鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

核についてフランシスコ教皇との正面からの対話を避けてお茶を濁した安倍首相

2019-11-30 | Weblog

 この23日から26日にかけて日本を訪れたバチカン市国のフランシスコ教皇は長崎、広島を訪れたほか、東日本大震災の被災者との集いを持ち、天皇陛下、安倍首相とも面会し、核兵器の廃絶を強烈にアピールするとともに原子力エネルギーを使うべきではないとのメッセージを発し、私たちに深い感動を与えてくれた。世界13億人のカトリック教徒の頂点に立つローマ教皇の一言一言に対し、我々は核兵器の廃絶に向けていまこそ立ち上がらなければならない、と胸にきざむべきである。

 フランシスコ教皇はもともとアルゼンチン・ブエノスアイレスの大司教であったが、2013年3月13日に世界に130人いる80歳未満の枢機卿によて選挙で選ばれた。中南米から選出されたのは初めてのことで、就任以来「貧者の教会」を掲げ、精力的に世界の平和に取り組んできている。世界で唯一の被爆国である日本にはいつか訪れよう、と願ってきた。訪日に先立ってチリを訪れた飛行機の機内で記者団に「焼き場に立つ少年」の写真を配布したこともあった。その写真は長崎に原爆が落とされたのちに米軍の従軍カメラマンが撮影したもので、亡くなった弟を背負い、背筋をまっすぐに伸ばして唇を固く結んで火葬の順番を待っている裸足の少年をとらえていて、見る者にその表情はやり場のない怒りを心の中に押さえ込んでいるように感じさせる。その写真を持ち出すのはフランシスコ教皇が心から核の廃絶を願っていることを物語ってもいる。

 フランシスコ教皇は「すべてのいのちを守るために~PROJECT ALL LIFE」をモットーとしており、長崎、広島を訪れることで平和への願い、核廃絶への思いを世界に向けて発信しよう、ということである。こんな思いで25日に天皇陛下と会い、ともに世界へ発信しよう、と確認しあった。その足で首相官邸を訪れたが、安倍首相との面会時間はわずか7分間で、あとは日本に駐在する各国の大使を前に持論を述べた。その場で安倍首相は「核兵器国と非核兵器国の橋渡しの努め、双方の協力を得ながら対話を促す努力において決して倦むことはない」と述べたが、世界で唯一の被爆国であるのになぜ核兵器廃絶を明言しないのか、については相変わらず疑問が残る。

 安倍首相はフランシスコ教皇から核廃絶への同意を求められるのを嫌って、世界各国の駐日大使の面々の前でフランシスコ教皇を演説させ、橋渡し役を行うということでお茶を濁したのは明白である。これでは我が国の被爆者や核廃絶を訴える市民に顔向けできない。国連などの場で核廃絶への署名から逃げている安倍首相としては核廃絶に合意することはまずい、とでも判断したのであろう。米トランプ大統領の”ポチ”としてはここは曖昧なスタンスで逃げるにしくはない、と考えたのだろう。フランシスコ教皇との1対1での面談は通訳を交えての7分間であるから、挨拶に一言二言付け足しただけの極めて簡単なやりとりしかなかったことだろう。

 26日に帰国の途についたフランシスコ教皇はローマに向かう機内で記者会見し、原子力発電について「安全が保障されない限り、核エネルギーは使うべきではない」と語った。その前日に東京電力福島第一原発事故の被災者と都内で面会した際、日本のカトリック教団が原発の廃止を求めていることに触れ、「将来のエネルギー源について勇気ある決断が必要だ」とも述べた。これも安倍首相には耳の痛い発言であろう。

 1981年にローマ法王、ヨハネ・パウロ二世が来日して以来38年ぶりのローマ教皇の来日なのにこんなていたらくでは安倍首相に今後まともな外交を期待するのは無理なようである。

 

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安倍後援会活動の一環で「首相の桜を見る会」を開催している安倍首相、長期政権の驕りが垣間見える

2019-11-09 | Weblog

 8日の参院予算委員会のテレビ中継を見ていて、杉尾秀哉立憲民主党議員が2014年の総選挙直前の11月20日付けで萩生田光一文科相(当時筆頭副幹事長)が在京テレビ各社の編成・報道局長宛てに「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」なる文書を配布した件について質問しているときに正面に座っている安倍首相が杉尾委員に向かって「共産党か」とヤジをとばした。これを耳にした杉尾議員は烈火の如く怒り、しばらく議場は混乱をきたした。安倍首相は2日前の衆院予算委員会で立憲民主党の今井雅人議員が萩生田文科相に対し、加計学園問題の際に文部科学省に対し、圧力をかけた旨を記した文書を手に質問している際に今井議員を指さし「あなたが書いたのではないか」とヤジをとばし、議場を騒乱させている。総理大臣が国会の場で座席から野党の質問者に対し、度々ヤジるのはどう考えても度が過ぎている。自分が答弁中に野党からヤジられると血相を変えて怒るのに自らヤジる姿をさらけ出すとは一国の首相としてあるまじき姿である。長期にわたる政権の驕りとしか思えない。

 長期政権の驕りといえば、この日の最後に登場した共産党の田村智子議員が安倍首相のモラルハザードとして毎年春に行っている首相の桜を見る会を取り上げた。それによると、毎年4月に東京・新宿の新宿御苑で開かれる桜見の会は2014年には約1万3700人だったのがことしは1万8200人にまで膨れ上がっている。しかも2014年には予算1766万円だったのに対し、3005万円も費しており、ずっと予算はそのままにしたまま、2019年には予算の3倍強の5518万円も費やしている。このため来年度の概算要求での予算は5728万円としているが、いかにも杜撰な予算の遣い方が行われているかを示している。

 招待者のリストをみると皇族、衆参議長、大臣、国会議員、各省庁の事務次官、局長、都道府県の議長らのほか、各界の代表者を招くことになっている。それで増えているのは最後の各界の代表者のようで、ここに安倍首相の後援会の人たちが大勢入っている、という。田村議員によると、開催の前日に山口県から飛行機で大挙上京し、都内のホテルに宿泊し、前夜には安倍首相夫妻を交えて後援会パーティを開き、安倍首相の音頭で乾杯することになっているし、当日もバス17台を連ねて、園遊会が行われる新宿御苑に開場の午前8時半前に到着し、荷物のセキュリティ検査もなく午前7時49分に入場し、なかで安倍首相夫妻と写真撮影をした、という。

 しかも招待にあたっては山口の安倍事務所から案内状がきて、単に安倍晋三の後援会員というだけで桜見の会に参加できるようになっていて、各界の功労者を招くという本来の趣旨を超えた単なる後援会活動の一環に組み込まれている。田村議員は「税金を使って、桜見会の名を借りた後援会活動そのものである」と断定し、公職選挙法違反以外の何物でもない、という。安倍首相は「首相の桜見会は昭和27年以来行われてきているもの」というが、過去の首相でみずからの選挙区の選挙民をこんなに大量に動員してきた首相はいないことだろう。

 山口県から今年の首相の桜見会に参加した人は850人にのぼり、全参加者の約4.7%に相当するが、山口県の人口が138万人で日本の人口1億2614万人の1.1%にしか達しない。いかに安倍晋三後援会のメンバーが多いか、よくわかる。お決まりの忖度が効いているのだろうが、忖度もここまでくるとあきれてものも言えない。安倍首相が長期政権の驕りでしたい放題、やりたい放題を行ってきているか、これで明らかである。こんな横暴いつまで許しておくのか、日本国民も舐められたものである。

追記1 「首相主催の桜を見る会」の不明朗な実態が明らかとなって、国会は泥にまみれた安倍首相後援会の異常な税金泥棒ぶりがあぶり出されたなか、13日になって政府は急遽、来年の「首相主催の桜を見る会」は開催を取りやめると発表するに至った。安倍首相の政治資金規正法違反、公職選挙法違反がいぶりだされる見通しとなったことから、安倍首相本人の決断で決めたようである。同日夕刻、安倍首相が記者団のぶらさがり会見したが、その理由については明らかにせず、問題の「会」中止の旨を告げるだけで立ち去った。いかにも臭いものにふたをした感じで、これでケリ、としたい気持ちがありありだった。問題があるし、今後も大きな火種となりそうなことから、こうした挙に出たのは明らかで、これで打ち切りとならずに一気に安倍首相退陣にまで追い込んでほしい。野党あげて追及を深めていってもらいたいものだ。

追記2 16日午後、女優の沢尻エリカが合成麻薬MDMA保持の現行犯で警視庁に逮捕され、テレビ各社はこぞって大々的に報道した。トップニュースでさも大事件発生といった感じであった。またか、という思いであるが、早速芸能界には「安倍首相の桜を見る会から世論の目をそらそうとのだれかの画策だ」とも声がわき上がった。名のある芸能人を逮捕し、世間の目をそっちに誘導しよう、とある筋の作戦というわけだ。安倍首相の桜を見る会への世間の注目が集まって以来、直ちにネットの世界から過去のブログで「安倍首相の桜を見る会に関する記事が一斉に削除された。官邸筋からそうした依頼があって、電通あたりが指令を出したのだろう。芸能界では次の標的に上がっている人が噂に上り始めている、という。女優の東ちづるは「騒ぐべきは逮捕された人ではなく、法を犯しても逮捕されない政治家だ」と言っている。本当に安倍首相は罪深い御仁である。

 

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ゴッホ展といいながらゴッホの代表作はないし、ゴッホ以外の画家の作品も多くてがっかりした。”羊頭狗肉”の商法ではないか

2019-11-05 | Weblog

 5日は東京・上野で会合があり、予定より早めに終わったため、以前から行こうか行くまいか迷っていた上野の森美術館で開催している「ゴッホ展」(来年1月13日まで開催)を覗いてみた。平日なのにチケット売り場前には50人程度並んでおり、上々の人気ぶりだった。小さな会場でも入場料は他展並みの大人1800円となっているのが気になったが、折角なので、入場することにして入ってみた。会場内は若い女性を中心にぎっしりといった感じで、列を作っていて、とてもゆっくりと観賞していく状況ではなかった。入ってすぐのところにはゴッホの作品ではなくヤン・ヘンドリック・ウェイセンブルフ、ヨゼフ・イスラエルスなどいわゆるハーグ派と称せられる画家の作品が並んでおり、これでゴッホ展なのか、と思わせた。

 しばらく進んでようやくゴッホの作品にお目にかかれたが、「籠を持つ種まく農婦」や「待合室」、「雨」といったゴッホらしくない作品が展示されていた。なかほどへ進むとようやくゴッホらしいタッチがうかがえる「麦畑で屈む女」や「秋の夕暮れ」といった作品が」登場するもののゴッホといえばすぐに想像できる”ひまわり”はお目にかかれない。そのうちにゴッホと同世代の印象派のルノアールや、モネ、ピサロのお馴染みの画家の作品が掲示されている。そして最後に再びゴッホの作品でやや有名な「糸杉」が展示されていて、ああゴッホ展だという感じがしてくる。

 上野の森美術館は小さめの会場なので、今回の「ゴッホ展」で展示されている作品は全部で83作品であるが、このうちゴッホ以外の画家による作品はなんと31作品と全体の40%弱にも及ぶ。「ゴッホ展」となっている以上、展示されている作品はだれしもすべてゴッホの絵画だと思うことだろう。こんなにゴッホ以外の画家による作品が展示されているのなら、なぜ「ゴッホ、及び同時代展」と称さなかったのだろう。主催の産経新聞社、BS日テレWOWOWに聞いてみたいものだ。誤解を与える詐称ではなかろうか。しかもゴッホ展といいながら、ゴッホの代表作であるひまわりは全く展示されていないのは”詐欺”と言えないだろうか。展示会の開催に協力したオランダのハーグ美術館や、多数の作品を貸し出しているグレラ-・ミュラー美術館がどの程度関与しているかわからないが、日本で開催している以上、全体の名称を決定したのはやはり主催者の判断でsるのは間違いないところだろう。「ゴッホ展」と打つのと「ゴッホ、および同時代展」とするのでは入りが全く異なってくるのは明らかである。ゴッホは日本では絶大な人気を誇っているのは間違いないところだ。正直言って、鈍想愚感子も「ゴッホ、及び同時代展」だったら、入場していなかったことだろう。

 それにしても日本の美術展の入場料はいまや一律大人1800円となっているのは高過ぎるのではないだろうか。鈍想愚感子はこの夏、パリのオルセー美術館に行ってゴッホはじめモネ、マネ、ルノアールなど印象派の作品をたっぷりと見てきたが、入場料は14ユーロ、日本円にして」1680円だった。この「ゴッホ展」はいかにも高い。しかもどこかが大人1800円にすると軒並み右へならえ、といった感じでどんな内容、どんな規模を問わず同様の料金となってしまうのはおかしなことである。公正取引委員会の出番ではなかろうが、少なくともこうした”羊頭狗肉”の横行を文部科学省なり、消費者庁のいずれかでなんらかのチェックをするようなことしてもらいたいものだ。

 

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