鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

終盤の白熱したセリフのやりとりに目を見開かされたカミュの不条理劇「誤解」は十分に見ごたえがあった

2018-10-07 | Weblog

 7日は東京・初台の新国立劇場でアルベール・カミュ原作の演劇「誤解」を観賞した。小川絵梨子芸術監督のもと幕開けの第一作のもので、前々日にテレビ東京でサントリーの創業者を描いた「琥珀の夢」で主人公の母親役を務めた原田美枝子が主演するとあって、いやがうえにも期待が高まった。カミュの特異とする不条理劇で、東欧で起きた実際の事件をもとに想を得たという。中盤過ぎまではこれといったヤマもなく淡々といsて過ぎていくが、ホテルを経営する母娘が金目当てにお客を次から次へところしていくうちに実は殺した男が母の息子であることがわかった段階から悲劇が始まるという圧巻ぶりに目を見開かされ十分に見ごたえがあった。

 ヨーロッパのとあるホテルを営むマルタと母親はいつものようにホテルを開け、お客を迎え入れようとしながら、前日にお金ねらいでお客を、殺したことについてあれこれ反省を交えて話し合う。母親はそろそろこうした稼業から足を洗いたいと思ってはいるが、なかなか娘を説得できないで、今日もカモがひっかかって来ないか、と心待ちしている。そんなところへ恋人を連れたジャンがホテルのやってきて、恋人に一緒に泊まるように勧める。が、恋人は一緒に泊まらず帰っていってしまう。実はジャンは母の実の息子で娘の兄であった。20年ぶりに実家に姿を現したのだった。

 ところが、ジャンが息子と名乗らなかったこともあって、母娘は最後までその男が肉親であるとは知ることなく、ジャンが泊まらずに帰ると言い出したものの、そのうちにベッドで眠りに就いてしまったのを見て、即座に殺して、いつものように川に放り込んでしまった。カバンのなかにあったお金を懐にし、ホクホクしているところに下僕がジャンの持っていたパスポートを持ってきた。

 それを見た母親は男が息子であることを知り、愕然とする。そして、「息子だとはわからなかった。この世には確実なものは何ひとつない。世の中そのものが不条理だ」と言い、阿学の果てに「息子の愛なくしてもはや生きてはいけない」と叫んで姿を消してしまう。残された娘は「これで兄さんを忘れることができる」と強がる。そこへジャンの恋人が訪ねてきて、「ジャンはどこへ行った」とマルタを責め立てる。マルタは事実をありのままに「私が殺した」と告げる。それを聞いた恋人はマルタに食ってかかるが、マルタは平然と「私には罪はない」とうそぶき、最後には「休みたい」と言って姿を消してしまう。

 途方にくれて、恋人は「私は孤独だ。私には何もない」と言って、神に祈ろうとする。そこへ「お呼びでしょうか」と言って現れた下僕に「どうか憐れんで、助けて下さい」と頼むが、下僕は即座に「いやです」と言い放ち、いかにも不条理劇らしい幕切れとなった。

 後半の大団円に至るまで盛り上がりのない内容で、眠くなって寝てしまった。ただ、ジャンが実の息子であることが判明した場面から舞台は本音が行き交う白熱のやりとりが続き、すっかり目が覚めてしまった。カミュの言いたいことはここにあった。と納得させられた。あと、主演の原田美枝子は役造りでか、いつものハキハキした声でなく、終始落ち着いた声で、多少違和感が残った。その分、マルタ役の小島聖の熱演ぶりが光った。

 タイトルの「誤解」は原題通りなのかもしれないが、もう少しひねりの効いたタイトル、たとえば「神の不在」とか、いっそ「この世の不条理」とでもつけた方がよかったのでは、と思った。

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