「日本未来の党」を立ち上げる、と発表した。自民・公明、民主に続く第3極の混迷にメスを入れようと立ち上がったようで、裏で小沢一郎が糸を引いているのはみえみえの茶番劇で、さらに混迷を深めることになるのは間違いない。新党は卒原発を旗印として、第3極に位置する群小政党の結集を図っていくというが、卒原発は大方の賛同は得ることは事実だが、総選挙の第一の争点として掲げることには疑問がある。基本的に卒原発は守りの姿勢であって、日本経済をいかに立て直していくかの政策がないと画龍点睛を欠くことになるのではなかろうか。
 「日本未来の党」は今回の総選挙前までに立ち上げた党としては16番目の党になる。各党とも民主、自民・公明の対立軸の割って入ろうというねらいで設立されているが、小選挙区制の制度のもとでは選挙後埋没してしまう党が出てくるのは必至の情勢である。特に現在野党第2の党である「国民の生活を第一」党はもともと前回の総選挙で、民主党の風に乗って当選した小沢チルドレンがほとんどで、選挙の結果、1ケタの議員数になり、惨敗は見えている。そうなると、党代表の小沢一郎のメンツは丸つぶれで、政治生命を失くしてしまうことにもなりかねない。さりとて、日本維新の会に頭を下げて合流もきない状況にある。プライドの高い小沢一郎は無色透明な嘉田由紀子知事を担ぎ出すことを画策したのだろう。発表の前々日に小沢一郎と嘉田知事が会っている、という情報は流れていた。
 そんな「日本未来の党」は嘉田知事が代表に就き、代表代行には環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長が就任するほか、京セラ名誉顧問の稲森和夫氏や、ミュージシャンの坂本龍一氏、俳優の菅原文太氏、ジャーナリストの鳥超俊太郎氏、脳科学者の茂木健一郎氏などが賛同者に名を連ね、卒原発の旗印のもとに総力を結集するムードになっている。
 卒原発は確かに3.11以降の日本の緊急、かつ当面する大きなテーマではあるが、いま総選挙を控えての最大のテーマであるかについては疑問が残る。いずれ、原発をなくすことにはだれしも異論はないだろうが、原発ゼロへ持っていくまでのプロセスをどうするかについての議論が分かれることになる。いまある原子力発電所を一斉に廃棄することについては経済的なロス、および再び火力発電所に頼ることによる燃料費などコストアップについてどうするのか、といった問題まで掘り下げられていない。すでに関西、九州電力が来年からの電力料金値上げを申請しているが、消費者は反発を示している。一方では脱原発、一方では電力料金値上げ反対では単なるヒステリーに過ぎない。
 それに卒原発、脱原発といっても日本全体のことを考えれば、守りの姿勢を示しているの過ぎない。国際社会のなかで日本が生きていくうえでは卒原発はライフスタイルの問題に過ぎず、外貨獲得し、国民生活を維持向上させていくうえでの手段にはなりえない。そんな”守り”の姿勢を総選挙の第一のテーマとするのはやはりおかしいし、そんなことでは日本は国際社会のなかで取り残されてしまう。
 それと嘉田知事がいかに優秀な行政ウーマンだとしても、国政を担う党の代表と知事の2つの職責を全うできるとは思えない。いかに体裁を整えようとも、小沢一郎の策略にはまった哀れな人身御供としか思えないのだが……。
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3.11は電力会社に下された神の戒めだったのか

2012-11-27 | Weblog
 26日昼頃のテレビニュースで福島原子力発電所の3号機への水の注入が通常1時間当たり1トンなのが1.2トンとなっているのが見つかった、と報道していた。それがどういう問題なのか、よくわからなかったが、久しぶりに福島原子力発電所に関するニュースを聞いて、いまは安定した状態となっているのだろうか、と思った。もう昨年3月11日以前に戻ることはできないが、東日本大震災はすっかり日本のあり方を変えてしまった、特に東京電力はじめ電力各社にとっては悪夢のような災害だった、と思い出される。
 東京電力は経団連会館の3階に電気事業連合会がり、エネルギー記者クラブがあった関係で、多少の付き合いをしてきた。当時の東京電力は10数年に1回訪れる電力料金の値上げが最大のテーマで、それ以外は何も起きないのがいい広報とばかりの姿勢で、「寄るべからず、知らしむべし」といったスタンスをとっていた。原子力は安全なものとの広報は徹底していて、国はもちろん産業界、地域住民や一般消費者に日本のエネルギー事情、電力事情についてのPR活動を絶えず行っていた。
 日本のエネルギーの大半を賄っていたのは石油であるが、石油産業といっても単に産油国から原油を輸入して精製し、ガソリン、ナフサ、重油などの石油製品を供給しているだけで、最大の供給先は電力業界で、ライバルのガス会社を含め、まるで日本のエネルギーを背負っているのは電力会社であるような印象すら与えていた。もちろん、表立ってそうした姿勢を取っていたわけではないが、見る人がみればそんな意気込みはたちどころに見てとれた。経産省のエネルギー庁も一応、電力料金申請の窓口ではあるが、実際のエネルギー行政は東京電力はじめ電力各社におんぶにだっこの状態だった、といっても過言ではないだろう。
 なかでも東京電力は電力9社のトップに君臨し、経営者の頭の中に日本のエネルギーを牛耳っているような意識がなかったとはいえないだろう。しかも東京電力は超一流の優秀な会社で、役員報酬も産業界でトップレベルにある。会社も一流なら、経営者、社員も一流とのエリート意識が意識のどこかにあったことだろう。それが東日本大震災による津波で一挙に消し飛んでしまった。東京電力は直撃を受けたが、関西電力以下の電力会社はその余波を受けて同じように沈んでしまったのはお気の毒としかいいようない。
 往時は3000万円を超えていた東京電力の役員の年間報酬額はいまや3分の1程度になっている、という。社員も同じような賃金カットをくらっている、という。しかも福島原子力発電所の廃炉、原子力燃料の処理、災害見舞金、補償金の支払いなど今後抱える負の遺産を考えると、ここ数十年は復活の見通しはない、という。まさに行く道は茨の道で、天国から地獄に落ちたとしかいえないような状態である。
 石原前東京都知事は東日本大震災が起きた際に「日本に下った天罰だ」と言ったが、東電はじめ電力各社にとって東日本大震災はひょっとしたら、ほんのわずかでもあったと思われるそうした”驕れる姿勢”に下された神の戒めだったのかもしれない。戒めというのはきついかもしれないが、東京電力はじめ電力各社が原子力に関する情報を一手に抑え、原子村なるコミュニティをつくり、そこへのアクセスを限られた人にしか与えなかったような情報統制を行っていたのは事実で、安全やセキュリティ、放射能に関する自由な議論を許してこなかったことは指摘できる。だから、福島原発の建設に対しても10メートルを超える津波に対する対策の必要性の議論を封じてしまったのだろう。こうしたところに一種の”驕り”があったのは否めない事実であろう。何が必要で、何が公正か、その時に議論は尽きないかもしれないが、そうした議論を踏まえて判断を下すのは経営者たるべき者の責務である。やはり、福島原発建設当時の経営者の責務は重い、と言わざるを得ない。
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党員のいない政党なんておかしいし、政党の態を成していない

2012-11-26 | Weblog
 25日のTBSテレビの「時事放談」を見ていたら、パネラーの片山善博元総務相が司会の御厨貴東大教授の「いまの政党乱立をどう見るか」との質問に答えて、「いまの群小政党は政党の態を成していない。5人の議員がいれば政党ができるいまの制度は間違っている」と発言した。片山氏の説くところによると、本来政党という以上は掲げる政策があって、それに賛同する党員がいて初めて政党といえる集団として認められる、いまの政党は単に政党交付金ねらいの野合集団に過ぎない、というのだ。もっともな意見で、ここ1、2カ月に誕生した群小政党の代表には耳の痛い意見だろう。
 確かに小選挙区制で、これだけ群小政党が乱立しているいまの状況はどう考えてもおかしい。党員や地方組織の全くない政党など本来あってはならない存在である。彼らがねらっている政党交付金には政党の定義がされているのだろうか。単に5人の議員で構成するのを政党としているだけなのではなかろうか。政治家になる以上、ビジョンなり、行うべき政策があるのは当然で、そのビジョンなり、政策を実行していくには同士を募って政党をつくらなければ具体化しないし、具体化しなければ政治家になった意味がない。
 議員に立候補するときに持っているビジョンなり、やりたい政策を掲げて訴えて、それに賛同してもらい、票を獲得すれば当選するわけだが、いまの政治家で果たして個人的にビジョンを掲げるような選挙運動を展開する人がいるとはとても思えない。既存の政党の打ち出す政策に共鳴して、乗っかっていくのがほとんどで、一旦当選すれば、次の選挙で当選できそうな政党はどこか、と探して簡単に移籍してしまう。これでは政治家というより政治ゴロとでもいうのがあたっている。無所属で立候補してもいまの小選挙区制のもとでは掲げる政策を実現するためにはいつまでも1人ではどうにもならない。同士と政党を立ち上げるか、どこかの政党に属しすしか手はない。
 選挙の時に選挙民から信任を得た政策を実現すべく議員活動をしているのならいいが、政党を変えて違う政策のもとで活動する場合は改めて信を問うようなことがあってもいいのだろう。ただ、個々の議員が政党を変えるたびに補欠選挙を行うのも大変なことであり、政策といっても言葉ひとつでなんとでも言い繕うことができるようなものなので、徹底するのは難しいことだろう。
 片山氏は社民党や共産党の政策がぶれないのは全国に党員がいて、党員の賛同を得たうえで、政策を打ち出しているからだ、ともいう。社民党や共産党は歴史のある政党なので、全国的な組織を持っているが、昨日今日できた政党にそうしたことを望むには無理がある。いまは政党の合従連衡をどうしようか、ということに頭が一杯で、とてもそんなことにまで手が回らないことだろう。
 いまこそ政党なるものとはどういうものなのかをみんなで議論すべきときなのかもしれない。国民の血税なる政党交付金を政党に交付する以上、きちんと政党の定義をすべきだろう。「時事放談」では最後に今回の総選挙で各党に望むことはと聞かれて、片山氏は「できる限り、地方の人の声を聞いて汲み上げてやってほしい」と言っていた。いま各党にできることはそんなことだろう。
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期待外れに終わった白川道の「身を捨ててこそ」

2012-11-25 | Weblog
 白川道の「身を捨ててこそ 新・病葉流れて」を読んだ。夕刊フジに連載したのを単行本にしたもので、著者の自伝的要素が強い。白川道は20年ほど前に自伝的色彩の強い「流星たちの宴」でデビューした作家で、ビジネス界の無頼派を描いた作風」で知られ、世代が似通っていることもあって、ほとんどの作品を読んできている。今回もその流れか、と期待したが、最後まで主人公が一体何をめざそうとしているのか判然としないまま、しり切れとんぼで終わってしまった。単なる風俗小説となったことが惜しまれる小説である。
 「身を捨ててこそ」は戦後まもなく、大阪へ流れてきた青年がふと立ち寄った雀荘で、いかにも落ちぶれた老境にさしかかった男性と知り合う。お互いの雀風に触れ合うものを感じた2人は酒を飲み交わす仲となり、東京へ戻ってくる。青年に見どころがある、と惚れこんだ男性は就職先を紹介したり、秘密の雀荘に連れていったりするが、主人公はなじめず元の放浪生活に戻ろう、としかける。ただ、職を紹介してくれた男性が死を予感させる病に罹り、療養先の葉山の病床を訪ねたところで、ジ・エンドとなってしまう。
 折角、波乱万丈のストーリーが展開するのか、と期待を持たせたところで、終わってしまうなんて、梯子を外されたような終わり方で、読んでいる方としては不満が残る。主人公が戦後生まれの飲む、打つ、買うを地で行くアウトローであるのはわかるが、ビジネスの世界でどう生きてきたのか、が描かれていないのが不満の残るところである。
 麻雀小説では阿佐田哲也の小説「麻雀放浪記」が有名であるが、この「身を捨ててこそ」はそこまで徹し切れていない。夕刊紙への連載で、最初から連載期間が決まっていて、途中で終わらざるを得なかったのか、白川道としては悔いのい残るものとなったのではなかろうか。次回に期待したいものだ。
 
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言いえて妙な「馬坂」には亡き母の思い出がつまっている

2012-11-24 | Weblog
 我がマンションのフロント前に坂があるが、この坂が急勾配で大変な坂なのである。だれが名づけたのか、坂のてっ辺に「馬坂」なる名前がついている。江戸時代に東京の愛宕山の急坂を間垣平九郎なる武士が馬に乗って登って称賛を浴びたことがあり、急な坂というと馬でも登れない坂という連想が湧くようで、このエピソードから馬坂と名付けたのだろう。普通には馬坂はウマサカと読むのだろうが、「まさか」と読むとびっくりするような急な坂とも読めてなおさら言いえて妙である。
 この坂を先日、老婆がトレーニング姿で登り降りしていた。下から歩いて登って行こう、とすると、上から緩い駆け足で降りてきて、下へ着いたら、くるっと一回転して、再び登って行った。タフなおばあさんだ、と見送ったが、そういえば、ここでは平日の午後、近くの中学校か、高校の陸上部の一団がよくトレーニングしているのを見かける。急な坂でまず車が通ることはないので、恰好なトレーニング場所となっているようで、集団で登り、降りしている姿をみかける。上まで行って、戻ってくると150メートルくらいにはなり、下でソトップウオッチを持った先生らしき人がタイムを計って、部員に声をかけている。
 「馬坂」の勾配は道路標識によると、26%あることになっている。高低差は約30メートルくらいあり、坂の長さは7、80メートルくらいある。ピタゴラスの定理によれば、70メートルの底辺を30メートル上昇すれば、75メートルの距離になり、往復すれば150メートルということになる。急勾配なので、走れば心臓に負担をかけることになり、心肺機能の強化になることだろう。陸上部のトレーニング場としてはこれ以上の場所はない、と専門家が目をつけるのも無理はないことだ。
 聞いたところによると、もともと、我がマンションの立地点は鳥類が生息する自然環境のいい森があったところで、マンションが建つ際にも周辺の住民からは環境を破壊するとして建設反対運動が起きたほどだった、という。だから、道路などはなくて、獣が通るいわゆるケモノ道しかなく、マンション建設にあたってはそのケモノ道を道路として拡張したのだ、という。だから、いまでも雪が降ったりすると、道路脇のガードレールに掴まっていないとスッテンコロリとひっくり返ってしまうほどの勾配なのである。車で下りようものなら、対向車が来たらどうしよう、とおっかなびっくりで運転していかなければならないほどである。
 かみさんのお母さんがこの坂があるために来るのを嫌がっていた、と聞いてさもありなん、と思った。昨年10月に我がマンションに3、4日泊まった際には近くの福祉施設から車椅子を借りてきて、車椅子に乗った状態でこの急坂を登り降りしたものだった。そんな母もこの1月に他界して、いまでもこの坂をみると亡き母を思い出す。
 
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進化していた東急ハーベスト伊東

2012-11-23 | Weblog
 22日、思い立ってかみさんと東急ハーベスト伊東にやってきた。いつもより出発の時間が遅れたので伊東駅に着いたのは夕刻になり、まっすぐホテルに向かいチェックインした。昼頃着く時には駅前の蕎麦屋に寄ったり、スーパーで夜食を買い込んだりしたが、とてもそんな気分になれず、まずは荷を解きたいと思った。で、温泉に入りたいと思ったのだが、外へ食べに行くとなると、湯冷めして風邪でもひいては大変と思うと温泉に入る気にもなれない。
さて、どうしたものかと思案していると、ふとホテルのレストランメニューが目に止まった。これまで、ハーベスト伊東のレストランは最低でも一人4000円くらいして、二人で1万円近くかかるのでいつも外へ食べに行くか、スーパーで弁当などを買い込んで部屋で食べたりしていた。大体は海べりのイタリアンレストランに行ったり、川沿いの天婦羅屋に行くことが多かったが、そのお気に入りの天婦羅屋がつい最近お店を閉じてしまった。 そんなことを考えながらメニューを見ていると、中華料理では1890円、日本料理では2100円のものがあるではないか。とはいえ、肝心の中身がわからないので、一階のレストランまで行き、それぞれの内容を確認したところ、まずまずの内容だったので、食事開始時間を2時間ほど後にすることにして予約した。これだとゆっくりと温泉に浸かってから食事することができ、本来の温泉気分に浸ることが出来る、と思うとなおさら気分がよくなった。
注文したきらめき御膳、海女御膳とも予想を上回る味と内容で、かみさんともども大いに満足した。日本経済がデフレに入ってかなり経つが、ようやくハーベスト伊東でも対策に乗り出したようで、いささか遅すぎるきらいがなきにしもあらずだが、お客本位に立ち戻るのはいいことだ。そういえば、今回はチェックインの時にホテル周辺のレストランを案内する地図を渡してくれた。周辺レストランとの共存共栄の政策に路線変更したのだろうか。自信があるからそういうこともできるのだろう。
さらにはお風呂で出会った同宿者が近畿日本ツーリストのバッジを付けていた。ツアー客を泊めているようで、いままでは見かけなかった。会員制ホテルなのにそんなことに構っていられない、というのだろうか。これもある意味で、進化といえるのかもしれない。

追記 家に帰ってきて、東急ハーベストの月報で確認すると、2100円の海女御膳は掲載されていたが、1890円のきらめき御膳は紹介しれていなかった。泊まりに行かないとわからないのではサービスに欠ける面がある、と思われるが、そんなに大幅に値下げしたことは伏せておきたい気持ちもあるのだろうか。一方では、そんなことを言ってれない状況であるのも確かである。
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日本維新の会の真の実力が問われる局面になってきた

2012-11-22 | Weblog
 日本維新の会が蛇行している。肝心な政策である維新八策がここへきて揺らいでいるのである。当初、大企業、大組織から献金は一切受けない、としていたのを一定の金額以上は受けない、と180度方針を変えた。太陽の会と一体化するのに太陽の党のいずれの議員ともそうした献金を受け取っていることが判明して、これでは具合いが悪いとなったもので、あっさりと看板を書き換えた。急場の合意で細かいところまで詰めていなかったのので、こうしたその場しのぎの修正が今後とも相次ぐことが懸念されるが、当の橋下大阪市長は意に介さない様子で、どこまで日本維新の会旋風が続くかにかかっているようだ。
 日本維新の会は一部のマスコミの受けがいいようで、当確予想では自民党、民主党に次いで第3の党に飛躍するとの予想も出ている。そうした風を意識してか、石原慎太郎代表は「第3局でなく第2局だ」と公言するようになった。比例区での投票予想では自民党に次いで第2位になる、との世論調査も出ていて、ひと頃の日本新党を思わせる状況ともなってきている。評論家の田原総一朗は「石原慎太郎のねらいは総理大臣になることだ」と語り、自民党が過半を取れない場合は連立政権を組むこととなるが、その場合、石原慎太郎が総理大臣になることだって可能性はある、という。
 ただ、日本維新の会の弱点は2010年の政治資金収支報告書によると、収入はわずか6791万円しかないことで、今回の総選挙でも候補者は立候補にあたって「広報費」の名目で100万円払わなければならないうえ、比例代表に重複立候補する場合はさらに供託金300万円が必要で、合計400万円払わなければならない、という。自民党でも民社党でも立候補者は党から活動費として公認料をもらうが、日本維新の会は逆に候補者が払うことになっている。新しい党なので、財政状況が厳しいということだが、それだけのコストを払っても日本維新の会の看板が欲しい、ということで、200人を上回る希望者が集まってきているようだ。費用だけでなく、実際に衆院選挙を切り盛りしたことのある経験者が少なく、選挙実務の説明では参加者をいらだたせたこともあったようで、ドタバタは結構あるようである。
 それでも、なんとか回ってきているのはフォローの風が吹いていて、結果よしの形でここまではきているようだ。だれが筋書きを描いているのかわからないが、追う立場の強みで、相手の弱点を突くことでかわしたり、鉾先を変えるようなことでうまく立ち回ってこられたというのが正直なところだろう。しかい、これからは守る体場に立ったり、攻められるようなことになるケースも出てくれば、いままでのようなことではいかなくなるだろう。
 問題は今後、政党交付金なるものが入ってきた場合の財政管理や、実際の政策の立案、推進となると、経験者不足が露呈する場面がしばしば出てくることが十分に予想される。大阪府や大阪市で地方自治体の職員を相手に行政に携わるのと、国政を預かるのとでは勝手が違うのは当然で、日本維新の会の実力が問われることとなることだろう。
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ザルだった沖縄米軍の夜間外出禁止令に驚いた

2012-11-21 | Weblog
 沖縄の在日米軍人の暴行、住居侵入などの事件が相次いでいるが、20日のNHKテレビのニュースを見ていたら、沖縄の弁護士が「米軍の夜間外出禁止令(午後11時~午前5時)なんて守られるわけがない。米軍人すべてが米軍基地の中に住んでいるわけではないからだ」と語っていたのに驚いた。これまで、在沖縄米軍人の暴行など事件を防ぐには夜間外出禁止令を徹底させればいい、と日米、それに地元沖縄でも思い込んでいたのに、それがザルであったとは信じられないことである。一体にどうしてこんな基本的なことが報道されずに表面だけの上滑りな情報だけで納得しているのか、報道の送り手も受け手ももっときちんとした情報のやりとりをしないと双方ともにムダな時間とエネルギーを費やすことになる。日本のマスコミ報道の弱点でもある。
 NHKニュースに登場した沖縄の弁護士によると、在沖縄の米軍人は那覇市内のアパートに住んでいる人もいて、そんな軍人が夜間那覇市内をぶらついているのを米軍が取り締まることなどできっこない、という。普天間基地内の寮に住んでいる米軍人と周辺の那覇市内などのアパートに住む米軍人の割合がどのくらいか、までは報道していなかったが、確かに夜間外出禁止令により、行動を監視できるのは基地内の寮に住む軍人だけで、基地外のあちこちに住む米軍人にまでは行き届かない。
 ただ、これまでことし8月に2人の米軍人が沖縄の女性に対し暴行事件を起こして以来、米軍は米軍人に対し、夜間外出禁止令を出し、そうした不祥事が起きるのに万全を期す、と言明し、日米双方ともそれでもうこうした不祥事をが2度と起きないものと思い込んでいた。ところが、その後も酒に酔って住居に侵入し、中学生を殴って怪我をさせる事件や、暴行事件が相次いで発生している。件の弁護士はいとも簡単にその理由を明かしてくれたわけだ。沖縄現地では常識のことを報道機関はなぜ報道してくれないのか。米軍基地反対運動のことばかりに目がいっていて、細かいことにまで配慮が行き届かないのだろうか。
 考えるに、日米両政府、それに地元沖縄3者のやりとりのなかで、沖縄在住の米軍人がどこに住んでいるか、夜間外出禁止令がどこまで有効に米軍人起こす不祥事の続発を防いでくれるのか、まで踏み込んで話し合いをしないのか、不思議でならない。また、それを取材する新聞、テレビの記者も夜間外出禁止令が徹底されれば万全なのか、考えたら、そんなものザルでしかにあことは一目瞭然なのに表面のことだけの報道で済まそうとするその姿勢がわからない。読者や視聴者はそこまで考えるには至らないから、日米両国政府が言う通り受け取って、これでもう不祥事は起きないものと信じ込んでしまう。
 普天間基地以外の市中に住む米軍人がどのくらいいて、それらをずべて米軍基地内に収容することはできるのか、できなければ国外退去してもらうなどそこまで踏み込んだ交渉をするのが外交交渉ではなかろうか。これほど肝心なことを報道しない日本のマスコミに怒りすら感じる。折りしもこの17日から4日間、天皇、皇后両陛下が9度目の沖縄訪問中であり、多くのマスコミが同行取材している、と思われるが、米軍基地の実情も合わせて取材して、正確な情報を伝えてもらいたいものだ。
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