鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

家族のあり方を改めて考えさせてくれた蓬莱竜太作の演劇「消えていくなら朝」

2018-07-15 | Weblog

 14日は東京・初台の新国立劇場で蓬莱竜太作の演劇「消えていくなら朝」を観賞した。開演30分眞に観光バスで観客を劇場正面に乗りつけ、大挙して会場に入っていく姿を初めて目にした。それだけ評判がいいのかもしれないと思ったが、見終わって確かに見ごたえのある面白い演劇である、と納得した。5年ぶりに故郷にフィアンセを連れて帰った主人公の作者の思いを体現したかのような劇作家が「次の作品は我が家のみんなを明らさまに描いたものにしようと思っている」と発言したことから、家族の反発を招き、事態は思わぬ方向へ動き出す。こんな家族があるのではないか、と思わせ、家族というものについて考えさせてくれた演劇であった。

 「消えていくなら朝」は冒頭、居間で寝ている父親を起こさないように主人公の定男が入ってくる場面から始まる。それに気がついた父親が「いつまでいるのか」と声をかけ、どうやら、息子は結婚を告げに帰ってきたようだな、と察する。で、帰省した次男を囲んで、両親と兄、妹の5人が18年ぶりに食卓を囲むこととなる。まず、冒頭、定男を連れて帰ってきたフィアンセの紹介から始まり、フィアンセが演劇をやっていることを話したことから、話がややこしくなってくる。いい演技をすることが必ずしも売れていることにつながらない、と定男が説明しても兄などはよくわからなくて、突っ込んできて、議論が伯仲する。

 それでも一段落したところで、定男は「今度、みいんなのことを書いてみようか、と思っている」を切り出すと、特に母親は激しく反発する。定男が小さい時に母親に連れられてエホバの神の布教活動に参加させられていたことがあった。定男はいやいや従っていたのだが、兄はそれほどでもなくエホバの団体の幹部になるまでどっぷり浸かっていた。が、ある時、規則を破って破門されることとなり、いまでは某企業の営業職として働いている。そのことを定男が指摘すると、返す言葉で、しがない劇作家の定男よりましだとやり返し、2人の間でどちらがましな人生を送っているか、で罵り合う。

 次いで、妹の話になり、兄2人が家を出てしまったようで、父親から3人目の男の子のようになるようにしつけられ、仕方なく父親に付いて中国に行ったことや、やむなくドラエモンにのめり込んでしまったtことを打ち明ける。表面は苦もなく振舞っていたが、心のなかでは絶えず葛藤を抱え込んでいたことを問わずがたりに知らせてくれた。その話を聞いていた父親が初めてわが子の思いを知ったような表情をしていたのが衝撃の深さを物語っていた。

 そして、今度は父親が母親と離婚することを発表する。「母親が父親の後輩の男性ろただならぬ関係にあることを知ってしまった」のがその理由で、「前々から妻がエホバの神ののめり込んでいるのが許せなかったし、今回、不貞の事実を知ってから一層、離婚するしかない、と決めた」と告白した。これに対し、母親は「そんな事実はありません」と不貞の事実をきっぱりと否定したが、家族のだれもがそれを信用しようとしない。

 家族のだれもがみんな傷を持っていることを暴露しあった後で、定男は小学校5年生の時に兄妹3人で川の字になって寝ていた時に、両親が隣の部屋で離婚の話をしていて、3人の子どもをどちらが引き取るか、という話になって、兄は母親が、妹を父親がそれぞれ引き取り、さて定男をどちらが引き取るか、という話となり、結論がでなかった、という話を打ち明けた。父、母親とも「そんなことは覚えていない」と否定した。真相のほどはよくわからないが、定男が以来、家族に不信感を持って、今日に至っていることだけはわかった。

 それを知った母親は定男のもとに寄り、エホバの神の教本を置いて、「神に祈りなさい」と言うのを聞いて、さらに父親が怒る。みんな去ったあとで、フィアンセ慰められ、「どうするか」と聞かれ、「もうちょっと考える」と答え、タイトル通り、朝になったところで幕となった。主役を演じた鈴木浩介と両親役の芸達者な高橋長英、梅沢昌代がよかった。欲を言えば、ラストシーンにもう一工夫あってもよかたかな、とも思った。

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