鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

岸田首相よ、派手なパフォーマンスばかりでなく、もっと地に足のついた国民が納得する施策を展開してほしい

2023-03-21 | Weblog

 米国マイアミで開催されているWBC準決勝で日本チームが不振だった村上選手のが9回裏に逆転の2塁打でメキシコチームを撃破して、明日の決勝で宿敵の米国チームと雌雄を決する運びとなり、日本中が大喜びしている最中に海外から岸田首相がウクライナ入りするとの驚くべきニュースが飛び込んできた。岸田首相は数日前に急遽、インドに行き、モディ首相と会談するとのニュースが報じられ、この時に鈍想愚感子は「この後にウクライナに向かうのではないか」思ったが、まさかその予想通りになるとは思いもしなかった。

 というのはこの1カ月前から岸田首相が事務方に対し、なんとかウクライナに訪問することを検討させている、との噂が伝わってきて、この5月に地元広島で開くG7サミット会議に臨むにあたって、G7首脳のなかでウクライナを訪問していないのは岸田首相だけで、議長を務める岸田首相としてはロシア・ウクライナ戦争に向けてなんらかの声明を発したい、と思っているのになんとも締まりのないことで、まずは自らウクライナを訪れ、G7広島サミットでロシア・ウクライナ戦争に対する非難決議に花を添えたいと願っている、とも囁かれていた。

 岸田首相はインドのモディ首相にもG7サミットへの出席を求めており、ゼレンスキーウクライナ大統領にも出席を要請する構えで、すっかりG7サミットをロシア・ウクライナ戦争への非難決議でまとめよう、と必死になっているようである。このところ、岸田首相は韓国、ドイツ、インドの首脳と相次いで会談を開いており、すっかり5月のG7サミットへ向けて、外交の岸田を内外に印象付けようとあの手この手を駆使しているようにも見える。

 一昨年9月に首相に就任して以来、ほとんど内閣支持率が低迷状態だったのが、このところやや上向き始めていることに自信を得て、外交分野で攻勢をかけているような感じであるが、どっこい、国民は相変わらず決め手を欠く岸田首相の経済施策に不信感を強めており、いくら外交で成果を上げているようなパーフォーマンスをやたらに繰り出しても、思い通りにはいかない、と醒めた目で見ている輩が多いことを忘れてもらっては困る、と言いたい。

 岸田首相になってから、いいことがあったのか、胸に手を当ててよく考えてほしい。物価は上がる一方だし、相変わらず賃金の上昇ははかばかしくない。日本経済の動向は先進国のなかでどんどん地位が低下していて、先行きの見通しも芳しくはない。本当に国民のためになる施策が施されているのか、というとあまりめぼしい成果はないのではないだろうか。こんなパフォーマンスに力を注ぐよりももっと国民の命と暮らしを守るために何をなすべきか、胸に手をあてて、よく考えてほしい、と切に思う。岸田首相は何をするために首相になったのか、先日福島など東日本大震災の被災地を訪れ、現地の子供たちと懇談した際に子どもから「岸田さんは何のために首相になったのですか」と聞かれ、「日本で一番大きな権力を持っているから」と答えていたが、首相になって何をやりたいかが一番だろう、その時思った。今回のウクライナ電撃訪問のような派手なパフォーマンスばかりを繰り返す岸田首相のやり方にはもうついていけない。もっと地に足のついた地道で、本当に国民の生活向上をもたらす施策をやってほしいものだ。

追記(3月24日)この日行われた参院予算委員会で立憲民主党の石垣のり子議員が岸田首相に対し、「ウクライナ訪問でゼレンスキー大統領に広島特産の必勝祈願の大シャモジを贈ったのは問題ではないか。一国の首相が戦争当事国の大統領に必勝を祈願することはどう考えてもおかしい。首相が行うのは和平を勧めることで、当事国に勝利を願うのはお門違いではないか」と迫った。これに対し、岸田首相は「よく行われることで、そうではない」と答えたようだが、ロシアに対して事前にウクライナ訪問することを通告していたとされているが、こんな実態を知ったロシアがどんな反応を見せるか、大きな国際問題になりかねないし、岸田首相のセンスが疑われるのは間違いない。岸田首相がねらっているのは来月末にでも行われるかもしれない衆院の総選挙で大勝利で、ウクライナ訪問はその前哨戦とでも言いたいようだ。が、実態はとんだ事前興行でもあったようで、岸田首相の首が飛ぶことにでもなりかねない大失態だったようだ。

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大谷翔平選手が相手チームの裏をかいてバントしたことの意味。今後に与える影響は極めて大きいものがある。

2023-03-17 | Weblog

 今月始まった始まった「WBC2023」は16日にベスト8勢の激突となり、「侍ジャパン」チームはイタリアチームとベスト4進出をかけて東京ドームで争った。二刀流の主戦大谷翔平投手の力投で相手をゼロ抑えてにいたものの、苦戦ムードが漂うなか、3回裏、1死ランナー1塁で迎えた好機にバッターボックスに立った大谷は意表を突く3塁前へのバントを試み、慌てて処理した相手投手が1塁へ悪送球をし、一気にランナー1,3塁と好機を掴み、続くヒットとホームランで一挙に4点を奪い、日本は試合の主導権を握り、そのまま押し切って結局9対3でイタリアチームを下し、ベスト4に進出した。

 この意味で大谷の意表を突くバントが局面を変えて、決定的な得点もあげることにつながり、日本の勝利もたらした、と言える。大谷は「リスクを回避しながらハイリターンが望めるチョイスをした」として、「チームの勝利が優先。あの場面で自分のプライドはなかった」と振り返っている。イタリアチームのピアザ監督は「攻撃が終われば投手を務める選手がバンドをして、全力疾走するとは警戒していなかった」と語っていた。

 実は大谷はこの前の1回の打席でヒット性の中堅へ抜けそうな痛烈な当たりを放っていたが、予め大谷の打球の方向を予測してピアザ監督がメンバーに指示していた大谷シフト守備に阻まれてアウトになっていた。その大谷シフトの裏をかく技に出たわけで、これにはピアザ監督も「我々の守備を瞬時に理解して、それに抗おうとしたわけで、素晴らしい」と半ば兜を脱いだ形となった。

 結果としてはチームの勝利に導いた大谷の勝ちということになるわけだが、大谷の二刀流は11年目を迎えているが、いまや世界の二刀流ともなっている大谷の看板にとって果たしてどんな結果もたらすのか、を考えてみると、よかったことなのか、となると、若干の疑問が湧いてこないでもない。というのは今後、相手チームの大谷に対する攻め方を変えてくることになりはしないか、ということが考えられる。つまり、大谷に対する攻め方があらゆる手を尽くしてしゃにむに向かってくる、ということで、いずれ大谷の手足を縛るような事態を招くことになることも十分に考えられるのだ。

 かつて日本球界を世界に並ぶものとして活躍した王貞治氏が同じように相手チームから王シフトなるものを敷いて対戦させられた時に、今回の大谷のようにバンドでもってそれに対抗したことがあったのだろうか。王選手には大谷のような速く走る足がなかったから、といえばそうかもしれないが、何が何でも塁に出るのだという欲がなかったのは事実だろう。それだけ野球にかける美学があったということだ。

 王選手には今回の大谷のような敵の裏をかくようなバントのような行為があったかは寡聞にして聞いたことがない。あくまでもホームランを打つことをファンから期待されているから、最後までホームランを打つことを徹底してきたのではないだろうか。王選手の時代にはオリンピックでの野球や、今回のようなWBCもなかったから、”国をかけて”という意識もなかったのかしれないが、王選手としてはファンの期待を裏切らないようにとの思いが強かったのかもしれない。

 大谷選手はベーブルース以来の二刀流ということで、もてはやされているが、そのファンのために野球をしているとの意識がどこまであるのか、ということに関わってくることかもしれない。28歳の好青年という印象はあるが、具体的にどんな選手なりたい、にと思っているのか、改めて聞いてみたいような気がしなくもない。

 肝心のWBCは今後米国で準決勝、決勝が行われ、今月中に優勝チームが決定する。もちろん、大谷選手が優勝を目ざしていることは何回も耳にしている。その後は米国エンゼルスチームの一員としてワールドシリーズ進出をめざして闘い抜くことになるだろう。その折りに今回のような場面に立つことがいくども訪れることだろうが、その都度なりふり構わず振る舞うのだろうか。となると、相手チームの対応の仕方も変わってくることだろう。この意味で今回のバントは極めて大きな意味を持ってくることだろう。ひょっとしたら、大谷選手の選手生命の動向に関係してくるものともなるのではないだろうか、とも思えてきた。

追記(3月19日)その後、WBCでの大谷選手の相手チームの意表をつくバントについて、テレビに出る野球界の名だたる解説者や評論家のほぼ全員が手放しで褒めているのを聞いていくなかで、19日朝のTBSの「サンデーモーニング」のスポーツコーナーのコメンテーターとして出演した落合博満元中日監督が大谷選手の3塁方向へのセーフティバントのシーンが放映された後、ポツリと「俺だったらやらないな」とつぶやき、「だってクリーンナップだから」と付け加えた。それに対して横に座っていた中畑清氏がなにやら言ったのに対し、「守備のいい投手だったら、アウトだったし、あの後の選手が大変だった」と付け加えた。こんなことをった言ったのは落合氏が初めてで、後々の影響にまでは言及しなかったが、大谷選手の今後に影響しかねない、ことは確実だ、と改めて思った。さすが、野球をよく知っている落合だ、とも思った。 

 

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東急電鉄の抜き打ち的な回数券発売停止にいささか憤りを感じた。主にバリアフリー設備整備費用を理由にに運賃値上げをするのはいかがなものか

2023-03-09 | Weblog

 8日、東京地裁へ裁判の傍聴に行った帰りに東急溝の口駅に降り立ち、改札の脇にあるスタンドに「運賃改定のお知らせ」のパンフレットが置いてあるのを見つけ、手に取ると今月18日から約10%の運賃値上げのお知らせだった。実はすでに東京メトロが同じ18日から全線10円の値上げを打ち出していた。ただ、東京メトロはその理由をホームドア、エレベーター等各種バリアフリー設備整備代としているのに対し、東急電鉄はバリアフリー関連工事代に加え、新型コロナウイルスによるテレワークなど生活様式の定着による鉄道利用客の減少で需要が減少が続くためとしており、その分値上げ幅は大きいものとなっている。

 実は東京メトロ、東急電鉄とも先月末にずっと乗客に対するサービスとして永年発売してきた回数券の発売をストップした。普通券と午前10時から午後4時まで乗車できる時差券、土日のみ通用する土日券の3種類あり、最大40%もの割引となっていて、有効期間も3ケ月もあって定期的な利用者にとってかなりお得なものだった。鈍想愚感子も毎週1回、東京・霞が関の東京地裁へ裁判の傍聴に出かけていたので、重宝していた。それが、東京メトロが1カ月以上前から回数券の発売を2月末にて終了する、とお知らせしていて、3月以降も回収券の使用は有効期間内なら以前の料金のまま利用できます、と伝えていた。

 ところが、東急電鉄は事前のお知らせは全くなく、突然のように回数券の発売を東京メトロと同じ2月末で打ち切ってしまった。その翌日に溝の口駅の駅員に聞いたら、「もう回数券の発売は打ち切りました」とのことだった。それが18日から東京メトロ同じとタイミングで運賃値上げ踏み切る、聞いて、回数券発売打ち切りとつながっていたことがわかった。回数券発売終了を事前に聞いていれば買い置きしておいたのに、と悔やんでも後の祭りだった。金額的には大したこてゃないのかもしれないが、こうしたささやかな庶民の節約生活に対する努力に水を差すような東急電鉄の姿勢にちょっとした憤りを感じた。

 それで、少し疑問思ったことがある。東京メトロ、の東急電鉄ともに今回の運賃値上げの最大の理由にバリアフリー設備の整備代を挙げているが、それを利用者が払う運賃のそのまま乗せて値上げする、というのはおかしいのではなかろうか。バリアフリー設備の整備はいわば福祉ともいうべきもので、本来なら国が行うべき工事で、全額、もしくはその費用の一部でも国が負担すべきものではないだろうか。コロナウイルス感染対策を一切国の税金で賄ってきたのと同様に弱者の鉄道利用を促進するための費用なのだから、まずは国を挙げて行うべき工事ではないだろうか。それを一切、利用者の負担としてしまうのはなにか納得がいかない。JRはじ鉄道各社はいまやすべて民間企業が行っているので、いままでバリアフリー設備の負担を国に求めるようなことは行われてきていないかもしれないが、今後、専門家を交えてぜひ検討してもらいたいものだ。

 

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60年ぶりに従妹と再会して、往時に戻ったような感じがした。こんなことがあるものなのだ、と実感し、最近亡くなった従姉に感謝する思いもした

2023-03-07 | Weblog

 つい先日、名古屋の従弟から電話が掛かってきて、お互いの従姉でもある弘子さんが亡くなった、との連絡があった。弘子さんは親父が戦後まもなくから営んでいた喫茶店の看板娘として貢献してもらっていたいわばお姉さんで、20数年に東京へ親父を引き取った時以来、お世話になり、その親父が亡くなった際にも葬式にきてもらい、年賀状とやり取りもしていたが、10数年前からそれもなくなり、いわば音信不通となっていた。そのうち風の便りに弘子さんの具合いがよくないとも聞いていたが、コロナ感染も手伝って、大丈夫かな、と気になっていたものの、それを確かめる手立てもなく、ずっとそのままとなっていた。

 それが今回の連絡で亡くなったことが判明したわけで、一人住まいで、だれも見とる人もなく、ひっそりと亡くなり、その筋から従弟に連絡がきた、という。当の従弟も一体だれに連絡したものか、と思いながら、遺品を整理するうちに我が家の電話番号がわかり、連絡してくれた次第だった。話を聞いているうちに親族のほとんどが亡くなっており、いま生きている人はほんの数人ということもわかってきた。従弟によると、弘子さんが意外な発展家で、奥さんのいる人とお付き合いがあったことなど初めて知ったり、かつての一族の先祖代々の墓がかつてあった名古屋・自由が丘から安城市へ移されていたなどの話も聞いた。

 当の従弟ともこうして話すのも母親の葬式を行った時以来で、実に51年ぶりのことだった。電話を取った最初のうちは相手が誰であるか見当をつけながら、名前もすぐには思い出せない状況で、話しているうちにやっと名前が思い当たるようになった。そして、最後にお互いの連絡先を告げ合い、確か従弟の妹さんが東京にいるようなことを思い出して、それを確かめると、なんといま住んでいる溝の口と同じ沿線に住んでいることがわかった。たしかなみちゃんといって、親父が東京へ出てきて、一緒に住んでいた時に弘子さんと一緒に親父を見舞ってくれたことがあった、という。その時は会社に出勤していたので、言葉は交わさなかったが、改めてその時のことを聞いて、ろくにお礼も言わずになんと非人情なことをしていたのだ、と改めて反省した。

 そんな思いもあって従弟からなみちゃんの連絡先を聞いてそのうちに連絡しなくちゃ、と思っていたら、そのなみちゃんから電話があった。おそらく、従弟が連絡してくれたのだろう。で、これまでろくなお礼もせずにいたことをお詫びして、早速会うことを決めた。同じ沿線に住んでいるのだから、かみさんも同席した方がいいだろう、ということで、6日にまず溝の口駅まで出向いてくれる、ということになり、約束の時間に2人で出向いた。

 なみちゃんのかつての面影は覚えているが、果たして2人ともお互いを見分けられるものなのか、という若干の不安を抱きながら駅頭に立った。なみちゃんと最後に会ったのは中学か、高校の頃で、数えてみれば60年以上は経っている。しかもいまはお互いマスクをしているはずで、余計に不安を感じさせられた。電車が停まって、ホームに降り立った乗客が改札に進んでくるのを凝視しながら、待っていると、一人のそれらしき女性が一人でやってきて、お互い目の前に立って、ほぼ確認できた。わかるものなのだ、と実感した。

 それから、マルイの10階のレストラン街に行き、店を選んで食卓に着き、ランチを摂って、積もる話をあれこれ咲かせた。その後も家にお連れして、約3時間を過ごした。なみちゃんは相変わらずのチャキチャキの話しっぷりで、ああ、これがなみちゃんだ、と思わせてくれた。年齢は70歳を超えているはずだが、そんな歳を感じさせない若さを持ち合わせていた。身こなしも軽やかで、聞けば、いまだに水泳をしていて、マスター大会に参加している、というから元気いっぱいのシニアである。往時のことを聞いても的確に答えてくれ、記憶もしっかりとしていて、言い淀むようなことも全くなかった。一挙に60年前に戻ったような感じすらした。

 なみちゃんと過ごした3時間はまるでタイムマシーンに乗って古(いにしえ)に帰ったようで、気持ちまで若返った。話していると、60年前に戻ったような気すらしてきた。生きていると、こんなことが実際にあるものなのだ、とも思った。これも従姉の弘子さんがもたらしてくれたものなのか、と思い、そうであれば弘子さんに感謝しなければならないとも思った。

 

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いつも寝ている妻が舞台に熱中して目を覚ましていたほど面白かった俳優座の「聖なる炎」。演劇は面白いことに尽きる、と思った。

2023-03-04 | Weblog

 4日は東京・六本木の俳優座劇場で英国の作家、サマセット・モーム原作の「聖なる炎」を観賞した。ロンドン郊外の大邸宅を舞台に第1次世界大戦後、新型飛行機の試験飛行中に墜落事故を起こして半身不随となった長男のモーリスが愛情溢れる家族、友人囲まれて平穏に療養生活を送っていたのに、ある朝、謎の死を遂げてしまう。その死因をめぐって看護婦の一言から母、妻、弟の間で信じがたい事実が明らかとなっていくそのミステリーな展開にハラハラドキドキさせられ、あっと言う間に休憩を入れて2時間半強が過ぎてしまった。原作がいいのだろうが、こんなにテンポのいい演劇を見たのは久しぶりのことだった。

 演劇「聖なる炎」は冒頭、療養中の主人公モーリスが医者のハーヴェスターとチェスに興じていて、その傍らで母親のタブレット夫人ソファで寛いでいるシーンから始まる。チェスはモーリスの勝ちとなり、そこへ一家がインドに赴任していた時代の友人リコンダ少佐が近くに寄った。と言いながら訪ねてくる。そうこうしているうちに妻のステラが義弟のコリンと観劇の帰りだと言って帰ってくる。そこでステラのファッションショーが展開されるなど英国の上流家庭の風景が展開される。そのうちに疲れたと言って、モーリスが部屋に引き下がったところで、お開きとなる。

 その翌朝、居間でコリンがなにやら忙しげに机の上で作業をしているところへ、コンダ少佐が駆け込んできて、やにわに「一体どういうことだ」とコリンを攻め立てる。コリンは「実は今朝、起きたら、モーリスが亡くなっていた」と言い、その状況を説明し始めた。家族一同が集まり、医者のハーヴェスターも加わり、あれこれ話をしだした。そこへ看護婦のウェイランドが「モーリスさんは殺されたんだと思います」と言い出し、聞いているみんなを驚かせた。

 そこで昨夜のモーリスの就寝状況をみんなで確認しあうこととなるが、看護婦は「睡眠薬のクロラインはいつもモーリスの取れない場所に置いてあり、それを取ってベッドの横に置いた人が犯人です」と宣言した。それを聞いた面々は一体誰がそんなことができるのかと、お互いの顔をと眺めわたすだけで、犯人の追及はなかなか進展しない。コンダ少佐はインド時代に警察官を務めたことがあり、おのずと事件の解明役を引き受けることともなるが、それほど事件の解明には進まない。みんながあれこれと思案を巡らすが、決定的なことは出てこない。

 すると、看護婦は「実はステラは妊娠しているのです」といかにもステラに嫌疑がかかるのを薦めるような爆弾宣言を投げかける。それを聞いたステラはやむなく「そのことは事実です」と認める発言をする。して、その相手はと誰もが疑問を感じるのを察して、ステラは相手が義弟のコリンであることを打ち明ける。それを聞いたタブレット夫人は「人間だれしも間違いは起きるものだ」と全面的に肯定するような発言をし、あまつさえ、かつては自身もコンダ少佐を好きになったことがあった、とあらぬ話まで打ち明ける。これには一同びっくりするやら、あきれるやら、座は一時白けかけた。

 結局、モーリスの死因は睡眠薬の過剰摂取ということになったが、果たしてだれがその手を下したのか、結論も出なくて、まずは警察当局の解明を待つしかない、ということに落ち着きかけた。ところが、そこで、なんとタブレット夫人が「実はクロラインを5錠を手に取って水に溶かしてベッド脇に置いたのは私です」と驚くべきことを告白した。これには一同びっくりで、まさかの大団円の結末となった。みんな妻のステラが行った犯罪だ、と思い込んでいたのが否定され、まさかの実母が手を貸していた、とは思わぬ幕切れ、となった。夫人は我が子のモーリスと、かねて「死にたいと言ったら、そうしよう、と話し合ってきた」とも打ち明けた。これを聞いた家族、および一同はもうこれ以上、ことの次第を追及することは諦め、あっさりと事を収めることに同意した。

 これまでいくばくかの演劇を見てきたが、こんなに興奮して、舞台に熱中して入り込んで観劇したのは初めてのことで、演劇というのは面白いものだ、と改めて確信した。いつも観劇は妻と同伴での臨んでいるが、いつもは途中で寝てしまい、膝を叩かれて目を覚ますのが常だったが、今回はほとんど寝なかった。それだけ舞台に熱中した、ということである。

 

 

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