鈍想愚感

何にでも興味を持つ一介の市井人。40年間をサラリーマンとして過ごしてきた経験を元に身の回りの出来事を勝手気ままに切る

「”反社”の定義がない」を見習って今度は「”公用車”の定義がない」とは聞いてあきれる。いい加減にしろ

2019-12-19 | Weblog

 国会が閉幕となっても世間の「桜を見る会」への疑惑は一向に沈静化することなく、連日新聞・テレビで関連の情報が飛び交っている。19日付けの朝日新聞は安倍首相の妻、昭恵氏が」「桜を見る会」など公的行事に出席する際にかかる経費を公的支出として認めているか、との質問に対し、政府は「範囲が明らかでないため、答えるのは困難」とする答弁書を閣議で決定した、と報じ、公用車の使用状況について朝日新聞が内閣官房に聞いたところ、担当者は日当について「国家公務員の旅費に関する法律に定義されたものと同じかどうか判然としない」と説明し、公用車については「そもそも『公用車』という定義が政府にはない」と回答した、と報じている。公用車とは国民の税金を使って使用している車であり、これを知らないというのは聞いてあきれる。これに限らず、国会で「桜を見る会」が問題となって以降、政府から日頃使っている言葉について「そもそもの定義がない」との」表現が度々使われており、世間を欺くための方便としか聞こえてこない。まさに安倍政権の末期症状が表れているとしか言いようがない。

 政府が行政上使用している言葉の定義がない旨と言ったのは桜を見る会で反社の人物が菅官房長官と会場で撮った写真が世に中に出回っていることを指摘し、菅官房長官の会見で記者がその旨を追及した際に「そもそも反社なる言葉の定義がない」と議論に水をぶっかける発言をしたのが最初である。正面から答えられないので問題をする帰る手法として安倍首相がよく国会答弁で行っている手法ではあるが、この場合は議論を根底からひっくり返すもので、性質が悪いことこの上ない。ただ、その後すぐに「反社」についてはかつて国会で定義らしき内容を決めたことが判明したし、いまでは自ら暴力団、」暴力団員、準構成員、暴力団関係企業、特殊知能暴力集団の関係者、その他公益に反する行為をなす者でないことを意味するのは半ば常識となっている。にも拘わらず菅長官があえてそんな見苦しいことを口走ったのは自ら疚しい気持ちがあったからに他ならない。

 昨18日には野党議員が内閣府の役人らに対し、安倍首相が2015年の桜を見る会の開催にあたってジャパンライフの山口会長に招待状を送った件についてその事実を追及した際に山口会長に一体どんな功績、功労があったのか、聞いた際に内閣府の役人は言葉に窮してか「そもそも功績・功労についての定義がない」と口走った。言うに事欠いてこれまで度々口にし、話してきたことについて「定義がない」と平気で言えるこの感覚が理解を超えている。菅官房長官の真似をしていれば、ことは無事に収まるとでも思っているのだろうか。上に立つ者がこんな状態だから、下も見習うとでもいったらいいのだろうか、世も末である。

 安倍首相の国語力のお粗末さを見習っているのだろうか。政治家の悪い言い回しを忖度役人も一斉に見習い始めた、としか理解できない現象である。国乱れれば、民も乱れる、とは昔からよく耳にするが、本当にここまできてしまったのだろうか。こんなやりとりを次世代を担う子供たちが見たら何と思うことだろうか、心配である。国が乱れるような内閣はもういい加減に退陣してほしい。

 

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自らの立ち位置の確保だけがねらいの米トランプ大統領と安倍首相は似たもの同士?

2019-12-15 | Weblog

 「桜を見る会」の様々な疑惑に何ら答えないままに第200回臨時国会はこの9日閉幕し、閉会後の記者会見で安倍首相は「様々な批判があることは承知している」としながらも、「招待者名簿は適正に廃棄した」とし、「名簿データの復元は不可能と聞いている」とうそぶき、あまつさえ「ジャパンライフの山口会長とは個人的関係は一切ない」とここでも嘘をつきまくった。さらに官邸記者の質問に答える形で、念願と思わせる憲法改正について意欲を示し、衆院の解散についても「国民の信を問うべき時が来たら躊躇なく解散・総選挙を断行する」と言い切った。さらにはその数日後、奇しくも桜を見る会の前夜祭の会場となったホテルニューオータニで開かれた内外情勢調査会で桜を見る会での国会でのやりとりを「政策論争以外の話に多くの審議時間がさかとれている」と他人事のように表現したうえで、「国民のみなさまに申し訳なく思っている」と表面だけの」謝罪を表明した。

 それにしてもこの一連の発言は一国の総理大臣としては甚だ適格性を欠くもの言わざるを得ない。今回の桜を見る会は安倍首相自身の対応が問われている問題であるのにいかにも政府全体が問われているようなすり替えのうえで、他人事のように論評しているのがけしからないことである。菅原、河井両大臣の辞任に際しては「自ら説明責任を果たすべきである」と言っているにも関わらず、こと自身のことに関しては「呼ばれれば国会の委員会で説明する」と原則論を述べるものの、委員会の開催については一向に開催を指示しない。国会の開催については首相が「開きなさい」といえば開けれるものであることを忘れたかのような第三者的発言は国民を馬鹿にしたものの言わざるを得ない。

 さらにいえば、安倍首相の発言を聞いていると「”適正”に廃棄した」の”適正”という表現や、「招待者名簿は”身障者”の職員がシュレッダーにかけた」と”身障者”という表現は安倍首相の頭の中の構造は一体どうなっているのだろうか、と疑念を抱きかねないものである。”適正”という言葉に自身が行っている不正なことを正当化する意が含まれているし、”身障者”の職員という表現には仕事が遅いし、シュレッダーの稼働に時間がかかるとの意を含ませ、自身らの指示した内容が正しかったことを訴えようとしているのは見え見えであり、いかにも官僚が考えそうなこおtでもある。

 単に仕える官僚が作った原稿を読んでいるとは片付けられないものを含んでいる。そう発言する前にこうした表現をしたら、それを聞く者がどういう感じを持つのか、と考えないものであろうか。一国の首相たるもの、それぐらいの思念を持たないというのはどう理解したらいいのだろうか。国会答弁で、漢字の「云々」を「でんでん」と読んでしまったりするのを考えると、安倍首相はきちんとした国語教育を受けてこなかったとしか思えないのである。そんな御仁が首相を務めているのは国民にとって恥ずかしい、」と思わざるを得ない。

 そして、安倍首相はこれまでことあると北朝鮮の拉致問題の解決や、憲法改正や総選挙を持ち出すのがワンパターンとなっており、今回も桜の会への国民の関心をそらそうとお決まりの憲法改正と総選挙を声高に持ち出しているが、それをして一体日本をどうしようというのだろうか。まさか戦争をしかけようと思っているとは思いたくないが、それが国民のためになると思っているのだろうか。この国をいかなる方向へ導いていこう」といsているのか、それを明らかにしてもらいたい。歴代最長の内閣総理大臣となったいま、日本をいかなる国に導いていこう、というのか、それをぜひ聞かせてもらいたいものだ。同じ質問を米国トランプ大統領にもぶつけたいものである。来年の大統領選挙に勝って次期大統領になって、米国をどう導こうとしているのか、国際社会にあからさまにしてもらいたい。米国・ザ・ファーストはわかるが、その時世界は一体どうなっているのか、米国の大統領としての見解を示してほしい。もしかするとトランプ大統領も安倍首相も自らの立ち位置だけを確保したい、とだけ願っているのではなろうか、と危惧するところである。その意味では2人は似たもの同士であるのかもしれない。

 

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