鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

現代の恋愛風景を切り取った「風花」

2008-04-30 | Weblog
 川上弘美の「風花」を読んだ。前作の「真鶴」や前々作だかの「古道具 中野商店」と同様、例によって男と女の恋愛の雑誌連作小説で、それぞれの短編はそれなりに話の筋は通っているが、それらをまとめて読むとひとつの長篇小説となるから不思議だ。単に登場人物が同じということではなく、現代の男女の恋愛風景を切り取った趣きがある。女流作家なので、女性の心理描写は抜群にうまいのに男性が薄っぺらく描かれているのがやや気になるが、いまの世相を反映したものとしては面白く読めた。
 主人公、のゆりはいかにも現代風のとんでる奥さんで、結婚7年目で夫の卓哉の女性問題で離婚の危機に直面している。とはいえ、それで深刻に悩むということもなく、今日も叔父と東北新幹線に乗り、花巻からバスで行く鄙びた温泉旅行に出かけるところから小説は始まる。夫の恋人、里美と直接会って話を聞いたところ、別れて結婚する意志はない、と言われたのに、夫の卓哉は離婚することも辞さない構えで、思いあまったのゆりは叔父の真人に相談したら、一緒に温泉に出かけることになってしまった。
 だからといって、今後の身の振り方が決まったわけでもなく、とりあえず今後の生活のメドをつけるため、叔父の紹介でクリニックの受付のバイトを始め、母と気晴らしに横川の温泉に出かけたり、医療事務の講座で知り合った年下の瑛二とじゃれあったり、学生時代の友人、唐沢知子と沖縄旅行に出かけたり、ふわふわと生活を送っていた。
 その間に、夫の卓哉が姫路に転勤になったりしても、離婚問題は一向に進展しない。その間に夫の以前の女性が現れ、さらに問題をややこしくするが、夫の福島出張に誘われ、最初のゆりはついて行く気はなかったのに行きがかり上、行くことになってしまい、離婚問題は解消するのか、と夫は期待を抱くが、結局そんなこともなく姫路へ帰ってきて、離婚を決意したところで小説は終わる。
 男女の間の微妙なやりとりを絶妙なタッチで綴っていく筆捌きは川上弘美の独壇場ともいえるうまさがある。読む方としてはいまの30前後の女性の感覚はこんなものか、という感じを持ちながら楽しく読めた。
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名もないメーカー品を使うな

2008-04-29 | Weblog
 パソコンのプリンターの調子がおかしいので、ずっと悪戦苦闘していたが、さる時にNTT東日本に問い合わせ、電話には問題ないことがわかり、次いでプリンターメーカーのエプソンのサポートセンターと電話で1時間くらいやり取りした結果、プリンター本体にも問題ないことがわかった。それで、パソコンメーカーのゲートウエイに症状を伝えたうえで問い合わせたところ、「何年使っているか」と聞かれ、正直に「3年」と答えたら、「1年以上の場合は有料で、銀行に2625円振り込んで、それが確認されたら、サポートする」という。単位電話で復旧を聞くだけで2625円も取るとは横暴なサービスだ、とは思ったが、それで直るのなら、と休み明けの28日朝一番に指定された口座に振り込んだ。
 実はプリンターが機能しなくなったのは光電話に切り替えてからで、もう半年以上前である。何回も試みて、動かないことから、諦めていたが、パソコンメーカーのゲートウエイはもう日本から撤退した、と思い込んでいたのが、マニュアルをひっくり返していたら、サポートセンターの電話番号が載っていたので、試しにかけてみたら、かくなる次第であった。その電話はなぜか大阪で、振込み手数料もこちら持ちというのにひっかかり、その旨毒付いても担当者はケロッとしているので、従ってみることにした。
 で、28日の夕刻に2回目の電話がかかってきて、こちら側の症状を問題があるとしたら、USBの接続のところrか、WINDOWのOSにある、と指摘した。USBの場合はハードウエアの取替え、OSの場合は初期化すれば回復するかもしれない、という。後者の場合の初期化の仕方を教えてくれたが、あとでマニュアルを見たら、載っていた。少なくともなにも2625円もとって教えるような内容ではなかった。他のパソコンメーカーなら無料で教えてくれた内容であった。
 ゲートウエイなるマイナーなメーカーを選んだこちらにも若干の責任はあるかもしれないが、マイナーなメーカーにはそれなりのお粗末なサービスしかない、ということがはっきりとわかった。ゲートウエイのサポートセンターの電話番号もなぜか電話料金が受信者負担の0120でなく、大阪局番であったのも腹の立つことであった。
 電話をかけてきたゲートウエイの担当者によると、マイクロソフトのOSか、USBの接続のところに問題がありそうで、ゲートウエイのサイドで施すところは何もない、という。この程度のことは始めからわかっていたのに、それでも2625円取ったうえで、回答するのも腹立たしいことであった。
 結局、パソコンの初期化はあとの復旧を考えると、煩わしいので、さらに壊れるまで現状のままいくことにした。
 名もないメーカーのものを使うととんでもない目に遭う、という教訓で、高い授業料についた一幕であった。
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壮大なピカレスク映画「大菩薩峠」

2008-04-28 | Weblog
 27日はNHKBS第2で放映していた「大菩薩峠」を観賞した。中里介山原作の大長編小説で、おぼろげに筋を理解していたが、きちんとストーリーを見たのは初めてで、幕末の動乱期を生き抜いた机龍之介という浪人の壮大なドラマ。主演の仲代達也の鬼気迫る悪人ぶりに感動に似たものを感じた。いま流行りの人を殺すことをなんとも思わないピカレスク小説で、幕末という時点を舞台にしたところに壮大な大河小説となったポイントがありそうだ。
 山梨県の甲府から東北東へ20キロばかり行ったところに大菩薩峠がある。そこへ老人と孫娘の巡礼が通りかかり、老人が頂にある祠にお参りをしているところに主人公、机龍之介が通りかかり、何も言わずに切りかかる。翌日に藩での御前試合を控えて、気持ちが高ぶっていたのか、帰りがけにすれ違った町人にも切りかかる。編み笠をかぶった浪人の編みの隙間を通して、あたりを窺うその目つきは狂人の目である。
 家に帰ると、病床に就いている父親が明日の試合には負けるように諭すが、とんと聞く耳を持たない。そこへ、試合の相手の妹と称する女が負けてくれと頼みに来るが、適当にあしらっているうちに水車小屋に誘き寄せ、いいようになぶりものにしてしまう。
 で、御前試合では相手を打ち殺してしまい、門弟の襲撃に遭うが、なんなく撃退してしまう。一方、祖父を殺された孫娘は親切な行商人に助けられ、街のさる家の女中として働くことになるが、後に机龍之介とは奇妙な縁で再会することにあんる。
 その後、御前試合の前日に知り合った女と妙な縁で世帯を持った机龍之介は幕末の浪人仲間の用心棒を勤めているうちに、通りかかった島田虎之助道場で手合わせを申し込み、試合で打ち殺した相手の弟と立ちあい、負かしてしまう。師匠の島田虎之助にも立ちあいを申し込むが、やんわりと断られる。
 その後も殺し屋稼業を続けているうちに京都へ行くことになり、妻に打ち明けると反対され、離縁を迫られる。勝手にしろ、と打ち捨てて、寝込んだところを妻に襲撃され、逆に殺してしまう。画面には表れなかったが、幼い子供も殺してしまったのだろう。京都で、新撰組の用心棒となって、隊長の主導権争いに巻き込まれ、料亭で大勢の隊士に囲まれ、次ぎから次ぎへと切り進むところで、映画は終わってしまった。
 見終わって、なんと壮大なピカレスク映画だろうというのが正直な感想であった。仲代達也に三船敏郎、加山雄三と豪華な配役で、橋本忍脚本、岡本喜八監督と錚々たる顔ぶれの大作であった。小説は42巻にも及ぶ超大作で、これを一篇の映画とするにはかなりの無理があったことと推察された。
 
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競馬必勝法に一歩近づいたK君にエール

2008-04-27 | Weblog
 26日は東京・府中の東京競馬場へ出陣した。2カ月くらい前に会社の後輩のK君から自身が主宰しているコミュニティ新聞のことでちょっとした問い合わせの電話がかかってきて、暖かくなったら競馬場へ一緒に行こう、という話になっていたのが、実現の運びとなったものである。K君とはかねてから競馬必勝法を編みだそう、と語り合った競馬友達で、さりながら一緒に競馬に行ったことはなかった。お互い会社を退いた自由な身となって、いよいよ競馬道を極めることが可能となったわけである。待ち合わせは午後1時にパドックの前ということなので、こちらは朝一番から出かけた。
 第1レースのパドックで、人気はないけれど馬体がよく見えた3番のエイシンリードモアを中心に買ったところ、ドンピシャで馬連2600円也をとった。今日は出足がいい、と気分をよくしたが、第2レース以降はさっぱりで、天気も崩れてきて、寒くなってきたこともあって観覧席で身体を丸めて小さくなっていた。
 で、午後1時にK君、それに先輩のSさんと落ち合い、確保していた観覧席に案内して3人別々に馬券戦術を展開した。30分ごとのレースをパドックで馬を見て、馬券を買い、観客席に戻ってお互いに買った馬券の目なりを語り合いながら、あれこれを話し合った。K君はレースごとに出走する馬の実力を計算した表をかざしながら、馬を見て買う目を決めているようで、なかなかよく当たる。その数字の出し方は自分で計算するのではなく、ネットの上にあるものから取捨選択してパラメータを指示して打ち出している、という。東京、京都、福島3競馬場のすべてのレースの出走馬を計算するのに30分もかからない、という。
 そのあたりを聞きたくて、3人で近くのそば屋に入って、雑談をしながら、チラリと極意を探ってみた。すると、前走の着差、馬場、ローテーション、騎手などのパラメーターで指数を出し、上位5頭を組み合わせた3連複(10通り)を買う、という。一回聞いただけでは全容は飲み込めない深いものがあるようで、次回改めて伺わせてもらうことにした。
 さらに聞けば、K君は東武東上線の沿線に住んでいて、会社を辞めた直後の昨年4月から「東上線沿線物語」という地域紙なるいものを主宰していて、一部500円という最近号を贈呈してもらった。沿線の企業、人物、イベントなどをあれこれ紹介するコミュニティ紙で、やっと刷り部数500部にまでなった、という。Googleで検索すると、それなりにステータスは確立しつうつあるおようで、K君は「経営的には苦しい」と台所事情を吐露していたが、なんのバックもなくこの手のビジネスが成り立つのは極めて珍しいので、いつまでも続いてほしい、と願わざるを得ない。
 また、競馬場で楽しく会うためにも、頑張れK君!とエールを送りたい。 
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国際政治の蚊帳の外の日本

2008-04-26 | Weblog
 中国オリンピックの聖火リレーに使われる聖火が25日、オーストラリア・キャンベラから空路で東京・羽田空港に到着した。警視庁は約200人を配置し、警備にあたったが、さしたる混乱もなく、バスで長野市に運ばれた。26日午前8時半から市内の18.6キロを野球日本代表の星野仙一監督やタレントの萩本欽一さんら80人による聖火リレーが行われる予定で、長野県警は3000人の厳戒体制を敷く構えで、結果として平穏無事に行われることはまず間違いない。
 聖火リレーはオリンピックの前景気をあおるため、市民が参加してお祭りとなるのが普通なのにフランスはじめ米国、英国などで中国政府がチベットへの弾圧を強めているのに抗議をして、市民団体が妨害行動を繰り広げており、米国などでは予定されていた聖火リレーのコースを大幅に変更するようなことまで行った。
 これらに対して中国政府、および北京オリンピックの開催を支持する中国人民が抗議運動に対する抗議運動を展開する妙なことになり、特にフランスで抗議運動が激しかったので、フランスのスーパー、カルフールの中国国内のチェーン店での買い物をしない不買運動を展開する異常事態にまで発展した。チベットに対する弾圧が批判されているのだから、それを改めればいいのに逆にキレテ反発する、というのは正常な市民感覚では考えられないことである。政府関係者が後ろで糸を引いている、としか考えられない。
 それも行き過ぎた行為に発展したため、中国政府は声明を出して、不買運動を止めるように命令した、というのだから念が入っている。中国が民主的な近代国家として機能していないなによりの証拠である。
 そうした中国政府に対して一言も発しない日本政府もまたお粗末である。本当の友人ならば、友人の非なり、落ち度は指摘するのが普通なのに、一切黙っているのは解せない。だから、日本はいつまで経っても、中国から馬鹿にされたような態度であしらわれることになるのだ。
 そんな態度では厳戒体制で聖火リレーを無事に終えて、韓国へ聖火を運び去ることしか考えていないのだろう。聖火リレーは返上したい、などとは口が裂けても言えないのだろう。
 そんななか、25日になって中国政府から「ダライ・ラマ14世と話し合う用意がある」との声明が発表された。言うべきことも言わずに黙々と聖火リレーをつないでいる日本を尻目に外交は進められていく。いつまで経っても日本は国際政治のなかでは蚊帳の外ということである。

追記 結局、聖火リレーの妨害行為では台湾籍の1人を含む男6人が威力業務妨害容疑などで逮捕され、小競り合いから中国人4人が軽傷を負った。長野県警の調べでは沿道などの観客は約8万5600人、このうち在日中国人は主に留学生が5000人にのぼった、という。諸外国に比べれば、平穏に終わり、日中両国のメンツは保たれた。そこまでして北京オリンピックを盛り上げよう、との両国政府のねらいは叶った、と言うべきだが、一体何の意味があったのだろうか、との空しい思いは残った。
 
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重い「末期の水、一言言わせて」の発言

2008-04-25 | Weblog
 23、24日と東京地裁刑事部510号法廷に通い、殺人事件の公判を聴いた。最初覗いた時は満員で入れなかったが、昼過ぎに行ったところ空いていたので、座ったところ、弁護士による被告の尋問が行われているところだった。被告T・T嬢(といっても49歳のオールドミスである)が母親を殴殺した尊属殺人で、殺人に至った経緯を順を追って、詳しく聞いていた。生活保護家庭の母娘が生活苦から殺人に至った事情を解き明かしていくのだが、母親が最期に「末期の水、一言言わせて!」と言って事切れた、と被告は言うのだが、いまひとつ説得力に欠ける嫌いがあった。被告はなにかまだ隠していることがあるような気がしてならなかった。
 事件が起きたのは昨年9月25日(火)で、被告は前日から風邪気味で医者から処方された薬を呑んだりして体調を崩していた。その日は昼に中華料理の出前を取って、母娘で食べた後、寝てしまった。午後4時頃になって、母親から「、もう4時だから起きなさい」と言われて起こされた。そしたら、母親から「いつまでも寝ていて、また薬を呑み過ぎたのじゃないの」とか、嫌味をこめて「子供がいたら、こんなことはしないのに」と言われ、カッとなって母親のTシャツをつかんで、身体を前後に5、6回揺すって頭を窓枠の桟にぶつけたら、頭から血が出てきてしまい、さらにひっくり返ったテーブルの足で母親の頭を3,4回殴ったら血だらけになってしまった。で、パニックになってしまって、気が付いたら、ベルトを母親の首に巻きつけてギュッと締め上げていた。そしたら、母親が「末期の水、一言言わせて!」と言ったので、台所でコップに水を汲んで持っていったら、もう反応はなかった、という。
 大変なことをした、と思って、弁護士の先生に電話を架け、「母の首を締めてしまった」と言うと、「110番か119番に電話しなさい」と言われ、まず119番に電話した、という。指示されてから119番するまで1時間近く経っているので、それを聞かれると、被告は「衣服に付いた血を流そうとシャワーを浴びた」ことおと「台所の血を拭き取っていた」と答えた。午後7時過ぎに救急車が来て、救急措置をとり、点滴を施したが、追って来た警察に殺人未遂容疑で逮捕され、その後病院で母親が死んだため、殺人容に切り替えられた。
 被告は1人っ子で過保護で甘やかされ育ったこともあって、成人後も大した職につかず、ぶらぶらしていることが多くなたが、昭和61年に父親が亡くなってから精神を病み、かつ対人恐怖症で自宅に引きこもり勝ちとなっていった。そして平成8年には子宮ガンからか、子宮摘出手術を受け、子供を生めない身体となってしまったため、結婚を諦めざるを得なくなった。そのせいか、この頃から時々パニックになって暴言を吐いたり、物を投げつけたり、衝動買いをしたりすることが目立っていた、ともいう。その背景には母親の少額の稼ぎでは生活に追いつかず、生活保護を受けるようになっていた、という。
 それでも母親の何気ない一言で殺人を犯してしまうパニックに陥った理由がいまひとつわからなかった。弁護士の尋問に続いて検事からの尋問が2日に跨って行われ、さらには裁判官からに尋問が続き、事件の解明が図られたが、肝心の首を締めたところは「記憶がない」として詳細はわからず、それにしては動機がいまひとつ薄弱である印象を受けた。
 密室での尊属殺人なので、死刑に値する罪であるのは間違いないが、被告がそこまで追い詰められた事情に情状の余地があるか、そしてさらには被告の反省の度合いで、無期懲役か、禁固刑に減刑される可能性がある、と見た。被告の精神鑑定も行われるだろうが、公判を聴いている限り、頭はしっかりしているので、精神錯乱はあったとしても一時的なものと判断されることであろう。その場合、カギとなるのが「末期の水、一言言わせて!」の発言だろう。
 次回は精神鑑定した医師の証人尋問が行われることになっているが、ひとつの裁判を追っかけることが裁判を知る手法であることを学んだ、貴重な裁判であった。
 
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新たなジャーナリスト像が新聞社を変える

2008-04-24 | Weblog
 リクルート戦線に異変が生じている。先日の日本経済新聞の1面に同社の「社会人対象に社員募集」の社告が掲載されていたが、応募資格が1969年4月2日以降に生まれた人となっていた。つまり39歳までの人まで枠を広げたわけで、広く人材を募集する策に出たということを意味している。これまで営業など専門職で社会人を採用したことはあっても、記者を含む人材までに広げたことはなく、よほど人材が払底しているのだろうか。
 日経の募集職種は①一般記者②写真記者③デジタルメディア④情報技術ーーとなっており、ねらいは経験が求められるインターネット、コンピュータ技術者にあるのかもしれないが、一般記者の採用を正面に持ってきたのは極めて異例のことである。大学生の間で、取材して原稿を書くジャーナリストへの志向は一頃より落ちてきてはいるが、相変わらず根強い人気がる、と思われていた。
 しかし、広告でインターネットの広告が雑誌広告のトータルを上回るなどネットの攻勢に押されて、新聞に対する信頼が徐々にうすれつつあり、かつてほど新聞に人材が集まらなくなっているのも事実である。しかも新聞各社はネットの充実にも力を入れており、ネットの技術、編集にも長けた新たなジャーナリストの育成を迫られている。新聞では朝夕刊の1日2回の締め切りにペースを合わせてニュースを追うことになるが、ネットでは1日24時間、常に締め切りを抱えて走っていることを要求される。
 新聞ではライバルは新聞、雑誌、そしてテレビだろうが、ネットではそれこそGoogleであり、YAHOOであり、次ぎから次へと新たなライバルが現れてくることだろう。
 となると、単に取材して原稿を書くだけでなく、インターネットやコンピュータの技術にも通じ、ネットサーフィンして広く情報をサーチするようなテクニックにも長けることが要求される。もちろん、得た情報を分析するのはもちろん、味付けすることも要求される。
 こうした素養はなにも新聞社だけでなく、ネットで情報を提供するすべての企業が求めている人材である。ということは年齢に関係なく対象を広げないと確保できない人材なのかもしれない。記者という表現では捕らえられない新たなジャーナリスト像なのかもしれない。
 そんな人材が確保できたとして、新聞社が事業を展開したら、新聞社というより情報加工業といったイメージが強いものとなっていることだろう。
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明日は我が身の仏ルモンド紙の休刊

2008-04-23 | Weblog
 22日付けの朝日新聞によると、フランスの名門紙、ルモンドが記者のストライキで休刊している。発端は部数減による経営悪化対策として経営陣が打ち出したリストラ策に社員が反対しているためで、どこにでもある話ではあるが、新聞の場合、発行されないということは即収入が途絶えることを意味し、長引けば倒産にも追い込まれかねない。インターネットの普及で新聞が読めれなくなっている状況は日本でも同じで、いずれ日本にも波及しないとはいえない深刻なものをはらんでいる、といえよう。
 ルモンド紙は1944年の創刊以来、自社の理由によるストライキで休刊したことはない。それがこの14日と17日の2度にわたって休刊する事態に陥った。ルモンド紙の発行部数は1日60~70万部とそれほど多くはないが、鋭い論陣を張ることからインテリ層に人気があり、ファンはルモンンド紙以外にも同時にいくつかの雑誌も買っていくので、街のキオスクに与える影響は大きいものがある、という。
 今回のストライキの理由は経営陣が示した記者の4分の1以上にあたる89人を含む129人の人員削減策と系列企業の映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」や児童書出版のフルーリュス・プレス社などを売却するリストラ案に対する抗議にある、という。ルモンド紙は94年に就任したコロンバーニ社長が地方紙や出版社を買収する拡大策を採ってきたが、成果が上がらないため外部の資本を導入しようとしたが、社内から反発に遭い、解任され、今年1月に名記者だったフォトリーノ専務が社長に就任した。
 しかし、それでもインターネットとフリーペーパーの攻勢で部数減は続き、業績は向上せず、1部発行するのに1.3ユーロかかるのにコストは同1.8ユーロと悲劇的な経営状況に追い込まれている、という。
 しかも伝統的に労働組合の強い印刷会社と割高な輸送会社を使わなければならない宿命も抱えて、経営の前途多難である。このうえは外部からの資本導入もやむなしとの声も出ているようだが、その圧力で報道の自由が失われてしまう懸念もあり、今回のストライキはそのあたりをも読んだものとも言われており、容易には解決しそうもない、という。
 日本の場合もインターネットとフリーペーパーの攻勢で新聞業界の置かれている状況は全く同じで、明日は我が身という感が強い。しかも日本は成人1000人当たりの新聞発行部数は634.5部で、フランスの約3倍と過大な需要に支えられている。再販価格維持制度と人手を使って配達するにも拘わらず駅の即売で買うより安い、という非合理な新聞宅配制度に守られての部数で、この2つが無くなれば、いつフランスと同じ状況にならない、とも限らない。
 
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好対照の「音楽と野球」二態

2008-04-22 | Weblog
 先日、NHK朝の生活ホットモーニングの「この人にトキメキ」に歌手の石川さゆりが出ていて、見ていたら意外な人とのつながりのコーナーで、イチローが画面に現れ、一体どういう関係かな、と思ったら、なんと米シアトルのセーフィコフィールドでイチローが打席に入ると、石川さゆりの歌う天城越えの音楽が流れている、という。なんでも昨年の紅白歌合戦で石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を聞いたイチローが今年1月の尼崎での石川さゆりのコンサートを聴きに来て、楽屋を訪れ、話しているうちにそういうことになったとかで、ものに拘らないイチローらしいエピソードである。
 なんでもイチローはコンサートのチケットをインターネットで買った、という。野球選手は音楽なんかに興味を持っていないのだろう、と思っていたのに気に入ったら、即行動に移してしまう、のがイチローの良さでもある。しかも聴きに行くだけではなく、楽屋を訪れてしまうのがまた面白い。打撃の極意に通じるものを感じて演歌の要諦とでっもいったものを聞いてみたかったのかもしれない。
 で、話は「天城越え」の勇壮な響きをテープにでも取りたい、といったことになり、それでは石川さゆりが新たに音取りしたものをプレゼントすることになって、それなら打席に入る時のBGMとして流すことに発展していったのだろう。
 米大リーグの球場に日本の演歌が流れたのは初めてのことだ、という。打席に向かうイチローがバットを立てて、ピッチャーに立ち向かうサムライが決闘に臨む心意気が天城越えのの重々しい、勇壮な音楽にマッチしている。
 ところが、日本で中継される大リーグの放送ではアナウンサーの音の通りをよくするために球場のBGMの音を絞っている。だから視聴者にBGMはよく聞き取れない、という。石川さゆりがイチローに聞いたら、そう説明してくれた、という。
ヒットを打つために必要ならなんでも行う、それが日本の一流の歌手であろうが、聞いて見て、いいと思ったことを実行してしまう、その行動力が素晴らしい。普通なら、マネージャーが間に入って、事を大袈裟にして周りを不愉快な目にあわせてしまうケースが多いのに、そうした介在もなしに実現してしまうところがいい。少なくとも「俺は米大リーガーだ」といった傘にかかるようなところがないのがまたいい。
 と思って、21日のNHK昼の「スタジオパークからこんにちは」を見ていたら、ジャズピアニストの国府弘子が出ていて、松井秀喜が特大ホームランを打った時に「ゴーゴーゴジラ」という曲を作った、として、松井選手と一緒に写っている写真を公開していた。似たような話があるものだ、と思ったが、よくよく考えると、この場合は一方的な思いであり、イチローと石川さゆりとのやりとりとは大いに異なるもので、イチローと松井との違いを浮き彫りにした「音楽と野球」の二態である、と思った。
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ドイツオペラ「魔弾の射手」を堪能

2008-04-21 | Weblog
 20日は東京・初台の新国立劇場でのオペラ公演「魔弾の射手」を観賞した。ウエーバー作のドイツオペラで、エディット・ハイラーはじめ主演の4人はいずれもわが国には初めての登場した歌手ばかり。今回の公演では最終日にあたっていたいか、会場は満員で、いつもの格調高い雰囲気は感じられず、開演前からざわざわしていたし、こんなところでと思うところで拍手が出たりして、やや違和感があった。それでもこれがドイツオペラだというものを感じることはできた。
 「魔弾の射手」は森林官クーノーの娘、アガーテとの結婚をかけて射撃大会での優勝をめざす森林官助手のマックスが狩人仲間のガスパールから必ず命中するという魔弾を作ることに同意する。しかし、この魔弾は6発目までは命中するが、7発目は霊魔ザミエルの思うようにしか弾は飛ばない魔の弾であることをマックスは知らずに大会に臨む。お互い3発ずつを撃ったマックスとガスパールは最後の弾を使うばかりとなり、そこでボヘミアの領主が白い鳩を撃て、と命じ、マックスがその通りにするや否や、アガーテが「その鳩は自分だ」と叫んで飛び出し、止めに入ってきて、倒れてしまう。
 事の次第に驚いたマックスが魔弾の真相を打ち明けたのに対し、森の領主は永久追放を命じる。そして、弾が当たったはずのアガーテが起き上がり、代わりにガスパールが霊魔ザミエルを呪いながら死ぬ。そこへ現れた森の」隠者が1年間の試練の期間を与えた後に2人の結婚を許す、という調停案を示し、領主も納得し、めでたしめでたし、となる。
 ドイツオペラはイタリアオペラと違って最初から最後まで歌ではなく、要所要所で科白が入り、ストーリー展開についていけるのがいい。あとは言葉のせいか、メメリハリの効いた歌いっぷりで、好感が持てた。
 あとは主役のアガーテ役のエディット・ハッラーはやや太めの体格で動きにキレがなかったのに対し、親友エンヒェン役のユリア・バウアーの方が声もよく通って演技もうまかったように思った。むしろ、逆の配役の方が良かったように思った。
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