25日は名古屋の金山橋の脇にあるANAクラウンプラザホテルグランコート名古屋で開かれたK氏のお別れの会に出席するため、名古屋へ行った。K氏とは会社の同期入社の仲で、昭和43年に入社した際に同期50人ほどのなかで2人だけ名古屋配属となった。聞いてみて同じ名古屋出身で、高校は県立のライバル校、大学も東京の早慶卒で、3年ほど新人生活を送り、東京本社に転勤となったが、K氏は6年ほどで退社し、稼業の瀬戸物の卸会社に勤め、父親の後を継いで社長、会長となり、ずっと経済人として過ごしてきた。それが、昨年4月、ゴルフをした直後に突然大動脈解離を発症し、ほどなく亡くなってしまった。奥さんからその旨の連絡を受け、お弔いの手紙を出したところ、年明けにも「お別れの会」を開催するとの連絡をもらい、コロナ禍のなかどうなるか、と懸念していたが、なんとか開催に至った。
開催の20分くらい前に会場に着くと、中に案内され、手渡された故人の足跡を読んでいて、故人が陶磁器業界で華々しく活躍していたことや、地元のロータリークラブの会長をしていたり、亡くなる直前に旭日双光章を受賞していたことなどを知り、改めてK氏の活躍ぶりに目を瞠った。そして、故人が3人の娘さんがいて、いまの社長は3女のお婿さんであることが分かった。開始の2時になって、祭壇前に案内され、手元にあった花を祭壇に手向け、お弔いをし、会場を見渡すと結構な人数の参加者で、ちょっとした3密状態だが、名古屋は東京ほどコロナウイルス感染がひどくなく許される状況であると感じた。
それにしてもほとんど知った人がいないなと思ったところへ、同じ会社の同期生のU氏にめぐり会って、救われた。聞けば、大学の同じゼミだったという。話し込んで1時間くらい経ったところで、このまま会はお開きとなることを見越して、失礼することにした。で、JR金山橋改札にさしかかったところで、靴に違和感があったので、見たところ、左の革靴の底のところが大きく剥がれていることを発見した。足を持ち上げてみると、底の半分」が下へダラリと垂れ下がってしまっているではないか。足をあがると、底が割れてしまったようになり、極めて悪きにくい。左足を床につけたまま、ずらして歩くしかないことになる。平坦なとことはいいが、高低差のある階段などは歩きにくい。
この靴は購入したのは10年以上前で、少なくともここ5年くらいは履いたことがない。考えてみれば、革靴の底はゴムで、なんらかの接着剤で接着しているのだろう。それが10年も経てば、接着の効果が薄れて、こうして剥がれるようなことはいつでも起きることなのだろう。たまたま、遠く出張した名古屋で起きたということだろう。とりあえずはなんとか、このまま足を引きずるような形で歩かざるを得ないだろう、よそ目には足を痛めているのだろいう、とでも映るかもしれないが、とにかくはゆっくりとでも歩むしかない、と覚悟を決めて、まずは名古屋駅までたどり着いた。駅の周辺で靴磨きや、売店で接着剤らしきものがないか、見てみたが、見当たらない。で、予定していた買い物を終えて、まずはなんとか家に帰ることにし、なんとか足を引きずり、新幹線に乗り込み、新横浜で降り、バスで溝の口まで来て、家に辿りついた。
以前にもこんな経験があったような感もしないではないが、まあ、不幸中の幸いで、ちょっとした不安を感じるだけで事は済んだ。でも革靴を履いて出かけることの多いことを考えれば、こうしたことはだれにでも起こりうることである。K氏のお別れの会が忘れられない思い出となったわけではあるが、人生何が起きるか、わからないことだけは言えそうである。そんなことのために接着剤は旅の必需品として持ち歩くこととは言いたくはないものの、なんらかの備えを取る必要はありそうである。家に帰って100円ショップで購入してあった万能接着剤で接合してみたが、それで解決するかどうかはもう少し様子をみてみないとわからない。